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3 一秒後のその先へ

 


 委員会の部室を出たあと、八総はふと思い立ち構内にあるスポーツ科の敷地へと向かっていた。広大な日新学園においてもスポーツ科は最も広い敷地を持つ。それは当然様々な競技のためのグラウンド、練習場があるからだ。もちろんそのすべてが学園の敷地内にあるわけではなかったが主要なものは揃っており、他の競技の練習場なども学園都市新洋の中に揃っている。そこまでの移動手段、送迎バスなども当然完備されており、まさに至れり尽くせりといったところであった。


 そんなわけで当然に日新学園の敷地内は恐ろしく広く、大規模な大学と同等、それ以上の面積を持つため移動は大変である。端から端までは1キロは優にを越え、徒歩であれば10分以上は平気でかかる。対角線の距離はさらにある。そのため構内には道路が走り、構内用の自転車があり、一部送迎バスも走っている。そんな中で普通科の校舎は端っこであり(駅から最も遠く)、スポーツ科とはかなり離れていおり、八総が目指す野球部のグラウンドはさらに遠かった。


 着いたのは、その目では初めて見るが見知った場所。パンフレット、インターネット。そういうものでみた校舎。自分が通うはずだった学び舎。


 そして何より、硬式野球部の練習グラウンド。


 野球部の待遇はかなりいい。甲子園で複数回優勝しているのだから当然だ。「高校野球の日新学園」だけなら知ってるというものも多い、甲子園常連の強豪校。野球場丸々一個は当然に、その直ぐ側に室内練習場やブルペン、ウエイトマシンなどのトレーニングルームも併設されている。プロ顔負けの野球育成施設。


 自分が本来最も長い時間を過ごすはずだった場所。自分の、本来の居場所。


 そこに来てしまった。来て、こうして実際に目にしている。高校日本一の、その姿を。練習、活気。そこで、あのマウンドで、自分も投げるはずだった。彼らとともに。そしてエースナンバーを勝ち取り、甲子園で優勝するはずだった。


 それなのに自分は今、グラウンドの外で、金網のこちら側から、ただ見ているだけ。


 自分は、そこにいるはずだったのに。自分も、そこにいるはずだったのに。この金網の向こう側に、いるはずだったのに。


 けれども実際は、現実は。もう投げられない腕で普通科の制服に袖を通し、金髪にまでして何もせずに突っ立っていた。


 金髪。そう、それも図星だった。埓木崎の指摘。まさか、誰かに言い当てられるなんて。


 理不尽で、不条理で、奪われ、何もなくなった。人生が突如として自分のものでなくなった。人生が、自分の手の上からこぼれ落ちていった。


 人生を、自分のものにするため。人生を自分でコントールするため。奪われたそれらを、取り戻したかった。


 だから髪を染めた。そんな些細なことでも、それは自分が自分で決めた自分の人生だった。自分の人生を自分の手でコントロールできていると思えるものだった。不条理へのささやかなる抵抗。俺の人生にはまだ自分の意志でコントロールできることがあるのだと。それを確認し、証明させるもの。それがたとえ、どんなことであったとしても。


 八総は一人黙って練習を眺める。同世代の中でも国内トップレベルの選手たち。自分の「仲間」になるはずだった者たち。そしてその中心で、マウンドの上で、文句なし一番のエースとして、投げているはずだった場所。


 すごい。すごい連中が集まっている。確かにそうだが、でも自分だって、自分のほうがすごかっただろ。こいつらだって全員ねじ伏せられただろ。どれだけ良い投手がたくさんいようが、死ぬ気で努力して、俺が一番になってただろ。


 それが夢で、目標だったろ。俺の人生だっただろ。奪われた、失った、自分の人生……



「何見てんだよお前」


 と突然声をかけられる。振り向くと、ユニフォームを着た野球部の部員たちが立っていた。まだまだ全然真新しいそのユニフォーム、顔つきや体格、何よりユニフォームにデカデカと書かれた「一年」の文字から、それが新入部員で自分と同じ一年生であることがわかる。


「その制服一年の普通科だろ? 普通科の金髪がなんの用だよ」


「……別に、ただどんなもんかと思って見に来ただけだよ」


「見学か? 悪いけど普通科はうちの野球部には入れないぜ。普通科のお遊びサークルにでも入るんだな」


 彼らはそう言ってせせら笑う。そこに、


「やめろ」


 と一人が割って入る。その場にいる一年生部員の中でもとりわけ背が高く、ガタイがよく、大人びた顔つきの選手だった。


「……お前、八総だろ?」


狩野かりのじゃねえか。お前日新来てたんだな」


「お前も入るって聞いてたからな。次こそエースナンバーは俺がもらうつもりで」


「そうっか。ま、俺がいなけりゃ取れんじゃねえの。怪我なく何事もなきゃな」


「おい狩野、こいつ八総って……」


 と先程までせせら笑っていた選手が気まずそうに問いかける。


「八総宗也だよ。中学日本代表の背番号1。お前肘壊したって?」


「まあな」


「……手術しても無理なのか?」


「色々あんだよ。俺も医者じゃねえから知らねえけど」


「それでも野球を続けるすべはあっただろ。野手だってできたはずだ」


「どうだかな。まあ投手じゃなくなった俺をスポーツ科がそのまま取ってたかは知らないけど、でも俺は投手以外はやる気なかったからよ」


「それでそんな頭で普通科か……落ちぶれたな」


「そうか? 頭と本質なんか関係ねえだろ。MLBなんて墨入れた青髪なんてゴロゴロいんじゃねえか。黒髪坊主で甲子園だのプロだの行けんならわけねえだろ」


「……肘の一つで簡単に諦めてるお前が落ちぶれたって言ってるんだよ」


「肘は大事だし別に簡単でもないだろ。あんまなんも知らねえくせに知ったかぶって言わねえほうがいいと思うぞ。お前だっていつ何が起きるかわからねえんだからよ。怪我なんかしねえのが一番だからな。くれぐれも気をつけろよ」


「お前に言われる筋合いはないな」


「確かに。てかなにこんなとこで油売ってんだよ。こっちこそサボりにどうこう言われる筋合いはねんだけどな」


「別に、ブルペンに行く途中だ。お前らはちょっと先行ってろよ」


 狩野は一緒にいた一年生たちにそう言い、今一度八総に向き合う。


「――それで、お前これから何するんだ? 野球に戻るつもりはないんだろ」


「まあな。俺にとっては野球はピッチャーで、ピッチャーが俺の人生だったからよ」


 八総がそう答えると、狩野はハッと鼻で笑った。


「ならお前の人生はもう何もないわけか」


 その言葉も、表情も、心底憐れむようなもので。


「高校三年間、これからの人生、そんな頭で何もせずにただ過ごしてくんだな。落ちたな、本当に」


「――ま、人生そんなもんだろ。先のことは何もわかんねえんだからな、どっちの意味でも。そんなん言うならお前もこんなんならねえよう気をつけんだな」


「なるわけないだろ俺が。肘壊そうが肩壊そうが何があろうと野球にしがみつくだけだ。お前と違って俺には野球しかないからな」


 狩野はそう言い、ブルペンに向かって小走りに駆けていった。八総はその背中を見送り、一つ息をつく。


 あいつ、あんな口悪いやつだったのか。あんま知らねえし代表で少し一緒になっただけで、そん時も野球っつうか投球の話しかしなかったけど。


 つっても俺が来るっていうからわざわざ日新に来るあたり、あっちはあっちで結構俺に対抗意識っつうか、ライバル意識持ってたのかもしれねえな。次はエースナンバーもらうとか言ってたし。そういう思い入れっていうか、期待っていうか、そりゃまあ実際来てみたら俺がいねえでこんな金髪になってりゃむかつきもするか。


 でも、んなの、全部てめえ一人のかってな思い込みじゃねえか。なんも知らねえくせにズケズケと、言ってくれるじゃねえかクソ野郎。


 俺がどんな気持ちで、野球辞めたと思ってんだ。怪我して、もう投げられなくて、どんな思いでマウンドおりたと思ってんだ。ここに来るまで、こんな頭になるまでどういう日々を超えてきたと思ってんだ。


 なめてんじゃねえぞこんちくしょう。



 お前と違って俺には野球しかない? 俺だってそうだったよクソ野郎。野球しかないって、野球だけだってずっと生きてきて、でも突然それを奪われて。じゃあどうやって生きてきゃいいっつうんだ。本気でそう思ったわ。


 それを、なんも知らねえクソ他人のてめえがお前の人生何もないだとか勝手に決めつけて、ふざけんのも大概にしろっつうんだ。


 何もない? 何もせずに過ごしていく? 俺の人生、勝手に決めつけてんじゃねえよ。人生は何が起こるかわかんねえんだ。この先何が起きるかなんてわからねえんだ。それはてめえも同じだし、俺も同じだろ。俺はそれを身をもって死ぬほどわかったんだ。人生は、何が起きるかわからない。どうなるかわからない。それはこの先も同じじゃねえか。野球はなくなったけど、俺の人生はまだこの先どうなるかなんて誰にも分からねえんだよ。


 何もしないで過ごす? 俺が何をするかは俺が決めることだっつうの。俺だけが決めていいことなんだよ。たとえ野球がなくたって、俺はできんだよ。なんでもできんだよ。何したっていいんだよ。


 なめやがってクソ野郎が。俺よりしょぼかったやつが調子こいてんじゃねえぞ。てめえはせいぜい俺のいねえ猿山でマウントとってマウンドの上でお山の大将でもやってろや。


 俺は、俺の、俺だけの次の人生を始めるだけだ。



 八総は、走り出した。



     *



「――埓木崎!」


 今まさに迎えの車に乗り込もうとしている埓木崎世界に、八総は追いつく。


「世界でいいわよ。さっきも言ったけど」


「……んじゃ世界」


 八総は呼吸を整え、顔を上げる。


「俺にもやらせてくれ。いや、お前の許可とかは別にいらねえ。俺もやるぞ、対抗戦」


「そう。じゃあ一緒にやりましょうか、対抗戦。世界をひっくり返すその戦い」


 埓木崎はふっと笑い、そうして手を差し伸べた。


「我らが総合支援委員会にようこそ、八総君」


「……ああ。やるからには勝つぞ、全部よ」


「ええ、もちろん。はなからそのつもりよ」


「目にもの見せてやるよ。あっちでふんぞり返ってるバカどもによ」


 八総はそう答え、差し出された埓木崎の手を握り返した。



 八総宗也の、止まっていた秒針が動き出した。


 

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