2.
ピタリと涙も止まる。
思考の裏側でぐるぐるとコーヒーにミルクを混ぜたように、穂乃佳とオリヴィアが混ざりあって一つに収まる。
穂乃佳の知識や経験が自分のことのように思い出せるし、穂乃佳としての人格も緩やかに混じり合った。
不思議な感じだ。
オリヴィアだけど穂乃佳であるし、オリヴィアのままでもない。
頭の中でずっと鳴っていた音が止まって、ガラス1枚隔てていた世界がようやく現実のものとして感じられるようになった。
オリヴィアが穂乃佳と混ざり合うまで、きっとほんの数秒だった。
「…わかりました。こちらで処理しておきましょう」
書類をずっと睨んで考え込んでいたシュゲール卿はきっとこの件を陛下にご報告するだろう。
大臣として絶対的な地位を持つ彼ならば殿下を正面から問いただせるし、癇癪を起こされてうやむやになってしまう事を許さないはずだ。
きっと殿下からは後ほど怒鳴らり散らされるかもしれないが、もう、どうでもよかった。
そう、思うことができた。
「ラティーナ様とわたくしではかなりサイズが違います。工房にお尋ね頂ければ確認が取れると思います。過去のものも含めて」
ついでとばかりに今回だけではないと匂わせれば、卿の手にあった請求書からグシャリと悲鳴があがった。
品位保持費は公式に認められた婚約者が、公式の行事に準王族としての衣装を調えるためにあるものであって、側室候補にすぎない女性に観劇ごときで衣装を作ることは許されない。
「あと、王妃様からの…ああ、こちらは宰相閣下に直接確認を取らなければ…」
がさがさと書類を漁って、来月訪問される隣国の王族の歓待について丸投げされていたものの素案を取り出す。
危ないところだった。
春の園遊会だとか国内の貴族の集まりはともかく国際問題に発展するような事案の責任を負ってしまうところだった。
…ただの、王子の婚約者という立場でやっていい仕事ではない。
「王妃教育の一環だ」と素案づくりを押し付けて、そのまま清書して王妃が取り仕切ったかのように見せかけて手柄は取るつもりだろうが、何か問題があれば、確実に私に責任を被せてくるのが王妃だ。
差し出した書類を見てシュゲール卿と補佐官たちが眉根を寄せる。
わかる、わかるよ、王子妃教育の名目で実践を積ませるには重い内容だ。
「…先ほど王妃様から、歓待の場に着るにふさわしいドレスを仕立てる必要があるとして、補正予算申請が届きましたが…なるほど」
着飾ることにしか腐心しない王妃に財務の長であるシュゲール卿は思うところがあった上に、責務の放棄だ。眉間のシワが深くなるのも仕方ないことだ。
「…今年度の王妃様の品位保持費はすでに使い切っているようですし、義母となられる王妃様に日頃の感謝を込めて装飾品を贈るべきだとせっつかれています」
ボソっと最近地味にストレスだった原因を漏らして冷え切った紅茶に手を付ける。
一息に飲み干してしまうと、さっと果実水の入ったグラスを差し出された。
それも飲み干してしまいホッと一息ついて、さてどうするかと思案した頃にそれはやってきた。
「「ヴィアー!」」
扉を壊す勢いで駆け込んできたのはお兄様とお父様だった。
「事務官からヴィアの危機だと言われて!! どうした!」
「あぁぁぁ、目が腫れているじゃないか? 誰にやられた?」
来てくれるはずはないと諦めていた父が来てくれたことに。
止まったはずの涙がボロボロとこぼれてきた。
混ざり合ったはずの穂乃佳が脳裏で笑った気がする。
なんだ、ヴィア、あなたこんなにも愛されてるじゃない。