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7 自分の足で走るのが



 宮古は寮の部屋で一人寝転がってぼーっと天井を見つめていた。


 やることがない。やりたいこともない。昼間は、仕方がないので学校に行って、仕方がないので一応授業を受けて勉強をする。けれどもその意味も分からず、目的もない。


 部活動もない放課後は地獄だった。虚無にもほどがある。ただ時間が過ぎ去るのを待つだけ。寝る以外にすることもない。けれども夕方に寝すぎると夜眠れなかったし、夜も途中で目覚め朝まで眠れないことも多かった。


 遊びに行く。それもいいのだろう。気分転換くらいにはなるのかもしれない。けれども金はないし、何より行きたい場所などなく、遊びたいこともない。


 金。金は必要だ。示談金のことはあったし、当然学費もある。けれどもなにより、あの「事件」のせいで家族は地元にいられなくなった。それまでの仕事を辞め、引っ越し、縁もない土地で慣れない仕事をするしかなくなった。当然収入は大きく減っている。だというのに日新学園の高い学費。バイトをして少しでも金を稼がなければならない。


 それはわかっている。やるしかない。けれども気持ちはそう簡単には動かない。なんで俺が。こんなはずではなかったのに。奨学金を貰って、スポーツ科の陸上部で、毎日毎日走ってたはずだ。夢を追いかけ、記録に向かっていたはずだ。何より一番好きなことに、毎日全力を注げていたはずだ。それなのに、この学生だらけの学園都市で、皆が各々の目標のために努力したり遊び呆けてたりする中、自分はあのクソ野郎たちのせいで金のためにバイトに並走する。


 そんなことは、到底受け入れられるはずがなかった。



 宮古は大きなため息をつく。受け入れられない。けれども、受け入れられなくとも家族のために働かなければならない。家族は自分よりもっと辛いはずだ。自分と関係のないところで巻き添えを食らってしまって。全部、俺のせいで……


 普通の、善良な人たちなのに。何も悪いことなどしていないのに。だというのにクズどものせいで、すべてを失った。いや、すべては自分のせいで。俺のせいで。悪いのは俺で……


 ほんとに俺が悪いのか? 俺が何か間違ったことをしたのか? 


 そんなわけないだろ。たとえ正しくはなかったとしても、絶対間違ってなどいやしない。悪いことなどしているわけがない。俺が悪いなんて、ありえねえじゃねえか。


 怒りがふつふつと沸き立つ。あいつらを殺し、すべてをまっさらにしてやりたいとも思う。けれどもそんなことをしたら、家族はこれまで以上に酷い目に遭う。


 だから正しいこと。今の自分にできる、正しいこと。それは働くこと。稼ぐこと。本来であれば学校など通わず一日中働くべきなのだ。クソどものポージングのために与えられた普通科などにぬくぬく通ったりなどせず。


 それでも、泣いて謝り、自分たちはいいからと、お金のことも何も心配しなくていいと、あなたの将来のために高校も大学もちゃんと出してあげるからと、そう話す親の顔を思い出すと、投げ出すこともできない。


 そうだ、甘えるな。甘ったれるな。お前は自分のすべきことをやれ。過去は変えられない。今と未来を変えろ。家族のためにも、バイトして、勉強して、ちゃんと進学して、稼いで。


 そうやって少しでも、家族に何かを返すしかないだろうが。



 宮古は起き上がりスマホに向かう。勉強は当然。けれどもバイトも。何故なら金はどこまでも「今現在」の現実だから。


 そうして求人を探していると、鳴ることなどないと思っていたチャイムが鳴った。宮古は訝しみつつ、インターホンの通話ボタンを押す。


「――はい」


『あーっと、俺、昨日話した三組の八総だけど。つっても声じゃわかんないよな。これモニターもついてねえし。とりあえず覗き穴か何かで確認してもらえっかな。というかその前に間違ってたら申し訳ないですけど宮古さんのお部屋で合ってます?』


「……なんでお前俺の家知ってんだよ」


『いや偶然っつうかさ、俺も同じ寮なんだよ。やっぱ普通科の遠方から来てるやつってみんなここにぶち込まれんだな。まあ近所のよしみってことで一つ』


 八総に言われ、宮古は通話を切り玄関まで向かう。そうして覗き穴から外を覗くと、確かに昨日の金髪のデカブツが立っていた。宮古はチェーンロックをかけたままドアを数センチだけ開け顔を覗かせる。


「……なんの用だよ」


「まあ昨日の話の続きだけどよ、そうじゃなくてもご近所同士仲良くってな。お互い知り合いとか友達もいないだろうから色々助け合いも必要だろ。もし自分の部屋入れたくねえなら俺の部屋来てもらってもいいけど」


「……こっちも忙しからすぐ帰れよ」


 宮古はそう言ってドアを開ける。しかしその先にいたのは、八総一人ではなかった。


「――なんでそいつがいんだよ」


「あれ、見えてなかった?」


「初めまして宮古君! 入学式で挨拶したからわかるかもしれないけど埓木崎世界よ! よろしく!」


 埓木崎はそう言って手を差し出す。が、宮古はそれをガン無視し、


「……そっちのやつは?」


「戦友の喜庵祈よ!」


「秘書です」


「秘書? なんでもありだなおい……やっぱ帰れ」


「わりいけど話するまでは帰る気ねえぞ。そもそも俺なんか上の階だし夜中までいくらでもいれっからな」


「クソっ、なんなんだよお前らマジで」


「お前を必要としてる人間だよ」


 八総の大真面目なその回答に、宮古は思わず一瞬飲み込まれる。


「――どうせ対抗戦とかいうくだらねえ話のためだろ。いいよ、十分くらいは聞いてやる。その代わり二度と来んなよ」


「構わねえよ。断られる気はねえから。んじゃ失礼するわ」


「いや、お前の部屋に決まってんだろ」


「そう? お前女子とか部屋に入れたくない派?」


「……そもそも他人を入れたくねえよアホ」


「んじゃ俺の部屋で。まあお前の部屋と同じだろうし狭いけど四人くらいはいけんだろ。てことで世界、喜庵さん、階段しかねえけどひとつ上の俺の部屋な」


「いいわよ。あなたの部屋も多少は興味あったしね」



 そういうわけでやってきた八総の部屋。階は違えど内装は宮古の部屋とまったく同じであった。


「随分殺風景ね。物もないし。野球選手のポスターとかは貼ったりしないの?」


 と聞く埓木崎。


「野球少年観が結構古くねえか? 貼らねえよ俺は。好きな選手とか特にいなかったし。研究のために動画で投球たくさん見るとかはあったけど」


「そうなの。ある意味とてもストイックであなたらしいわね」


「ああ。んじゃま、悪いけど座布団の一つすらなくて椅子なんかこのしょうもねえ座椅子一つだけだし、お客さんの宮古君どうぞ遠慮なく」


「いや、女子に座らせてやれよ」


「だよな。てことで、やっぱ世界かね」


「私は地べたで平気よ。祈座ったら」


「じゃあ遠慮なく」


「遠慮ねえの!?」


「なにか問題?」


「いや、秘書とか言ってるからこういうの絶対世界優先かと思って……話し方とか聞いててもめっちゃフラットっすよね。上下関係とかないの?」


「戦友なんだから対等に決まってるじゃない」


 と答える埓木崎。


「いや、まあそうかもしれないけど、普通に考えたら大企業のお嬢様相手だからな……つか今更だけど俺この話し方でいいの?」


「私がいいって言ってるんだからいいのよ。たとえ誰かが文句を言ったとしても関係ないわ」


「さすがでございますな……いやいや本題入らねえとな。宮古には10分とか言われてんだし。まあとにかくよ、昨日話した代表対抗戦のこと改めて考えてほしくてな」


「やらねえって言っただろ。そんな時間もねえし」


「時間ねえの?」


「ねえよ。色々あるに決まってんだろこっちも。逆になんでそんな無意味なお遊びやってる時間あんだって感じだわ」


「無意味なお遊びではねえけど、でも空いてる時間少しとかさ」


「やらねえって。逆になんでそんな俺にこだわんだよ。足速いやつくらい少しは普通科にだっていんだろうが。そんなマジで勝ちてえのかお前ら? というか本気で勝てると思ってんのかよ」


「思ってるよ」


 八総はまっすぐ宮古の目を見て答える。


「勝てるかどうかはやってみねえとわからねえけど、でもそれが普通だろ。だから勝てるように練習すんだろ。マジで練習すりゃ勝ち目だって増えるじゃねえか」


「……だったらなおさら俺である必要はねえだろ。他のはええやつと練習して強くなりゃいいだけじゃねえか」


「いや、そりゃ速さは大事だしベストのメンバーとしてお前とやりてえけど、それだけじゃねえよ。俺は、俺たちはお前じゃなきゃダメだと思ってるし、お前と走りてえって思ってるから」


「は?」


「お前は不本意だろうし、お前には悪いけどよ、聞いたんだよ、お前の話。お前がなんで陸上辞めたのか」


「……どういうことだよ」


「お前の身にあったことだよ。スポーツ科の陸上部に行けなかった理由。中学の時地元であったことについて」


「――てめぇ……いやてめえか」


 と宮古は埓木崎を睨みつける。


「お前が勝手に人の過去調べて掘り起こして話したんだな!?」


「そうね。正確には違うけど、ほぼその通りだわ」


 と埓木崎は平然とした顔で返す。


「言い訳だけど私は元々学園の全生徒について知りたくて、学園の生徒名簿には目を通してたの。その中でこの対抗戦、リレーのためのメンバーを探していてね。そこであなたのことを知ったわ。中学での大会の成績。リレーのための最高のメンバーだと思ったわ。けれどもそこには傷害事件を起こしてスポーツ科への入学が取り消しになったことが書かれていたの。特例で普通科に入学することになったことも。

 そこから先は、調べたわ。何があったのかを」


「……ハッ。ほんとてめえら金持ちは、なんでもかんでも好き勝手やりやがって……それで? 調べたってんなら全部知ってんだろ? 知った上で俺と走りたいって?」


「ええそうよ。少なくとも私は、あなたは間違っていないと信じているから」


「は? ……何言ってんだよ」


「文字通りよ。あなたは間違っていない。あなたは正しい。あなたは何も悪いことなどしていない。宮古君、あなたは何一つ悪くない。私はそう、信じてる」


「……意味わかんなすぎるわさすがに」


「言ったとおりよ。本当に全部。調べたって言ったけれど、おそらく部外者が知りうる情報のほとんどは入手したわ。あなたの証言。いじめの事実。いじめの被害者の証言。それに相手の普段の行い。なにより、あの議員のこれまでの悪行の数々。人々との関係や圧力について。とはいえそれらが客観的な真実だとは断言できないけれど、その上で私はあなたが正しいと判断したわ。判断というより、信頼ね。あなたを信じる。あなたの行動を、意志を、気高さを」


「……意味わかんねえ……なんでだよ」


「そう信じたいから、というのが一番かもしれないわね。でもあなたのことを直接見てわかったわ。誰がなんと言おうと、この埓木崎世界はあなたを信じるしあなたの味方だって」


 その言葉。そんな言葉は、今まで家族以外の人間で、誰一人としてかけてはくれなかったものであった。


「あなたは悪くないし、当然運が悪かったなんてこともありえない。何一つあなたの責任ではないわ。すべては邪悪な人間による悪しき強大な力のせい。あなたは、あなたもあなたの家族も、その被害者よ。守られなければいけない存在。助けられなければいけない存在」


「――ハッ。だんだん話が見えてきたぜ。それでお前らは俺を『助け』ようなんてしてるってわけか。対抗戦とかいうお遊びで? 笑えるぜ」


 宮古はそう言って頭を振る。


「それは少し違うわね。あなたを誘う一番の理由は、純粋に勝つためよ。勝ちたいから、勝てるというところをみんなに見せたいから、というのが一番ね。目的のための最も確かで合理的な選択。でもそれはすべてではないわ。あなたに走ってほしいのは、単にあなたに走ってほしいから」


「……は?」


「走ることを諦めないでほしいのよ。そのための走る場所があるのだから走って欲しいの。もちろんあなたの気持ちなんてわからないから単刀直入に聞くけど、あなたは走りたい? 宮古君」


 その問いに、宮古は答えられない。


「どういう形でも構わない。もちろん走るだけならばいつだってどこでだってできるから。でもあなたが走ってきた場所は、あなたが目指してきた場所は、おそらく違うでしょう。勝利のため、記録のため、目的のため。


 そういう走りを、もう一度取り戻してみたくはない? 理不尽な、邪悪な人間に奪われたままで本当にいいの?」


「――知ったような口聞くんじゃねえよ。いいわけがねえだろうが」


「当然そうよね。できればあなたの言葉で、はっきり言ってもらえないかしら」


「……走りてえに、決まってんだろうが……」


「なら、」


「でもそういうわけにはいかねえんだよ!」


 宮古は顔を上げ埓木崎を睨みつける。


「走りてえよ! 走りてえけどそこにそんな居場所があんだよ! 脛に傷ある俺なんかによ! あのクズどものせいでスポーツ科には入れねえ! 普通科の陸上部だって願い下げだろ! それ以上にどの面下げて俺だけがそんな好き勝手自分のやりてえことやっていいんだって話だろうが!」


 宮古はそう言い、一つ息をつく。


「親が、家族のこと考えたら、んなことできるわけねえだろうが……金持ちでなんでも好き勝手できるてめえなんかにはわからねえよ。代表対抗戦? そんなお遊びに付き合ってる暇はねえんだよ。少しでもバイトして金稼いで親に返さなくちゃならねえし、俺のせいで酷い目に合ってるのに俺を信じて学校に通わせてくれてる親のためにも、勉強だってやらなきゃいけねえ。それをそんなお遊びを、走るとか、俺が走りたいからってそんな甘えた理由で、できるわけねえだろうが!」


「――そうね、その点は確かに私も配慮が足りなかったわ。申し訳ない」


 埓木崎はそう言って頭を下げる。


「ハッ、金持ちはポージングも得意なんだな」


「ポージングではないわよ。下げる時に頭を下げるのには、お金なんて関係ないわ」


 埓木崎は顔を上げて言う。


「私もあなたの家の詳しい事情までは知らない。もちろん調べることはできるし、それで確かな情報を得ることもできるけど、それは侵してはいけないプライベートな領域だからね。


 もちろんあなた達の境遇は想像もできていたわ。あなたの家族が引っ越しを余儀なくされたことまでは知っている。その後については、今までは私が踏み込む領域ではなかったから」


「今までは?」


「ええ、そうよ。知った以上は動くわ。これはあなたが対抗戦で走る走らないに関係のないこと。私個人として、総合支援委員会としてあなたを、あなたたち家族を支えさせてもらうわ」


「……何言ってんだお前?」


「まずバイトについて。学園には特別な奨学金もあるでしょう。なければ作ればいいだけだしね。無利子、返還不要含めて、こちらでできるしなんなら私が、グループが直接やる」


「……は?」


「勉強についても頼って頂戴。元々委員会では求めるものに無償で授業を提供する補習クラスを作る予定だったから。家庭教師がよければそちらを手配するし。勉強面も全力でサポートさせてもらうわよ」


 埓木崎は宮古に質問を挟ませず続ける。


「加えてあなたの家族のこと。その生活を、仕事をこちらでサポートさせてもらうわ。望むのであればうちのグループ企業で、これまでと近い職種で。給料も当然同程度以上。それとこれはあなた次第だけど、あの『事件』の再捜査」


「は? いや、んなことできるのか?」


「できるわよ。結果はわからないけれどね。そこまで動かせるかもわからないけれど、埓木崎の名、グループの力でできるところまではできるわ。少なくともあなたを汚名を晴らすところまでは」


「――確かにな、あんたのとこならそんななんでもかんでもできるんだろうな……けどお断りだ」


「理由は?」


「信じられっかよそんなの。意味わかんねえ。理由もわかんねえ。んなことしてお前になんのメリットがあんだよ」


「メリット、という点では確かにあまりないのかもしれないわね」


「じゃあなんで」


「そうしたいからよ」


 埓木崎はまっすぐに宮古を見て答える。


「私が、そうしたいから。それが私の理想だから。私がなりたい私であって、私が選ぶ自分の人生だから」


 そう言って、ニッと笑う。


「けれども何より、それが一番面白そうだからよ。人が人を助けるところ。立ち上がるところ。取り戻すところ。そうして自分の人生を歩み生始めるところ。


 それ以上に心が震えるものなんてこの世にあるかしら?」


「――随分勝手だな。人の人生は見せもんじゃねえぞ」


「もちろんよ。別に私は人の人生をそのようにコントロールしようなどとは思わないわ。ただ私はそちらが好きだと言うだけ。その方がいいと思うだけ。逆に聞くけど宮古君、あなたはどちらがいいと思う? 自分の人生を取り戻し、自分の人生をコントロールし、そのためにも毎日を必死に充実して生きる人生と、そうではない日々。あなたはどちらを送りたい?」


「……質問になってねえだろそれ」


「そうよね。ほとんど自明だわ。あとはやるか、やらないか。そしてその礎としての、できると思えるか、思えないか。それを、夢を、理想を、世界と何より自分自身を、信じられるか」


 埓木崎はそう言い、宮古の目をまっすぐに見たままニッと笑う。


「あなたが望みさえすれば、私たちはその手助けをするわ。あなたが自分の人生を取り戻すための手助けを。持てる力を尽くしてね。対抗戦というのはあくまできっかけ。新たな人生の象徴のようなもの。


 でもね宮古君、ついでだし折角だから話しておくけど、あなたは彼が日新にいるって知ってた?」


「は? 誰だよ彼って」


「あなたの因縁の相手。いじめの加害者。あなたを貶めた人。政治家の息子。菅生洋次郎すごううようじろう


「―っ! あいつが、ここにいんのか……!?」


「知らなかったみたいね。日新の政治科よ。政治家の息子なんてだいたい日新の政治科に入るからね」


「あのクソが……」


「ええ。彼があなたのことを知っているかはわからないけど、まあ十中八九知ってるでしょうね。そもそもスポーツ科に入れなくしたのも彼らなんだし、『温情』という形で普通科を勧めたのも彼らなんだから。


 とにかく、相手がいる。校舎は違えど同じ敷地内に。けれども相手はあなたのことなど気にもとめないでしょうね。日新のトップ、上流にしてエリートの中のエリートである政治科と、万年最下位の落ちこぼれ普通科。普通科の生徒は政治科のエリア内にすら立ち入ることができないほどだから。たとえ広大な敷地の一部を共有していようと、そこには明確な壁がある。そして壁がある以上、あなたの姿など、存在など、永遠に相手には届かない」


 埓木崎はそう言ってから、ニッと挑発的な笑みを浮かべた。


「でも対抗戦なら違う。対抗戦なら政治科だろうと同じ戦場に引っ張り出せるし、学園中に見せつけられる。走るところを。勝つところを。俺はここにいるぞって、何をされようとまだ走ってるぞって、走り続けるぞって、そう彼に、みんなに、世界に見せつけることができる。


 それってとても魂が震えると思わない?」


 宮古は、想像する。その光景を。対抗戦というものがどういう場で行われるのかはわからない。観客などというものがいるのかもわからない。けれどもそこは、勝手知ったる陸上の競技場であるはずだった。400メートルのトラック。何度も走ってきた場所。リレーも、バトンパスも、日常の生活としての行為。


 そこで、俺は、俺の存在を見せつける。俺の走りを見せつける。どうだ! って。俺はここにいるぞと。俺は負けてねえぞ、打ちのめされてねえぞ、と。


 誰にも俺の人生は奪えねえ。俺は俺の人生を、走り続けるぞ、と。



「――八総、お前も走んのか……?」


「ああ、予定じゃな」


「……お前はなんで走るんだよ」


「なんでなあ……まあぶっちゃけると一番の理由は暇だからだよ」


「はあ?」


「前にちらっと話したけどさ、俺野球やってたんだけど肘ぶっ壊してな。投げられなくなって。ほんとはスポーツ科の野球部でピッチャーやるはずだったんだけどよ。そこはお前と似てるけど、まあ理由が違いすぎるけどな。全然同じじゃねえし。


 とにかく野球しかやってこなかったし高校でだって野球しかする予定なかったからさ、急にやることなくなったんだよ、ぽかーんと。もういきなり両手からなんもなくなって。人生なんもなくて。こんなさ、来るはずじゃなかった普通科で三年間も、というかその先の人生も野球なしにどうすんだよ、何すんだよ、どうやって生きてきゃいいんだよって腐っててな。


 そんな時に世界の話聞いてよ。あの演説を。んでたまたま同じクラスで席が前後で。対抗戦に誘われて。なんせヒマでやることねえからな。渡りに船って感じだよ。それはかなりでかいけど、でも何よりやっぱ面白そうだったからな。お前もワクワクしねえか? 興奮するじゃねえか。普通科が全部ぶっ倒しててっぺん取るとか、そんなありえねえ物語はよ。それを自分の力でできるっつうんなら、たまんねえだろ。だから俺はこの物語の乗ってやろうって思ったんだよ。どうせなんにもしねえより、そっちのほうがはるかにマシで面白えぞってな」


 八総はそう言って笑う。


「あとはまあ、むかつくってのもあったな」


「むかつく?」


「ああ。埓木崎の話聞いたあとスポーツ科の野球部のグラウンド行ってよ。練習見て。まあ色々思うけど、そこに一応知り合いの一年が来てな。『お前は落ちぶれた。この先の人生もただ何もしないで過ごしてくだけだ』とかほざきやがってよ。なんも知らねえくせに知ったかぶって。俺にエース取られたくせに調子こいてな。


 まあだから、俺の人生てめえが勝手に決めつけんじゃねえって、目にもの見せてやるってよ。これが俺の人生だ、俺は俺の新しい人生を取り戻してやる、って」


 八総はそう言い、宮古の目を真っ直ぐに見る。


「お前はどうだよ。悔しくねえか? むかつかねえか? 他人に、たまたまそういう家に産んでもらったってだけのクズ野郎に人生めちゃくちゃにされてよ」


「――むかつくに決まってんだろうが……悔しいに決まってんじゃねえか」


「だよな。やられっぱなしでいいのかよ。黙って屈して、そいつの目にもつかないようなところでひっそり過ごして、そうしてこの先の人生やり過ごしていくって、そんなんでいいのかよ。お前の人生、この先もずっとそんなんでいいのかよ」


「……ハッ、ハハハ……そうだよな……お前の言うとおりだよ……その通りだ……なんでよ、俺がそんな目に遭わなきゃいけねえんだよ。俺が、家族がそんな目に遭わなくちゃいけねえんだよ。


 他人に、クズに俺たちの人生勝手にコントロールなんかされてられっかよ! 俺の人生は俺のもん

だ! 俺が、この手で、この手に取り戻して、自分の意志で動かして、走って、ゴールまで行くもんじゃねえか!」


 宮古はそう言い――狂喜に近い笑みを湛えて、八総を見返した。


「八総、俺はやるぞ。走るよ。走って勝ってやる。だから俺も混ぜろ、その代表対抗戦」


「おう、当たり前だ。始めから言ってんだろ。お前以外ありえねえって」


 八総はそう言い、差し出された手を握り返した。熱く、強い、男同士の握手。


「埓木崎、さん。俺はあんたのことよく知らなかったし、今だってよく知らねえけど、でもよく知らないくせに今まで色々とキツイこと言ったり、態度が悪くて、悪かった」


 と宮古は埓木崎に向かって頭を下げる。


「気にしないで。あなたのこれまでを考えればそれは当然のことだろうし、第一私とあなたはどこまでも対等なのだからそれが普通の対応よ」


「だとしてもケジメとしてな。だからその、俺に出させてくれ。走らせてくれ。代表対抗戦、混合リレー」


「もちろん。私も八総君と同じよ。始めからあなたしかいないって。絶対勝ちましょう、宮古君」


 埓木崎はそう言い、手を差し出す。宮古はその手を見つめ、ふっと笑って握り返した。


「ああ。絶対勝つぞ」


「ええ。あなたの家のことも任せて。お金のことも、名誉のことも、あなたが心置きなく走れるよう、自分の人生を生きられるよう、私は全力で支えるから。もちろんあなたが望みさえすれば、だけどね」


「……正直に言うけど、気は進まない」


「わかるわよ。あなたからすればどちらにしても大きな力だものね」


「ああ、その通りだよ……俺は、クソみてえな巨大な力に人生を壊された。俺たちなんかじゃ到底敵わない大きな力で、全部奪われた。


 それを助けてくれるっていうのは本当にありがたいよ。お前の意志はすごいと思うし、別に疑ってもいない。けど、壊すにせよ救うにせよ、結局大きな力に動かされてるって点じゃ同じだからな……してることが違うってだけで、結局自分じゃどうにもできない巨大な力に翻弄されてさ。こっちの力にやられたんなら、今度はこっちのもっと大きい力にやってもらってって。結局やってることはマウント合戦じゃねえか。力と力のくだらねえ勢力争いで。


 そりゃお前の、お前らの力のほうがはるかにマシだとは思うよ。少なくとも今のところは、俺にとってはさ。でも本質をよく見てみたら結局力に支配されて翻弄されてるだけだって」


「そうね……とてもよくわかるわ。実際私は自分たちの力のほうが菅生の力よりも上だとわかっているし、だからこそどうにかできるし、しようとも思える。すべては結局力を起点に、力があるからできること。力はある。そして力は否応なしに何かを動かす。それは仕方のないことだし、おそらくこの世から力を消すことは出来ないでしょうね。結局その力で何をするのかなのよ、すべては。力そのものが悪なのではなく、行為が悪なのであって。ならば力で、正しいことをなせばいいし、なすしかない。


 だからこそ私はその力を分配したいのよ。限りなく平等に、格差なく。誰もが自分の人生を生きられるだけの、守れるだけの力を。その手助けを」


 埓木崎はそう言い、宮古を見る。


「だから宮古君も、それだけの力を得られるよう力を貸したいの。別に借りだなんて思わなくていい。お金だって返さなくてもいいし、どうしても返したいならばいずれ、力を得た後出世払いで返せばいい。利子なんか当然つけないしね。


 とにかく、私に直接何かを返す必要なんかないわ。私が持つ力もお金も、元はと言えば世界中のみんなから貰ったものに過ぎないから。だからあなたも世界に返してくれればいい。今一度みんなの手に」


「……わかった。俺からも改めて頼むよ。俺に、俺たちに力を貸してくれ。親を、家族を助けてくれ」


「承知したわ。でも別に頼む必要なんてないのよ。全部私がやりたくてやることなのだから。だからあなたは許可さえくれればいいことよ。望まれれば、力を貸す。それだけ。


 だから全部心配しないで。お金のことも、勉強のことも。すべて私たちが力になるわとにかく、だからあなたは人の人生を目一杯生きて。それが一番、面白いのだから」


「はは……ああ、見せてやるよ、俺の走りを。ささやかだけど恩返しとしてな。俺の人生を、見せてやる」


 宮古は、希望と自信と、そして闘争に満ちた笑顔を見せるのだった。


 ここにこうして、代表対抗戦メンバーに二人目が加わる。



 宮古練侍の時計の針が、再び動き出した。



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