3_7 剣闘士
【帝都レムシア】
帝都に入る少し前から、人の往来の多さを感じていた。
馬車が行き交い、詰所にいる近衛騎士団の数も増えていく。近衛騎士団は皇帝と帝都を守る、本土で唯一武装して活動できる軍隊だ。
帝都の門をくぐる手続きはどこの街ともかわらない。しかし、完璧に整備された道、衛兵の多さ、城門の高さ、聞こえくる声、そのどれもが、まるで祭りのようなにぎわいに思えた。
「これが帝都か……」
僕は思わず呟く。
「田舎者は一生ここにくることはないんだろうな!」
ガイウスがからかう。
ガレスも同様に帝都の賑やかさに心を奪われている。羊皮紙を取り出して、いまにも絵を残しそうだ。
剣闘試合は明日になる。
ガレスの運命が決まる。いや、もともと定められている。
※ ※ ※
コロッセオにはすでに多くの民衆が集まっていた。
デキムスは平民からあがった新興貴族で、かなりの富を築いていた。
デキムスが強い英起用力をもつミラの街にも闘技場はある。だが、大きな試合は帝都の闘技場が使われる。帝国のなかでも最大のイベントは皇帝や有力貴族が列席することもある。大会の主催者は良い試合を見せることで、民衆にも、貴族にも、皇帝にも自分の力を見せつけ、功績が誇れる。これは権力闘争の一部なのだ。
剣闘士たちの殺し合いは、民衆の娯楽だ。
それを提供するデキムスには選挙の際に多くの票が入る。
そうしてデキムスは帝国内の上級官僚のポストを握り、また財を蓄える。
剣闘士の観戦は無料で市民に解放されている。
しかし、奴隷まで観戦できるかは開催者による。主人が料金を負担することで、奴隷の入場が許される場合があったが、デキウス主催の剣闘は、奴隷の席が用意されていなかった。
入場する際、ガレスは震える手でおそるおそる偽造身分証明を提示していたのを見て、僕たちも心臓が縮まってしまった。
アンブロシウスはともかく人の争いが嫌い(曰く、それを見るとまさしく狂人になってしまう)とのことで、また同行を拒んだ。
闘技場の座席は階層が分かれている。最前列は高位の役職についている役人や軍人だ。中層は一般の市民で、ここがいちばん多いが、裕福な市民がその中でも前に座る。これは暗黙の了解。ちなみに市民には貴族も含まれている。
僕たちは上層に座った。
着席すると、すでに観衆は盛り上がっている。
「英雄ルファスの連勝記録だ!!」
「セウェルスが新しい勝者だ!!」
互いのファンが雄叫びを上げている。
セウェルスはいま10連勝をしたばかりだが、勝ちっぷりが派手で見栄えがよく、この闘技場の新しいスターとして一気に人気を博しているそうだ。
すでに熱狂の渦だ。
「すごいな……」
ガイウスがつぶやく。
「はじめてなんだっけ?」
「いや、一度、大叔父に連れられてみたことはあるが、こんなに盛り上がっているのははじめてだ」
「ガレスは?」
「わたしは、もちろん、初めてです。こんなに人を惹きつけるのですね」
「そうだぜ、お前のにいちゃん英雄だぜ」
ガイウスは血の気が多い。すっかり興奮している。
「複雑です。一度でも負けたら死ぬだけですから」
観客のコールによって助命されることもあるとはいえ、多くの場合、生死によって決着がつく。
命をかけて戦う。明日、生きるためになにかをするのは一切の疑念がない純粋なの動機なのかもしれない。兵士には国を守る大義がある、というものに失望した僕は、そんなことを考えてしまう。
でも、これは運命を選択できる人生ではない。やはり、そこにひっかかりを覚える。
そもそも、誰も人生を選択できないのかもしれないという疑念があった。
〈選択したものが運命〉
アンブロシウスの言葉。
剣闘士は生きるために戦うことを強制されている。それが運命なのだろうか。
そもそも選択肢がないことを選択したといえるのか
目的の試合は催しの最後だ。
それまでは前座試合として、さまざまなマッチが行われた。
ルーキーから、中堅選手まで、対戦が行われた。
剣、棍棒、武器はさまざま。出場者は自分で選ぶことができた。
だが、誰も体を守る防具はつけていない。兵士なら鎖帷子をつけて戦うものだが。
「血を見たいから、だぜ」
ガイウスが教えてくれる。
「君も見たいのか?」
「うーん、見ないとわかりにくいんじゃないか? 観衆もそれを見に来ているんだ」
なるほど、見せるための工夫なのか。
戦場では使われない変わった道具を使う者もいるという。
実際、兵士がやるのとは違う、特攻的な戦い方が多かった。
対峙して、間合いをとって、小さな手出しをするようなこには、時間をかけない。
これも観客のためなのかもしれなかった。
ひとつの攻撃で体勢を崩すと、容赦無く切り掛かる。その斬撃に観衆は絶叫する。
「ううううぉおおーーーーーーーーーーーーーー!!!!」
血が飛び散り、敵が倒れると、勝者は観客席を見上げる。
殺すか、生かすか、を問いかけている。
観客の声はまちまちだったが、「殺せ」の声がまさっていたようだ。
そのとき、僕たちの席の反対側にいる主賓席にいた男が立ち上がる。
すると観衆の声はぱらぱら静まっていった。
「デキムスだ」
ガレスが言う。
立ち上がった男は、大きな体躯に髭を蓄えた中年の男だった。
緑色の衣装にきらびやかな装飾がついている。
「市民諸君!」
デキムスの声は低く強く、闘技場に響き渡った。
「いま一度、問う! この敗者を生かすのか!」
その号令とともに多くの観衆は親指を下げる。
〈死〉の合図だった。
それを見て、勝者は敗者の首に剣を突き立てた。
一段と大きな歓声と拍手があがる。
とくに、そのあと女性からの激しい歓声がつづく。
剣闘士はその歓声にこたえるように手をふる。
「剣闘士好きな女はけっこういるらしいぜ。身につけているものを欲しがったり、恋文を書いたりするやつもいるってよ。いちばん人気はコインに刻まれるってよ。奴隷身分でも、そこまでいったら皇帝どころじゃねーよな」
ガイウスが教えてくれる。
拍手喝采で、大勢に迎えられる。兵士であってもそんな場面はない。軍司令官にまでたどり着いて、凱旋式を行える一部の戦士だけだ。
ゆっくりと闘技場を歩きながら観客に手をふる男の姿が、眩しく神々しく見えた。
しかし、その一方で、そこに朽ち果てた死体に目がいく。
英雄になるか、死体になるかという結果しかない劇場で。
これも命の使い方なんだろうか。
※ ※ ※
デキムスは立ち上がる。
「市民諸君! お待ちかねだ! この闘技場最高の試合をお見せする! 39連勝という偉業を成し遂げた剣闘士、ルファーーーーース!!!!」
これまでで最高の歓声があがる。
「対戦相手は、この闘技場で最速の連勝記録を打ち立てた若き英雄、セウェーーーールスッ!!」
別の一角が負けじと盛り上がる。
二人は別々のゲートから入場してくる。
ルファスは顔が完全に隠れた兜をかぶり、上半身裸。下半身に獣の皮をまとい、サンダルを履いていた。一方のセウェルスは長髪の顔をさらし、棍棒と小さな盾をもっていた。ひときわ女性の歓声があがる。
「前人未到の40連勝か! それとも新しい英雄の勝利か!」
デキウスはさらに観衆を煽っている。
「見届けよう諸君!!」
その声と共に銅鑼がはげしく打ち鳴らされる。
はじめに仕掛けたのはセウェルスのほうだ。
素早い加速でいっきに 間合いを詰める。
そして棍棒を振り上げた。
一瞬の隙をつかれたルファスはのけぞるが、かわしきった。
と、同時に長剣をセウェルスの腹に見舞う。
手応えはあったものの、これも回避で浅かった。
ただ、脇から血が大量にこぼれ落ちる。
観客席からそれぞれの反応で声が上がる。
ルファスは冷静沈着に間合いをとっていた。
セウェルスはうしろにさがりつつ、地面の砂をつかみ、ルファスめがけて投げかける。
砂はルファスの兜の覗き穴に入り込み、怯む。
「おい、きたねーぞ!!」
ガイウスが隣で叫ぶが、戦場でも、命懸けの冒険でも、卑怯という言葉は役に立たない。
セウェルスは棍棒を突き出し、ルファスの腹を叩いた。
これでルファスはさらに退いたが、踏みとどまる。視界が悪いのか、相手を見失っているようだった。
そこへセウェルスがいっきに畳み掛ける。
しかし、驚くことにその初手を完全に見切ったルファスが、突っ込んできたセウェルスをかわし、背後をとると、その背中を一撃に貫いた。
セウェルスはそのまま地面にひれ伏した。
観客から歓声と悲鳴が同時にあがる。
ルファスの勝利だ。
セウェルスは致命傷だろう。
体を貫いた長剣がゆっくりと引き抜かれると、血液がどっと溢れ出た。
それを見た観客はまた熱狂する。
「見事なり!!」
デキウスが立ち上がって言う。
「これほどの勇者、これほどの栄光、諸君らの心を掴んで離さない。英雄ルファスに喝采を!!」
ルファス自身も喝采に応じて手を上げる。
「さて。諸君、ルファスは真の英雄となった。今日で奴隷剣闘士の身分から解放される」
デキムスがそういったとき、観客から驚くほどの非難があがった。
怒号、罵声、あらゆるきたない言葉がとんでいた。
「な、なんだってんだ!?」
ガイウスが驚く。デキムスは約束を反故にするとガレスは言っていた。
しかし、いま、彼を解放しないのは民衆だ。
「こうなることが、わかっていたんです」
ガレスはいう。
「市民諸君。その気持ちはわかる。かつてない英雄の武勲がこれ以上見られない。それほど悲しいことはないだろう! 彼の活躍は日々働くレムシアの民に活力を与える。帝国の宝と言っていいい。その彼を失うことなど考えられぬ!」
その言葉の先がなんであるかはわかった。
そして民衆もその期待に闘技場が揺さぶられるほどの音を鳴らした。
手を叩き、声をあげ、口笛を鳴らす。
当のルファスは困惑したかのように周囲を見渡している。
デキムスが手をあげた。
それを見た民衆は静まり返る。
そして、デキムスが口を開こうとした時、ガレスが立ち上がった。
「ここにお集まりの皆様。私はルファスの弟、ガレスです!」
張り裂けんばかりの声量で名乗ると、観衆はざわついた。
「みなさん、兄は今日、奴隷から解放される日でした。ご存じの通り、40勝、それが解放の条件でした。しかし、みなさんが知らない約束がありました。私たちは四人の兄弟で、すべてがデキムス様の奴隷でした。兄が10勝するたびに一人ずつ解放され、今日、兄自身が解放される試合だったのです。しかし、実際のところ、私たちは誰ひとり解放されていません、そればかりか、過酷な労働のため、命を落としています。ですから、きっと兄に自由が与えられるのは、その命を失う時だけになりましょう! この理不尽を皆様に知っていただきたいと、私は逃亡するに至りました!!」
ガレスの言葉に城内は騒然とする。
「ガレス!! 貴様は主人の許しもなく、なぜこんなところにいる!! 逃亡は重罪だ!」
会場がざわついている。
「諸君、これは帝国の法を破った罪人の言葉ぞ!!」
デキムスはやり返す。
「たしかに私は罪人だ。しかし、それでもこの観衆に問いたい。兄は解放されるためにこれまで戦ってきた。みなさんの期待にも十分こたえたと思う。それでも死ぬまで戦わなければならないのか!!?」
観客はざわついているものの、一丸となった歓声があがる気配がない。
この迷いが、僕のなかで湧き起こりつつあった激しい怒りを抑えてくれた。
しかし、その時にデキムスが次の矢を放つ。
「よかろう。この兄弟の所有者は、まぎれもない私だ。この決着のために最高の舞台を用意したい!」
観客がどよめく。
「ガレスは重罪である。本来ならば足を切り落とし、独房に放り込まなければならない。しかし、兄を討ち取ったならその罪はゆるそう。そして、ルファスよ、見事弟を討ち取ったなら、間違いなく解放しよう」
デキムスの宣言に一瞬、場内は言葉を失った。
そんなバカな話があるか!
立ちあがろうとした僕の手をガイウスが掴む。そして首を横に振る。
「いいだろう、レムシア市民のみなさん、大神の名において、その勝負受けて立ちましょう!!」
言ったのはガレスだ。
とたん、闘技場からはこれまでにない歓声があがった。
「ばかな、どちらかが死ぬんだぞ!! なんの意味があるんだ!!」
しかし、異様なまでの歓声に僕の声ば打ち消される。
「これでいいのです。市民に対して誓わせた。これを裏切ることは、皇帝でもできない」
ガレスは言う。
まさか、これを狙っていたのか。
なにもかもが、飲み込めなかった。
僕は、ゆっくりと前に踏み出すガレスを目で追うばかりだった。
「ありがとうございます。最期によい舞台にあがれました」
そして、羊皮紙の束を手渡された。おそらくこの数日で彼が描いていたものだろう。
僕もガイウスも声をかけられずに見送ってしまった。
闘技場に降り立ったガレスは兄と対峙した。
なにかを話し合っていたようだが、観衆の叫び声で聞こえない。
デキムスは最高の余興に満足した顔を見せている。
「兄弟の愛が、どのような結末となるか、見届けようではないか!!」
歓声と非難が入り混じった複雑な音がはじける。
ガレスが差し出された武器の中から剣を選ぶと、決戦の準備は整った。
「では、はじめよ!」
デキムスの号令で銅鑼が鳴る。
しかし、二人はまったく動かない。
じっと対峙したまま、なにかを話しているように見える。
やはり観客の声で聞こえない。
その状態が長く続いた。
しばらくすると、観衆は非難の大合唱をはじめた。
狂っている。これが富めるものが与える市民の娯楽だと。
戦場に行けばいくらでも殺し合いは見れる。
お前たちは安全な場所で見物して、なんなんだ!!
人が死ぬ、親や兄妹が死ぬ、それも歓声を上げながら見れるのか!
ひとしきり昂る気持ちのあとに、ふと思いが至った。
そうか、自分には関係のない人間の生死は、人生になんの影響も及ぼさない。
僕も戦争で何人かの人間を殺した。
命を奪った。むしろはじめはそれよりもうまく立ち回れていたことに高揚すらしていたように思う。鹿を殺し、調理して、食った時と比べても何の感情も乱れなかったと思う。
何が違う? 交流のない人間なら、猪と同じなのか?
「ガイウス!」
僕はガイウスの手を掴んでいた。
「アルトリウス、おちつけ! 俺だって冷静に見られない!」
「ほんとうか?」
「あたりめーだろ。どっちが死んだって胸糞悪い。ここにいるやつらみたいにはしゃげねー!」
僕はほっとすると同時に、やはり大切にできる命に範囲があるのかもしれないと思ってしまう。だとしたら、命は誰にとっても同じものではない、ということなのか。
それが人間の価値?
そうして、誰にとっても見せ物にすぎない命の奪い合いは観衆の声に押されて動き出す。
仕掛けたのはガレス。とても殺意がこもっているとは思えない、パフォーマンスだ。
ルファスの攻撃を誘発するのが目的だろう。
なんなくかわしたルファスはちっとも動かない。
緩慢な時間に耐えきれなくなった観客から激しい非難が注がれる。
それを見たデキムスが立ち上がって、手をかざす。
なにかの合図だったようだが、それとともに、場内に連れてこられたのは猛獣だった。
獅子といわれる獣。すでに興奮しきっていて雄叫びをあげている。
首輪が外されると、誘導してきた男たちは即座に避難する。
「グワァーーーー!!」
獅子は、二人の間に割って入ると、ガレスをターゲットにしたようだ。
ガレスははじめてしっかりと剣を構える。しかし、恐怖から膝が震えていた。
「うぉー!!」
思い切って切り込んだ瞬間、両肩をその重い前脚に押さえつけられ、その獰猛な牙を首に叩きつけられる。血がほとばしる。
観客からは悲鳴があがる。
刹那、ルファスが剣を手に獅子に襲いかかる。最初の一撃は背を切った。
獅子は、振り向き、素早く距離をとる。
ルファスはすかさず一歩踏み込む。
そのタイミングで獅子は襲いかかるが、ルファスは即座に地面に仰向けになり、剣を突き出した。
そこへ獅子が覆い被さるようになり、長剣は一気に獅子の腹を貫いた。
獅子は、しばらくの間をおいて絶命した。
「ルファス! ルファス! ルファス! ルファス!」
勝者を讃える歓声がこだます。
しかし、英雄は、その場で膝をついた。
そのあと、ふらふらと立ち上がり、弟のもとにたどりつき、遺体を抱いた。
観客の一部はそれにまた歓声をあげ、一部は涙を流した。
いずれにしろ見せ物に過ぎない。
デキムスは勝敗の無効を訴えた。
「最後に立ったのは我らが英雄! しかし、敗者に刃を突き立てることはなかった!」
観客も同意するかのようにヤジをとばす。
「真の決着は、次回に持ち越そう! そして新たな英雄の伝説が生まれることを願う」
観客を扇動すると、ふたたび大歓声に包まれた。
デキムスは満足そうに手を広げ、闘技場全体を見渡している。
これは見せ物だ。
金持ちや権力者が市民の支持を得るために、無償で提供している見せ物だ。
人の命、兄弟の想い、それも見せ物だ。
心が高揚しても傷ついても、仮初の見せ物だ。
自分の人生には関係ない、娯楽だ!
しょせん、娯楽だ!
呆然としながら、ふと、ガレスに渡された羊皮紙のスケッチが目に入った。
僕の顔だった。悪党と言われるほどの人相の悪さはそこにはない、だけど、間違いなくいまの僕の姿だ。
優しい気持ちで書かれたのがわかる。
ガイウスの顔もあった。まさかとは思うが、女性であることを知っていたかのような柔和な笑み。僕も時折見かけることがある、男らしくない彼女の自然な表情。
アンブロシウスの顔もある。皺、髭、冗談を言いそうなのに鋭くて空虚な複雑な表情。
すべてが写実的によく捉えられている。
そして、二人のかわいらしい女の子、屈強そうで陽気な男。そして、ガレス自身という4人が描かれた一枚の、幸せそうな絵があった。
※ ※ ※
僕は闘技場を足早に後にしていた。
「おい、アルトリウス。大丈夫か」
ガイウスが追いかけてくる。
「いや、ぜんぜん大丈夫じゃないね。君は平気なのかい、ガイウス?」
「そんな言い方するなよ。俺だって最悪な気分さ。でもどうしたら良かったんだ?」
「ガレスの死は無駄だった。あそこにいた連中、すべてが憎くて仕方ない」
「待てよ。たしかに連中はあの決闘を喜んでいた。でも、所詮、奴隷同士の殺し合いを見にきているやつらだろ? こういっちゃなんだが、おかしなこととは言えない」
「そうだろうよ。でも僕にはわからない、なんであそこで殺し合っている人間が自分であったなら、自分の兄弟だったなら、知り合いだったなら、という目で見れないのか。奴隷だから? それがわからないんだ!」
ふいに大きな声を出すと唇が震えはじめた。
「……アルトリウス。ごめん、俺も観客のやつらといっしょだったかもしれない。最後には他人事として納得しようとしてしまった。ガレスはほんの少しだけだけど、いっしょに行動した。危険をわかちあった。知っているやつだ。そいつが無惨な最期を迎えて、なんで〈奴隷だから〉と納得させちまったんだろう。ごめん、本当に……」
僕の態度を見てガイウスは同じような表情になった。
「人の死が悲しいのは、思い入れの大きさだけなのだと思ったよ。戦争では僕も人を殺した。悲しみはなかった。だれにも等しい価値のある命なんてないんだ!!」
誰かの命はみんなにとって同じ価値じゃない。
「ああ……そうなんだろうな……」
ガイウスはうつむく。
「残念だけど、悲しむ人間が誰もいない、そういう命もありえるんだよな。俺なんかがその筆頭かもしれない」
乾いた笑みをみせる。
「ばかなことを言うな、ガイウス。君がいなくなったら、僕には絶望しか残らない」
あわててそう継いだ。
「そ、そうなのか。そうか、ありがとう……というのも変だな」
それから、クスリと音がもれた。
「世界がどうであれ、デキムスを許せない。農奴として残っているルファスの妹のことも助けたい」
「アルトリウス……なぜ、そこまで肩入れするんだ?」
「同情なんかじゃない。残りの命の使い方の話なんだ」
大音量の熱狂を背にしながら、僕には途方もない殺意が生まれていた。




