渚の蟷螂
駐車場を下りる。一気に汗が噴き出すような、とんでもない暑さだ。フェンスの陰にカマキリを見つけた。強烈な日差しから少しでも逃れようとしているのだろう。
「なんでも好きなもの食べてくれよ」サングラスを通し幼馴染に言った。「そう?悪いね」そう言って彼は軽自動車を降りた。目指すビーチはすぐそこだ。
「水着の女の子でも眺めながら何か食べるか」。幼馴染に提案すると彼は「いいねえ」と言った。酒を飲みたかったので彼に車を出して貰った。飯代やら何やらは自分が持つという訳だ。
ビーチといっても、所詮は田舎の海水浴場である。親子連れや十代の子供しかいない。出会いを求めて来る妙齢の女なぞいるわけが無い。もっとも、そういったものから逃れるためにここまでやってきたのだが。
「いや、暑いなまったく!」。炎天下で白い歯をみせる、彼の笑顔は何ともあどけないものだ。近頃では二十代後半なんてまだまだ子供みたいなものだが。シートを広げて座り、買ってきたものを口にする。彼はコーラとヤキソバとかき氷、自分は缶ビールとヤキトリ。なかなかリゾート気分が盛り上がってくるではないか。
暑さとアルコールで一気に酔いが回ってくる。二つ目の缶ビールを開けると「しかし現実には存在しないのかね、セクシーな水着を着た、グラマラスな女ってのは」目の前で走り回る、健康的な水着姿を眺め、幼馴染は言った。彼が想定している「セクシーでグラマラスな女」とは、きっとソーシャルゲームに出てくるような、やたらに性的な女キャラクターの事を言っているのだろう。そうとうに金をつぎ込んでいるというのもよく聞かされている。「そんな奴、現実では危ない女だぜ」諭すように言った。
「ああ、この辺の相場では100万だな」、「バカだなお前も」。何だかドンヨリ霞がかった空と、まったく青くない波打ち際を眺めていると、先輩の言葉が思い出された。先輩は火遊びが好きなヒトで、しょっちゅう女を替えているし、不倫の経験も一度や二度ではない。そんな先輩に憧れ、自分も不倫に至った。それがバレ、つい先日請求されたわけだ、100万円を。
火遊びが好きなら誰でも通る道だ。とはいえ、二十代後半に100万円というカネは相当厳しい。そこでしばらく大人しくしようと思ったわけだ。未だに女と無縁な幼馴染と一緒に居ればトラブルとも無縁だろう。「ああ、ビーチで食べるかき氷美味いな!」彼は無邪気に、毒々しい色の氷を頬張る。落ち着く眺めだ。
が、サングラスの奥で、見つけてしまった。妙齢の小麦色の女を。カラフルな水着で金髪、間違いなく男を漁りに来たのだ。腕組みをして辺りを伺っている。ヒュウ!思わず口笛を吹いた。目の前にいた、浮き輪を持った女児が不思議そうに見ている。自分は女児にウインクした。「ビール買ってくる、お前も何か飲むか?」そう言って立ち上がる。さあ、目指すは金髪女だ。太陽がいっそうギラギラしてきた。サンダル越しに、砂浜の熱が伝わってくる。両面焼きの目玉焼きになった気分だ。
自分が歩き始めると、金髪女もこっちに気づいた。知らぬふりをして屋台で缶ビールを二つ買う。その様を、彼女は好色な目で眺めている。貰ったも同然だ。よし、と、ひと夏の相手をお迎えしに行こうとしたら、彼女の傍にサーファー男が現れた。上半身裸で筋肉隆々だ。いい体だ。ヤツが女だったらさぞかし、セクシーでグラマラスだろう。彼女は嘲笑うようにフンと鼻を鳴らした。自分は何事も無かったように、回れ右をして幼馴染の元に帰った。あと同じことを5、6回やれば誰かしらモノにできるのは分かっている。が、今はいい。
駐車場に戻る。フェンスにの陰にいたカマキリが、太陽の移動と共にこちら側に移動していた。「おっカマキリ」幼馴染が楽しそうに捕まえた。捕まったカマキリは、鬼の形相でカマを振り上げ、彼の手の中で暴れた。一通り観察すると草むらの中に放り投げた。「いやあ、デカいカマキリだったな!」。
帰りの軽自動車の中、幼馴染は知識を披露した。「知ってるか?カマキリはメスの方が体が大きいんだ」、「交尾中にメスがオスを食べちゃうんだよ!」彼は恐ろし気に話した。最後の缶ビールを飲みながら、彼の方を観ずに自分は言った「ヒトのメスだって似たようなものだぜ」。キョトンとしている彼をサングラスの奥で見た。まったく愉快だね。
我が、今年の夏はこうして幕を閉じた。ゲエッ。最後に特大のオクビをして。