3_8 デキムス
【ミラの街/旅行者の宿】
僕はデキムスのことを調べ続けていた。
やつは大量の奴隷を抱えていて、大農場を経営している。
元は平民だった。それどころか親は解放奴隷。つまり僕と同様の生い立ちだった。
しかし、やつは商才を発揮し、財を蓄えると、海運業で財をなし、領地を購入し、大量の奴隷を仕入れて、本国ではいちばんの大農場を築いていた。
そして、いまや新興貴族ともいわれる立場で高位の役職にもついている。
最初の妻と離縁してからは愛人は多くいるが、子宝には恵まれていない。
闘技場の利権を牛耳ってからは剣闘の主催を大々的に行っている。
もはやミラの街の支配者ともいえた。
帝国本土と属州をつなぐ場所に位置するこの街は、情報も商品もよく集まってくる。
高級役人になってからは、その支配力は比類ないものになっていた。
僕が、この計画を最初に話したのはアンブロシウスだ。
「わしはお前の選択を否定しない。それは運命だからな」
あいかわらず、そんなことを言う。
「だが、手助けはせん。お前の運命だからな」
それもいつものセリフ。
予想通りだった。そこになんの想いも感じられない。
それが僕の不満になっていたかもしれない。
アンブロシウスはただの傍観者だ。
僕の苦悩を、行く末を、ただながめているだけの存在だ。
思えば、予知ができて、僕の結末を知っているなら、いまの僕がなにかをするたびに笑っているのではないだろうか。
楽しんでいるのではないだろうか。
そんな考えが頭をよぎる。
一方で、ガイウスははっきりと僕を否定した。
「どうかしてるぞ!」
自分でも相当に危険で、理解し難い行為であるのは理解していた。
「もちろん、でも僕の命の使い方だから、きみの賛成がもらえなくても、やるよ」
僕は突き放すように言う。
どうせ、みんな〈他人事〉に違いない。
「もう決めたことなんだ」
「悪党が町の支配者を怒りにまかせて殺して、なにになるんだ! いよいよ本物のお尋ね者になるだけだぞ!」
「ちがう、デキムスは殺さない」
「……何言ってんだ?」
「僕が、デキムスになるんだ」
※ ※ ※
デキムスは用心深い男だった。
成り上がりの過程で多くの人間が蹴落とされた、多くは不正と謀略だ。それゆえに、復讐心をもつ人間に狙われたことは一度や二度ではないという。
街の別邸にも、領地の屋敷にも使用人は最低限しか置かず、いつも腕のたつ用心棒と出歩いていた。その用心棒がよく出入りする酒場に通い、情報を集める。
デキムスは月に二度、セレナ区にある高級娼館にやってくるという。
そこを襲うことにした。
デキムスが訪れる時はいつも貸切で、ほかの客も娼婦もいない。
護衛をひとり店の前に立たせているだけだという。
その時、店主はセレナ区の別の店で飲んでいる。
この情報もその店で手に入れたものだ。
僕とガイウスは数日の観察でその裏付けをとっていた。
街にあるデキムスの別邸の場所はつかんでいる。
月の半分以上を街で過ごしているが、本宅は大農場のある屋敷だ。
毎月の予定はきっちりと同じようで、数日後には戻るようだった。
僕は娼館の近くにたむろしているゴロつきを演じながら数日間見張りを続けた。
デキムスの別邸近くにはガイウスが同じように張り込んでいた。
夕方近く、デキムスが高級娼館のあるセレナ区に向かったのは三日目のことだった。
デキムスがゆったりとした足取りでこちらに向かってくるのが見えた。
顔を覆うように蓄えた髭、貴族のような高級なトーガ、後ろにはおそらく店番をするであろう従者が控えている。少し離れたところにガイウスの姿が見えた。目立つ赤髪をフードで隠している。ガイウスも僕の姿を認めると、尾行をやめ、道を変えた。
デキムスが店に入ると、入れ替わりで男が出てくる。店主だろう。
従者がそのまま戸口に入った。
しばらく、そのまま観察を続ける。
やがて、僕は街に不慣れな流れものを演じながら、娼館に近づく。セレナ区は夜の街としてゴロつき、娼婦、浮浪者、酔っ払い、さまざまな人物が壁や道に紛れ込んでいた。騒がしくもあり、すべてが景色の一部のようで気にとめる者はいない。
僕は娼館の看板を見て、店に入ろうとする。
「おい、待て。ここはいま貸切だ。それにお前のような者が入れる店じゃないぞ」
僕は振り向いて言う。
「お前のような者ってどんな者ダァ?」
いうや、護衛の男が僕の肩を掴んでくる。
その瞬間、男の口が布で塞がれる。一瞬苦しんだが、すぐに弛緩した。
そのまま肩をもってガイウスが目配せをする。
背後から強力な昏倒薬を染み込ませた布を口にあてがっていたのだ。
アンブロシウスが調合したものだった。
そのままガイウスは暗がりに男を引き摺り込むてはずだ。
僕はそのまま娼館にはいる。
二階をあがると、声がする部屋はひとつ。
僕はあえて短剣を手にもったまま部屋に入る。
街中で武装できるのは衛兵だけだが、短剣を隠し持つことはできる。
僕は右手に転生の剣、左にふつうの短剣をもつ。
女がふたり、デキムスに絡み合っていた。
ひとりが僕の姿に気づくと悲鳴を上げた。
「なんだ、貴様!」
デキムスが叫ぶ。
「お前を殺しにきた」
僕がそう言うと、女たちはまた悲鳴をあげて、裸のまま駆け出し、僕の脇を走り抜けていった。
逃げてくれて都合がいい。
「待て、お前は誰だ!?」
デキムスの声が聞こえる。
「……」
「や、やめろ。誰かに雇われたか? か、金を払おう。倍、いや10倍だ」
震える声で交渉する。
交渉? まったく考えてもみなかった展開だ。
いますぐ剣を突き立てようと思っていたが、心に少しだけ余裕ができた。
もちろん、交渉には応じない。
「なぜ、ルファスを解放しなかった?」
聞きたかったのはそれだけだ。
「ルファスだと? お前はあいつのファンか。そうかすまなかった。いますぐ解放しよう」
「そう言って妹は解放されないまま死んだそうだな」
「なぜ、それを知っている?」
「お前の親は解放奴隷だろう。なぜ奴隷をいたぶる」
僕は短剣をデキムスの股間ギリギリに投げつけた。
デキムスは短く悲鳴をあげた。その顔をじっと見る。
しばらくするとデキムスの顔からは恐怖が消えたようだった。
「そうか。ずいぶんと楽しそうじゃないか」
かわりにあらわれたのは好奇の目。
「そうさ、私の親も奴隷だったさ。だが自らの力で解放された。私はさらに努力した。頭を使い、行動した。だからいまの地位がある」
デキムスは手を広げ、まるで演説をするかのごとく語り出した。
「奴隷というものにはそれができない。人に指示されないとなにもできない。生きるために必要なことがなんなのかもわかっていない。奴隷は不平ばかりいう。不満ばかりをいう。そのわりに何もしない。私は知っている。死に臨んだ貴族が、主人の特赦で一斉解放された奴隷が、生活することができず、再び自分を売ったのだ。やつらは何も努力しない。ぜんぶが他人任せなのだ。だからやつらには主人が必要なのだ。結局、使われることしかできない。〈うまれつきの奴隷〉なのだ。自分の生を御すこともできない。哀れだ、愚かだ!! 私は従うことしかできないあいつらにそれにふさわしい苦しみを与えてやりたかったのだよ」
「……お前は両親を侮辱しているんだぞ」
「ちがうな。わしの両親は解放を約束されて、その条件を整えるまで努力した。しかし、解放はされなかった。主人の気まぐれはよくあることだろ?」
まるで当然のことのように言う。
「だが、両親は計略を練り、主人の政敵に情報を売り、主人を没落させた。もちろん、その時の財産没収で政敵の財産となり、約束通り解放されたのさ。つまり、〈うまれながらの奴隷〉ではないことを証明したのだな!!」
どうやらデキムスは〈うまれながらの奴隷〉という言い方で自分の格をあげ、区別しているようだった。
「だから奴隷は苦しまねばならないのだよ。生きる術をもたないものが、生きる意味もないものが、差し出せる最大のものを主人に提供しなくてはな!」
「ルファスは、もう十分だっただろう!」
「あいつは吠え面も、物乞いの顔も見せなかった。涙のひとつもなく、淡々と強くなりやがった。奴隷が苦しまずに手に入れようなんて虫がいいんだよ!」
簡単なはずがあるわけない。苦しんでもいただろう。
だが、それを見せていないだけだ。
「だから弟があらわれたときは神に感謝したね。あいつは兄弟のことにだけは表情に出る。これで苦しませてやれるってな!!」
とたん、デキムスが短刀を引き抜いて立ち上がる。
僕は右足をふりあげて、デキムスの頭を足の甲で捉えるとそのまま、振り抜いた。
次はためらうことなく、〈転生の短剣〉を取り出し、その首筋に叩きつけた。
意識が遠のくように魂が離れていき、僕は目を覚ます。
目の前には僕――いや、デイモスの死体があった。
ぼくはその遺体を仰向けにして、デキムスが持っていた短剣を心臓に突き立てた。
デイモスの肉体から鮮血が飛び散る。
ほんの少し前まで僕だったその体に、お別れを言うべきかどうかはわからなかった。
※ ※ ※
「アルトリウス!!」
ガイウスがちょうど部屋に侵入してきた。
短剣を構えている。「僕のいまの姿」を警戒しているようだった。
しかし、僕がまったく動揺していないのを見て、構えを解いた。
「本当に、お前なのか? アルトリウス?」
言いながらも少し力がゆるむガイウス。
「ああ、そうだよ。ガイウス」
「ほんとうだったんだな……」
武器をしまうガイウス。
「ああ……」
「なら、まず服を着ろ……」
目をそらすガイウス。
※ ※ ※
デキムスになった僕は、玄関で昏倒している護衛が起きるのを待った。
それから、同行していた者たちを呼びよせ、事情を説明する。
悪党アルトリウス、いやデイモスの遺体は役人が引き取った。
ガイウスは騒ぎを聞いて駆けつけ、賊を討った、デキムスの恩人ということにした。
そうして、デキムス一行はミラの別宅に戻った。
初老の家令がことの顛末を聞いて、恐れ慄いた。
「いや、無事であった。心配するな」
「心配!?」
言ってから家令は口を塞いだ。失言のようだった。
「護衛の男はどうなりましょう?」
「ああ、役には立たなかったからな……」
「ひいっ!」
また家令は小さく悲鳴をあげた。
そうか、処分を恐れているのだな。
こんな時、デキムスはどうしているのだろう?
この怯え方だと、相当に酷い罰があるのかもしれない。
でも、僕がそれを真似る必要なんてない。
「解雇せよ。いずれ新しい護衛を雇う。しばらくは、このガイウス殿にその役を引き受けてもらう。この方はフラウィウス家の方である。先ごろまで軍役についていたが、同門の家長の戦死により、故郷に帰る途中だ。しばらくこの屋敷に逗留してもらう。客人として丁重に扱うように」
「ああ、よろしく頼むぜ」
ガイウスはずいぶんと上からな感じで言葉を投げる。
「か、かしこまりました。ガイウスさま」
応接なのか、仕事場なのかわからない広い部屋に案内された。
「はーっ、くたくただな。風呂に入りてぇ。こんだけ広い屋敷だ、風呂あるんじゃねぇか?」
「知らないよ。そんなにくつろぐなよ。僕の護衛だろ?」
「よくいうぜ。とりあえずさ、この家のことは俺がいろいろ聞いといてやるぜ。俺なら怪しまれないからな」
たしかに、屋敷の勝手や使用人のことがまるでわからない。ガイウスがいっしょでよかった。
「まあ、怪しんだところで、まさか他人だなんて思うやつはいないだろうがな。それにしても、前のゴロつきよりはマシな面だが、悪者という意味では一段上がったな。なんなら、あのゴロツキ顔がかわいく見えてきたぜ。なんだよ、かわいいって! はははは」
ガイウスは自分の言葉に笑い出す。
「それで、これからどうするんだ?」
「まずは、護衛をもうひとり増やす。命を狙われたばかりだから。最強の剣闘士なんてどうだろう?」
「はは、そうだな」
「あの家令に言っておけばいいのかな?」
「なあ、アルトリウス」
「うん、なに?」
「その喋り方、やめろ」
「また気持ち悪いとか言うんだろ」
「そうじゃない。その話し方はまずい。少なくともお前はデキムスでいなくちゃならない。前のチンピラとは違って有名人だ。ふだんから自分を消さなきゃ不自然だ」
「たしかに……」
「芝居だよ。やってみな。デキムスはそうだな、あの家令の態度からすると、高圧的で、人間を見下している。家の中じゃ乱暴な言葉遣いがフツーかもしれねえ。外面だけご立派なクソ野郎だ」
わずかだがデキムス本人と会話をしているから、なんとなく想像はつく。
「自信がない……」
本当にデキムスになりたいわけじゃない。
この悪徳領主の行いを少しでもただしたいだけだ。
「まあ、暗殺未遂なんて大変な目に遭ったんだ。すこし人が変わっちまってもいいかもしれないが、いきなり別人のようになるのはやめたほうがいいぜ」
「そうだね」
「それ! その返事、直せ!」
ガイウスがビシッと指差す。
「あ、ああ、……了解!」
「ばかやろう、兵卒かよ」
ガイウスは笑いながら、毎日チェックするから、油断しないよう釘を刺して、用意されたゲストルームに行った。




