5 すすすすすすすすすみません!
昼。八総は昼食をとるために一人学食に向かっていた。埓木崎は「こうしてお互い戦友になったのだから昼食もご一緒して親睦を深めたいところだけど、いかんせん今はまだしなければいけないことがたくさんあってね。私の方でも一仕事終えて無事対抗戦の練習が始まったらご一緒しましょう」ということで「秘書」喜庵と共に委員会の部室に行っていた。
それを聞いて八総は「そもそも世界一の企業のお嬢様が普通に学食でなんか飯食うのかよ。というか普段何食ってんだ? 部室でなら買い食いとか弁当なんだろうけど、金持ちって家で弁当作ってきて食べるなんてことあんのか? 家政婦とか料理長みたいなのがなんかすげえ特別な弁当作ってくれたりすんのかもな。一食5000円くらいするようなやつ……何にしても世界が違いすぎて想像もできねえよなあ」などと思っていた。
それにしても、改めてそう考えると何の因果か自分はとんでもない相手と知り合いになっちまったな、と八総は思う。ただ同じクラスとか席が前後だけではなく、共に戦う戦友。まだ会って二日で、相手のことなどよくわからない。とんでもない金持ちのお嬢様だということは知ってはいるが、その実感も持てない。話し方が上品とはいえ、何か挙動のすべてが金持ちっぽいわけでもないし、私物の値段などよくわからない。そもそも他人の私物など見ていなかった。それっぽかった場面といえば、昨日見かけた帰り際の迎えの車くらい。車で送迎されているという点もそうだが、あの車はいかにも高級車っぽかった。さすがに漫画の世界のようにリムジンなどということはありえなかったが、車での送迎なのでおそらく自宅からの通学なのだろう。自分のように寮などはありえない。
(まあでも、話してる分には金持ちとか育ちが違うとか、そういうのはあんま感じないんだけどな。これから関わっていけばそういうのも感じてくんのかもな)
などと考えながら歩いていると腹が鳴る。他県出身の八総は学園の寮生活であり基本は自炊であった。普通科の寮には食堂はない。普通科相手にそこまでの配慮はない。高校生の寮といってもほとんど普通のアパートと変わらない。それ以前にそもそも普通科のための寮というものすら存在しなかった。わざわざ遠方から日新の普通科に通うものなどほとんどおらず、八総のような一部のワケありだけ。普通科の大抵の生徒は都内在住で実家からの通学。八総の住む寮はいわば「あぶれ者」のための申し訳程度の寮であり、ついでにいえば昔他の科が使っていたお下がりの古い建物。学園内の俗称で言えば「ごみ溜」であり、当然寮の中では学園から最も離れた場所にあった。
ともかくそんな理由で基本食事は自分でなんとかするしかない。とはいえ他県からの寮生活である以上生活費は切り詰めなければならない。朝からそんなにバクバク食べているわけにもいかなかった。そのため普通科といえども学生料金で安く多く食べられる学食は八総にとっては生命線なわけである。朝の分、夜の分もなるべくここで食べておく。学食以外にも購買もあったが、食費や量を考えればそんな贅沢はしていられない。そのため埓木崎に合わせて「じゃあ俺もなんか買ってきて部室で食うわ」などというわけにもいかないのであった。
それにしても、普通科からは学食も遠い。基本普通科はあらゆる点で最も不便な場所に立地している。広大かつ科によって明確な格差がある日新学園内には食堂すら複数あり、その中には当然「専用」のものもある。「上」の科は別にどの食堂を利用しても構わないが、「下」の科は決まった食堂しか利用できない。食堂はその格差で当然内装やメニュー、価格にも差があった。
とはいえ、八総にとっては安く多く食べれればなんでもいい。現役で野球をやってた頃に比べ栄養もそこまで考える必要はない。体作りとして一日6000キロカロリー以上は平気で食べていたわけだが、野球をしていない今そんなことをしていては一瞬で太ってしまう(といっても今も八総はランニングなどの日常的な運動はしていたのだが)。
とはいえとはいえ、いくら運動をしていなくても186センチ以上ある巨体。体重も現役の頃に比べれば痩せたとはいえ、まだ80前後はある筋肉質。当然その体は多くの栄養を必要とする。一日座って勉強しているだけでも腹は減るのだ。
腹が減った。今日は何を食おうか。まあ基本は大盛り無料のごはんが中心なんだけど、などと思いつつ角に差し掛かると――
「うおっ!」
飛び出してきた何者かとぶつかりそうになる。
「あ! ごごごごめんなさい! すみませんすみませんほんとにすみません!」
と相手は――それは八総に比べれば低かったが、それでもかなり高身長の女子であった。
「すみませんすみませんほんとにすみません! 申し訳ないですけど急いでいるので失礼します! ほんとにすみませんでした!」
と赤べこよろしく猛烈なヘドバンといった具合に頭をペコペコ下げまくっていた女子は慌てて駆け出す。その、速度たるや。あっという間にその背は彼方へ遠ざかっていく。その背を見て、
「――ちょっと待てや!」
尻餅をついていた八総は慌てて立ち上がり、全速力でその背を追った。
「おい、待てお前! 止まれ!」
「え? ――ええっ!? な、なんで追ってくるんですかあ!?」
と振り返った女子は再び前を向き速度を上げる。
「ちょ、待てって言ってんだろおい! 逃げんなこら!」
「そそそんなこと言われましても! ほんとにすみませんでした許してくださいい!」
「いいから止まれっつうの! 話があんだよ!」
「ひいい! 無理ですすみません急いでるんですう!」
「ちょ、この、クソッ!」
八総は相手を止めることは諦め、追いつくために全力を注ぐ。
しかしその距離は縮まらず、次第に遠ざかっていき――
*
「はぁはぁ……うぅ、なんだったんだろうあの人……怖くて思わず逃げちゃったけど……」
八総から逃げおおせた女子は息を整えながら後ろを振り返る。
「まだ追ってきてるかな……ここに隠れてれば見つからないだろうけど、でもまだ探されてるなら動けないし……うぅ、怖かった……金髪ですごい不良みたいだったし……どうしよう……逃げないでちゃんと謝ったほうがよかったよね……うぅ、というか時間」
とスマホで時間を確認する。
「やばいよ、時間オーバーしてる。絶対怒られちゃう……隠れてるわけにもいかないし、大丈夫だよね、あの人もういないよね……?」
と角から顔を覗かせると、
「見つけたぜぇ……」
あの金髪の男、八総がぬっと姿を現した。
「ひいい! す、すみませんすみませんほんとにごめんなさい! 謝るので何でもするので許してください! お金払います治療費でもなんでも出すので勘弁してくださいい!」
と再び赤べこヘドバン頭ペコペコ。
「うるせえ。金もなんもいらねえからとりあえず静かにしろ。じゃねえと俺がカツアゲしてるみてえじゃねえか」
「ひい! わわわかりました黙ります黙りますんで! だからどうかお許しください!」
「……わかった許す許すから。別に全然怒ってねえからとりあえず少し静かにしてくれ」
「はははいわかりました! 静かにします!」
そう言って口を真一文字に結び黙り込む女子。
「……あー、まあとりあえず俺は別に怪我とかしてねえから」
「ほほほんとですか!? よ、よかったあ……」
「おう。んで、別に怒ってねえからほんとに。許すとか許さないとかねえけど、許してくれって言うなら普通に許すし、何もしなくていいし金だって当然いらねえし」
「ほ、ほんとですか……?」
「当たり前だろうが」
「よ、良かったあ……」
そう言うと全身でほっと安堵する女子生徒。
「ああ。まあそれは別として走って飛び出すのはやめろよ。俺だったからいいけど他のやつにまともにぶつかってたら相手怪我させてたかもしんないしお前だって怪我するしよ」
「そ、それはほんとにすみません……おっしゃる通りです……」
「おう。というかなんで逃げんだよ。止まれって言ったじゃねえか」
「え? それはその……お、追いかけられたので思わず逃げたといいますか……その、すごく怒ってるように見えましたし、そ、その、怖かったんで……」
「ああ……そりゃこっちも悪いわな。こんな図体で金髪のやつに追いかけられりゃそりゃ逃げるか。悪かった」
「い、いえ、こちらこそ逃げてしまってすみませんでした……あの、ほんとに怒ってらっしゃらないんですか……?」
「怒ってねえって。そりゃ最初は一瞬プチンと来たけど、走って疲れてどうでもよくなったし」
「そ、そうですか……あ、あの、ならなんで、追いかけてきたんでしょうか……?」
「話があるって言ったろ」
「や、やっぱり賠償請求ですか!? むむ無理ですすみません私が悪いんですけどお金とか全然持ってなくてごめんなさい!」
「違うっつうの。金じゃねえよ。全然関係ない話だって。とにかく一回聞いてもらえるか?」
「は、はい……私が悪いんで、なんでも聞きます……」
「あー……まあその、というか話す前に名乗りもしないんじゃ悪いよな。俺は普通科の一年の八総っつうんだけどよ、あんたもそれ普通科の一年で間違いないよな?」
と八総は相手の制服の学年章とエンブレムを指差す。
「あ、はい、そうです……その、6組の市萱星乃と申します」
とペコペコお辞儀。基本的にし姿勢が低く背が丸まっており、おまけにペコペコとお辞儀ばかりするので多少小さく見えるが、それでも180くらいは身長のある女子であった。
「市萱さん。んでまあ市萱さん、市萱さんってどっか部活入る予定とかはある?」
「はい? えっと、特にはないですけど……」
「ああそう。市萱さんって中学の時50メートル何秒くらいだった?」
「え、っと、その……ちゃんと覚えてないですけど、8秒、くらいだったかな……? と思います」
「8秒!? んなわけないだろあの速さで! 6秒5はある俺が追いつけなかったのに。めちゃくちゃ速かったぞ」
「いえいえ全然そんな私なんて全然速くないです!」
と手をブンブン振って否定する市萱。
「いや、だから俺が追いつけなかったんだから少なくとも俺と同じくらいは速いんだって。体力もあるし。8秒はありえねえよ。それ本気で走ってないだろ絶対」
「い、いやあ……そんな別に、たとえ本気だったとしても私なんて全然……」
となにやらごにょごにょ言い訳をする市萱。
「まあいいわ。速いのは事実だし。とにかく追いかけてた理由っていうか話なんだけどさ、市萱さんに代表対抗戦に出て欲しいってお願いなんだよ」
「代表対抗戦? ですか? ……それってもしかしてあの、学園アプリのお知らせにあった……」
「そうそう。知ってるなら話早いわ。男女混合の4×100メートルリレーなんだけどさ、市萱さんほどの適任多分いないから」
「りりりリレーですか!? わわ私が!?」
「ああ」
「そそそんなの無理です! 絶対無理無理! 私なんか全然、そんな代表とか走るとかリレーとか、絶対無理です!」
と再び手を振って全力で否定する。
「なんでだよ。リレーは未経験かもしれないけど練習すれば問題ないしさ。市萱さんより速い女子なんて多分普通科にいないでしょ、知らないけど。なんにしてもマジで勝ちてえからよ、ベストのメンバー集めたいんだよ」
「……それはその、八総さんも出場されるってことでしょうか……?」
「ああ、予定じゃな。今はまだ俺一人しかいないけど。勝つこと考えりゃ俺より速いやつが出てくれんならそれがベストかも知れないけど、まあ俺はやっぱ自分で出て勝ちてえからな」
「……そ、その、代表対抗戦ってことはやっぱり、その、ふ、普通科を代表して私が出る、ってことになるんですよね……?」
「ああ。学園内の科同士の争いだからな」
「そ、それならやっぱり私には無理です……代表だなんてそんな、私なんかが……」
「いや、だから市萱さんより速い女子なんて多分いないんだけど。私なんかがっていうけど市萱さんさんが多分一番適任なんだよ」
「で、でも……」
「いやほんと。こんな普通のとこでめちゃくちゃ速かったし。ぶつかりかけたけどコーナリングもうまかったし。というかなんで構内であんな全力で走ってたんだよ」
「え? それは――ああ!」
と市萱は素っ頓狂な声を上げてスマホを取り出す!
「ああ! じ、時間、やばい! す、すみませんちょっと急いでるんで! 失礼します!」
と市萱は慌てて駆け出す。
「あ、ちょっと待ってくれよ! 急いでんのに悪かったけどとにかく考えといてくれ!」
「すすすみませんやっぱり無理です! 私にはそんな代表とか、とにかく無理なんで申し訳ありません!」
市萱はそれだけ言うと一目散に駆けていく。
「わかったからとにかく角ではスピード落とせよ! お前めちゃくちゃはええんだから!」
八総は遠のいていく市萱の背にそれだけ投げかけると、一つ息をつく。そうしてあっという間に遠のいていく市萱の背を見ながら、
(ほんとはええなあいつ……あいつがいれば、絶対勝てるだろ。あいつと宮古がいれば……)
そう思い、見えてきた希望に一人頬を緩ませる。
諦めねえぞ俺は。無理なわけねえだろうがお前が。お前以上にはええやつなんているわけねえだろ。
絶対仲間に引き入れてやる。待ってろよ市萱。次こそはお前にうんって言わせてやるからな。
八総はそう思い、一人ぎゅっと拳を握るのであった。