3_9 再会
【ミラ郊外/デキムスの領地】
デキムスの行動パターン、一日の過ごし方などはガイウスが家令から聞き出してくれた。護衛のために必要だからといって。
それから、数日後、ミラ郊外の領地に戻った。
農場の視察に出かける。
デキムスがそのようなことはほとんどしていないということだった。
農奴たちはデキムスの姿を見ると、怯え、そして作業の手を早める。
監督官の奴隷が農奴たちを虐げていた。
しかも、監督官は、僕――デキムスを見ると、これみよがしに虐待をはじめた。
手にした棒で肩や背中を叩く。
農奴を厳しく扱っていることが評価されるとでもいうように。
奴隷の顔にはどれも恐怖と諦めの色があった。
労働に耐えきれず倒れたものは、独房に入れられ、食事も与えられずに死ぬという。
聞きしに勝るひどい扱いのようだ。
監督官はひとりの少女に目をつけ、仕事が遅いと激しく罵倒していた。
体はひどく汚れ、栄養が足りていない。呼吸が浅く、経つ姿勢も不安定だ。
「兄妹揃って役立たずだな!!」
監督官は後ろから少女の背中を蹴る。
幼い顔がフィアナの姿と重なる。
「何をしている」
「で、デキムス様。何を、とは?」
奴隷監督官は叱責のこもった予想外の言葉にひどく怯えている
「そのようにしては働けぬだろう?」
「いや、こいつの兄貴はこのあいだ脱走して、闘技場で獣に喰われた、どうしようもないクズですぜ。ほかのもんよりも倍働きませんと」
「この娘だけではない、いますぐ手を挙げるのやめろ」
「でも、旦那さま。こいつらこうでもしないと働きゃしないんですぜ」
「ともかく、やめろ。それから必ず休憩の時間をつくれ。病気になったり死んだ奴隷が多すぎる。奴隷は大事な労働力だ」
これはスプリアの農園のやり方、領主様のやり方だ。
僕が知る農園奴隷のルールにすべて変える。
「そ、それでは人手不足になるのでは?」
「それならば人手を増やすまで。死んだり病になって働けぬ者がでるほうが人手不足になろう」
「しかし、働かせねば、あいつらはサボりますぜ」
「休息は必要だと言っている。それから口汚く罵るのもやめろ。無意味だ」
「そんな、旦那様は奴隷には〈困難〉を与えてやれとおっしゃったのでは」
「生産力をより高めるためにこれから改革をするのだ。できなければお前を労働に戻し、別の者を監督官にする」
「いや、それはっ、はっ、はい、おおせのままに!!」
「それからあの子は幼すぎる。この農場の労働には向いていない。私の側仕えをさせよう」
「あいつは、どうしようもないノロマですぜ」
監督官が常日頃、誰をいたぶっているのかがわかる態度だ。
年齢差、体格差、向き不向きは奴隷にだってあるだろう。
「私の話を聞いていなかったのか」
ギロリと睨みつける。
「い、い、いや、いや……」
※ ※ ※
農場を毎日視察している。
あの監督奴隷が見ていないところで何かしていないか心配だった。
この一ヶ月、作業目標に掲げていたフローにはまったく問題がなかった。
つまり、奴隷を虐待して無理やり働かせても、しっかり休暇をとらせるなどして体調管理に気をくばってそのぶん稼働人数が減っているのに、成果は変わらないどころか上がっている。
どちらが正しいかは自明の理だ。
ゴマスリ監督官は態度を一変させた。
彼は彼で定められた仕事をしていただけなのだろう。
ある意味、従順といえる。
なら、ちがった指示を出してやれば忠実にこなすのだろう。
体調に関係なく、交代制で非番の日をつくった。
非番の奴隷の様子を尋ねてみるが、することがなく、戸惑っているという。
ずいぶん臭かったので、風呂とまではいかなかったが、貯水槽での水浴びを許可した。今後の利用は自由にした。
スプリアの奴隷ではあたりまえだ。こんなに不潔にしている奴隷はいない。
「デキムスさま、ありがとうございます」
うれしい気持ちになるが、このなれない感情は持て余す。お礼を言われたのはやっぱり僕ではないんだろうと考えてしまう。
※ ※ ※
領地に入ってから数日後、剣闘士ルファスが連れてこられた。
粗末なボロ布をかぶっているが、筋骨隆々の手足がのぞいている。
闘技場では兜をかぶっていたから素顔を見るのははじめてだ。
短く刈り込んだ頭髪、精悍というより獰猛な顔つき、額には向こう傷がある。
兵士はいろいろと見てきたが、迫力が桁違いだ。
戦場に出たらひとりで数百人を倒してしまいそうな雰囲気がある。
しかし、部屋に通されたルファスは手枷をつけられていた。
「どういうことだ。解放奴隷に枷は必要ないだろう!」
僕は連れてきた使用人たちに憤った。
「アルっ、デキムス殿!」
横からガイウスがたしなめる。
そして僕にもわかった、彼の凄まじい憎悪が。
そうか。そうだった。
自分が何者かを忘れていた。
「少し、席をはずせ。この者と話がある」
僕は使用人たちを下がらせる。
もちろん、ガイウスは同席したままだ。
何かあってもいいように腕を組んで僕のうしろに控えている。
腰には剣を下げままだ。
「ガレスは残念でした」
僕はあえて僕の話し方をする。
「なっ、なんだとっっ! ふざけるな! 殺してやる! 殺してやる!!」
ルファスは激昂する。獣のようなうなりだった。
「あまり大きな声を出すと、家令や使用人がきます。控えてください」
「貴様など、恨んでも恨みきれないっ。なぜ殺さない。いまさら貴様に仕えるつもりはない。この枷を外したら、そこの男の剣を奪ってお前を殺す。この屋敷の者をすべて殺す。そして農園の奴隷たちとともに、畑を焼き払う!」
「待ってほしい。たしかに、僕は、弟さんを見殺しにしてしまった」
「お前が殺したんだろうが!!」
「弟さんはあなたに自由になってほしいと、そのために命を捧げると。だけどうまくいかなかった」
「なんの話をしている!」
「僕はデキムスではありません。デキムスは僕が殺しました」
「だから何を言っている、ふざけるな!!!」
言いながら僕も頭を抱える。
「おいおいおいおいおいおいおいおいおーーーい! アルトリウス、混乱させてるだけじゃねーか!! だから練習しとけって言ったろ! 話す順序がでたらめだぞ!」
うしろで冷静沈着な護衛人を演じていたガイウスが慌てて口をはさんだ。
「でも、どうしたらっ!」
「俺の時のように、信じようがそうじゃなかろうが、ありのまま言うしかないんじゃないか?」
たしかに、ルファスの怒りに当てられて拙速に話をまとめようとするあまり、意味不明な説明になってしまっていたかもしれない。なにしろ、いまにも襲い掛かられそうだ。
それをしてこないのはやはり手枷をつけられているうえ、剣をもったガイウスがいるからだろう。
「少し長くなりますが、聞いてください。僕はデキムスの〈ふり〉をしていますが、本物ではありません。本物のデキムスはもういません――」
それから僕はガレスに出会ったこと、いっしょに闘技場に行ったこと、それから〈転生の短〉の秘密を話し、デキムスを演じるに至った経緯を話した。
「もちろん、信じらんねーだろうけど。俺もそうだったし。いまだに信じられないが、見ちまったし」
ガイウスは言った。
ルファスは混乱しているようで、一言も発しなかったが、いくらか辻褄の合う推論をしているのだろう。痺れるような殺意の波動はだいぶ引いていった。
「ガイウス、レアを連れてきてくれないか」
レアとは、視察初日にいたぶられていた少女だ。ルファスの残された家族だ。ガイウスは頷くと、部屋を出ていった。
「レアだ、と……?」
ルファスは呆然としていた。
そしてレアが部屋に入る。
ふたりはお互いの顔を見るなり声をあげ、抱き合った。
「フィナは死んじゃった。風邪を引いていたのに。いつもの倍も働かされて。助けてあげられなかった……」
一気に言い終わるとルファスの胸に顔を預け、号泣した。
「ごめんなさい! ごめんなさい!」
ルファスも膝をつき、小さな妹を抱きしめる手に力が入る。
「レアが、生きていて、くれて、よかった。レア、だけでも……」
途切れ途切れの言葉で命を確かめ合う兄妹の姿を、僕たちは黙って見守っていた。
傍を見やるとガイウスの瞳が濡れていたように見える。
こんな光景ははじめて見た。それを自分がやったのだ。
これまで感じたことのない充足感に満たされていた。
「デキムスさま、ありがとうございます。このご恩はいつまでも忘れません」
レアは幼子から礼儀をわきまえた大人のような態度になった。
だが、ルファスはその言葉を聞いて明らかに怪訝な表情になった。
レアにもそれが伝わる。
「デキムスさまは、急に優しくなったんだよ。農場の人たちも体調が悪かったら休めるの。私はまだ小さくて体が細いからお屋敷の中の仕事に変えてもらったの」
まるで母親が子どもを諭すかのような言い方だった。
「そうか、そうか……」
ルファスは涙がとまらない一方、幼いレアは冷静に兄に事情を伝えている。
レアは素直でいい子だった。姉のフィナの教えがあったという。
人生はつらい。人を疑っている時間は不幸な時間でしかない。
信じているほうが幸せになれると言ったという。
どちらも正しくないけど、どちらかを選ぶなら、人を信じたいと姉は言って死んでいった。過労から高熱を発していたが、最期まで弱音をはかなかった。短い命を散らしたが、幸せそうに見えたとレアは言った。
そんな話をすべて聞いたルファスはようやく立ち上がる。
そして僕をきっと睨みつける。
「信じるかどうかは、任せます。ただ、僕はこの領地の経営を根本的に変えてみるつもりです。それだけを見てほしい」
僕はゆっくりと目を逸らさずにを言った。そして力を貸してほしいと頼んだ。
「……信じられるわけがない。だが……あんたがデキムス……とも思えない」
信じなくても、受け入れてくれさえすればいい。
「ありがとう。とりあえずは十分だ。それから、今日は元の自分として話したが、これ以降、僕は芝居をしなければいけないんだ。これからずっと。そこは慣れてほしい」
「芝居?」
「つまりは、デキムスという、金と権力に執着し、レムシア市民のご機嫌をうかがい、領地に帰れば奴隷の命を弄ぶ男の表裏を、旅の役者のようにやらなければならんのだよ」
僕は少し声音を変えて言う。
「私はその練習に付き合っているのよ。もっと冷たくて、怖そうにしてくださいって」
レアは得意げに言った。
「まだまだだけどな、ははははっ」
ガイウスがからかう。
しばらくは、この仲間たちで農場を経営していくことになる。




