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皇帝暗殺  作者: 無銘、影虎
【第四幕】 The Assassin
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4_6 標的

【帝都レムシア/ユリアヌス邸】



「お父様、これは〈愛〉と読むのであっていますか?」

 マリアがはじけるような笑顔で問いかける。

「お、おおその通りじゃ。きちんと覚えたのう」

 ユリアヌスはマリアがてにする〈約束の書〉を覗き込んで確認する。

 先日、購入したものだ。

 それを手にした時のマリアの驚きと感謝の表情は一生忘れられない。

「〈愛〉は神様の言葉でもっとも大事です! 文字で書けるようになってうれしい」

「それはユスティア教の独特の言い方じゃな。レムシア市民の言葉とは違う」

「そうなんです。ですから、とても大事な言葉なんです」

 マリアは日に日に文字が読めるようになっていく。

 そればかりか書けるようになっていく。

 スプリアにいた時には、もっと幼い頃から文字の勉強はしていた。

 人になにかを教えるのは楽しい。

 成長していくそのさまを見るのが、こんなにもやりがいがあるなんて。

 〈領主様〉もそんな気持ちだったのだろうか。


 ユリアヌスに対する裏の陳情は日々減っている。

 ユリアヌスが取り合わなくなったからだ。もともと公式の業務ではない。彼らが裁判や公式の場で訴えることのできない案件だ。

 そこに、次期皇帝がディオスになるのではないかという噂が流れはじめていた。

 それで逆にユリアヌスを見限った者もいるだろう。

 しょせん、日和見の連中だ。

 ほっておいても構わない。


 いまは裏仕事も減り、マリアの相手に時間がさける。

 ユリアヌスは適度に公務をこなし、あとの残りの時間は愛娘と過ごした。

 これほど満たされた日々はこの数年なかった。


 ディオスからもらった〈命水〉は試しに飲んでみたが、体温が上がり、頭が冴える。酒とは何かが違うようだった。なによりも心が掻き乱されるようなことがなくなった。

 以前の自分は、使命や帝国の未来というものにとりつかれ、眠れない夜を多く過ごした。

 その苦しみが解放されていくようになる。

 高価で貴重なものといっていたが、たしかに優れているようだ。

「悩んだところで、できることは少ない。あとは誰かがやるべきことだろう」

 ユリアヌスは誰もいない部屋でひとりごちた。


 それからは毎晩、口にするようになったが、残りがわずかになっていた。

 いくらか常備しておきたいと思ったが、どうやって手に入れるかはディオスに聞くしかなさそうだった。


 ※  ※  ※


 ある日、ユリアヌスは裏陳情の顧客リストのひとりから密会を求められた。

 この手のものはいまはすべて体調がすぐれないと断っていた。

 しかし、気になったのはその相手が数年前に教会用の土地を斡旋したユスティア教の司教だった。

 ユリアヌスになってから、約1年になるが、ユスティア教の関係者が面会を求めてきたのははじめてだ。


(ユリアヌスに陳情する輩はどれも碌なものではないが……)

 そう思いつつ、ユリアヌスの頭には、マリアのことがよぎる。

(ディオスが警戒している。あまり目だったことをしないよう、彼らにも警告すべきか)

 そう思い、密会を了承する旨、日時を指定して下男に伝えた。

 面会場所はユスティア教徒の教会だった。いまユスティア教徒の幹部を私邸に招くのは憚られたため、こちらから出向くことにした。

 ユリアヌスが都合をした土地に立つ教会だ。あまりいい場所とはいえない。広場や大通りから近いわけではない。路地を抜けた下町だ。それでもユスティア教徒が帝都の中心に拠点をもてたことは大きいのだろう。当時のユリアヌスには多額の賄賂が入っている。


 ユリアヌスは下男とともに教会へ向かう。このあたりは街の裏であって、必要のない者が近づかない。一歩踏み入れるとガラリと雰囲気が変わる。

 人通りは少ない。というか、まったくない。日差しは頭上にしかなく、足元は影だけがある。

 今日は柔らかい陽気だったが、この路地はひんやりと冷たい。


 いやな、予感がした。


 足音。しのび足だが、かすかにわかる。気配が大きくなる。

 次の瞬間には存在ははっきりとした。

 振り返るが、間に合わない。

 下男が背中から斬りつけられるのを目撃する。

 その体がこちらにもたれかかるように倒れてくる。

 襲撃者は一人だ。

 布で顔を隠している。右手には短剣。

 ユリアヌスが倒れ掛かる下男の体を支えると、盾のようになり、襲撃者はそこに二撃目を加えてくる。

 ユリアヌスは首にかかる魔石を握ると、呪文を暗誦する。

 〈足枷〉

 襲撃者が転倒する。

 ユリアヌスはその隙に駆け出す。襲撃者の脇を通り過ぎるときに、血に染まった短剣が見えた。転倒した際に落としたのだろう。柄には近衛騎士隊を示す文言が刻まれていた。


 ※  ※  ※


「お父様、どうなされました!?」

 屋敷に戻ると、マリアが驚いた様子で迎えた。

 そうだろう。慌てて駆けたのもあるが、身の危険に恐怖したことが動悸をはやめている。とりつくろうこともできず、戻ってきた。

「ああ、水を持ってきてくれんかね」

 呼吸が荒い。マリアは頷いて駆けていった。


 (近衛騎士に狙われているだと?)

 ディオスとは少なくても以前とは違って協調できている。それどころか、彼の野望を叶えるために最大の協力をした。

 (なぜだ……)

 呼吸はまだ乱れている。考えがまとまらない。

 あれがディオスの差金ではない、とはとても考えられなかった。


 おそらく、下男は殺されてしまっただろう。

 帝都で起きた刃傷沙汰であれば近衛騎士に知らせなければならない。

 捜査が行われ、犯人を見つけ出す。

 だが、それがなんの意味があるのだろうか……。


 ※  ※  ※


 数日後、皇帝カルスに食事会に招かれたユリアヌスは、大広間に入ると、近衛騎士の面々がいることに気づく。ディオスが着席しているその背後に数人の騎士が控えている。

 近衛騎士を見て、ユリアヌスは反射的に体をこわばらせた。


「来たな。さあ、そこへ」

 皇帝はユリアヌスに着席を促す。

「お招きいただき、ありがとうございます。これはディオス殿」

 着席する前にディオスに声をかける。

「本日はご報告がありましてな」

 ディオスは単刀直入に切り出した。

「昨日、帝都の広場で陛下に対する抗議の集会があった。ユスティア教徒だ」

「どのような」

「皇帝崇拝の儀礼をやめろ、歴代の皇帝も神ではないと宣言しろ、というものだ」

 そういう考えが彼らにあるのは知っている。

 だが、それでこのような騒ぎになっているのは、ある意味、議論や演説の中心地である帝都ゆえか。

「集会の参加者30人は全員逮捕した」

「それで、どうなります?」

「反逆罪で裁判にかけられるだろう。最も重い罪だ。処刑ということになるだろう」

「……」

「それで、皇帝陛下とユリアヌス殿には、ご提案がある。昨今のユスティア教徒は明らかに帝国に敵対している。彼らにレムシア市民に施される恩恵を受ける資格がないのは明白だ」

「まったく、とぼけた連中よ。きれいごとばかり並べよって。帝国は軍事と建設で成り立っている。その頂点が皇帝よ」

 ひとり黙々と食事をしていた皇帝カルスがはじめて口を開く。

 ユスティア教は戦争と自然の破壊を否定している部分がある。多くの神々が人間を見限って、地上から引き上げた理由であるとレムシアの神話にもある。だからといって、人間と神の蜜月が終わった物語でしかない。

「市民権の剥奪は当然のように思います」

 ついに特定の宗教が否定されるのか。

「そ、それは……あまりにも混乱が大きいのでは……」

 ユリアヌスは慌てて口を開いたが、確固たる考えを持っていなかった。

 ただ、フィアナやマリアの顔が浮かんだだけだ。

「そうですな。まずは公職追放をご提案します。特に近衛騎士にはあってはならない。ユスティア教徒には地下にもぐっているものもいる。また、信仰を隠している者もいる。それらを捜査するわれわれの仲間に内通者がいてはならない」

(しまった。最初からそこが落としどころで、自分を賛成者にすることが目的だったか)

「うむ。よかろう」

 皇帝カルスも同意した。

「それでは、元老院に提案しましょう」

 ディオスは席を立った。食事にはいっさい手をつけていなかった。


 ユリアヌスの心臓は早鐘を打っていた。

 先日の襲撃事件、ユスティア教徒の処刑、迫害。

 考えがまとまらない。


「ユリアヌス殿」

 声をかけられて驚くと、隣にディオスがいる。

「顔色が悪いようだ。部隊から報告を受けている。貴殿の襲撃の下手人は騎士隊が全力で捜査している。ご安心めされ」

 そう言って肩を叩く。

「それとこれを差し上げる。また手に入ったので」

 そう言って〈命水〉の壺を差し出された。

「あ、ああ。かたじけない……」

 ユリアヌスは、そう返事するのがやっとだった。

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