26 次の人生
月曜。休みが明けまた学校の日常が始まった。しかし普通科の、八総の日常は少し変わったものになっていた。
どこかそわそわした空気。一日あけてもなお残る熱狂。それは学園アプリによって代表対抗戦、リレーの様子やその結果、選手たちのインタビューなどが配信されより広く共有されたことによるものでもあった。
八総に注がれる視線はより増えた。それはこれまでのどこか蔑みが混じったものとは違い、かすかに称賛も混じったものに変わっていた。
「おめでとう!」
「すごかったね!」
などと直接声をかけられることもある。ガタイによる圧に金髪で避けられていた八総であったが、動画によってその人となりのようなものもある程度認知され、そこまで極端に避けられるということも減っていた。
そうして迎えた放課後。
「集まってくれたわね。さて、改めて土曜日はみんなお疲れ様」
と総合支援委員会の部室で埓木崎が切り出す。
「代表対抗戦、リレーは終わったわ。その効果はもう少し時間が経たなければわからないことだけど、とりあえず私たちのやることは十分にやりきったと思うわよ。ということで、早速だけどこの次ね」
埓木崎はそう言ってやはり休む間など与えずふっと微笑む。
「といってもみんなにはあくまでリレーのために集まってもらったわけだから。次の対抗戦にも代表として出てくれと言うつもりはないわ。まだ次の対抗戦競技も発表されていないしね。でもみんなには、こうして知り合ったのも何かの縁だし、是非総合支援委員会として私たちと一緒に活動してほしいと思ってるの」
「もちろんだよ。というかはなからそのつもり、すでに入ってるつもりだしな俺は」
と八総が答える。
「ええ、ありがとう。けどみんなにはみんなの人生もあるわけだしね。今後もあるでしょう。もちろん、私はみんなのこれからを、夢や目標を支えていくつもりよ。どんなことであろうと、あなたたちの力になるわ。総合支援委員会として、私個人としてね。それで早速なんだけど、なにか私にできることはある?」
埓木崎がそう尋ねると、市萱がおずおずと手を挙げる。
「あ、あの……」
「何かしら」
「その、その前にお話と言いますか、一応報告なんですけど……実はその、私、スポーツ科の方から『うちに来て陸上部に入らないか』というお誘いがありまして……」
「お前もかよ」
と八総が言う。
「え、八総さんもですか?」
「ああ。まだちゃんとスポーツ科には確認してないけどな。なわけねえだろうとは思うけど詐欺っつうか騙ってるだけってこともあるだろうし。アプリのアカウントにダイレクトメッセージで来てたからちゃんと学校からの連絡だとは思うけど」
「あ、わ、私も一緒です!」
「俺んとこにも来てんな」
と宮古も言う。
「お前も? まあそりゃある意味当然だけど、節操ねえっつうかちゃっかりしてるよなあ。手のひら返しっつうかさ。世界なんか知ってる?」
「知ってるわよ。そういう情報は耳に入ってるわ」
「マジかよ。ほんとさすがっつうか、マジで情報網どうなってんだよ」
「優秀な人たちが回りにいるからね。学園は実力、利益が一番である以上当然でしょうね。八総君はともかく、宮古君と市萱さんはあれだけのものを見せたんだから」
「そうだな。で、どうするつもりなんだよお前らは」
「俺は行くつもりはねえよ」
と宮古は答える。
「んなあっちの都合で拒否されたり今度は来てくれだの、んなことに振り回されてらんねえからな。だいたい今更どの面下げてって話じゃねえか」
「そうだろうけど、いいのか? また走れるチャンスだろ。大会、インターハイ目指してよ」
「……いいんだよ。第一別にスポーツ科じゃなくたって走んのはできっからな」
「それで宮古君は今後どうするつもり?」
と埓木崎が尋ねる。
「……考え中だ。まだ昨日の今日だしな。とにかくスポーツ科に行くつもりはないってのははっきりしてるよ」
「そう。私にできることがあればなんでも言ってちょうだいね」
「市萱はどうすんだよ」
と八総が尋ねる。
「私は、その……す、スポーツ科に行くっていうのは、その、考えていないっていいますか……」
ごにょごにょと答える。
「もちろん、奨学金とかのお話もしていただいて、それは親からすればありがたいことでしょうし、助けたいとも思うんですけど……でも、スポーツ科で、陸上部で、競技として走って上を目指すっていうのはその、考えてないっていうか、なんか違うじゃないですけど、自分の人生、だとは全然思ってないですし、思えてなくて……」
市萱はそう言いつつうつむく。
「そう。もしかして何か他にしたいことがあるんじゃない?」
と埓木崎は言う。
「……さすがですね埓木崎さんは……そ、その、わ、私、実は前から、夢というか、そんなはっきり、大袈裟なことじゃないんですけど、で、でも! で、できれば、できたらいいなあって、そんなふうになれたらいいなあって、そう思ってることがありまして!」
市萱はそう言い、顔を上げた。
「わ、私! じ実は、せ、先生になりたいんです!」
「先生? 学校の先生かしら」
「は、はい! そそんな、なりたいなんて具体的に、思ってたわけじゃないんですけど……で、でも! 私はその、いじめっていうか、そんなたいしたものじゃないことはわかってるんですけど、でもパシリとかされてて、引っ込み思案というか、目立つのも苦手でしたし、ずっと自信もなくて、学校はその、なかなか馴染めなくて、友達もうまくつくれなくて……
で、でも! そういう時に、力になってくれる、自信を持たせてくれて、応援してくれて、できるって、私なんかでもできるしやっていいって、そういうふうに教えてくれて、支えてくれて――ら、埓木崎さんみたいな! 先生がいてくれてたら、いてほしいなって、ずっと思ってたんです!」
市萱は気恥ずかしさに顔を赤らめながらも、まっすぐに埓木崎を見て言う。
「だから私は、そういう、埓木崎さんみたいな、みなを導くような、そんな先生になりたいなって! なれたらいいなって! 自分ができなかった分、大人になって、そういう人間になれたらいいなって――なりたいって、今回走って、はっきり思えたんです!」
市萱はそう言い、深く息を吸った。
「だ、だから! 私はスポーツ科には行かず、このまま、普通科で先生を目指します! それでその、埓木崎さんは前に、確かこの委員会で、無料の補習授業をするとか、そういう感じのことをおっしゃってましたよね?」
「ええ、そうよ。覚えてくれててありがとう。すべての生徒の夢を応援するためにね。金銭的に塾とかに通うのが難しい生徒も多いでしょうから、代表対抗戦が終わり次第早速始める予定だったわよ」
「で、ではその! 補習授業に、わ私も、参加させてもらってもよろしいでしょうか!?」
その問い、もとい懇願に、埓木崎は喜びをまとった笑みを返した。
「もちろん。自らの足で来る人は誰であろうと大歓迎よ。あなたの夢、実現できるよう総合支援委員会で支えさせてもらうわ」
「――あ、ありがとうございます! よろしくお願いします!」
「ええ。こちらこそこれからもよろしくね。
さて、じゃあ八総君。あなたはどう? あなたの新しい人生、次の人生、見つかった?」
「……まあ、言った通りこれはやるよ。総合支援委員会に、対抗戦もな。出れる競技はなるべく出るし、勧誘とかも手伝うし。俺も自分が始めたことである以上、最後までやるよ。実際おもしれえし、勝ちてえからな。
ただまあ、当然だけど考えてみりゃそれも三年で終わりだしな。高校いる間だけで。三年は長いけどよ、その後の人生も当然あるわけだし。だからまあ、その後についちゃ、まだ保留だな」
「ということは何か思ってることはあるようね」
「まあな。ただまだ、それが俺のこれからん人生だって決めて、はっきり口にするだけの意志は固まってねえし、自信もねえ。だからもう少し向き合ってみるよ」
「そう。それはとても大事なことね。とはいえ、何も今すぐ決めることではないから。もちろん早いほうがそれだけ努力する時間も増えていいけど、別に遅すぎて間に合わないなんてことはないからね。人生は続くから。何歳からでも、いつからでも始めることができるから。まして私たちは」
『まだ高校生』
「なんですもの」
「だからな」
二人はハモって、そう口にする。
「わかってるよ。まだ高校生活も始まったばっかだ。別に焦る気持ちはねえよ」
「私もわかってるわ。だからいつでも、なんでも言ってちょうだい。なんであろうと力を貸すわ」
「わかってるよ。こっちも遠慮する気なんてねえからな。使えるもんはなんだって使ってやるよ」
八総はそう言い、ハッと笑い返すのであった。
*
その後。総合支援委員会の部室を後にした宮古は一人普通科のグラウンド前に立っていた。自分たちが練習をしたその場所。そこでは普通科の陸上部員などが練習をしていた。とはいえそれは、自分たちがしていた練習とは質熱量ともに異なるものであったが。
宮古はその練習を眺めながら、しばらく考えていた。自分の選択は本当に正しいのか。やはりスポーツ科に行くべきではないのか。奨学金のこともある。それを抜きにしても親は喜ぶだろう。閉ざされた将来が、再び開くかもしれない。
けれども。自分を簡単に切り捨て、今度は手のひらを返し勧誘してきたスポーツ科になど、とてもじゃないが行く気にはなれない。とはいえ、では何をするのか。これからの膨大な時間。人生。漠然と横たわるそれ。
宮古は一つ息をつき、グラウンドを後にした。
校門へ向かう途中、目の前に見知った集団がいることに気づく。死んでも忘れないであろう、あの男の薄ら笑い。相手は宮古に気づき、一瞬表情を歪めた後、すぐにあの蔑むような薄笑いを浮かべた。
「お、厚顔無恥な犯罪者が歩いてるよ」
相手の男子生徒、菅生が言う。
「厚顔無恥はそっちだろ」
「は? 俺に恥なんかあるわけねえだろ。てめえらみてえな一般人とは違うんだよ。恥といや、大恥かいたなマジで。あんだけ大口叩いといて負けてやがんの。これでよくわかっただろ。お前らみたいな落ちこぼれの普通科は何やったって無駄だって」
「……お前あれ見てマジでそう言ってんのか?」
「は?」
「確かに負けた、二位だったけどな。そもそもお前出てもいないくせになに偉そうにしてんだよ。勝ったのはスポーツ科だしお前全然関係ねえじゃん。ほんと他人の威ばっか借りてて情けねえな」
「……うるせえよクズが。なんだろうとてめえらの負けは変わらねえだろ。無駄で無意味で。マジで無意味すぎて哀れだよな」
「無意味かどうかはお前が決めることじゃねえからな。そのうちわかることで」
「は? 無意味に決まってんだろうが。どこになんの意味があるっつうんだよあんなことによ」
「それを決めるのもお前じゃねえし俺じゃねえよ。あれで何か変わるやつは変わるし変わらねえやつは変わらねえし。どっちみちそいつ次第だからな」
「で? お前はあのお遊びの敗北でなんか変わったわけ?」
菅生はそうせせら笑う。
「なんも変わんねえだろ。変わるわけねえじゃん。お前は一生前科者の犯罪者のまんまだよ。なんもできねえし、どこにも行けねえ。なんも変わらねえ。落ちこぼれの普通科として、一生惨めに生きてくだけで。まあ記念くらいにはなったんじゃねえの?」
「……まあおかげさまでスポーツ科から陸上部に来てくれって誘い受けたけどな」
「は? ……ありえねえ、何勝手なことしてんだよクソが……調子こいてんじゃねえぞてめえ。んなもん俺が簡単に潰してやるよ。スポーツ科だろうとなんだろうと俺がちょっと圧力かけりゃ簡単にいうこと聞くからな。その話もすぐに白紙にしてやるさ」
「お前じゃなくてお前の親がだろ。お前にはんな力ねえし、なんもできねえくせに威張ってんじゃねえよバカが」
「……マジで潰すぞカスが」
「言ってろ。だいいち俺はスポーツ科なんか行く気ねえからな」
宮古はそう言って歩き出す。
「お前もよ、んな俺のこといちいち気にしてねえで自分の人生歩めよいい加減。ほんと哀れになってくるわ。俺はお前が何しようがお前のことなんて置いて関係なく俺の人生生きてくぜ」
宮古はそれだけ言い、振り返ることなく校門へと向かっていった。




