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紅蓮の嚮後 〜桜の鎮魂歌〜  作者: 佐倉井 鱓
蒼の戯れ

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第108話 蒼と琥珀

バツンッ──!


乾いた音と同時に、鋭い衝撃が身体に走った。


吊るされていた何かが弾けたのか

瞬間、足元に浮遊感が広がり

全身がぐらりと宙を泳ぐように揺れた。


首に掛かる強烈な締めつけが、喉から息を奪う。


「──っが⋯⋯!」


呻くような掠れ声が漏れ

見開いた視界がじわりと暗転しかけたその時

意識が蘇った。


(⋯⋯痛ぅ──っ!)


覚醒と同時に

脳髄を叩きつけるような鈍痛が頭に響いた。


意識が浮き上がると同時に

状況が否応なく押し寄せてくる。


目を開けると、薄暗い部屋の天井が

ぼんやりと視界に入り込んでくる。


首を吊るされた状態で視界が安定せず

世界がゆっくりと回っているように思える。


蹲ろうとした身体は

地に倒れることを許されなかった。


チョーカーに通された鋼のワイヤーが

彼の動きを冷酷に制限していた。


つま先立ちの、不安定な姿勢。


手は後ろ手に縛られ

全身に掛かる重みは容赦なく

喉元を締め上げている。


(⋯⋯なん、だ⋯⋯これ──っ?)


状況が理解できずにいたが

足元に落ちている切れたロープと

薄く漂う蝋燭の匂いが、全てを物語っていた。


かつて自分の身体を支えていたそのロープは

時間を掛けて燃やし切られたのだろう。


重力が一気にチョーカーに集中し

首を吊る形になった。


(蝋燭で焼き切って──時限式かよ!?

随分と凝った真似しやがって⋯⋯!)


ソーレンは息を整えながら

周囲に気配がないことを確認する。


それから

ごく僅かに重力を操作して身体を浮かせた。


地に足をつけずとも、首への圧力は緩み

呼吸が幾分か楽になる。


(俺の能力、知らねぇのか⋯⋯?)


舌打ちを飲み込みながら

ソーレンは冷静に状況を分析し始めた。


この部屋に──レイチェルの気配は、ない。


部屋は石造りのような冷たい壁に囲まれていて

窓は無く鉄扉が一つだけ設けられていた。


音が漏れぬように

何重にも対策が施されたような密閉空間。


(⋯⋯別室か。

レイチェルは──此処にいねぇ)


記憶がまだ曖昧だが、確かに──


あの時、逃げる途中で突如

〝レイチェル〟がボトルを振り下ろしてきた。


手加減など無い──まるで殺意すら孕んだ一撃。


けれど視界が暗転する寸前

ソーレンは確かに見たのだ。


レイチェルの後ろにいた

〝本物〟のレイチェルを──⋯


男達に押さえつけられ、必死に叫んでいた。


(くそがっ⋯⋯!

やっぱあれは、化けた誰かだ⋯⋯)


怒りが胸を焦がす。


そしてもう一つ

胸を刺すような苛立ちが喉元に残っていた。


首を吊るす為に使われたのは

自分が選び

レイチェルとお揃いで身に着けていた──


チョーカーだった。


ソーレンは顔を歪め、唇を引き結ぶ。


(⋯⋯大事なチョーカーに

ワイヤーなんか引っ掛けやがって⋯⋯!

傷付いてたら容赦しねぇっ!!)


全ての怒りが、その一言に凝縮されるように。

重力を操る足元に、静かに力が籠る。


冷たい空気の中で

ソーレンの瞳が獣のように鋭く光った。


コツン──コツン──


規則的に響く靴音が

冷たく沈黙した空間に不気味に染み込んでいく。


その音は

まるでこの場に存在してはならない

異物の鼓動のように、じわりと近付いてきた。


薄暗い部屋の奥、僅かに開いた扉の向こうから

黒のロングコートの裾が現れる。


その先には、長い黒髪を緩く一つに編み束ねた

華奢な体躯の男。


無機質で、感情の見えないアースブルーの瞳が

真っ直ぐにソーレンを射抜いていた。


その口元には──氷のような笑み。


冷酷で、残忍で

どこか愉悦を含んだ歪みが、浮かんでいた。


「やぁ。ソーレン」


静かに、けれどもどこか不快な甘さを含んだ声。


その声音に

ソーレンは鼻を鳴らして、嘲笑いながら応じた。


「⋯⋯よぉ。てめぇ、誰だ?」


まるで威圧も恐怖も感じていないように

逆に挑むような口調で言い返す。


ソーレンの瞳にも、一瞬だけ敵意の光が宿る。


吊られたままの体勢にも関わらず

彼の姿勢には威圧があった。


「ボク?⋯⋯ふふ。知らなくていいよ」


男は軽く肩を竦め、無邪気な口調で言いながら

にいっと口の端を吊り上げた。


まるで、何もかもを見下すような笑み。


「そーかよ。

墓に刻む名前が──

〝ジョン・ドゥ〟になるだけだな」


間を挟んで

二人は同時に喉を鳴らすように嗤った。


だが、空気は笑いとは程遠い──


火薬と硝煙のように

緊張感と敵意が張り詰めていた。


「なら、隣の部屋の彼女は

〝ジェーン・ドゥ〟に

なってもらわないと、だね?」


その言葉と共に、男の瞳がさらに凍りつく。


アースブルーの瞳はまるで氷壁のように冷たく

吐き捨てるような声が

その美しい容貌に恐ろしさを与えていた。


「⋯⋯はぁ。

それよか、首のワイヤー外せよ」


ソーレンは鬱陶しそうに吐き捨てた。


「チョーカーに傷がつくの、ムカつくんだよ」


男はわざとらしく目を見開いた。


驚きを装いながら

その表情には薄っぺらい同情と

ねっとりした嘲笑が混ざっている。


「へぇ。キミって──薄情な男だねぇ?

女より、自分の見てくれの方が心配と見える」


「⋯⋯あぁ。

俺って、見た目もガタイも良い男だろ?

可愛らしい〝お嬢さん〟?」


不敵な笑みを浮かべながら

ソーレンは余裕たっぷりに相手を挑発した。


それは、ただの強がりではない。


彼には確信があった──

レイチェルは大丈夫だ、と。


彼女はまだ完全ではないが

ソーレンの戦い方を理解している。


ソーレンが強くなる度

彼女の擬態能力も進化し

その力を半分使えるようになっていた。


だからこそ、ソーレンは怠らなかった。


自分を鍛えて、鍛え抜き

誰よりも強くあろうとした。


それが

彼女を守ることに繋がると、信じていたからだ。


そして今──


その彼女が、きっとどこかで機を窺っていると

信じている。


ソーレンのその余裕に、男の顔が僅かに歪む。

そして、ゆっくりと彼の首元へと手を伸ばした。


(⋯⋯来た)


ソーレンの琥珀の瞳が

獣のように鋭く細められる。


その一瞬

部屋の空気が、ピンと張り詰めた。


その瞬間を──彼は待っていた。

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