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紅蓮の嚮後 〜桜の鎮魂歌〜  作者: 佐倉井 鱓
プロローグ

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第1話 再臨の桜

何故

死んだ筈の彼が──桜の中から目覚めたのか。




生い茂る森の奥──


幾重にも折り重なる葉の天蓋が

天空の蒼を覆い隠し

わずかに差し込む日の光さえも

緑に濾過され仄かにしか地を照らさない。


濃密な湿気を孕んだ空気は

まるで大地そのものが

息づいているかのように肌へまとわりつき

足元の腐葉土は

歩を進める度にぬかるみのような音を漏らす。


木々は皆

数百年を生きたかのような太さと高さを誇り

苔むした幹には蔦が絡みついている。


風も通わぬほどの沈黙が、森全体に漂っていた。


その静寂の中心──


忽然と現れる、小高い丘。


鬱蒼とした森にあって

そこだけはぽっかりと抜け落ちたように

空が見えた。


丘の頂には

一際異様な存在感を放つ一本の大樹が

天を衝くように聳えていた。


その幹は人が十人で囲んでも届かぬほどに太く

黒紫に濡れたような樹皮は

ひび割れた箇所から樹液を垂らしている。


大地に深く根を張り

まるでこの地そのものを支えているかのような

圧倒的な存在感。


枝は無数に広がり、その先端に咲き乱れる花は

血の気を帯びた淡紅──


花弁一枚一枚に濃淡が混じり

幻のような揺らぎを持って風に舞っていた。


その枝のひとつに、静かに腰かける影──


幼子であった。


髪は銀糸のごとく、短く切り揃えられている。


全身に包帯が巻かれ、その隙間から覗く肌は

爛れて紫黒く変色していた。


特に右腕は壊死に近く

黒ずんだ指先からは骨が露わとなり

じくじくと膿が滲んでいる。


けれど、その目は、怯えも痛みもなく

ただ静かに、厳かに周囲を見下ろしていた。


──否、見守っていた


やがて、幼子は瞼を伏せると

低く、深く、腹の底から響くような声で告げた。


「お待ちしておりました……我が主様」


小さな手が、骨ばった指を覗かせながら

ゆるやかに前へと差し伸べられる。


その指先──桜の幹が軋み、蠢き始めた。


嗄れた樹皮が裂け

そこから滴る樹液が地に音を立てて落ちるたび

空気が濡れてゆく。


そして、裂け目の中から現れたのは──


人影。


滑らかな白い肌。


濡れたような黒褐色の髪が頬に貼りつき

静かに閉じられた目元に影を落とす。


滴る樹液は彼の肩を伝い、胸を滑り

腰まで垂れて、地に音を刻んだ。


やがて、その瞼が微かに震え──

開かれる。


鳶色の瞳が、光を探すように瞬き

前方の幼子を見据えた。


その表情には

混濁した夢から戻ったばかりの朧な意識が滲み

目元には──


驚き、そして何より

深い悲しみと安堵が浮かんでいた。


「貴方⋯⋯

そんな姿になってまで──

僕を待っていてくださったんですか?」


掠れたその声に、幼子は何も言わず

ただ静かに頷いた。


その時、ふわりと宙を舞うように──

もう一人の男が姿を現す。


琥珀色の瞳。

乱れたダークブラウンの髪。


無骨で

だがどこか哀しみを孕んだ眼差しの男が

音もなく青年に近づき、その腕を取った。


青年の足はふらついていたが

男の支えによってようやく地に立つことが叶う。


次いで、幼子が差し出したのは

藍色の着物──


その布は

何年も封じられていたとは思えぬほどに清らかで

風にそよいだ花弁のように軽やかだった。


青年はそれをゆっくりと羽織ると

裾を正しながら

懐かしむように布地を指で撫でた。


──だが、沈黙は長く続かなかった。


「⋯⋯⋯彼女は──?」


震える声が、空気を切り裂いた。


それに答えるように

幼子はわずかに顔を伏せ、膝をつく。


風が、吹いた。


咲き誇る花弁がはらはらと舞い

血のごとく濃い淡紅の彩りが

地に降り注いでいく──


そして、大樹の下に広がるその淡紅の絨毯に

静かに、静かに涙が滲んだ。


✿*❀٭✿*❀٭✿*❀٭✿*❀٭✿*❀٭✿*❀٭✿*❀٭



数ある作品の中から

この作品に来ていただきまして

誠にありがとうございます。


紅蓮の嚮後(きょうご)──


嚮後には〝今後〟や〝行き先〟の

意味がございます。


この物語の行く末を

どうか見守っていただけると幸いです。


本作は

グロテスクな残酷描写も含まれております。


苦手な方はご注意くださいますよう

お願いいたします。


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