第101話 まだ途中
「──はん?
お前も充分、若いだろうが⋯⋯
〝お楽しみ〟中だったんだろ?
その汗と、普段ビシッとしてるくせに
着崩れてるのを見りゃ──すぐ解るぜ」
その言葉に、時也はピタリと動きを止めた。
「⋯⋯え?」
まさか自分が
そんな風に見られているとは思っておらず
時也の瞳が驚きに見開かれる。
レイチェルもその発言を聞き
ふと時也を見上げた。
確かに、時也の髪はいつもより少し乱れており
襟元が緩んでいる。
額にはうっすらと汗が滲んでおり
普段の凛とした姿とは少し異なる
〝色気〟のような雰囲気を纏っている。
何より、いつもはきちんと結ばれている帯が──
緩くズレているのだ。
「──っ!?
こ、これは⋯⋯レイチェルさんに、その
もしもの事があったらと⋯⋯
慌てた⋯だけ、でして⋯⋯えっと──⋯」
時也の声が、少し震えながらも必死に弁解する。
だが、その焦った様子は
逆に状況を物語っていた。
レイチェルは、一瞬で察してしまった。
自分の悲鳴を聞きつけて
慌てて駆け付けてくれたのは理解できた。
だが、その直前に〝何をして〟いたのかも──
同時に悟ってしまったのだ。
「時也さん!?
もしかして⋯⋯私のせいで、途中で──っ!?」
その問いかけに、時也は一瞬困惑し
次第に顔が赤く染まっていく。
普段の冷静沈着さが
嘘のように、口ごもる。
「⋯⋯い、いえ、その⋯⋯
決して、そんな⋯⋯事は⋯⋯」
言葉を濁すものの
その反応が逆に、確信を深めさせた。
レイチェルはその様子に
申し訳なさそうに視線を落とした。
「⋯⋯ご、ごめんなさい、時也さん」
ソーレンはニヤリと口元を歪め
意地悪く続けた。
「邪魔して悪かったなぁ、時也?
ほら、俺の傷よかアリアんとこに戻ってやれよ。
途中でほっとかれるってのは⋯⋯
相当、寂しくなるだろうよ」
その言葉に、時也の顔はさらに赤く染まり
反論すらできなくなった。
だが、内心では確かに焦っていた。
アリアを部屋に残したまま
慌てて此処に来てしまったのだ。
きっと、あの無表情のまま──
心の中では、待っているに違いない。
「⋯⋯あの、ソーレンさん。
その⋯⋯
少し言葉を、慎んでくださいませんか⋯⋯?」
「おいおい!真っ赤になってんじゃねぇか。
お前がそうやって動揺すんの、久々に見たぜ」
ソーレンがさらに揶揄うと
レイチェルは「ソーレン!」と軽く肩を叩いた。
「だってよ、レイチェル。
お前が変な声出すからだろ?」
「ええっ!?あ、あれは⋯⋯
ソーレンが急に背中から血を出すから──!」
「ま、時也がアリアと
〝良いとこ〟だったのは、間違いねぇけどな?」
ソーレンが悪戯っぽく笑うと
時也は諦めたように深く溜め息をついた。
「⋯⋯まぁ、確かに⋯⋯途中でした⋯ので⋯⋯」
「ほら見ろ。アリアが待ってるぞ?
ほっとくと部屋が
灼熱地獄になってるかもしれねぇぜ?」
「それは⋯⋯困りますね。
では、これにて──失礼します」
時也は身を正し、レイチェルに軽く会釈してから
ソーレンに少しだけ鋭い視線を向けた。
「⋯⋯次に揶揄う時は
もう少し、加減してくださいね?」
「あぁ?ビビってんじゃねぇよ。
さっさと行け、甘ったれ」
「甘ったれとは⋯⋯失礼な」
時也は少しだけ頬を膨らませたが
その仕草がかえってソーレンの笑いを誘った。
「はは!
そういうとこが、甘ったれてんだよ!」
溜め息をつきつつも
時也は再び廊下へと戻り静かに扉を閉めた。
ソーレンとレイチェルは
その背中を見送りながら
互いに顔を見合わせてクスリと笑った。
「⋯⋯時也さんって
意外と、可愛いとこあるんだね」
「そうだな。
普段がしっかりしてる分、ああいうのは珍しい」
「でも⋯⋯
時也さんもアリアさんも
今はすごく幸せそうで──良かったね」
「あぁ、
俺らもあんな風に⋯⋯なれりゃいいな」
ソーレンのぼそりとした呟きに
レイチェルは微かに赤くなりながら
隣にそっと寄り添った。
「まぁ──
あの幸せを守ってやる為にも
クソッタレな鳥を叩きのめさねぇとだな」
ソーレンが窓の外を見ながら、ぼそりと呟く。
夜風がカーテンを揺らし
微かに花の香りが漂ってくる。
レイチェルはその横顔を見つめながら
小さく頷いた。
「不死鳥が産まれ直さない限り
またいつ、アリアさん達を苦しめるか
わかんないもんね⋯⋯」
レイチェルの声には、確かな決意が滲んでいる。
ソーレンはその言葉を聞いてから
ふっと息を吐いた。
「⋯⋯だな」
窓から見える夜空は澄んでいて
幾つもの星が煌めいている。
だが、その星々の輝きすらも
あの不死鳥の力の前では霞んで見える気がして
ソーレンは悔しげに拳を握った。
「明日はお店、休みでしょ?
二人で特訓しよっか!」
レイチェルの明るい提案に
ソーレンは意外そうに振り返る。
その笑顔には、不安や迷いなど一切無く
ただ純粋に前を向こうとしている意志が見えた。
「⋯⋯なら、明日は〝俺〟になれ。
自分との手合わせは、発見がありそうだしな」
「えへへ!
じゃあ、今は──
ソーレンの動きをじーっと
観察しておこうっと!」
レイチェルが意気揚々と言うと
ソーレンは少し呆れたように鼻を鳴らした。
「おい。
そんなガン見されても、何も出ねぇぞ?」
「だってソーレンの強さは
私が一番、わかってるもの!」
レイチェルが笑顔でそう返すと
ソーレンも自然と笑みがこぼれた。
その笑顔に、どこか安堵が滲んでいるのが
レイチェルにはわかった。
二人で微笑み合い、ふと静寂が訪れる。
⸻
部屋には、外から吹き込む夜風の音だけが響き
落ち着いた雰囲気が漂っていた。
扉の向こう、廊下の壁に寄りかかって
二人のやり取りを聞いていた時也は
柔らかく顔を綻ばせていた。
(ソーレンさんも、レイチェルさんも──
本当に、強くなりましたね)
その胸には
どこか誇らしい気持ちが広がっていた。
自分が守ってきた居場所が
今や二人の手によって
さらに強くなろうとしている。
その姿に、時也は静かに安堵していた。
「⋯⋯明日は俺になれ、ですか。
ソーレンさんらしいですね」
ぽつりとそう呟き、時也は踵を返した。
時也は、レイチェルの胸中に渦巻いていた
アリアへの想いを汲み取っていた。
彼女の背負ってきた長い孤独
失ったものへの痛み。
それを知ってしまったレイチェルの心にも
きっと重い影が残っているはずだ。
それでも今こうして笑顔を取り戻しているのは
ソーレンの存在があるからこそだろう。
(⋯⋯彼らが居てくれて、本当に良かった)
時也はそう思いながら、寝室へと戻っていった。
寝室のドアをそっと開けると
アリアが静かに座って待っていた。
時也が戻ると
少しだけ安心したように深紅の瞳を細める。
「お待たせしました、アリアさん。
レイチェルさんも無事です」
アリアはただ無言で、微かに首を傾げた。
「ええ、大丈夫です。
ソーレンさんも傍にいますし
今度こそ、もう安心でしょう」
そう言って、時也が隣に腰を下ろすと
アリアは自然と肩に頭を預けてきた。
その小さな仕草に時也はまた微笑み
そっと肩を抱き寄せる。
(⋯⋯守りたい、ずっと)
アリアの髪に触れながら
時也は胸の中で静かにそう誓っていた。




