2_12 夢魔
僕たちはスプリアを出てから、さまざまな街に立ち寄った。
帝国領を出ることはなかったが、主に属州をまわっていたため、それぞれの街でまるでちがう表情を見せていた。
属州も辺境になると治安は良くない。総督も人物によって領内経営はまちまちだ。帝国の威光が及んでいないところが多々ある。大昔には、すべての属州を視察していた皇帝がいたというが、現在の皇帝は戦がなければ帝都を出るのはまれだという。
生計は主にアンブロシウスの薬草集め、薬の売買、各地で仕入れた品物、おもに雑貨だったが、それを三つ先の滞在予定の街で売る。近いほど付加価値はつけられない。
運ぶという行為そのものが価値になるということを知った。離れているほどいい。
そして、これはアンブロシウスならではだが、本来、長期の輸送で腐ってしまう果物、肉、鮮魚などを内陸で売る。これがもっとも高価だった。凍らせることができる魔法の箱があり、収穫したままの鮮度を保っているのだ。これは永遠にそれを保てるらしいが、この世界ではありえない現象を説明することが難しいため、ほかの商人ができない程度の差をつけて、高く売る。それだけでほかの商人を出し抜くことができた。
それから、アンブロシウスが考案したみたこともないデザインの木製雑貨もいい値で売れた。アンブロシウスがひとつ作ったものを僕が練習して複製する。アンブロシウスは手仕事が嫌いなので、僕が作れるのがわかると、指示だけするようになった。
「時には怠け者が師匠になることもある」
アンブロシウスはそういって、僕ができるようになったことはいっさい手伝うことはなくなった。
僕は魔法も教えて欲しいとお願いしたが、魔力がないので、練習ができない。
魔石を使えばできるが、有限の資源なので、どれかひとつなら教えられるという。
アンブロシウスと話し合って、僕は〈足枷〉という魔法を教わった。動物や人間を足止めし、向かってくる者であれば転ばすことができるというものだった。
魔石を握り、決められた〈呪文〉を心の中で詠唱する。
何日か繰り返しやっていたところで、
「魔石から魔力が出はじめておる。とりあえず成功じゃな」
それから術が整ったのは一月立った頃だ。ある日試しに野犬に使ってみたところ、身動きをとめることができた。魔力を感じるという感覚がよくわからなかったので、僕はこの時初めて自分のやってきたことがかたちになったのを見た。
狩にも役立つが、魔石が有限なので、危険な時を除いては使わないように言われた。
「人間は〈知恵〉という魔術をすでに持っている。魔法に頼ればそれらが衰えるぞ」
そんな説教をしながら、魔法で仕留めた猪の肉が晩餐にあらわれたとき、アンプロシウスは子どものようにはしゃいでいた。解体はものすごく難しく、これまで多くに血肉を無駄にしてしまっていた。アンブロシウスは血を見るのが嫌いなため、いっさい手を貸してくれない。
しかし、肉食がなによりのご馳走だと言った。
「なんたる美味!! これは神の目からも隠しておかねばなるまい! うま、うま」
焚き火に焼かれた肉をむさぼりつきながら、アンプロシウスは興奮している。
僕は焚き火を眺めていた。風が通り、時折光のような赤色が膨らむ。
そしてまた炭の黒に吸い込まれる。
はじめての旅、これまでとはまったく違う生活。
それは僕に考えることを遠ざけさせてくれていた。
あと数年で死ぬ。
その時間を何に使うのが正しいのだろう。
毎日、そのことをほんの少しでも考える。旅に慣れたいまでは、よけいに考えてしまう。
〈考えること。それが生きている人間の証〉
領主様は言った。
だから、僕はいま生きていると言うことなんだろう。
「若いのう。人生は泣いて笑って悩んで楽しむ。それで終わるもんじゃろ?」
アンブロシウスは僕の苦悩に付き合ってはくれない。
毎晩、一日が終わりそうになるたび、張り裂けそうになるこの心臓の早なりに苦しんでいるのも知っているくせに。
僕は20歳になったら死ぬ。
これが80歳というとんでもない長命を授かったのなら、アンブロシウスのようなことが言えるのかもしれない。
でも僕には絶対に到達できそうにない境地だ。
「人生の意味が知りたい」
僕は口に出してみる。
「それは、神に与えられた使命のことか? あるいは自分の納得する生き方かな?」
「自分で納得する生き方?」
「うむ。まあ、どちらかじゃろ。ちなみに、前者はたとえあったとしても、知ることはできない。死と同じじゃ。考えてもどうしようもならんぞ。答え合わせは死者の国にいかんとな」
そう言われるとそうかもしれない。でも自分はそれを知りたかった。知ることができたなら、その運命のために全力を尽くしたい。
しかし、アンプロシウスがいう、〈自分で納得する生き方〉というのが心にひっかかる。
〈人生は生きた長さではなく、どう生きたかだ〉
領主さまの口癖。どう生きたか、というのは自分が納得する生き方のことなのだろうか。いままで、僕は、それも神、あるいは別の何かが定めたことだと思っていた。
「自分で決めていいものなの?」
「あたりまえじゃ。おぬし以外、誰が決めるんじゃ」
「でも、定められているんでしょ? なら、自分で決めたことが間違っていたら?」
「間違った人生? それは誰が決めるんじゃ?」
「神様?」
「では、神がお前に間違った人生を定められたということかな?」
「神様が間違えることはないのでは……」
「では、どんな生き方をしたところで、間違っていないのだろう」
「?????」
「つまり、お前の選択は常に間違ってはいないし、それはあらかじめ神によって定められていること、というわけじゃな」
「そんなばかな。そうだとしたら、あの悪党どもだって、過去のとんでもない罪人だって、まちがっていないことになる!」
「おぬしは人生の意味を聞いてきた。その意味に正しいかどうかという話を持ち込んだのはおぬしじゃ。わしは哲学者ではないんで知らん。魔術師なんでな」
その言葉で、興奮しすぎていた自分の姿が遠くに見えた。
アンブロシウスは悟ったようなことを言うくせに、議論になると必ず「わしは魔術師だから知らん」で終わらせる。
でも、たしかにそうだ。
〈思考が迷宮入りする時は、前提を疑え〉
というのも領主様はよく口にされていた。
哲学は理論だ。証明に行き詰まるのなら、どこかに感情が紛れ込んでいる。
アンブロシウスの言う通り、どこかに存在する意味を知るのではなく、意味を見出すのは自分だとする。
では、僕はどんなことをすれば〈人生の意味〉を感じることができるのだろう。
人生というものが死ぬまでの時間だとするなら、その時間の使い方に意味があるかどうかということになるのではないか?
朝目が覚める、顔を洗う、食事の支度をする、食べる、これらには意味があるのか? 限られた時間のなかで優先的にすべきことかと考えると、すべてが意味のないことのように思えた。
もし僕がこのような運命でなかったら。
学校で学び、家の仕事をこなすことになんの意味があったのか。
よりよい大人になるため、よいレムシア市民となるため。
父や母ならそういうだろう。
だけど、大人になってまもなく死ぬ僕には意味がないということになる。
だけど、なんだったら意味があるのかはさっぱりわからない。
自分で納得すればいいだけの〈意味〉すら、見出すことができない。
頭を抱えているこの間にも死は迫ってきている。
「それにしても、ひどい悪党面じゃな」
アンブロシウスはことあるごとに僕の顔をからかう。
「顔は生き方が出るらしいぞ。ふぇっふぇっふぇ」
だとしたら、これは僕の生き方じゃないし、そもそも僕ではない。
「顔を変える方法はあるぞ」
転生の短剣は使用した僕が死なないかぎり、他のものには扱えないという。アンブロシウスは短剣を所有者として僕に携帯させた。僕はまた別の人物になることができるということだ。
それを知ったところで、僕には人の姿を奪うために人を殺すなどということは考えられなかったし、どの姿になったとしても、所詮、僕ではない。
「もうレリクスとしての苦悩は捨てて本格的に別人として生きてみたらどうじゃ? たとえば悪党として。ふぉっふぉっふぉ」
「それは、僕じゃないっ」
そういいながら、自分が何者かがどんどんと失われていく気がした。
「運命を知ってしまうことが、こんなに苦しいなんて」
からかわれているのがわかっていても、この気持ちのやり場はない。
「何をいうておる。運命は誰にもわからぬと言うておろう」
「死ぬのがわかっているんだぞ」
「それは、みんな知ってることじゃ」
そうしてアンブロシウスは大声で笑い出した。
膝を叩いている。
「おぬしは夢魔にとりつかれているのかもしれないな」
「夢魔?」
「悪魔の仲間といわれている存在じゃ。やつらは人にとりつく魔法をもっている。それは〈夢〉じゃ」
「夢って寝ているときに見る、あれ?」
「そうじゃ。夢魔は夢を見せて夢を食う。そうして生きておる。しかし、ほんとうに恐ろしいのは目が覚めてから見る夢じゃ」
「起きている時の夢?」
「夢魔のおそろしいところはそこじゃ。人は起きている時にも夢にうなされる。頭のなかで、ふとしたとき見てしまうじゃろう。うれしいとき、心がたかぶった時に〈夢〉は忍び込んでくる。それは心地よいものじゃ。しかし、そこから苦しまされることになる。夢と現実の落差にな。夢魔はそれを食い物にしている」
「いまの僕がそれだと?」
「さあ、どうかな。症状がそれに似ているものでな。夢とは己自身じゃ。つまりおぬしを苦しめているのはおぬしで、夢魔はそれを楽しみにしておる」
「解く方法はないの?」
「ある。ふたつな。ひとつは己自身を否定することじゃ。己自身が見せている夢をな。欲を捨て、静かに暮らす。さすれば悪夢は消え去ろうて」
「もうひとつは?」
「夢を実現させることじゃ。疑わずに歩み続けることじゃ」
「それでは苦しみが消えないのでは」
「消えはしないが、近づくほどに夢ではなくなる。夢魔の影響力が弱まる」
「そんなことが可能なの?」
「たしかめるといい。だが、夢魔に打ち勝てるものはそう多く無い」
「……」
「実はな、わしは夢魔の子じゃ。人ならざる者より生まれ出し存在じゃ!」
アンブロシウスは僕の方に手を置き、突然言い放った。
「え?」
困惑した僕の表情を見るなり、大声で笑い始めた。
「夢は目覚めれば消える。しかし、目覚めて見る夢はおぬしにどんな選択を迫るのか。それが、もしかしたら、おぬしのいう〈意味〉かもしれんぞ」
※ ※ ※
その晩、僕は夢魔に食い殺されそうになった。
スプリアの故郷、突き抜けるような青空と潮風。
僕は大人になっていて、両親も老齢ながら仕事を続けている。
僕は小さな子どもたちと遊んでいる。
そうして時折、領主様のように学校の先生をしている。
その隣には銀色に輝く長髪をなびかせているフィアナが微笑んでいる。
ルキウス様も病が癒えて、精力的に領地経営をしている。
僕もその仕事を手伝う。
領主様の墓に立ち寄り、冥福を祈る。
墓碑銘には記されていた。
〈私はここにいる。あなたもすぐにそうなるだろう〉




