第113話 囚われの桜
(⋯⋯頭が⋯重い──)
意識が深い水底から
浮かび上がるように戻ってくると
モヤがかかったような重たい感覚と
鈍く脈打つような頭痛が時也を襲った。
目を開こうとするが、光は差さず
視界は闇に閉ざされたままだった。
(⋯⋯目隠し、ですね)
瞬時に状況を理解する。
視覚が封じられても、時也の思考は冷静だった。
四肢を動かそうとしても
手首も足首も動かず
どうやら椅子のようなものに座らされ
がっちりと拘束されているようだ。
(確か──あの時、双子達と)
ぼんやりと浮かび上がる記憶。
手を繋いでいたルナリアとエリス。
あの無垢な瞳、氷の翼──
そして、最後に聞いた二人の言葉。
──〝成敗〟っ!!
(⋯⋯あれは間違いなくあの子達だった⋯⋯。
本物だったからこそ
ここまで油断してしまった⋯⋯)
時也の表情は目隠しの奥で微かに歪むこともなく
ただ冷静に内省を続ける。
(あれは、操られていたのか⋯⋯。
あぁ⋯⋯今頃、あの子たちは無事でしょうか⋯⋯
いずれにしても──
必ず確かめなければなりませんね)
首を僅かに傾け、拘束された状態でも
四肢の可動域と圧迫の強さを確かめていく。
呼吸の深さを確かめながら
胸に広がる微かな痺れと倦怠感を読み取る。
(⋯⋯この気怠さと頭の鈍痛
そして、軽い痺れ⋯⋯
おそらく麻酔と筋弛緩剤の併用。
過剰ではないようですが
少しずつ身体に力を戻す必要がありますね)
ふと、気配の変化。
小さく──
しかし、耳に残る明確な靴音が
遠くから近づいてくる。
(誰か、来ましたね⋯⋯)
一歩、また一歩。
足音は軽やかだが、均整の取れた響きが
ただの素人でないことを物語っている。
その人物が持つ筋肉量や、体幹の安定性まで
歩き方から読み取れる。
(細身ですが──鍛錬の質が高い。
武術か、それとも暗殺術のような体系か⋯⋯)
やがて足音が止まり
空気の中に声が滑り込むように届いた。
「やぁ。素敵な格好だね、時也」
柔らかな声色──
だが、その奥には
ぞわりと肌を撫でるような冷たさと
飄々とした不気味さがあった。
「こんな状況でも動揺どころか
身動ぎひとつしないなんて⋯⋯
気味の悪い男だね──キミは」
目隠し越しでも感じる。
その声の主が、興味深げに笑んでいることを。
だが、時也の唇は微動だにせず
ただ静かに呼吸を整えていた。
その心は、今なお冷たく
何一つ乱れてはいなかった。
「初めまして。
僕の名前は知っているようですので
割愛させていただきますね。
こんな状態ですので
座ったままでのご挨拶を、お許しください」
時也の声は、目隠しの奥に柔らかく響いた。
穏やかで礼節あるその口調は
まるで〝お茶の席で交わす挨拶〟のように丁寧で
静かに空気を震わせる。
それは──決して媚びでも、怯えでもない。
時也自身の心の揺らぎの無さ──
内に秘めた強さの表れだった。
しかし、彼の内心では別の何かが蠢いていた。
(⋯⋯何でしょう⋯⋯この──違和感)
目の前にいる男の気配は確かにある。
声も届く。
気温も、吐息の熱も。
だが──何も、聞こえない。
時也の読心術が捉えるはずの〝心の声〟が──
一切、存在しない。
まるで
録音された台詞を再生しているだけのような
魂の籠っていない応答に感じられる。
この男の存在は
まるで薄っぺらな皮袋のように
内実を欠いていた。
(人間⋯⋯なのでしょうか?)
見えないからこそ
全神経が聴覚と感覚に集中する。
それでも、心は静かだ。
ただ、ひとつだけ確かに感じる──
(⋯⋯僕を痛めつける気だけは
満々のようですね)
次の瞬間
男が柔らかく──
だが、どこか甘く歪んだ声で囁いた。
「ねぇ、時也。
悪いけど──
アリアを引き渡してくれないかな?」
「丁重にお断りいたします」
目隠しの奥で微かに微笑みを浮かべると
時也は答えた。
その声に躊躇いも、迷いも無い。
すると、空気の流れが変わった。
言葉ではない〝思考の叫び〟が
男から一瞬、鋭く飛び出した──
時也は、反射的に右側へと上体を逸らす。
風が頬を裂くように、鋭く走り抜けた。
(──刀か!しかも、長い⋯⋯っ!)
目隠しされた状態でも
肌に感じた風圧と金属の音が
それを確信に変える。
しかし、安堵する間もなく──
ビシィッ!
裂けるような鋭い痛みが
時也の身体を駆け抜けた。
肩、腕、腹部。
まるで無数の鋭利な糸が肉をなぞり
切り裂くような感覚。
「⋯⋯ぐっ!」
堪えた低い呻きが、静寂の中に漏れる。
「無理に動くと危ないよ?
全身、ピアノ線でも縛ってあるからね」
耳元で囁かれるその声は
甘美な毒のように時也の鼓膜を刺す。
肉を裂くような鋭い感覚と
じわりと染み出す血のぬるさ。
衣服の内側を伝う液体が
ゆっくりと身体を蝕んでいく感覚が
ひどく現実味を帯びていた。




