プロローグ 四十五歳の地図
私は四十五歳。
会社に入って二十余年。
黙々とわき目もふらず働いた。
一年前配置換え先で上司を筆頭にイジメにあい鬱病に。
退職。
起き上がれない日が続き、謎の症状にいくつもの病院を受診するもたらいまわしにされた挙句精神病院へ。
薬のせいか意識が朦朧とする日が続く。
性欲が失せオナ禁も余裕に。
唯一の趣味であった食事も億劫になる。
二百キロ以上あった体重は二百以下に落ち、皮がタルタルしてきた。
四十歳から急激に薄くなったマイヘッドオンザヘア。今ではわずかに残った毛根から伸びた髪がなんとも汚らしい印象を加速している。昨今巷ではこういう状態のことを「ハゲ散らかしている」と形容するのだとか何とか。代わりに若い頃から出ていた納豆の腐ったような足の臭いはなくなったが、トレードオフした物が大きすぎやしないかと思わなくもない。
このままでは私の心も納豆のように異臭放つねばねばになってしまう。なんて世の中の迷惑になることを危惧していたくらいの日に頭のおかしい事件を起こしてしまった私は、あらゆる状況から逃げるように日本から脱出し、療養の名目で学生時代に住んでいたアメリカサウスカロライナ州へ居を移した。
そこは私にとっての第二の故郷。
若い頃、私はここで夢を燃やした。
溢れんばかりの希望を胸に努力の日々に明け暮れていた。
IT化の風に新時代の幕開けをその身に感じていた私の夢は、母国の技術革新者らの末席に加わることだった。
だが実際帰国してみれば、そこで私を待っていたのは保守的な人々による新風の拒絶。
私の野望はいきなり躓いた。
日本社会の忖度文化。失点回避至上主義。私はたちまち無能のレッテルを張られ能力発揮の機会すら与えられないまま飼殺された。
日本では一度採用した社員を無能だからという理由だけでは解雇できない。私が所属した会社には追い出し部屋というものがあって、私は解雇されない代わりにそこでひたすら雑務を強いられることとなる。
それでも。私は自分でいうのもなんだがどちらかと言えば我慢強い方だ。どんな職務でも粛々と受け入れ実行できるくらいには。私は会社の言いつけを守るだけの単調な日々をこなした。
だがのうのうと無気力な生活をしていたわけではない。時代に取り残されないための新技術のリサーチは家に帰ってからでもできた。いつ技術革新の研究現場に加えられたとしても即戦力となれるよう発明ノートを作り、祖国の発展に寄与したいという夢の実現に備えていた。
だが数年前。会社の業績が悪くなりリストラが始まり出した頃くらいから私の環境は激変する。
具体的にどう変わったかと言えば、嫌みがより具体的な、攻撃的な物となっていったと表現すればいいのか。
例えば陰口。例えば冤罪。例えば事故を装った暴力。個人の名誉や尊厳を貶めるいじめの始まり。
そこから私に課せられたのは社内の人間の憂さ晴らしという生贄業務。
もはや技術革新どころの話ではない。私の書き溜めてきた発明ノートが日の目を見ることは無いのだ、その可能性は永遠に閉ざされたのだ、そう心から感じネガティブになったその日。私は気分を変えるため日々の勉強をキャンセルしいつもよりだいぶ早く就寝した。
翌朝。
私は起き上がれなくなってしまっていた。
自転車のチェーンが外れいくら踏み込んでも車輪が回らなくなるかのような。
体が動かない。というか、考える意志が消えてしまう。思考が霧散する。
あんまりの仕打ちの数々が、どうやら私の知らぬ間に私の心を壊していたようだ。心が私の意志に反逆し、体を動かせという私の命令を破壊する。心ばかりか肉体までもが私を裏切ったのだ。
私の発明ノートを監督するため定期的に私の元に訪れていた伯父に発見され、私は即病院に搬送された。
搬送先の病院で私は様々な検査をされた。が、結論を言うと原因は不明。その為病院をたらいまわしにされたが、その挙句くだされた診断はうつ病であった。
うつ病――ストレス――人付き合いの失敗による成れの果て。合理の塊である機械相手にプログラムという手段でやり取りするばかりだった私。己が手にあるのはゼロとイチしかない世界の言葉のみで、人の感情にアクセスする言語を取得していなかった結果。
気まぐれに波打つ大海の波のような人々の感情のうねりに対処することができなかった結果。
今思えば、それは必然であったのだろう。
なるべくしてなった出来事であったのだろう。
その集団において私は最後まで価値の無い存在であった。そんな私が無理やり社会集団に潜り込み働こうなどという害悪を行った報いがその結果だ。
働いたら負け、とはこういう事か。
その後私は何日も何日も寝て過ごした。
色々なことが考えられなくなっていき、感じることもその日の気温がどうかくらいなところにまでなったある頃。
私は外に出て散歩しようと思い窓から出た。
その行動がちょっとした事件となり、私はとうとう日本で生活することを難しくしてしまった。
が。
まぁ、それはもういい。
すべては過去のことだ。
今の私は伯父さんが管理していた家をあてがわれ、相変わらず考える力のほとんどを失った状態のまま今日も無為に生きている。
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私が住んでいるのは四階建てのビルだ。
一階は日本食レストランになっていて、私が取る食事類は専用エレベーターで三階に住む私の元に届けられる。
四階は倉庫になっており、ネットで注文した品がドローンで屋上に持ち込まれると自動的に運び込まれる仕様だ。
引きこもりのために設計されたかのような至れり尽くせりの住環境。すべて私の発明ノートのアイディアを元に設計された成果物。今ではInternet of Thingsという概念が定着しつつあるが、私が帰国した時の日本では時代にそぐわず誰も話を聞いてくれなかった。
学生時代、私は世の中のすべてを自動化するためにここで様々なガジェットを作った。あの時から私は人と物の間、ないし物同士間を通信でやりとりさせそれを制御することこそ新時代生活の基盤になると考えていた。
その夢の残滓が今やニートの生活補助機構へと成り下がっているのだから皮肉なものだ。
これらは明らかに私のような存在には過ぎた施設。私のような社会のごみがこんな素晴らしい環境で生かされ続けるなど資源の無駄遣いでしかない。
しかしだからと言って自殺することも出来はしないのだから、ならばせめて少しでも早く人間としての機能を取り戻さなければと私は思う。
施設が素晴らしいのなら、私の方がそれを使うに値する人間になるべく浮上し釣り合いを取るしかない。その決意が、私のリハビリ欲を後押ししていた。
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私のリハビリの始まりは介護ロボットとともに家の周りを散歩することだった。
だった。と過去形なのは、今ではそれができなくなってしまったからだ。
理由は小人十九病という謎の疫病が世界中に広がりだしたためである。そのため私は外出を自粛せざるを得なくなり、また家でぼんやりする時間を増やしてしまっていた。
勿論すぐに努力を放棄したわけではない。暇を持て余さぬよう家でできるリハビリを私なりに色々考え挑戦した。だがどれもうまくいかなかったのだ。
読書をすれば文字酔いで吐いてしまう。
音楽を聴けば音が頭を滑る。
映像も同じように目を滑っていく。
病気が進んでいたのだろう。その頃の私には、今までやれたことがすべてできなくなっていた。
それでも私は諦めなかった。ならば――普段やらないことをしてみるのはどうか。そういう行動のほうが脳への刺激となるかもしれない――と、次に私は今までしたことのない行動をとるよう試みてみた。
例えば飲酒。
してみたが吐いた。
気持ち悪くなり横になったところまでは覚えていたが、次に意識が覚醒した時には暦が数日進んでいた。誰だ酒が百薬の長などとのたまったのは。とんだ毒物ではないか。
喫煙の結果も惨憺たるものだ。何度試しても気持ち悪くなるばかり。その後しばらく幻覚ならぬ幻臭に悩まされた。何度歯を磨いたか知れない。
困った。昭和の時代の遊びは女酒タバコだとよく聞いたのだがまるで楽しくない。何が「しない奴は人生を損している」だ。こんな拷問が楽しいなど生粋の修行僧かマゾヒストか。
いや待て。ここで結論を述べるのは早急だ。まだ女が残っている。
だが商売女は呼べない。今の私の体調や精神状態で生きている異性を相手にするなど破滅を望むに等しい。絶対に無理だ。リハビリどころか再起不能になる予感しかしない。
しかしながら、そうとはいえ、ここまできて、最後の一つを残したままで昭和のメソッドを非難しすべてを放り投げてしまってもいいのだろうか。
――私は――私はどうすれば――。
苦難を前にすべてを諦めかけた時。私の良心が囁いた。
ここで挑戦から逃げて、その先に輝かしい未来があるのですか? と。
諦めは弱い自分をいたわるだけの情けない行為。若者は挑戦から逃げるな。聞こえてくる団塊世代の主張。理不尽な激。先人たちの挽歌。
私は苦悩する。私は弱い自分との戦いを強いられる。脳がヘタるまでの少ない時間だが何回も。
そうしてとうとう、私は折衷案に辿り着く。――であれば、オリエンス工業のドールならばどうか、と。
時間のかかった決断だった。しかしこれでようやく私は、結果がどうなるにせよ一区切りつけられると思った――のだが。
そんな大決断にすら、運命という奴は無情にも試練を差し込んでくる。
結論から言えば、私はそれを試せなかった。
なけなしの勇気を総動員し断腸の思いでソレを購入してみたものの、注文翌日に返ってきたのは「発送日は未定」という無慈悲なメールであった。
受注生産のためか順番待ちが発生しているのかは知らないが、私のギリギリ相手にできそうな【女】は、試せそうになくなった。
――女酒タバコ……あと聞いたことのあるメソッドは……。
肩透かしを受けた私が失意の元に昭和を思い浮かべ、ぼんやりと思い出したのは――ギャンブル。
勝っても得られるものは金しかない。しかも勝てば勝つほど課税される税額は上がり、払い戻しよりも徴収される税のせいでかえって貧乏になっていくという何処にメリットがあるかわからないのに人を熱狂させてしまう悪魔のシステム。
ギャンブルには最初は懐疑的だった。そんなもので本当に人は頑張れるのだろうか。心のリハビリになるのだろうかと。だがふと次の瞬間、試しても損はないことに気が付いた。負けても失うものは金だけ。つまりそれはただの経費だ。
そこからは即行動である。まず手を出したのは競馬競艇競輪。
結論から言うと、すべてダメだった。どれを買えばいいのかということを考えているうちに意識が途絶えてしまうのだ。
考えているうちに思考力がなくなっていく。その後襲ってくるのは強烈な倦怠感と吐き気。眩暈もしばしば。どうやら深い思考を必要とする行動全般が私には無理なようだった。
ならば、と、次は宝くじを買うことにした。ギャンブルで思いつくのはもうそれしか残っていなかった。
買ったのは6つの数字を選んで購入する宝くじ「メガミリオンズ」というお手軽価格のくじであった。
これは簡単だった。買えばいいだけだった。とうとう、私は無事ギャンブルをした。あとは結果を待てばいいだけ。私は目標を達成した。
私は確かにやり遂げた。
が。得られた満足は翌日にはもう綺麗になくなっていた。
期待していた当選発表日までのドキドキなど微塵も湧かなかった。
そこでようやく、私は無理やり始めた昨日以前の行動が何ら意味のないものであったのだと理解する。情報処理ではなく、身をもって、思い知ったのだ。
私はギャンブルをやめた。
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それからというもの、私はただただ無為な時間を積み重ねた。
とうとうベッドから起き上がることすらできなくなった私は、介護ロボットの世話になりっぱなしの日々へと突入していた。
筋力が衰えていくせいか日に日に動くのが億劫になり、億劫で動かずにいると筋力が衰えて動かせなくなっていく。まさに負のスパイラルだ。
身体が衰えると気力も引っ張られて衰えていくのか、いつの間にか何かをしようという意思すら起きなくなり、思考力もなくなっていった。
そんな人生の終焉に立った私の元に――数奇な運命が訪れたのは何の因果なのか。
そろそろ死ぬのではなかろうかと思うことさえなくなっていたくらいの時期である。
宝くじが当たった。
ただ買うだけ、という技術も努力もなんら関係ない行動で、私は一夜にして15億ドル以上を持つ億万長者になってしまった──。
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預金通帳の残高は日本円でおよそ二千億円。
とうとう死んで夢の世界に来てしまった、というわけではない。
寝て起きたら夢だったという話はよくあるし、案外自分はまだ眠っているのではないかとも思ったが、どうも現実らしかった。
だからなのか。私は自分自身のことがよくわからなくなっていた。
理屈で考えれば絶対に嬉しいはずだ。だが私の心は、何故か震えなかった。
私は感動しないタイプの人間では決してない。こんな私でも過去人生で嬉しいと感じた瞬間はそれなりにあった。嬉しさに震え興奮したことだって人並みにあった。心が震えた瞬間を思い出として人並みに脳に刻んできた人間である。
だが今回、私はそれを感じることができなかった。
その時感じた気持ちを例えるなら――砂を噛んでいるような。
他人事とは思わないまでも。沸いたのはただ部屋の荷物が増えた程度の感慨。
私は45歳。
黙々とわき目も振らず働いてきた。
人は私を無能と呼び、同僚にはお前のようにはなりたくないと罵られてもきた。
ジャンク夜食に炭酸飲料、健康度外視の外食三昧に明け暮れブクブク肥え太った私。
頭は四十からハゲはじめ、今ではハゲ散らかしている始末。
その顛末が今のニート生活なわけだが、本当ならそれでも四十代は働き盛りだ。
「この先約35~40年、気が遠くなるような年月だけどしっかり働いていかねば」となる年頃だ。
そんな中年の元に突然二千億円もの大金が降って湧いたら。
人生の大逆転劇。古今東西にある物語の中でもわりと王道に近いのではなかろうか。ジャンルはどうしても三流喜劇になってしまうだろうが。
でも、だからこそ、嬉しくなるはずなのだ。
何でも買える。何でもできる。
人生の喜びを謳歌するための手段が整った今、それを喜ばない理由はない。そう理屈ではわかっている。
なのに何故。私の体は反応しないのか。
私が獲得したのは【すべての労働を免除しただ生きることを許す免罪符】だ。血湧き肉躍る興奮で暴れだしても仕方がないくらいな状況のはずなのに。
「あぅ……ぁ……ぅぁ……」
そう思った時ふと。あぁなるほどそういうことかと。
私は嬉しくなかった理由を理解し得心した。――もしもこの免罪符が、健康を保障する不老不死の切符だったならば、話は違っていただろうな、と。
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壁に掛けられたコンピューターの画面に映った銀行口座の残高から目をそらし、私は視線入力でロボットにカーテンを開けさせる命令を出す。
朝日を拝んで夢から覚めよう。
降って湧いた大金をどう使うかなどという面倒ごとを処理できる能力は、今の私にはない。
使わないのなら――休眠口座となって残高ごと消え去るくらいなら――寄付したほうが世のためだとは思うが、その労力を捻出することが今の私にはできない。
――申し訳ないね、世界。私は偽善すらできないようだ。
技術革新による新しい世界に寄与できなかった後悔が私の心にふつふつと湧いてくる。
その気持ちから目をそらすように、私は何気なく外へと目を向けた。
「――? ……?? ……はぇ?」
病気のせいで興奮しないはずの私が、気が付くと息を呑んでいた。
カーテンの向こう側の世界を見た私は凍り付いていた。
窓の向こうに見えるのは、一面の砂漠。
何一つ建物の存在しない、誰一人として外を歩いていない無機質な絵画のような光景。
いつの間にか。世界が滅んでいた。