3_10 帝国の憂鬱
【帝都レムシア】
デキムスは穀物流通の管理職についている。公職のためにたびたび帝都に赴く必要があった。
中央の社交に顔を出し、決められた公務こなすと、議会に参加したり、〈知人〉と交友を深める。もちろん知ったものはひとりもいない。
「あー、貴殿は、たしか……」
少し悩むふりをすると、とくに親しくないものは自分から名乗り出す。おそらくデキムスに取り入ろうとする者たちだろう。格下であればそれで済んだ。以降も覚えきれなければそれで十分だった。実際、デキムスも他人に興味がなかったのかもしれない。この態度は自然であったようだ。
「たしかに、間違いなくリキニウスどの! 最近はいかがでありますかな?」
臆することなく豪快に会話する。それが会話の主導権を握るコツだとわかった。
貴族たちはおしゃべりが好きで、内容は二の次だ。
すっかりデキムスに慣れていた。
同僚以上の者は議会の参加者の名が記された木片で覚える。
討論会に出席するものは議事用前のロビーで自分の名札を掲げる。それを見て覚えた。
そうしてはじめは距離をとっていたが、徐々に積極的に話しかけることができるようになっていた。デキムスは領内での家令や奴隷に対する態度とはうってかわって、政界では気さくで話しかけられやすい人物のようだった。
ごく一部があからさまな嫌悪感を抱いて近寄ってはこないが、そのあたりも観察しているうちにわかってきた。
ある時、討論会で一人の男の演説が印象に残った。
男は堂々と現在の帝国の問題点を指摘していた。それを改革すべきだと訴えた。
よどみのない弁舌もあいまって、僕はとても感心して聞き入ってしまった。
いわく、皇帝の地位が辺境の軍人によって簒奪され、あるいは凡庸な世襲によって継がれ、政権交代が安定しないことが問題である。
「それは帝国の歴史を見れば明らかなこと」
男は声を張り、ゆっくりと聴衆を見回した。
そして彼は何百年も前の内乱を引き合いにだす。
さらに続けて、広大な領土の辺境は防衛に徹していて、有効な戦略がとられていない、皇帝が参戦することで状況を変えられることもあるが、東西南北すべての辺境に対して同等のことはできないこと、とくに東のパルチアにはたびたびの侵略を許していること。経済に対する政策がほぼなく、金貨銀貨を大量に発行し、貨幣の質の劣化だけが蔓延り、物の価格がいたずらに高騰していること。
自分にはその対策案がいくつかあると宣言する。
しかし、男の熱弁に対して元老院の面々や聴衆たちは冷たい視線をおくり、とくに皇帝への批判は不敬だと非難の声がとぶ。
「私は皇帝を貶めるのではなく、さらなる崇敬をもって接するべきだと申し上げている! そうではないから簒奪者があらわれるのだ!!」
その反論もむなしく、討論は物が投げ込まれるなどして紛糾しはじめた。議論というよりも、登壇者への個人的な誹謗が多かったかもしれない。議長がとりなしてその場はお開きになった。
演説した男の名はゼノンといった。
南方のアルタゴの出身で、父母の代からレムシア市民になった新参市民だという。肌が黒く、昔は蛮族として人間扱いされていなかった部族の出身だ。そんなこともあって多くの者が彼の声に耳を傾けない。
だが、ゼノンはまるで屈していないようだった。
平然とした態度で、議場が散会しても一人一人に声をかけていた。
その、ゼノンと目があう。
「やあ、デキムス殿!」
知り合いだったか。まあ、名前も素性もわかる、考えていることもいま聞かせてもらった。会話するのには問題ないが、関係性まではわからない。
「私の演説はいかがでしたか? あなたは真剣に聞いてくれていたようだ!」
「ま、まあ。なかなか興味深くはありますな」
「本当ですか! あなたにそう言っていただけるとこころ強い。私は帝国のため、日々、政策を考えているのです!」
力強く握手を求められる。さらにはもっと話がしたいので場所を変えようと申し出があった。断りきれなかった。というより、本当に聞いてみたかった。政治のことは僕にはさっぱりわからない。帝国がかつての力をもたず、危機にあるのは兵士時代にも耳にしていた。あの時の僕は幼い自分がなにも知らなかったことに対して、憤りと諦めが混じった感情を抱いていた。
誰もが現状を知りつつ、それでも変わらない。それが信じられなかった。
課題がわかっていても、だれもそれに手をつけない。
なぜ?
ゼノンの熱弁をたっぷりと聞くことになる。
彼の意見が、まったく受け入れられなかったことにふれると、彼は大雨で氾濫した川のように押し寄せる勢いで語り出した。
民会で彼のように率直に意見をあげる者は少ないがいるという。しかし、承認機関の元老院の採決はどれだけ元老院に知己をもち、さらに元老院内での力関係、その関係性において元老院が承認を下される。いわく、利権がらみの法案が力関係で裁可される以外は、ほぼ通過しないという。元老院はかつて市民の代表として独裁者を制限してきた存在だが、いまはその既得権益を利用するだけの存在となっている、と。
「意外でした」
ゼノンは熱弁し終えると言った。
「あなたに聞かれるまま答えたが、もちろん、とうにご存知のことだと思う。あなたは元老院にも顔がきくはず。そしてあのユリアヌス殿でさえ。しかし、あなたは私の話を真摯に聞いてくださった。私を試されたのかもしれないが――もしや、という思いで聞くが、私と同じ問題意識をもっているのでは? もしそうであるなら……」
これ以上、深入りするのはよくない。
なんと答えたらいいいのか窮してしまった。
いま、デキムスを演じられていないのではないかという焦りのほうが強く感じられた。いっぽうで、彼の熱狂に巻き込まれたい衝動もある。
「市民は、帝国が平和と安寧を与えるたびに〈遠く〉が見えないようになりました。視線は己の足元にばかり向けられています」
「どういうことでしょう?」
「個人の利益ばかりを見て、国家や子孫のことに想いを抱かなくなったということです。皮肉なことに帝国の繁栄が、そのようにさせたのです。すべての腐敗は未来を見ることのなくなったレムシア同胞がもたらしたものです」
「……」
「そのようにして滅びた国はいくらでも例があります。歴史には学ばなくてはなりません。危機を感じていないことこそが危機なのです。そのような市民が政策に関与することはきわめて危険です。市民の顔色をうかがうことで政権を維持する為政者などいりません。政治は政治として責任をとるものが、決断をする。そういう体制であらねばなりません。いま、帝国にできることはパルチアの〈王〉のような独裁体制を確立することです」
ゼノンはデキムスの手をとり、しきりに熱弁している。
「私にも考えはありますが、それはいずれ。しかし、面白く拝聴させていただいた」
そう言うのが精一杯だった。手で壁をつくる。これ以上は踏み込まれたくないという壁のジェスチャー。
「そうですか、時間をとらせました」
ゼノンは一瞬、残念そうな表情になったが、また議論をふっかける相手を物色し始めた。
しかし、僕はこのあと何度も彼の話を聞きに来るようになる。
※ ※ ※
デキムスは帝都の広場にある居酒屋でワインを飲んでいた。
酒は軍隊にいた頃に覚えた。
公務も終わり、邸宅に戻る途中に立ち寄った店だ。
「カシウスよ、今日はもうよい。飲もう」
いつも仏頂面のカシウスの機嫌をとろうと試みるが、やんわりと断られた。
「私はあなたの護衛だ」
護衛といっても、街中で武器の携帯は許されていない。
領内ではいつも剣の稽古に励んでいるが、生かす場所が基本的にはない。
「だから、もう今日はよいと言っている」
デキムスは言った。
「遠慮申し上げる」
カシウスはいつもこうだ。
剣闘士ルファスは名をカシウスに変えていた。引退したとはいえちょっとした有名人だ。護衛が守られる人間以上に取り囲まれてしまってはもともこもないということでガイウスが名付けた。
ひとしきり飲んでいると、反対側の市場へと続く道から歓声のようなものがあがった。
近衛騎士のようだった。都市の中で唯一、武装することが許され、治安維持や犯罪捜査、そして皇宮の警備にあたっている。そして本土に置かれた唯一の軍隊でもある。
「ディオスですね……」
カシウスはつぶやいた。
騎士隊長ディオス。平民出身の叩き上げで、平民や兵士から絶大な人気を誇っている。
遠目にその姿を見ると、うしろに騎士数人を伴い、市場の店主や客と愉快に談笑しながら歩いている。おそらく巡回なのだろうが、まるで凱旋式のようだった。
「すごいな」
スプリアでも、辺境の地でも見たことのないその光景に思わず見惚れてしまう。
現皇帝カルスも軍事的英雄だったに違いないが、中央を軍事力で押さえつけて頂点に立ったため、即位後しばらくは粛清と内乱が激しく続いた。帝国の防衛戦が危機に晒されているなかで、政権中枢の混乱はさらなる戦況の悪化をまねいた。
これはゼノンの見立てだが、そのようなことが何度も続き、国力は疲弊していった。〈簒奪者の皇帝〉が今後も続けば帝国は早晩滅びるだろう。だから皇帝権の強化と、あらたな皇位継承のしくみづくりが必要なのだという。
「カルス帝の治世が思いのほか長いのも問題ですが、さらに問題なのはカルス帝の子が立てば必ず内乱が起きるということです。父を見て育ったからか、生まれながら尊大にして、私欲を満たすこと以外にその立場を使うことがありません。政権はさらに不安定になり、ひどい内乱に陥ることが容易に想像できます」
だからこそ、人望、実績のあるディオスが帝位に就くべきだとゼノンははっきりと言った。
「だが、これも簒奪であってはなりません」
そこが難問ではあった。
カルス帝の息子はすでに後継である〈皇帝の剣〉に指名されており、元老院も承認して市民にも広く知れ渡っている。これをなんとか撤回する方法はないものか。
デキムスはそんなことを考えていた。




