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紅蓮の嚮後 〜桜の鎮魂歌〜  作者: 佐倉井 鱓
蒼の戯れ

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第110話 姫の目覚め

──バツンッ!


細く乾いた音が

沈黙していた空間に突然鳴り響いた。


瞬間、レイチェルの全身に鈍い衝撃が走る。


身体が宙に浮くような感覚

そして首に巻かれた何かが喉を圧迫し

息が詰まりそうになる。


「っ⋯⋯!」


喉から短い悲鳴を漏らしながら

彼女は目を開けた。


視界が揺れる。


意識が急激に覚醒し

強烈な違和感と痛みが体中を駆け巡る。


(──な⋯にっ、⋯⋯ここ、何処⋯⋯?)


記憶の中に浮かんだのは

銃口を向けてきた男と


すぐ傍で、殴られて倒れるソーレンの姿。


「ソーレン⋯⋯っ!」


思わず叫び、前へと身体を動かそうとした

その瞬間──


カクリ、と片脚が外れる。



「うっ⋯⋯!」


足元に感じていた支えが外れ

首に掛けられていたチョーカーに

張られたワイヤーが容赦なく引かれる。


喉に食い込む圧迫感。


視界が白くなりかけるのを

必死にこらえて体勢を立て直す。


ぎりぎりのところで

もう片方の足がかろうじて支えとなり

ワイヤーの引きを緩めた。


浅く、短く、空気を吸い込む。

肺が焼けるように痛んだ。


見下ろすと、そこには小さなブリキ製のバケツ。

それが、今の彼女を支える唯一の足場だった。


ぐらつくそれに

少しでも体重のバランスを誤れば──


即座にワイヤーが首を締め上げて

命を刈り取る構造。


しかもその傍には

既に焼き切れてロープが落ちていた。


さっきまで

身体を吊るしていたであろうそのロープは

蝋燭か何かで

ゆっくりと焼き切られたに違いない。


ワイヤーが首を裂くように引き寄せられる直前で

目覚めたのは、ただの偶然⋯⋯

あるいは、見えない誰かの加護か。


「ソ、ソーレン⋯⋯?」


掠れた声で呼びかける。


誰も答えない。

どこにも、ソーレンの気配はない。


静まり返った空間。


(こんな時こそ、落ち着けって──

言われてたな⋯⋯)


ソーレンの声が脳裏に蘇る。


強く、鋭く

それでいて優しかったあの声。


彼の言葉を胸に

レイチェルは心の中で自分を叱咤する。


(しっかり立って⋯⋯ワイヤーを緩めて⋯⋯

深呼吸して⋯⋯落ち着いて。

私は──大丈夫⋯⋯っ!)


ゆっくりと、バケツの上で重心を整える。


脚を震わせながらも、喉への負荷を最小限に抑え

僅かに息を整える。


すると──


キィ⋯⋯キィ⋯⋯と

部屋の奥からかすかな音が聞こえた。


まるで何かが軋むような

古びた家具の軋みのような音。


レイチェルは

首をほんの僅かに回して視線を動かす。


何も見逃さぬように、神経を尖らせる。


其処に──揺れていた。


古びた揺り椅子が

規則的に前後へと緩やかに揺れている。


その上に、優雅な姿勢で腰掛ける一人の男。


長く、美しく編まれた黒髪が

揺り椅子の動きに合わせて静かに波打っている。


華奢でありながら、ただならぬ気配を纏い

表情には微笑の形を浮かべていた。


目は伏せられたまま

何も語らぬように見えながら

その存在感は異常なほど濃かった。


「おはよう。プリンセス・レイチェル」


その声は柔らかく、甘く

絹を撫でるような響き。


けれど、どこか──

蛇が耳元で囁くような、不快な粘りがあった。


レイチェルは息を呑み

喉の奥を震わせながら

ゆっくりと男の顔を見据えた。


「⋯⋯あなたは、誰なの?」


その問いに応えるように、男は目を開いた。


ゆっくりと下から上へと

持ち上がるように開かれた双眸──


その瞳は、冷えきったアースブルー。


どこまでも透明でありながら

何ひとつ通さぬ氷のような色彩だった。


美しく、そして底知れぬ不気味さを宿した光。


ゆらり──と、男が立ち上がる。


その動作は一切の無駄がなく

あまりにも滑らかだった。


長く纏められた黒髪がふわりと揺れ

その動きに続くように

彼の背から鈍い音を引いて大太刀が持ち上がる。


下げられた刃の背が床を擦るたび

ギィ⋯⋯と金属と石の摩擦音が空間を軋ませ

まるでその刃が今にも血を求めて

呻いているかのように聞こえる。


彼はそれを、意図的に引き摺る。


自らが持つ〝力〟と〝死〟の象徴を

相手にこれでもかと見せつけるかのように。


エメラルドグリーンのレイチェルの瞳と

男の冷ややかなアースブルーが交錯する。


一瞬の火花が、空気の温度すら変えた。


「こんなしがない男の名前なんて

キミは憶えなくても良いんだよ」


男の声は滑らかで、甘やかすように柔らかい。

だが、その奥に潜むものは──蛇のような毒気。


「⋯⋯あら、残念ね」


レイチェルは小さく鼻を鳴らし

唇の端に皮肉な笑みを浮かべた。


「ねえ?私の王子様は何処にいるの?

派手に私の姿で殴ってくれてたけど⋯⋯」


その目に宿る怒りの光は

隠すことなく燃え上がる。


怯えも、恐怖も無い。


あるのは、愛しい人を踏み躙られた怒りと

反撃の意志だけ。


「キミの王子様なら⋯⋯

もう少しでボクらの

仲間入りするんじゃないかな?」


男の言葉には嘲りが滲む。


けれど、レイチェルは一歩も引かず

真っ直ぐに視線を返す。


「──あんな暴走機関車

あんた達が制御するなんて無理よ。

私でも手を焼くのに」


その言葉に、男の目が一瞬細まる。


アースブルーの双眸に

冷気のような何かが宿った。


「だから、キミにも仲間になってもらいたくて

ご招待させていただいた訳だよ」


「ふーん。それも無理だと思うけど⋯⋯」


レイチェルは、あくまで余裕の笑みを崩さず

冷ややかに問い返した。


「何をしたくて、仲間を集めてるの?」


男は肩を竦めてみせる。


芝居がかった動きは

どこか不自然な滑稽さを伴っている。


「キミ達が護っている──アリアを狩る為だよ」


その言葉に

レイチェルの表情が一瞬だけ鋭くなる。


けれど、すぐに

「やっぱりね」とでも言いたげな

薄ら笑いが浮かぶ。


「無理よ。

あなた達にアリアさんは狩れないわ。

あの人はとてつもなく強いの。

私達に負けるようじゃ、到底無理!」


その言葉に、男の眉がピクリと動いた。

瞬間、張り詰めた空気が鋭さを増す。


「負ける?

囚われのお姫様が、何を言ってるのやら⋯⋯」


男の声は低く

氷のような響きに変わっていた。


「少し⋯⋯身の程を知った方が良いよ、キミ?」


ゆっくりと大太刀の刃先が

レイチェルのスカートへと滑り込む。


布地にわずかな圧がかかり

チリ⋯⋯という音と共に細い切れ目が入る。


「ちょっと!

このスカート、お気に入りなんだけど!」


怒りの混じった声を上げるレイチェルに

男は愉快そうにくすくすと笑った。


その声音は、まるで子どもの玩具に飽きる前の

最後の遊びのようだ。


「キミみたいなお姫様が

こんな男共の巣窟にいたら⋯⋯

どんな怖い目に遭うと思う?」


わざとらしく首を傾げながら

男はにやけた笑みを浮かべた。


「考えを改めるのは⋯⋯今の内だよ?」


その時──


ゾロ⋯⋯ゾロ⋯⋯と

またしても、背後から響く足音。


同じテンポ、同じ重さの音。

暗闇の奥から現れたのは──さらに五人の男。


レイチェルの目が大きく見開かれた。


「⋯⋯どうなってるの?全員、同じ顔⋯⋯っ」


六人の男達の顔は、寸分違わぬ同一。


冷たいアースブルーの瞳が

揃ってレイチェルに向けられている。


その瞳は、人間のものではない。

理性も、感情も、魂すら感じられない。


ただ、機械的な狂気だけが──

そこにはあった。


六対の視線が

まるで標的を絞った獣の群れのように

じりじりと、レイチェルの心を削るように──


彼女を見据えていた。

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