4_2 ユスティア教徒
【帝都レムシア】
ある日、ユリアヌスは視察のために城下に出かけていた。
近衛騎士が二人、護衛についている。
帝都で武器を装備できるのは近衛騎士だけだ。
護衛は断ることもできるが、日中は連れて歩くのが習慣になっているようなので、その通りにする。対立している間柄であると思うと、少々、居心地は悪いが。夜の外出には護衛はなく、若い奴隷がひとりついてくる。「あの日」もそうだった。奴隷は城下までついてくるとはずれの小屋で酒を飲んで主人の帰りを待つのが決まりだった。ユリアヌスのほうは密会をかねた船遊びだ。
ゆるやかな坂を降りていると、通りの向こう側から悲鳴のようなものが聞こえた。声はどんどん近づいてくる。見ると、少女が裸足のままかけてくる。
「助けてぇー!」
その後ろには男がひとり、何やらわめきながら追いかけてくる。
近衛騎士がユリアヌスを守るように前に進み出る。
「とまれ!」
その気迫に少女は立ち止まってしまった。
その間に男は追いつき、少女の服を乱暴につかんだ。
少女は悲鳴をあげ、えんえんと泣き始めた。
「待て、やめよ! 市中での騒ぎ許さぬぞ!」
騎士が制する。
男は興奮した様子だったが、やがて呼吸を整えると、騎士に言い放った。
「これは私の娘です!」
「なに。では家庭のいざこざか。なおのこと市中で騒ぎ立てるな」
「この娘は、親の恩も忘れてユスティア教に入信したのです!」
父親は怒りをにじませていう。
「なに? そうなのか」
騎士の反応はどうやら父親に同情しているようだ。
それを受けて父親はさらに主張する。
「ええ、ほんとうに許し難い。さんざん、注意したにもかかわらず、家を抜け出して辻説法を聞いていたのを見つけたんです」
いうと怒りが込み上げてきたのか、父親は娘の背中を殴りはじめた。
少女はまるで周囲に聞かせるように折檻されるたびに大きな声で泣き叫ぶ。
「やめよ。往来では遠慮せよと申しておる」
そう言いながらも、騎士は止めるそぶりすらみせない。
家庭の問題だからだろうか。
〈しょせん女は父親の所有物、嫁いだら夫の財産だ〉
ガイウスの言葉が脳裏に蘇る。
帝都ではユスティア教徒が治安の懸念事項となっているようだった。
もともと帝国は属州、異民族の信仰には寛容だった。レムシアの法に従い、皇帝への忠誠を示せば、改宗の強制もなければ、宗教的儀式も禁止していなかった。それで多くは問題なかったが、ユスティア教だけはその教義の性格上、同様とはいかなかった。
女神ユスティアは、もともとレムシアの神だった。しかし、神話において、愚かな人間を見限ってすべての神が地上から離れ、天に戻ったとき、女神ユスティアだけは地上に残って、人間を導くことを誓った。この物語は地方によって伝わっていなかったり、違いがあったりはするが、レムシア市民であれば知っている話だ。ユスティア教はこの話を起源にしている。
女神ユスティアは天に戻った神を「偽神」として信仰を禁じた。神は絶対唯一として戒律を守り信仰を貫けば、あらゆる苦悩から解き放たれる楽園に至るとした。その戒律と導きを記した「約束の書」を聖典としている。
ユスティア教徒のもうひとつの特徴はレムシア帝国の各都市に司教をおき、辻説法をして熱心に信者獲得を行なっていることだ。入信する者は年々増え、とりわけ貧困層と若者が多くを占めている。彼らの活動は常に目立つので古くは信仰とは別に差別の対象となり、自然災害がかれらのせいであるというデマが流れ、大迫害が行われたこともあった。
しかし、まさに信者が増えたのはその頃からである。宗教的弾圧は彼らにとって信仰の正しさの証明だった。
信者の多くは属州にいたが、帝都でも徐々にその数を増やしている。しかも、信者のなかでもとりわけ、教えに厳格なグループだった。彼らは教義を盾にとって、レムシアの法に従わない者もいた。そして帝都では事件が起きる。入信したばかりの若者が皇帝が神に列せられることを批判し、近衛騎士に捉えられた。あまりにも強硬的な態度をとりつづけ、反逆罪として処刑されたが、その光景も異様だった。彼は神に感謝し、喜んで処刑を受け入れたのである。
この一件は帝都で強烈な印象をのこした。そして一般市民と間に溝をつくったのである。
「やめないのなら奴隷の身に落とすといっても聞かず、逃げ出した次第です」
父親は言った。
騎士はもう口もはさまなかった。
なんの冗談か。
そんな理由で親が娘を奴隷に落とすなどということがあるだろうか。
しかし、子の処遇は親の権利だ。
レムシア同胞が奴隷に落とされるのは滅多にないが、ありえないことではない。事業で破産した家族や、貧困層では。いずれにしても、その場合は本土ではなく、辺境に売られる。それがレムシアでのマナーだ。
ユリアヌスという権力者となったとて、口をはさむべき問題じゃない。
しかし――。
「では私が引き取ろう、養女として」
ユリアヌスは考えがまとまらないまま、思わず口にしていた。
※ ※ ※
娘はマリアといった。13歳。
父親には大金を支払ったものの、こうも簡単に娘を手放すものだろうか。
そればかりか権力者とのつながりができたのを喜んでもいたようだ。
いっぽうで、マリアは引き取られてからずっと浮かない表情だった。
「余計なことをしたかのう? 家族から引き離してしまって……」
「い、いえ!とんでもないです。感謝しております!」
「少し話してはくれぬか。わしには尋常のこととは思えぬ」
マリアは幼い頃に母を失っていた。
父親が変わったのはその頃で、家では常に暴力をふるうようになったという。束縛が厳しく、何度も無断で家出をしては折檻された。真面目に働くことなく、借金もつくっていたそうだ。
(実際は金のために娘を売ろうとしていたのか)
ユリアヌスは深いため息をついた。
そんななかでマリアはユスティア教の辻説法に出会った。
神――ユスティア教徒は女神ユスティアを単に神と呼ぶ――は人々を導く存在。苦悩をともに引き受けてくれる存在だという。レムシアの神は供物をささげたり、祭りをして日常的に身近ではあるものの、それだけの存在であり、ユスティア教が「偽神」と呼んでいることも知った。
ほんものの神は人の心によりそう。
「ですから、これも神のお導きかと」
ユリアは胸の前で手を組み、祈りを捧げていた。
「では、なぜそのような辛そうな顔をしておるのじゃ」
「ユリアヌスさまのご迷惑ではないかと……」
「なにを言う。お前を引き取ったのはこの屋敷で働いてもらうためじゃ」
「はい。もちろん、しっかり働かせていただきます」
「それにユスティア教とは縁があってのう」
じつは数年前になるが、ユリアヌスは、ユスティア今日に教会を建築するための土地を融通してやったことがあったようだ。
「ほんとうですか!」
ユリアの表情がパッと明るくなる。
理解者だと思ったようだ。ただし、実際のユリアヌスは通常の「取引」だった可能性のほうが高い。支援をしたということではないだろう。
それからはマリアは屋敷内の仕事に励んだ。
ひとりの外出や、ユスティア教の集会へ参加することは許可できなかったが、自分が出かける際に同行して辻説法を聞きに行くのは許した。ユリアは街で配られていた神の物語と教義が描かれた一枚の紙を毎日眺めていた。
遠い記憶と重なる。
フィアナはユスティアの教えが一冊にまとまった『約束の書』を同じように真剣に読んでいた。
本はとても貴重なものだ。平民や奴隷身分で手に入れられるものではない。〈領主さま〉が買い与えたものだった。領主さまは本をたくさん持っていた。
いまにして思えば学者として揃えたものだろう。貴族であってもあのような蔵書は稀なはずだ。
世界には何ヶ所か「ムゼイオン」というこの世の叡智をあつめた本の城があるという。
たった一枚の紙切れを毎日飽きもせず眺めているユリア。
「おもしろいかい?」
「はい。でも私にはこれは難し過ぎて読めないんです」
「なに、読めないで毎日眺めているのか?」
「はい。ユリアヌスさま。でもなんとなくわかるのです。人はなぜ生き、なぜ苦しむのか、神は伝えてくれます」
そのことは概ねだが知っている。
神と契約したはじまりの信徒たちの物語、奇跡の体験によって伝えられているものだ。
神の存在も哲学も人間の要求に応えるものとしては同じだと領主様は言っていた。
「私は約束の書には詳しくないが、同じことを考えつづけてきた」
「そうなんですね!」
マリアは目を輝かす。
「ああ、命の答え、とでもいうのかな。そういうものをね」
「素敵です! 父や兄は命の答えについて考えたことがありません。そのようなことをいう私をひどくおかしなものと蔑みました。ああ、嬉しいです! なんて素晴らしい方にもらっていただいたのでしょう!!」
しばらく言葉に詰まってしまった
こんなにも共感をしめされたのは生まれてはじめてかもしれない。
しかも、生まれも育ちもまるで違う少女に。
動揺を隠そうとしたが、うまくいかない。
あわてて、マリアの手から紙切れを奪う。
「な、なにをなさるので!?」
「私が……読んでやろう」
「えっ……」
それからは、この一枚の神に描かれた文句を――それは、信者の勧誘文句ではあったが、毎日、読んで聞かせることになった。




