4_5 布石
【帝都レムシア】
ザミゴラキスの皇位を白紙に戻す件は、皇帝カルス、近衛騎士ディオス、総代官ユリアヌスの三者がそろった皇宮の会食の場で即決された。
ザゴラキスはその場に呼び出され、その場でその人事を告げられた。
三頭がそろった場でなんの反論ができただろう。
皇帝がわずかに、「これは帝位につくための措置」と試練を課した言葉を投げかけたが、それにしてもディオスとユリアヌスの受け売りだった。
ユリアヌスはその時に見ている。皇帝の指輪と自分の指輪から刻印された文字が強い光を放つのを。
そして、輝きは以降、失われた。
〈魔力は無限ではない〉
アンブロシウスの声がよみがえる。
(間に合った、ということか)
ユリアヌスは安堵する。一方でこれよりは皇帝権に干渉できないということになる。あとはディオスに頼むしかない。
ザゴラキスはまず父であり皇帝である男の心変わりに驚き、それを支持したであろうユリアヌスに対して憎悪の表情を隠さなかった。
当然だろう。これは裏切りでしかない。
恨まれて当然だが、愉快でもあった。
〈生まれ〉にしか価値のない人間が否定される。
痛快な気分だ。
どこへなりと落ちぶれるがいい。
おのれがふりまわしてきた「権力」に屈するのはどんな気分だろう。
※ ※ ※
数日後、ユリアヌス邸に、ふらりとディオスがたずねてきた。
ふと背筋に緊張が走る。
そのような相手はディオスだけだ。
「マリア。客人じゃ。ワインを」
文字の勉強をしていたマリアに伝える。
「はい、お父様」
マリアが一礼をしてディオスの脇を通り抜けていく。
ディオスがその姿を目で追う。
「お嬢様ですか? 知りませんでした」
ディオスが言う。そうだろうか。近衛騎士隊長が帝都のことで知らないことはないと聞いている。
「最近のことです。奴隷を、いや奴隷になりそうだった娘を引きとりましてな。気立もよいので、養女にしました」
「そうでしたか」
「それで、今日はどのようなご用件で? あなたがここを尋ねられるのは珍しいことだ」
おそらく、そうだろう。ずっと敵対していたのだから。
「そうですな、騎士隊長になってご挨拶して以来ですかな」
なるほど、一度だけだったか。
「ですが、いまはお互い密に連絡をとったほうがよいでしょう」
ディオスが含むように言った。
「まずは、〈皇帝の剣〉が空位になったことを祝福しましょうか」
ユリアヌスは言う。
そこへマリアともう一人が給仕として食事とワインを運び込んだ。
二人は乾杯をする。
「私にとってあなたは最大の政敵だった」
ユリアヌスは言う。
「ほう。この間からあなたはずいぶんと大胆なことを言うようになった」
「身の振り方を決めたのです。いつまでもこのままでというわけにはいかない」
ディオスという新しい権力者に鞍替えをした、という卑屈な態度をみせる。
「あとは養女マリアと静かに余生を暮らせれば十分です」
「老境とはそんな心地ですか……」
「はい。しかし、あなたはお若い。これから帝国をしょって立つことになる」
ユリアヌスは憚らず伝える。
「これはこれは……」
言葉を濁しながらも、ディオスの警戒がふと緩んだように見えた。
「聞かせていただけませんか? あなたの未来を」
「そうですな。いまいちばんの問題は我が軍の劣化でありましょう」
「なるほど」
そう、まずは軍事だ。
「属州まで統制が行き届いていない。そのうえ、兵士の数が不足し過ぎて異民族を徴兵せざるをえなくなっている」
「そうですな。ではどのようにすれば」
「徴兵制をしくべきでしょう。かつての帝国はそうだった。しかし、市民が志願制になり、そののち市民権を拡大しすぎたため、兵力が下がった」
「うむ」
それは事実だが、帝国軍の規律と精強さ、植民地での建築力があった時代には問題にならなかった。
「であれば、平民の徴兵制は復活させるべきでしょう」
「なるほど」
それは大きな反発を買うことにならないだろうか。
「難しいようであれば戦費の徴収を増やし、異民族の地を奪う」
数百年、帝国の版図はあまり変わっていない。
「領土を拡大すると? ただでさえ、いま国境は脆弱です」
ひとえに辺境の属州まかせにしているからだ。全方位で皇帝が出張ることはできない。無理だ。
「ほう、あなたは軍事にそこまで関心があったのですか。あなたであればそのようなこと、陛下に進言できたでしょうに」
そうだった。
ディオスの視線から目をそむけたくなる。さすがに上手だ。ユリアヌスを演じ続けなければ。共同戦線に綻びが出てしまう。
「まあ、余生を過ごすとはいえ、気になるところでしょう」
ディオスが言う。ユリアヌスは何かを見透かされているのような心地だった。
「いえいえ、最近、ゼノンという若者に出会いましてな。辺境の情勢や、異国の話をふんだんに聞きまして。軍事はディオス殿に勝るものがないでしょう。いやいや、余計なお世話でした」
ゼノンにはユリアヌスになってからもあらためて話を聞くようになっていた。国政のことを知らねばならないと思ったからだ。いずれディオスが皇帝になったときには推挙してみようと思っている。
「いえ」
「せっかくですから、新皇帝のお考えをもう少しお聞きしたいところです」
ユリアヌスは適度にへりくだる姿をふるまう。これは元来のユリアヌスの態度だ。このようにして敵に対しても平然とへりくだるのだ。
やってみると確かに有効な気がしていた。
まるで思ってもいないことでも相手をもちあげる。敵をつくらないで立ち振る舞う。だが、実際には裏で貶めている。
ユリアヌスの日記を読むと、それがよくわかる。
案外、指輪の力だけではない処世術のなせる業かもしれないと思った。
「そうですな。仮に徴兵にするとすれば、ユスティア教徒がもっとも反発するでしょう。やつらは血の汚れだのといって兵役をこばむでしょう。実際、市民権をもたないユスティア教徒の徴兵でそのような例がでています」
ユスティア教徒は東方の属州で圧倒的に多い。信仰を盾にレムシア法にしたがわない者も出ている、というのは聞いたことがある。
「そのようなものはどうなりますか?」
「帝国法に則って処刑しております」
「……」
「しかし、問題なのは、彼らは喜んで処刑に臨むのです」
「それは……」
「数百年前の件もありますが、迫害は信仰の証明になるそうです」
「死ぬことが、ですか?」
「そうです。正しい信仰に殉じて神の元にゆくことは望ましいということです」
ディオスは言いながら顔を歪めていた。
マリアといっしょに約束の書を朗読していた。
たしかに、そのような話はあった。
社会、あるいは権力が認めない、そのことが正しいことにつながる。それはよく理解ができなかった。
だったら、否定されるこの世界に、この社会でなにをなすべきなのか。
マリアには理解できているようだった。
ユリアヌスはそれをあたたかく見守っていたが、自分の考えとの矛盾についてはふれてこなかった。
「彼らには帝国の法を守らせるべきです。それが無理なら排除すべきでしょう!!」
ディオスは机を叩いた。
ユリアヌスは慄く。考え事をしていたこともあって腰をぬかしそうになった。
「そうですか……」
考えがまとまらない。
たしかにユスティア教徒は帝国の異分子として力をつけすぎだと思う。だが、彼らの信仰は妨げるべきではない。これまで帝国は異民族の信仰はいっさい否定してこなかった。
「異民族の神を我々は尊重してきた。問題なのは、奴らは、自分たちの神を我々に押し付けようとしていることだ!」
ディオスの興奮はおさまらない。たしかに、帝国内で「布教活動」のようなことを積極的にしているのはユスティア教徒だけだ。
ユリアヌスは言葉が紡げない。
「ユリアヌス殿は彼らの教会設置や、土地の都合をされていた、と聞く」
「……はい。都合したことはありますが」
ディオスの眼光にたじろぐ。
「今後はいっさい、関わらないでいただきたい」
「もちろん、私が協力したのは信仰とは関係がございません」
咄嗟に言った。
実際、ユリアヌスもそうであったろう。
だが、なにか息苦しさがある。
「それはそうと、本日はお近づきのしるししとして、土産をお渡しするためでした。すっかり忘れていた。はははは」
ディオスは突然、表情を変え、豪快に笑い出した。
そのタイミングで、給仕の奴隷を呼び、ワインの追加を申し付けた。
すっかり主導権を奪われてしまったので、仕切り直しだ。
ディオスは手元にあった壺を差し出す。
「これは東方でしか手に入らない〈命水〉という逸品です。心身が整えられ、長命になるという貴重なものです。私の伝手で手に入れたものですが、ぜひ受け取っていただきたい。皇帝陛下も愛飲されている。余生を長く楽しむため、贈り物としてふさわしいかと」
「これは、かたじけない。見事な装飾ですな」
ユリアヌスは壺を受け取ると、感謝を述べる。
「おそれります。ですが中身にこそ価値があります」
「では、後ほどゆっくりといただくとします」
ユリアヌスはマリアを呼んで壺を運ばせた。
「ふむ。幼いながらもしっかりとした働き者のようだ」
ディオスはマリアを見ながら、そう言った。




