第106話 氷中の春
午前の光が、柔らかく差し込む店内。
喫茶桜の空間に静寂が広がる中
時也は一人
テーブルに飾るための
小さなフラワーアレンジメントを仕上げていた。
春を感じさせる桃色の花と
季節外れの薄紫の小花を重ねる手つきには
慎ましくも丁寧な愛情が籠められている。
(⋯⋯少し温もりが欲しい色合いですね)
呟きながら掌に力を込め
植物操作で一輪の花を咲かせたその瞬間
空気が、ふと変わった。
指先に微かに走る──温度の低下。
温もりが逃げていくような
冷たい気配が肌を這い始める。
(……おや?
いらっしゃるのは、来週だったはず──)
冷気の正体に思い当たる節があり
時也はすぐにアリアのことを思い出す。
(冷たいのは⋯⋯
彼女達がこちらに来る兆しかもしれませんね)
そう思い立ち、すぐさま立ち上がると
暖かい羽織と
アリア好みのコーヒーを用意しようとした。
が、その時。
((──お父様))
その声が、頭に響いた。
懐かしく、何よりも愛しい
あの双子の娘達の、心の声。
だが、そこにはいつもの柔らかさも
微笑ましさもなかった。
感じ取ったのは──
切迫感と、氷のような静謐な怒気。
(貴女達──どうかしたんですか?)
内心の動揺を悟らせまいと
時也はいつもの優しさを心に込めて、問い返す。
(⋯⋯お父様、来てください)
(お母様を狙う愚者の巣窟を──見つけましたの)
((共に、討ちに参りましょう))
言葉と共に、時也の胸の奥で何かが弾ける。
「アリアさんを狙う──⋯」
その瞬間
時也の瞳から、一切の柔和な色が消え去った。
鳶色の瞳は鋭く冷え切り
表情には影が一つ落ち、静謐な怒気が宿る。
ゆっくりと立ち上がり、彼は扉を押し開ける。
小春日和の陽の中
双子の姿が、店の外に立っていた。
ルナリアとエリス。
手を繋ぎ、静かに──
だがどこか張り詰めた表情で、父を待っていた。
「二人だけで行こうとせずに
よく耐えてくれましたね?
さぁ、行きましょうか」
微笑む時也の声に、双子達は僅かに頷く。
踵を返し、双子が進む足取りは
抑えきれぬ怒りを孕んでいた。
そして、歩を進めるごとに
時也の心もますます冷えていく。
アリアに仇なす存在──
その存在自体が、彼には耐え難かった。
(──そろそろ良いかしら、ルナリア)
(えぇ、良いと思います──エリス)
その心の声が、唐突に鋭さを帯びる。
驚いたように時也が立ち止まり
地面から双子達へ視線を上げた。
その視界に映った双子の背から
まるで火が燃え上がるように
──否。
氷が炎の形を模すように
蒼き炎の翼が片翼ずつ音もなく展開されていた。
「二人とも⋯⋯何を──っ」
混乱を含んだ時也の言葉が終わる前に
双子の声が静かに重なった。
「⋯⋯黙りなさい」
「お父様に成り代わるなど──許せません」
「「成敗っ!!」」
まるで刃のような宣言だった。
次の瞬間、空気が急速に凍りついた。
視界が白く霞み、肌に触れる空気が鋭く刺さる。
冷気が音すらも奪うほどの沈黙を齎し
時也の身体を──氷が蝕んでいく。
(⋯⋯何、が⋯⋯どう⋯なって──!?)
彼の身体を形成する植物細胞たちが
冬を迎える森のように次々と眠りに落ちていく。
心の中の〝春〟が奪われるかのように
目の前が静かに──凍りついた。
そのまま
時也の身体は音もなく崩れ落ち、地に伏した。
白銀の結晶が彼を優しく
しかし、容赦なく包み込んでいく。
「ふぅ。
ちゃんと生け捕りにできたね、ルナリア」
「はい。後は運ぶだけですね、エリス」
二人の少女が、優雅に佇む。
氷の花の中に伏せた父を
冷静な目で見下ろしていた。
「「──あの方の元へ」」
まるで、どこかへ捧げる供物のように。
その場から
少女たちは父を連れ、静かに去っていった──




