第99話 変わりゆくもの
ソーレンの腕の中で
レイチェルはまだ泣き続けていた。
アリアの過去
時也との別れ
その後の孤独な日々。
擬態によって覗き見てしまったアリアの記憶が
あまりにも哀しく、胸を締め付けて離さない。
ソーレンはただ黙って
震えるレイチェルの背を優しく撫でながら
その言葉を受け止めていた。
「⋯⋯その時のアリアさんは──
桜の木に、時也さんの遺体が吸収されたから
無くなったんだって事を
気付かなかったんだろうね」
泣き腫らした瞳を拭いながら
レイチェルがぽつりと呟く。
ソーレンは短く息を吐き、静かに頷いた。
「だろうな。
だから時也を奪われたって思い込んで
丘の立ち入りを禁じて⋯⋯
絶望の果てに──自分で自分を封印したのか」
ソーレンの声には、微かな苦味が滲んでいた。
その声音に、レイチェルはそっと顔を上げる。
「アリアの過去を聞いてて
いろいろ、合点がいったよ」
ソーレンは続けて
少しだけ視線を宙に泳がせた。
その眼差しには
かつて〝呪いの丘〟と呼ばれていた
この地を訪れた少年時代の記憶が
過ぎっているようだった。
「ソーレンは、この街の出身だったよね?」
レイチェルの問いかけに
ソーレンは、ふっと笑った。
「俺が野良犬って言われてたガキの頃
ここらは呪いの丘って呼ばれて
誰も近寄りもしなかった。
桜がある事も知らなかったしな⋯⋯
今なら解るが、あの寝物語のきっかけは
アリアが時也の桜を守る為──だったんだな」
「⋯⋯前、話してくれたもんね。
この街の子供達はみんな
この丘に入るなって、寝物語に語られてたって」
レイチェルの言葉に
ソーレンは少しだけ眉を顰めた。
「ま、俺には
そんな話をしてくれる奴が居なかったから
登っちまったけどな。
そのおかげで──青龍に拾われたって訳だ」
「呪いの丘だなんて呼ばれてたの
今住んでて思えないよね。
すごく素敵な丘だもの」
レイチェルの感慨に満ちた声が
少しだけ部屋の空気を和らげた。
「時也が生き返って、アリアの封印を解いて。
その時に割ったアリアの涙の結晶を金に換えて
──この丘に、喫茶桜を建てた。
それがきっかけで
この数年で呪いの丘の話はただの御伽噺になって
賑わってきたってこった」
ソーレンは、やや不満げに鼻を鳴らしながらも
その口元には少しだけ笑みが浮かんでいる。
レイチェルはそれを見て、小さく笑い返した。
「って言うか、街にあるあの湖って⋯⋯
アリアが墓荒らしを殺した時にできた
クレーターだったのかよ。
絶対に怒らせたくねぇな」
ソーレンのぼやきに
レイチェルは小さく肩を竦める。
「あの大きな湖がそうだったなんて
記憶を見なきゃ、知らなかったよ⋯⋯」
レイチェルは
思い出すだけで震えそうになる過去の一幕に
唇を引き結んだ。
ソーレンは少しだけその顔を覗き込んでから
ぐっと、レイチェルを抱き寄せた。
「ま、これで一つ謎が解けたって訳だ。
アリアがあんなに冷徹に見えるのに
時也には甘い理由もな」
「うん⋯⋯。
時也さんの事、本当に愛してるのね⋯⋯」
喫茶桜が立つ今の丘は
かつての〝呪いの丘〟ではなく
見る者全てを癒す〝桜の丘〟になっている。
それもまた
時也とアリアが紡いだ物語の続きなのだろう。
二人が守りたかったものが
確かに、ここに根付いている──
そう感じると
ソーレンは少しだけ安堵の息を吐いた。
そして、レイチェルを再び抱きしめ
これ以上泣かせないようにと
静かにその背を撫で続けながら
ぼんやりと天井を見上げて呟いた。
「時也の野郎
アリアの風呂の世話までするだろ?
どんだけ甘やかすんだよって思ってたが⋯⋯」
ふと、ソーレンの口元に苦笑が浮かぶ。
「あいつ──
自分が死んでた間のアリアの孤独を
埋めてんだろうなって、思えてきたよ」
その言葉に、レイチェルはハッとしたように
ソーレンの顔を見上げた。
「⋯⋯そうか、そうだよね。
時也さん──
アリアさんがどれだけ一人で耐えてきたか
全部知ってるもんね⋯⋯」
「まぁ──そうだろうな。
読心術できっとアリアの心の奥底まで知ってる。
普通の人間なら耐えられねぇほどの孤独を
何百年も過ごしてきたんだからよ」
ソーレンの声は少しだけ低く
普段のぶっきらぼうな調子が和らいでいる。
その横顔を見つめながら
レイチェルはそっと息を吐いた。
「ねぇ、ソーレン。
アリアさんがどれだけ時也さんを愛してたか
すごく分かった。
だけど⋯⋯その孤独を知った時也さんも
きっと、すごく苦しかったんじゃないかな⋯⋯」
「そりゃ、そうだろうよ。
自分のせいであのアリアが自分を封印したんだ。
あのバカ真面目な野郎が気にしないわけがねぇ」
ソーレンの口調は少し乱暴だけれど
その言葉には深い共感が含まれていた。
「だから──
時也はアリアを甘やかすだけ甘やかしてんだ。
アリアの孤独を全部取り戻すつもりでな」
「ふふ。
なんだか時也さんらしいな⋯⋯」
レイチェルはようやく、少し笑顔を取り戻した。
「おう。
アリアが拒んだとしても
あいつは無理やりでも甘やかすだろうよ。
あの二人は──それでいいんだ」
ソーレンは、しみじみとそう呟きながら
レイチェルの肩を抱き寄せた。
「だが⋯⋯
俺は甘やかされるより
甘やかしてぇんだけどな?」
そう耳元で囁くソーレンの声に
レイチェルの頬が、瞬時に赤く染まる。
「⋯⋯ソーレンって、そういう事言うとき
ちょっとズルいよね」
「なんでだよ?ただの本音だろ」
「ふふ!分かってる。
私もね、ソーレンには甘えたいの」
そう言ってレイチェルが照れながら微笑むと
ソーレンも少しだけ
赤くなりながら鼻を鳴らした。
「⋯⋯まぁ、なんだ。
時也とアリアを見てると
愛ってのは互いに支え合って
傷を埋め合うもんなんだなって──
ちょっとだけ、理解できた気がする」
「うん⋯⋯私もそう思う。
お互いに心を寄り添わせていけたらいいね」
ソーレンとレイチェルは
少しだけ温もりを確かめ合うように手を繋いだ。
そして、二人はしばらく無言で寄り添いながら
これからも共に在り続けるために
少しずつ心を重ね合わせていこうと決めた。
外からは夜風が静かに吹き込み
桜の花弁が、ちらほらと舞い込んでくる。
その光景に、二人は静かに微笑み合い
優しい夜の時間を共有するのだった。




