第105話 冷笑と黒鉄
アクセサリーショップを出たレイチェルは
少し肌寒い朝の空気を吸い込み
満足そうに胸を張った。
袋から包みを一つ取り出し
小さなリボンを解くと
中からアクセサリーが顔を出した。
「ふふ!
良い買い物、できたなぁ。
ここならトイレから出てガラス越しに見えるし
──待ってよっと!」
店の前にある大きなガラスを鏡代わりにして
アクセサリーを着けようとする。
その瞬間──
背後から軽い衝撃があり
肘が何かに当たって、体がぐらついた。
「⋯⋯っと。ごめんね?」
腕に支えられ
ふわりとした抱擁感がレイチェルを包む。
驚いて見上げると
腰まである艶やかな黒髪を緩く編んだ青年が
優雅な笑みを浮かべていた。
街中ですれ違った──あの美しい人物だ。
「わ!私こそ⋯⋯ごめんなさいっ」
レイチェルが慌てて体を起こすと
青年は柔らかい声で笑った。
「ふふ。謝らないで?
余所見してた、ボクが悪いから。
それ──良かったら、着けてあげる」
その笑顔は自然で
まるで花が綻ぶように穏やかだ。
涼しげなアースブルーの瞳に見つめられ
レイチェルは一瞬、息を呑んだ。
(ほんと、男性とは思えない──綺麗な人⋯⋯)
年齢は20代前半くらいだろうか。
細くしなやかな指が
レイチェルの手からアクセサリーを摘み上げる。
あまりに自然な流れで、言葉を紡ぐ間もなく
気付けば首元に
そのアクセサリーが着けられていた。
ふわりと鼻先を擽る、甘い香り──
長い黒髪が揺れる度、柔らかな香りが漂う。
「⋯⋯あ、ありがとうございます⋯⋯」
レイチェルが小さな声で礼を言うと
青年は微笑みを深めて頷いた。
「どういたしまして。それじゃあね──?」
そう言って、ゆったりと歩き去っていく。
その優雅な後ろ姿を見送りながらレイチェルは
ぽかんと立ち尽くしていた。
「⋯⋯おい。
店内に居ねぇから、探しちまったろうがよ」
突然、背後から低く不機嫌そうな声が響いた。
振り返るとソーレンが少し眉を顰め立っている。
「あ、ごめんごめん!今ね──」
「悪ぃ。ハンカチ貸してくれねぇか?
忘れちまった」
ソーレンがぶっきらぼうに言いながら
手を差し出す。
「あ、うん!ちょっと待っててね!」
レイチェルはバッグからハンカチを取り出し
ソーレンに手渡した。
ソーレンは無言でそれを受け取り
手を拭きながらじっくりと見つめた。
拭き終えると
そのままハンカチをポケットにしまい
代わりに、小さな包みを手渡す。
「⋯⋯ん」
「え?どしたの、これ──?」
レイチェルが包みを開けると
可愛らしいハンカチが中から現れた。
淡い花柄が繊細に刺繍されている。
「女が好きそうなアクセサリーは
俺には、わかんねぇから⋯⋯今回はコレな?」
「えぇ⸻!めっちゃ可愛いっ!!
ありがとう、ソーレン!」
レイチェルは嬉しそうにハンカチを広げ
ふわりと鼻に当てて、柔らかな香りを楽しむ。
ソーレンが僅かに照れたように顔を背けたその時
レイチェルも包みを差し出した。
「あ、私からも──はい!」
「⋯⋯は?」
ソーレンは戸惑いながらも受け取り開けると
中にはシンプルなレザーチョーカーが
艶やかな光を反射させて入っていた。
「⋯⋯これ」
「ふふ!
多分、ソーレンが考えてたの、これかなって!」
だが、ソーレンの瞳が一瞬曇る。
その様子を見逃さなかったレイチェルは
わざとブラウスの首元を、少し緩めて見せた。
「──あ」
「ふふ!お揃いで買っちゃった!
着けて⋯⋯くれる?」
レイチェルが微笑んで差し出すと
ソーレンは僅かに肩を竦め
呆れたように笑った。
「ほんと──お前にゃ、適わねぇよ」
ソーレンはチョーカーを手に取り
無言で首に巻きつける。
その動作がどこかぎこちなく
けれども、どこか嬉しそうだった。
(俺から⋯⋯お揃いで買いたかったんだがな。
見抜かれてたか)
ソーレンは苦笑しながらチョーカーを触り
首元のフィット感を確かめる。
レイチェルが笑顔でその様子を見守り
隣に寄り添うように立つ。
「似合ってるよ、ソーレン!」
「⋯⋯あぁ、ありがとな」
気恥ずかしそうに返事をするソーレンの耳元が
ほんのり赤く染まっているのを
レイチェルは誇らしげに見つめる。
二人はそのままゆっくりと、街の中を歩き出す。
お揃いのチョーカーが日に照らされて
さりげなく輝いていた。
⸻
街の賑わいが徐々に落ち着き
穏やかな午後の空気が流れ始めたころだった。
ソーレンとレイチェルは
お互いに揃いのチョーカーを確認しながら
ゆっくりと並んで歩いている。
アクセサリーショップから少し離れた広場では
屋台が立ち並び、甘い香りが鼻をくすぐる。
「ねぇ、ソーレン!
あっちでワッフル売ってるよ!」
「⋯⋯さっき飯食ったばっかだろ」
呆れたように言いながらも
レイチェルの笑顔を見ると
なんだか文句を言う気が失せる。
ふと、ソーレンが無意識に頬を緩めた
──その時だった。
その琥珀色の瞳が
不意に吸い寄せられるように、鋭く振り返った。
感覚的に
殺気が一瞬で背筋を駆け上がったのだ。
通りの向こう
雑踏の中に佇む、黒いロングコートを翻す男。
長い袖の中から
僅かに光を反射する黒鉄の銃口が覗き
指が──引き金に掛かっている。
見開かれたアースブルーの瞳が冷たく射抜き
その口元には冷酷無慈悲な弧が浮かんでいた。
(⋯⋯クソっ、銃かよ──っ!)
ソーレンは咄嗟に考える。
重力操作を使えば
その衝撃で周囲の一般市民を巻き込む。
(ここじゃ無理だ⋯⋯!)
「──走れっ!レイチェル!!」
声を荒げると同時に、レイチェルの手を強く引き
喧騒をすり抜けるように駆け出した。
突然の状況に戸惑いながらも
レイチェルは必死にソーレンの手を握り返し
一緒に走る。
──パァン!
背後から聞こえる銃声と、驚く人々の叫び声──
金属音が混じるような甲高い雑踏の音が
徐々に遠ざかっていく。
ソーレンは歯を食いしばりながら
無意識に街の路地へと駆け込んだ。
曲がりくねった道をいくつも通り抜け
やがて人気の少ない薄暗い裏路地に辿り着いた。
(ここなら、誰も巻き込まねぇ⋯⋯っ)
息を整えながら後方を警戒しつつ
レイチェルに向き直った。
「大丈夫か、レイチェ──」
その瞬間だった。
視界いっぱいに──硝子のボトルが迫っていた。
鈍い衝撃が頭部に直撃し
硝子が粉々に砕け散る音が響きわたる。
「──っぐ⋯⋯!」
意識が一瞬で、グニャリと歪む。
倒れ込みそうになるソーレンの視界に映ったのは
砕けたボトルを手に持ち、嘲笑するレイチェル。
冷たい眼差しで見下ろし
割れた硝子を伝って
赤い液体が地面に滴り落ちている。
(⋯⋯なん、で⋯⋯)
痛みに堪えながらも、ソーレンは視線を動かす。
すると、少し離れた所で
男達に押さえつけられている──
〝もう一人のレイチェルがいる〟
「ソーレンっ!
やだ、しっかりして──っ!!」
その必死な叫び声が耳に届くが
身体が、動かない。
(⋯⋯レイチェルが──二人⋯⋯!?)
混乱する頭で考えようとするが
次第に意識が、黒く塗り潰されていく。
倒れ込んだソーレンを見下ろしながら
ボトルを持つレイチェルは
その口元を歪めて笑っていた。
その薄笑いが、薄暗い路地裏に冷たく響く。
(──クソがっ!騙され、た⋯⋯)
思考がそこで霞み
ソーレンの頭は、糸が切れたように崩れ落ちた。
最後に見えたのは、こちらに向かって叫びながら
必死に男達の手を振り解こうとする
レイチェルの姿だった。
視界が完全に闇に染まり
ソーレンの意識は深い暗闇に堕ちていった──⋯




