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皇帝暗殺  作者: 無銘、影虎
【第三幕】 The Pritender
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3_6 逃亡奴隷

 町の宿に戻る。

 アンブロシウスは案の定、僕の話を聞いてもまったくいつもの通り。

「魔術師じゃからな」

 蓄えた長い髭をさすりながら言う。

「なあ、じいさん、俺の未来もわかるのかよ」

 ガイウスはからかうように言う。

「わかるとも。これから旅に出る、そして戻る」

「なるほど。そうだろうとも」

 ガイウスは手を挙げて皮肉を言った。やはり信じてはいないようだ。

「なんにしても、よろしく頼むぜ。魔術師」

 ガイウスは女であることを捨てようとしすぎて、男口調を通り越した粗暴さが板についてしまっている。僕よりよっぽどゴロツキのようだ。


 ※  ※  ※


 こうしてまた目的のない旅が再開された。今度は三人になって。

 心なしか、旅が楽しいものに変わりつつあった。

 旅は相変わらず、多くは乗合馬車だった。

 街道の宿場で旅人相手に商売をしたり、川や森で収集をしながらだった。

 ガイウスの男らしく豪快で陽気な性格で、雰囲気が一変したようだった。

 一緒に狩をし、川で水浴びをしたり、剣の稽古をしたり。兵士から聞いた酒飲み話、他愛のない冗談。

 僕は笑うことが増えてきた。


 僕たちは少しずつ首都レムシアに近づいている。

 大きく迂回しながら属州の辺境地を進んでいたが、やはり、この国の中心の人々を見てみたいと言う思いはあった。属州民はいまでこそ本国と同等の市民権をもっているが、以前は属州民として多くの権利が認められていなかった。

 いま、市民としての権利をもたないのは奴隷と解放奴隷だけだ。

 しかし、帝国における奴隷の数は多い。農業の従事しているのはほぼ奴隷だ。

 町中で働く者も、多くは奴隷。つまり、労働者はほぼ奴隷。帝国は彼らがいないと成り立たない。


 ※  ※  ※


【レムシア本土北部 ロベニア州】


 ある日のこと。

 僕とガイウスはアンブロシウスにいわれてこの地方の名産である山菜を拾っていた。

 早い感覚で草を踏む音が遠くから聞こえたので、無言のうちに音のするほうから死角となる木に身を隠した。

 猪などの野生生物にしては足音が乱れている。それに四足ではない。人間、そしてひとりだ。

 厄介ごとはごめんだが、運の悪いことに、音が少しずつ近づいている。

 僕はガイウスに目配せをする。

 ひとりなら取り押さえるのは簡単だ。

 ぼくらは音を聞きながら、タイミングを合わせる。

 目を見て頷きながらカウントする。


 そして僕たちは同時に飛び出し、武器を構える。


「ひっ!」


 やはり人間、若い男。僕たちに驚いて足が止まる、どころか、倒れ込んでしまった。


「おい、お前、何してやがる」

 ガイウスが剣をつきつけて尋ねる。


 しかし、男は答えない。頭を抱えて、何かを観念したかのようだった。


「お前、奴隷だな。逃げてきたのか」

 ガイウスは続ける。身なりがかなり粗末だ。汚れていて、あちこちが破けている。

 よく見ると手足にあざもある。


 奴隷にもいろいろあるが、富裕貴族が大農園で管理している農奴はかなり過酷な環境だという。多くが解放奴隷になれないまま、過労で倒れる。


 スプリアの領主様も農園を営んでいたし、実際、僕の両親もブドウ畑を任されていた。たいへんではあったが、体調が悪い日には休暇がもらえたし、ほかに工芸などさまざまな職もあった。

 奴隷は持ち主によって環境が変わってしまう。おおかた、この奴隷も耐えかねて脱走したのだろう。


「逃亡奴隷を見つけたら、持ち主に返す。俺たちは謝礼がもらえる。さあ、お前の主人は誰だ!?」

 ガイウスは問いかける。


「ほんの少しだけ、見逃してもらえませんか。最後に兄に一目会いたいのです。ほんの数日。そのあと、あなたたちに捕えられて、戻ります。主人の名はデキムスです」

 男は、わなわなと震え出し、荒げた呼吸を整えてから、ひと息にいった。

 正直に主人の名を出したところに、嘘はないような気がした。


「デキムスかよ」

 ガイウスはその名を聞いて顔をゆがめた。

「知っているのか?」

「ああ、成り上がりで、役人には賄賂でなんでも言うことを聞かせるっていう評判だ。ケチで、きたないやり方で同胞を奴隷にしちまうってんで有名だ。しかも、その扱いもひどい。〈奴隷殺しのデキムス〉ってな」

 とたん、僕の頭にはプブリウスの顔が浮かんだ。奴隷を、僕の父と母を虐待していたという。

 何年経っても両親の顔を恐怖にひきつらせていた。

 旅先でも似たような話は聞いた。大農園であるほど、牛や馬のように扱われている。

 一方で、僕の故郷の奴隷は誰一人そのような扱いを受けていなかったが、収穫は豊かで、笑顔が絶えなかった。奴隷は主人を選べない。人生も選べないということだ。


「それで、お兄さんの危機とは?」


「は? アルトリウス、そんなもん聞いてどーすんだよっ!?」


「ねえ、ガイウス。女は家長の財産、自由がないって言っていただろ。それに耐えかねて逃げ出したとしたら、君は同じように言うのかい?」


「奴隷とは比べられないだろ……いや、似たようなもんか。ほんとだな、アルトリウス!」

 ガイウスはいつも〈変なこと〉を言う僕を面白がってくれる。


「なら、話だけでも聞いてやるよ」


「ああ、わかった。私はガレス。兄の名はルファス。兄は同じくデキムスの奴隷で、剣闘士だ」

 剣闘は話に聞いたことはあるが、実際に見たことがなかった。

 大きな町には闘技場があって、そこで剣闘士が〈見せもの〉として殺し合いをしている。

 市民であれば無料で観戦することができ、日々の鬱憤を晴らし、熱狂しているという。

 強い剣闘士はヒーローだ。負けなしのスターであれば、貴族の女性どころか皇帝までファンになるという。


「兄はデキウスと、40連勝したら、奴隷から解放されると約束しています。いま、39連勝していると聞きました」


「うえっ、そりゃすごい。もう英雄だ」

 ガイウスが驚嘆する。僕には知識はなかったが、一対一の殺し合いで何度も勝ち続けるのが至難の業だというのは想像がつく。


「しかし、その約束は反故にされます。そもそも、10勝するたびに私たち兄弟が一人ずつ解放されるという約束のようでした、デキムスが誰かに話しているのを聞いたほかの奴隷から聞きました。しかし、実際、私たち兄弟は誰ひとり解放されていません。兄はそのことを知らないのです」

 ひどい。いくら奴隷でも、その生殺与奪が主人にあったとしても、約束を反故にするのは人として最低じゃないか。


「それで、お前は逃げ出してどうしたいんだ」


「闘技場に行って、観衆に訴えます」


「それじゃ、お前も見つかって殺されるだろうが」


「……」


「もともと死ぬ気かよ。どうするアルトリウス?」

 見逃してもなんの得はない、と言いたいのだろう。


「手伝うよ。闘技場までいっしょに行こう」


「は!? は!? はぁ!?」

 ガイウスは言いながら僕に詰め寄る。


「それが、あなたの命の使い方なんだよね?」

 僕はガレスに向き直る。


「はい。兄は私たち弟妹のためにデキウス様に反抗しました。ひどく反抗的な態度であったため、剣闘士に落とされました。そして先ほど申し上げた約束があったそうです。ですが、妹ふたりのうちひとりは過酷な労働で死にました。兄はそのことも知りません。デキムスは奴隷が苦しむのがとても好きなのです」


「ちっ」

 ガイウスが気分悪く舌うちする。


「もともと私たちの親は…デキムスの商売仇でした。それがやつの罠に嵌められ、父は投獄され、やがて死にました。商売の利権はすべてやつに奪われ、私たちは奴隷の身になり、やつを主人とあおがねばならなくなりました。デキムスは海運業で身を起こしました。農園は広大ですが、ひとつしかもっていません。そして、そこに送られる奴隷はすべてデキムスに遺恨のある一族だけでした。私たちは親を奪われ、居場所を奪われ、自由を奪われたうえに、死ぬのです」


 重労働にくわえ、時折、農場に赴いては〈神へのいけにえ〉と称して奴隷に暴行をくわえていたそうだ。その詳細を聞くにつれ、気分が悪くなってきた。

 フィアナの顔が頭によぎった。あまりにも境遇が違いすぎる。

 もし彼女を買ったのがデキムスのようなやつだったら。

 もし両親の主人がデキムスのようなやつだったら。


「兄は40勝したら、解放奴隷となった妹たちと再会できるとおもっていますが、すでに叶わぬことです。もう自分たちのことは忘れて欲しい。兄にだけは、自分の人生を歩んで欲しいんです」

 ガレスの言葉は悲壮というよりも力強さを感じた。


「自分の人生……」

 僕はつぶやく。悪党デイモスとして生きた人生は誰のものか。

 いや、どんな姿でも自分の人生と言えるだろう。

 いまの僕ならそう思う。

 この意思をもって考え、決断したことが、〈僕〉の人生だ。

 少なくともアンブロシウスとガイウスは〈僕〉を知ってくれている。


「おい、もうわかったよ。でもな、なんの得もなければ、かなり危険だぞ。逃亡奴隷を匿うなんて」

 ガイウスは呆れたような表情だったが、何かを察して忠告してくる。


「得かどうかが、いまの僕に必要なのかは、わからないよ。危険なのはそうだね。なんだったら僕ひとりでやってみる。命の使い方、見届けてみたい」


「ちっ。しょうがねー。闘技場に連れて行くだけだろ」

 ガイウスは不満そうな口ぶりだが、躊躇うそぶりもなく即答した。



 ※  ※  ※



「おぬしらといると退屈という言葉を失うな」

 アンブロシウスは笑った。

 馬を休ませたり、交代させる〈駅〉では街に入るよりも身分照会がゆるい。ガレスには僕のマントを貸してその身なりを隠した。

「とりあえず町に入れるようにしないと」

「やれやれ、これは特別じゃぞ」

 アンブロシウスは、ガレスの通行証を偽造することに同意してくれた。

「これがあれば、こいつ、また逃げ出すことだってあんだぜ」

 ガイウスはガレスに視線を送りながら言う。

「っていうか、どうやって街に入るつもりだったんだ」

「いえ、何も考えていませんでした」

「無謀だなあ。本当はそのまま逃げるつもりだったんじやねーのか?」

「やめろよ、ガイウス」

「アルトリウスはさ、お人よしなんだよ。田舎育ちだろ?」

「そうだけど、僕のほうがいろんな町や人々を見ていると思う。世間知らずのお貴族様は君のほうだ」

「なんだと!!」

 と、いうやりとりは毎回のことであって、アンブロシウスも騒音に苦情を言う程度で、とくに放置している。


 途中で立ち寄った町で聞いたところ、ガレスの兄である剣闘士ルファスの40連勝をかけた試合は一週間後、帝都の闘技場で行われるという。


 剣闘に限らず、演劇も、楽器演奏も市民であれば無料で観ることができるのが、レムシアの伝統だ。主催者は皇帝から貴族、富裕の平民たちだ。彼らは公共への貢献をもって市民から支持されることを競う。

 単なるステータスではない、この貢献度は高位高官のキャリアと密接に繋がっている。


 ただし、闘技場にはふたりの〈所有者〉デキムスも観戦に訪れている。

 慎重に行動しなくてはいけない。


「これはお前たちにとっての大きな選択になろう」

 アンブロシウスがいつもとは違う雰囲気でいう。


「どういうこと? これはガレスの選択だよね?」


「いや、人との出会いが、人生に無関係であることなどない」


「けちってねーで教えろ」

 ガイウスも絡んでくる。


「それはわしの役目ではない。運命は己の選択による」


 ※  ※  ※


 帝都に向かう馬車にいた。

 4日もあればたどり着くだろう。

「俺たちと会わなかったらどうするつもりだったんだ。ははは」

 ガイウスがガレスをからかう。

 たしかに、徒歩ではとても間に合わない。それに帝都に近づくにつれ、道は整備され、安全だが、そのぶん検問が多い。

「道をはずれて谷や森を夜通しで走るつもりでした」

「それじゃ、熊や狼にでくわすよ」

 ガイウスがまた笑う。

 嫌味のない笑でガレスも表情が柔らかくなる。


 僕も道中、彼とよく話した。

 ガレスはとてもいい青年だった。聞けば僕――本当の僕、つまり19歳だ。

 異民族の家系だったが、祖父の代で市民権を得た。

 絵を描くのが好きだった。彫刻もたしなんでいた。


 「なに、そうなのか。ちょうどいい。紙と顔料ならあるぞ。金の支払いのできなかった相手からしぶしぶ受け取ったものじゃ。いなかでは売り先もないからの。くれてやるわ」

 横で僕たちの話を聞いていたアンブロシウスがいう。

「本当ですか!」

 ガレスは目を輝かせていう。

「ああ、好きなものを描くがいい。じゃが、描いたものはわしらに譲れ。絵画はさらに高く売れるしの。がははははは」

「はいっ、ありがとございます」

 僕もなぜかうれしくなってしまった。


 それから、ガレスは夢中でなにかを描いていた。

 ガイウスが話しかけても聞こえないくらいに。描く前にはあちこちを眺めていた。道中の景色、馬車の内部、なにかを観察しているようだった。見る、ということをこれほど真剣にやっているのを僕は見たことがない。

 なんにしろ、それは幸せな姿に見えた。


 帝都につけば、ガレスは死ぬかもしれない。わずか数日後のことだ。

 死に向かう道で、なぜ、こんなにも幸せな顔ができるのだろう。

 僕は4年という死の道で、笑うこともなかった。なぜなんだろう。

 (ガレス、なぜ、きみはそんな顔ができるんだ……)


 ガレスは兄弟の誰とも違うおとなしい性格で、いずれは美術の道に進みたいと励んでいた。

 その頃の話を盛んにしてくれるようにもなった。

 まるでその頃に戻ったかのように、作品の話や、師匠の工房に出入りしていたことを話してくれた。

 未来という光の道が、僕にも見えるようだった。


 (だけど、ちがうんだ……)

 僕は途中で気づいてしまう。その未来は、もう夢魔に食われている。


「残してきた妹のレアだけが心残りです。彼女はまだ幼い」

 ガレスは時折、黙り込んでいたが、妹のことを考えていたようだ。

「あのような環境ですから、そばにいてやるべきとは思ったのですが、今回の脱走を提案してくれたのも、レアなのです」


 デキムスの奴隷のなかでも農園に送られた者で解放されたものはいないという。


 この世はいったいなんのためにあるというのだろうか。



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