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1.

初めて投稿します。

お手柔らかによろしくお願いします。

 


 カチ、カチ、カチ、頭の中で大きな音がなっている。

 


 数日前から書類の白さがやけにまぶしく感じて半分だけカーテンを閉めるようになった。

 いつまでたっても馴染まない武骨で大きな執務机の上には多種多様な書類が積み重なっている。

 手を付けられないまま冷え切ってしまった紅茶はいつものこと。

 細い指先はインクで汚れてしまっていて、とても年頃の令嬢の手には見えない。



 なぜだかそれが、今日はひどく惨めに感じた。

 



 ポタリと書類に水滴が落ちた。



「雨漏り…?」



 王宮の老朽化は毎年議題に上がるが最低限の修繕で先送りにしてきたと聞いている。歴代の王が国民の生活に係る予算を優先的にするよう指示してきたとのことだが、そろそろ本格的に工事をする必要があるのかもしれない。



 ふと、天井を見上げても水が落ちてきている様子はない。

 それにそもそも外は晴れているはずだ。



「オリヴィア様…?」



 思考のはざまで名を呼ばれた気がして、ぼんやりと視線を声の方に向けた。

 机の向こう側には気遣わしげにこちらを伺う見知らぬ男性たち。

 


 誰だっけ? 


 オリヴィア、は私の名前。でもこの人たちは?



「オリヴィア様…」

「いかがなさいましたか? ご気分でも?」

「侍医を呼びましょうか?」

「おいっ! クレアモント公爵を呼びに行け」



 私の顔を見た男性たちが慌てたように指示を出している。

 話しかけられているのわかるのに、ガラス一つ挟んだ世界の出来事のようでなんだか実感がわかない。

 


 指示をうけたメイドや侍従たちがバタバタと部屋を駆け出していく。

 いつも物音ひとつ立てずに優雅に振る舞う彼らにしては珍しい。



 …どうしてお父様をお呼びしたのかしら?



 あぁ、そうだ、クレアモント公爵はお父様の名前。

 


 よく考えれば指示を出していたのは見知らぬ男性ではなかった。日頃は施策について喧々諤々の議論を交わす大臣たち。

 いつもはしかめっ面をして「小娘が出しゃばるな」という態度を隠そうともしない人たちなのに今はなんだかオロオロとしている。



 控えていた侍女が慌てたように差し出したハンカチをみて、私の両目がぼたぼたと雨を盛大に降らしていることに気がついた。



「あら? …わたくし、どうしてしまったのかしら?」



 ハンカチを受け取って両目を拭うけれど降り止むことはなく、ボロボロと熱いものが頬を流れ落ちていく。

 どこか怪我をしているわけでもないし、目にゴミが入ったわけでもない。



 常日頃から淑女たれ、未来の王妃にふさわしくあれと表情を取り繕っていた私が人前でこれほど涙を溢れさせているのだ。これは困惑してしまうだろう。




 …正直、私も自分の状態がよくわからない。

 


 カチッ、カチッと鳴る音がうるさい。



 時計の針のような、ナンバー式の鍵を回しているときのような…。



 …ナンバー式の鍵なんて、この世界にあったかしら?

 



 ぼたぼたと零れ落ちる涙は止まる気配がなくて、ハンカチをすぐにじっとりと濡らしてしまった。



 そっと自分の胸元から取り出したハンカチも使えと差し出してくる大臣の、陽だまりのような優しいオレンジの瞳をみてふと思い出した。



「先程…学園で卿のお嬢様…ミランダ様にお声がけを頂いたの。今日から新しい演目が始まるから観劇をご一緒しませんか? って。せっかくお誘い頂いたのに、お断りしてしまったわ」



 止まらぬ涙をそのままに突然仕事とは関係のない話を始めたわたくしを叱るでもなく、何故か皆さん静かに聞いてくれる。



 ごめんなさい、困ってしまいますよね。

 でも、何故か口が勝手に開いていく。



「…そうですか」

「お誘いがとても嬉しくて…でもお仕事がたくさんあって。行きたかったのだけど…断ってしまったの」



 ボロボロ流れる涙は止まってくれる気配もない。

 淑女がみだりに涙を流すことなどあってはいけないとわたくしを厳しく躾けたガヴァネスの顔がよぎる。


 きっと、こんな醜態を見せたら怒られてしまうわね。

 頭の一部では冷静な自分が今の現状を分析するけれども、自分ではどうしようもできない。

 


 なんだか頭もズキズキとしてきた。



「…ミランダは、観劇が趣味でしてな。毎週のように足を運んでおります。オリヴィア様のご都合がいいときに声をかけてくださればいつでも喜んでご一緒しますよ」



 財務大臣のシュゲール卿は父親の顔で優しく言葉をかけてくれる。



「いつもお断りしてしまうのに、それでもお優しく、気遣うようにそっとお誘いくださるの。でも、公務が…沢山あって…」



 お断りしたときの何か言いたげなお顔を思い出す。

 ミランダ様はいつもお誘いに応じることができないわたくしに決して嫌な顔をせず、控えめに笑ってくださる。


 王太子の婚約者として、素早く公務をこなせないわたくしを笑ったりせずにいつも体を気遣うような言葉すらかけてくださるのだ。

 仲良くしたいのになかなか機会がない。

 


「そうですな…オリヴィア様は働きすぎなのかもしれませんな。きっとお疲れなのでしょう。…お手伝いできるものがあれば引き取りましょう」



 沢山、を表すように山となる書類を見渡してふと思い出したものを複数枚抜き出して、そっと大臣に渡した。



 きっといつもなら「大丈夫です」と答えていただろうに、ガラス1枚隔てたような現実の曖昧さが“してはならない事“への歯止めを効かなくさせた。



「こちらは殿下の個人支出がわたくしの、王太子の婚約者としての品位保持費から支払われているようです。…ずっ…ご確認と修正をお願いしてもいいでしょうか」



 涙と一緒に鼻水も出てきた。

 これほど泣いたのは幼少期以来で止め方もわからない。

 そもそも自分が悲しくて泣いているわけではなくて、勝手に溢れてくるのだから困ったものだ。

 


 婚約者であるリチャード王子のサインと彼の側近が処理したであろうサインが入っていて、ダブルチェックの上で処理を行っているのだ。ただの間違いではなく故意だとわかる。


「ドレスや宝飾品のようですが…オリヴィア様のものではない?」

「ええ…ラティーナ様へ観劇用のドレスを贈ったそうで…今日の新作公演をご一緒する為の」


 ラティーナ様は側室候補と目されている伯爵令嬢だ。

 黒髪に泣き黒子が印象的な、伯爵家の…



 婚約者の、恋人…

 

 

 

 …カチ、カチ、カチ…

 

 

 

 …カチリ…

 

 

 頭の中で響いていた音はおさまるべきところを見つけて止まった。

 

 

 同時にじわじわと浸透していくように今までのオリヴィアに”私”の意識が、知識が、経験が混じり合っていく。



 現代で自立した大人として生活していた水江穂乃佳みずえほのかとしての意識が。

 



 あれ、おかしくないか、この状況。

 

 

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