第109話 圧倒的な鏖殺
ゴドンッ──!
鈍く鈍重な音が、石畳の床を震わせる。
続いて響いたのは、獣の断末魔にも似た
裂けるような男の悲鳴だった。
「⋯⋯ぐっ!があああああッ!」
その声は喉の奥から絞り出され
室内の壁という壁に反響し、まるで──
地獄の底で這いずる亡者の呻きのように響いた。
男の手がソーレンの首に触れる
ほんの瞬間前──
ソーレンは迫るその腕に
範囲を限った〝加重〟を纏わせた。
対象を選び、制限をかけた圧力が
凶器のように男の腕へと襲いかかる。
肩から伸びた腕が
メリメリと音を立てて関節ごと外れ
皮膚が裂け、赤黒い肉が引き千切られる。
その断面からはドクドクと血が溢れ
千切れた腕は床に叩きつけられて
肉塊のように転がった。
「ぎゃあああっ⋯⋯が、あがっ!!」
男はよろめき、片膝を床に突くと
肩から血を噴き出しながら必死に呻いた。
服は一瞬で返り血に染まり
無くなった腕を押さえる手には
もはや力は無い。
白い顔は蒼白を通り越して土気色に変わり
口元からは涎と涙が混ざって滴っていた。
「はっ!
可愛らしく鳴くじゃねぇか。子猫ちゃんよぉ?」
冷えた琥珀色の瞳が、転げ回る男を見下ろす。
その目に宿っているのは
怒りでも興奮でもない。
純粋な〝狩りの悦び〟──それだけだ。
その瞬間、奥の闇から
複数の足音がゆっくりと近付いてきた。
ぞろり、ぞろりと、同じ靴音が繰り返し響く。
「⋯⋯あぁ?」
ソーレンは僅かに目を細め、視界を凝らす。
そして──息を呑んだ。
「なに?お前ら、五つ⋯⋯六つ子か?
母親も大変だったろうなぁ。
まぁ、猫ならそんくらい産まれるか」
現れたのは、さらに五人。
だが、その顔はすべて──同じだった。
先程まで地を転げていた男とまったく同じ容姿。
冷えたアースブルーの瞳と
長く編み込まれた黒髪。
そして血の匂いを嗅いで笑うような、冷笑の唇。
「なら⋯⋯
子猫に喰われる獅子ほど
情けない存在は無いだろうねぇ?」
そのうちの一人が
大太刀をソーレンの目前に突きつける。
刃先が僅かに揺れて
ソーレンの頬に冷たい風を与えた。
「へぇ?
良いエモノ持ってんじゃねぇか?
後でコレを、猫じゃらしに遊んでやるよ」
「⋯⋯ふん。
強がりを言うこの口から
もっと魅力的になるように裂いてあげようか?」
刃先がソーレンの唇に触れかけた
その瞬間──
ソーレンは迷いなく、刃の背に噛みついた。
金属が軋む音と共に
ソーレンの歯が大太刀をがっちりと咥え込み
目の前の男を、顎の力のみで引き寄せる。
「さぁ、我慢比べしようぜ──子猫ちゃん?」
刃を吐き出した唇が、にっと不敵に吊り上がる。
ソーレンは大きく息を吐き
周囲の空気を一気に〝沈黙〟させた。
男とソーレンの周囲に
真空の領域が──展開される。
空気が奪われ
音が消え
温度が下がる。
刃を手放す暇もなく
目の前の男は急に呼吸ができなくなり──
目を見開いて、口をパクパクと開けながら
空気を求めて喉を掻き毟り、やがて崩れ落ちる。
体は痙攣し
吐き出そうとした息が抜けることなく
肺に溜まったまま泡立ち、鼻から血が滲み出た。
「──毒か!?一旦下がれっ!」
他の四人が素早く距離を取り、警戒する。
だが、その反応が──命取りだった。
「逃げんのかよ?
その前に泣き喚いてけよ!」
ソーレンの足元に
僅かに重圧が集中したかと思うと
瞬間──
部屋の出口方向に向かって
爆発的な〝圧力の反転〟が走った。
空間が歪み、重力が一瞬で逆巻く。
その重圧の中心にいた四人の男たちの体内に
異常な現象が這い上がる。
まずは耳から──
圧の変化に鼓膜が破裂し、赤い液体が滲み出す。
続いて、目が血走り
眼球の奥から鮮血が噴き出した。
「っが⋯⋯あ⋯ぁ⋯⋯っ!?」
体内の血液が激しく沸騰し始め
四肢の毛細血管が次々と破裂していく。
肌の下で内出血が広がり
血が皮膚を裂くように滲み出る。
そして、最も脆い肺と胃袋が一斉に破れ
血と泡が、口から溢れ出した。
「うぐっ⋯⋯あぁ⋯がっ⋯⋯!」
地面に崩れ落ち
痙攣しながら吐血する彼らの姿は
もはや人の形を保つのがやっとだった。
筋肉が引き攣り、骨が折れ
血塗れの身体が床に広がっていく。
ソーレンはその地獄絵図の中心で
ただ一人、微動だにせず立っていた。
琥珀の瞳が僅かに細められ
その先に残された
〝まだ動ける一体〟を静かに捉える。
その瞳に宿っていたのは、怒りではない。
冷徹な狩人の、それだけの光。
足元に散らばった血の臭いが
鼻腔を焼くように濃密だった。
鉄と硫黄
そして、焦げたような匂いが混ざり合い
喉の奥がひりつく。
ソーレンは部屋の中に
再び増援の足音が響かないことを確認すると
無言で重力を操った。
身体がふわりと浮き上がる。
足元が僅かに床を離れた状態で
首に食い込んでいたワイヤーを
細心の注意を払ってチョーカーから外す。
傷が付かぬように──丁寧に、慎重に。
まるで宝物を扱うかのように
時間をかけてワイヤーを解いた。
解放された首筋を軽く擦りながら
コキリ、と首を鳴らす。
緊張を解すその音は、今なお凄惨な空気の中で
不気味なほどに乾いて響いた。
視線を巡らせれば
床に倒れた男達のうち、既に五人は動かない。
真空で窒息させた男
体内から血を噴き出して倒れた四人。
生きているのは──ただ一人。
最初に腕を千切られた、あの男だけだった。
彼は今、床にうつ伏せになったまま
ガタガタと歯を鳴らしていた。
アースブルーの瞳には涙が溜まり
その顔面は青ざめ、全身の血の気が抜けていた。
肩からは断続的に血が滴り
床に大きな紅の水たまりを作っている。
その姿はまるで──
処刑を待つ家畜のようだった。
ソーレンはわざとらしく靴音を鳴らしながら
ゆっくりと、その男に歩み寄る。
音のひとつひとつが
男の耳を直撃するかのように恐怖を与え
細い肩が、びくびくと震えた。
その前で
ソーレンは長い脚を折り、静かにしゃがみ込む。
琥珀色の瞳が
氷のような冷たさで男を射抜いた。
ただ一点を見据える──死神の眼光。
「女の部屋は⋯⋯何処だ?」
言葉に込められた圧は重く
凍てつくような殺気が空気を押し潰す。
その声を聞いただけで
男の瞳から理性が崩れ落ちていくのが見えた。
「こ、この部屋の
真下の⋯⋯部屋に、居る⋯⋯!」
血の気を失った唇が、乾いた音で答える。
言葉を絞り出す度、肩の傷口から血が新たに滲み
床を濡らしていった。
眼差しは既に虚ろで
いつ意識が落ちてもおかしくない。
(床が抜けたら、危なかったな⋯⋯)
ソーレンは心中で息をついた。
重力操作の範囲を極限まで絞った判断は
正解だった。
下にレイチェルがいると知らずに
あの圧力を広げていれば──
考えたくもない結末が、背筋を冷やす。
ソーレンは静かに立ち上がった。
床に転がる大太刀を拾い上げると
血に濡れた刀身が赤く光を反射する。
その刀を、躊躇なく振り下ろした。
「せめてもの情けだ」
突き刺した一撃は、正確で無慈悲だった。
刃が胴体を貫き
残された僅かな命を瞬時に絶つ。
男は呻く間もなく
そのまま静かに崩れ落ちた。
血濡れた大太刀の刃が床を擦り
ギリッと音を立てる。
それでもソーレンは気にも留めず
引き抜いた刀を引き摺りながら出口へと向かう。
その足取りは、確信に満ちていた。
向かう先は、たった一つ。
レイチェルのいる──その真下の部屋。
愛しい者を救うための、ただ一つの道。




