22 自分の手でコントロールするということ
土曜。日進学園高等学校、一年生限定オリエンテーション代表対抗戦、男女混合4×100メートルリレー。本番当日。
天気は朝から快晴であった。4月限定的な暑すぎず寒すぎない程よい気温。青く澄み渡った空。普通科代表の面々は、試合会場である学園都市新洋陸上競技場に集まっていた。
「こんなちゃんとしたでかいとこでやんだな」
と八総はスタンドを見渡して言う。
「そうね。代表対抗戦は高校内での催しではあるけれど、学園都市対抗戦という名の通り学園都市内全体でのイベント事でもあるから。例年も客席もあるちゃんとした会場で行われることがほとんどよ。競技によっては異なるけど、そういう場合も中継はされるしね」
「中継までされてんのこれ?」
「ええ。ネット配信だけれどね。それだけ学園都市内では関心の強いイベントということよ。とはいえ今回は初の一年生限定オリエンテーションだからね。どれほどの関心を集めているかは未知数だわ。初めてだからこそ興味を引くか、それとも関心を持たれないか。
ま、どちらにせよ私達には関係ないことよ。観客がいようといまいと力を尽くして勝つだけだからね。もちろん普通科のみんなには見ててもらいたいけれど」
「そうだな。とはいえ観客の数は市萱には影響するだろ」
八総はそう言って市萱の方をちらっと見る。当の彼女は今はまだ無人の広い客席からは目をそらし、一人スーハースーハーとボックス呼吸に勤しんでいる。
「ただビビってるよりあれやってる方がマシだけど……実際客入ったらどうなっか心配だな」
「衆人環視の中での練習というのもやっておくべきだったかもしれないわね……さすがにそこまでは頭が回らなかったわ。とはいえそれだけの数の中走る練習というのも難しいけれど」
「そりゃあれだろ。前に漫画で見たぜ。駅の人混みの中に看板持たせて立たせときゃいいんだよ」
「看板?」
「そ。トレーニング中ですとかな。わざと目立つようにして。そうすりゃ人にジロジロ見られるし嫌でも慣れるだろ」
「それなら確かにあまり人に迷惑をかけずに実行できたかもね。とはいえ走るのはまた別だから」
「そうだな。おーい市萱」
八総はそう声をかけ歩み寄る。
「客入ってるとこ想像してビビってんの?」
「そ、そりゃビビりますよこんな大きいとこ!」
「大丈夫だって。どんだけ広くたってそんな客なんて入らねえし。こんだけ距離あれば気にならないだろ」
「気になりますし数は関係ないですよ! 八総さんはその、ピッチャーやってたんですよね? あの野球場の、真ん中のところに立って」
「ああ」
「すごく、お客さんの視線とか集中すると思うんですけど、気にならなかったんですか……?」
「別に客席なんか見てねえからな。バッターしか見てねえし」
「……あの、私野球あまり詳しくないんですけど、そういう時ってキャッチャーのミットを見てるものじゃないんでしょうか……?」
「俺はあんま見てなかったな。サインは見てるしコースも大事だけど、それよりストライクゾーンに一番の球投げるほうが大事だったしよ。それよかバッターの目思いっきり睨みつけて打てるもんなら打ってみろよって挑発してな。それで相手が頭に血登ってくれりゃこっちの思い通りだしよ」
「やっぱり八総さんただのヤンキーだったんですね……」
「ちげえよ! 勝負事なんて大なり小なりそういうもんだっつうの! 駆け引きだよ駆け引き!」
「でもやってることがまんまヤンキーのケンカのそれすぎて参考にならないんですけど……」
「とにかくお前が見るもんは埓木崎だけだろ。あとはコースっつうか、前だけさ。だいたいお前いつもめっちゃ人に見られながら走ってたじゃねえか」
「はい?」
「パシリの時。思いっきり人たくさんいるとこをめっちゃ見られながら全力疾走してたじゃん」
「……そ、そういえば!」
「気づいてなかったのかよ……」
「で、でもあれは別と言いますか! 何買うか忘れないようにってのと間に合うように必死で気にしてる余裕がなかっただけで!」
「じゃあ今回もそれでいいんじゃね?」
「そ、それは気分的に嫌といいますか……」
「ならやっぱ自分の走りだけ考えてりゃいいだろ。スタートにフォームにコースに埓木崎、バトンパスだけな。練習で繰り返したことだけ思い出して」
「……はい! 余計なことは考えず、それだけを考えます! あとは呼吸!」
と市萱は吸って吐いてを繰り返す。
「いいけどやりすぎて過呼吸にはなるなよ……」
「さて、じゃあ改めて確認しましょうか。このあと各チーム合わせてアップがあるわ。コーチの指導に従ってしっかり準備をしておきましょう。ただ普段と違って周りに人も多いから接触だけはないように気をつけてね」
と埓木崎が言う。
「その後、いよいよ本番ね。走るのは二回。一応予選と決勝ね。一度目のタイムで上位と下位の組に分かれて、二回目で最終的な順位が決まる、というやり方よ」
「だから市萱は一回目で慣れときゃいいんだよ。バトンパスとか多少失敗しても俺らが取り返すしな。ちょと落としたくらいでも上に残りゃいいんだから大丈夫だって。宮古が全部ぶっちぎってくれっからよ」
「俺頼みかよ」
「初めからそうだろ。おいしいとこ全部もってけよエース様」
「言われなくてもやるけどな。まあとにかく一回目はそこまでシビアなパスは必要ないってことだ。余裕持って確実性重視でやれば大丈夫だろ」
「は、はい! 私は渡すだけなので、がんばります!」
「むしろ二回ある私のほうが重要ね。ま、練習してきたとおりにやればいいだけのことよ。私達ならできるわ。みんなでがんばりましょう」
埓木崎はそう言い、いつもの自信しかない笑みを見せるのであった。
*
時間が進み、各科の代表も続々とスタジアムに入ってくる。その練習風景を見る限り、やる気や練習度には大きな差があったが、共通しているのは普通科代表の面々への視線であった。
あれが例の。普通科のくせに。内心は色々ある。普通科ごときに負けられないという者たちもいれば、こんなお遊びのリレーはどうでもいい、自分たちの専門では普通科など相手ではない、という者たちもいる。とはいえ「あれだけの大口を叩いていたけどどんなもんか」という興味は共通していた。
そうして最後の練習、各自動作の確認、アップをしていると、観客席にも人が入り始める。対抗戦は入場無料の開かれた試合。観客は高校の生徒だけとは限らない。今回は「万年最下位普通科の勝利宣言」もあったため、内外問わず注目度は高かった。
とはいえ日新学園高等学校はそれだけで1万近い生徒数を有する。大部分は学園の生徒であり、制服の者から私服のものまでいた。わざわざ休みの日に見に来るもの好きも案外多く、それ以外にも部活の前後に興味本位で顔を覗かせた者もいる。そしてそうした者の多くは、やはり「あれだけ言ってた普通科は果たしてどんなものか」という興味で集まっていた。そうして広い客席は半分ほどが埋まっていく。
「結構埋まってきたな」
となんの気無しに八総が呟く。
「そうね。これも私たちの周知活動のおかげかしら。そろそろ時間よ。ロッカールームに戻る時間。みんな準備はいい?」
「とっくにできてるよ。この二週間でな」
「ひひひ人が思ってたよりずっと多くて……」
と客席を指差し顔面蒼白で震える市萱。
「まだ時間あんだろ。それにお前は世界だけ見て世界の視線だけ感じてりゃいいんだって」
「そうよ。私だけを見ててちょうだい。あなたを見てるのも私だけだから」
埓木崎は胸に手を当てて言う。
「そ、そうですね……埓木崎さんだけ、埓木崎さんだけ……」
「これもこれでだけど、まあこっちのほうがマシか。あとは呼吸やってりゃいいし」
「そうね。二回あるのはやはりありがたいわ。さて、じゃあロッカールームに戻るわよ。出番までしっかり準備をしましょう」
そう言い、皆を先導するように歩き出す埓木崎。その後に続いて歩く普通科代表の面々であったが、それを遮るように一人の男子生徒が前に立つ。
「……よお八総」
「狩野じゃん。え、お前その格好もしかして対抗戦出んの?」
と八総は体操姿の狩野を指差す。彼はスポーツ科所属の野球部員であり、八総に「落ちぶれた」と言い放った張本人でもあった。
「ああ、出るよ」
「マジで? 野球部って出れんのかよ」
「監督に無理言って頼んだ」
「は? なんで?」
「……お前が、野球辞めてこんなくだらない遊びにうつつ抜かしてるのを知ってな。はっきりわからせてやりたかったんだよ」
「……お前ってもしかしてバカなの?」
「お前に言われる筋合いはない」
「お前に言われる筋合いはないとかリアルに言われたの初めてだわ……そんなことしてて野球部ん中で大丈夫なのかよ。先輩とかもいんのにさ」
「関係ないな。なんであろうと実力こそがすべてだ。こんなお遊びに出ようと俺は問題なく一年目からベンチに入ってやるさ」
「ベンチで満足かよ」
「……ほんとにむかつくなお前は。そもそも持ち回りもあったし野球部からも出してくれって話が来てたからな。丁度いいから立候補しただけだ。それに俺もはっきりケジメをつけときたかったしな」
「ケジメってなんの?」
「お前との勝負に決まってるだろ」
「え、こんなんでいいの?」
「……お前が逃げた以上仕方ないだろ」
「別に逃げてないけどな。でも入部したてで部の練習も出ないでリレーなんかやってたら大変だろ。孤立しね?」
「お前が心配することじゃないし今日のこの時間だけだからな」
「いや、今までの練習は? リレーの」
「するわけないだろそんなの」
「それはさすがに舐めすぎじゃね?」
「舐めてるのはお前らの方だろ。普通科がスポーツ科に勝つ? 現実見ろよ。そんなことはありえないんだよ。俺たちは生まれも育ちも違うんだ。お前だってそもそもはずっとこっちだったろ」
「いや、ねえなそれは」
八総はそう言って首を傾げる。
「そりゃ才能はあっただろうけど生まれとか育ちとかそんな大袈裟なもんじゃねえし。ただ好きで始めて好きでやってたってだけだからな」
「……お前はほんとに、そんな普通科の平凡な面子で俺たちに勝てると思ってるのか?」
「勝てるよ。というより勝つだけだろ。勝ちたいから勝つために死ぬ気でやるだけで。結果ってのはわかんねえんだから自分の手で死ぬ気でコントロールするもんでさ。
そもそも俺たちは平凡な面子でもなんでもねえからな。少なくともこの代表対抗戦じゃ最高のメンバーだぜ?」
「……言ってろ。野球部以上に最高のメンバーなんかいるわけがないだろ。お前もいるはずだった、日新の野球部以上なんかは」
狩野はそう言い、一つ息をつく。
「なんだっていい。一回目は別の組みたいだからな。そこまで言うならちゃんと決勝に、上位グループに上がってこい。そこではっきりわからせてやるよ。完膚なきまで叩き潰してな」
狩野はそう言い、背を向けて立ち去るのであった。
「……なんだったんだあいつ」
「お前がわからねえなら俺らにわかるわけがねえだろ」
と宮古がつっこむ。
「ずいぶん好かれてるみたいだったけどね八総君。ピッチャー仲間?」
と埓木崎が尋ねる。
「好かれてんのあれで?」
「というより愛憎入り交じってるって感じに見えたけれど」
「それもそれで嫌だな……やっぱ世界は狩野のことも知ってんの?」
「ええ。少しだけだけどね。スポーツ科の野球部員で一年生でしょ。ピッチャーで八総君とは中学日本代表で同じチームだったと記憶してるけど」
「そうそう。まあほとんどそれくらいしか接点ないけどよ。あとは対戦相手でほんと数回程度で。まあ日本代表じゃ俺がエースであっちは二番手だったからな。あんなプライド高そうなやつとは知らなかったけど、ピッチャーなんてみんなそんなもんだしな」
「そうみたいね。ということはライバル視していて高校ではエースを勝ち取ろうと思ってた相手がいきなりいなくなってしかも金髪になってて普通科に入って代表対抗戦なんていう『お遊び』に興じているのが許せなくて、って感じなのかしら」
「……お前あれだけでそこまで理解したの?」
「誰が見てもそうじゃない? 私は前情報知ってたからでもあるけど」
「まあ多分、そういう感じなんだろうな……けどよ、こっちからしたら儲けもんだろ。あいつも脚は速いんだろうけどリレーの練習してねえっつうんだからな。スポーツ科はベストのメンバーじゃねえぞ。マジで勝機見えてきたなこれ」
と言い、八総はニッと笑う。
「ふふ、ほんとにポジティブね。転んでもただじゃ起きないというか。とても頼もしいし、実際その通りだと思うわ。といっても他の三人は陸上部員みたいだから、決して油断せず、彼のところでなんとか巻き返しましょうね」
「そうだな。しょっしゃ市萱! マジで勝てるぞ今日は! お前もバリバリ自信出してけ!」
「は、はい! よくわからないですけど、八総さんが知ってる相手見てそう言ってるってことはそうなんでしょうからがんばります!」
「そうそう! スポーツ科のやつ舐めて走りの専門じゃねえやつ入れてきたからな! しかもリレーの練習してねえ素人だ! こりゃバトンパス絶対失敗するぞあいつら! こりゃ俺たちが勝ったも同然だぜ!」
「そ、そう言われるとすごくそんな気がしてきますね! リレーあんなに難しいのに練習なしでできるなんてありえませんから!」
「そういうことそういうこと! 練習してるやつらとしてないやつらならしてる俺らが、めっちゃ練習した市萱が勝つのは当然だろ!」
「た、確かにそうですよね……そうじゃないとおかしいですし……」
「そうそう! じゃ、はりきって戻ろうぜ市萱! バナナ食ってゼリー食ってスポドリ飲んで万全にすっぞ!」
「はい! バナナも大好きです!」
「だよな! お前バナナの皮手汚さずに剥く方法知ってっか?」
「いえ! 知りません!」
「よしんじゃ教えてやっから行くぞ!」
八総はそう言って市萱と互いに肩を組んで拳を突き上げロッカールームへと戻っていく。
「ふふっ。ほんとにいい組み合わせねあの二人は。あの流れから市萱さんの状態のケアに利用して、さすが八総君だわ」
と感心しながら微笑み、二人の背中を見る埓木崎。
「いや、でもあんな強引っていうかこじつけみたいな感じでほんとにいいのかよ」
と宮古。
「だからこそ効果があるんじゃない? 市萱さんは良くも悪くも単純と言うか、思い込みによる影響が大きいから。あそこで知った情報からはっきりあっちが下、こっちが上と提示して信じ込ませられたのは大きいと思うわよ」
「確かにまあ、市萱があの調子なら助かるけどな……けど実際、スポーツ科はそんな弱いのか?」
「どうでしょうね。一回目を見てみないことにはなんともだけど。でも狩野君が練習をしてないのは事実だと思うわよ。残りの三人は別だし、事前の情報ではリレー慣れしている短距離専門の陸上部員だから。ま、男女の差はあれみなあなたクラスかもね。それでも宮古君のほうが上だろうけど」
「……まあ任せとけよ。日新のスポーツ科陸上部だろうと同じ一年に負ける気はねえからな。それよかお前だ」
「そうね。改めて私が一番の弱点である事実を痛感しているわ」
「そうじゃねえよ。そんなの前からわかりきってるだろ。お前で差が出んのは織り込み済みなんだからよ、お前はお前で気にせずベスト尽くして走ればいいって話だよ。ちょっとの差くらい俺が全部抜いてやっから」
「……そうね、任せたわよ。普通科のエース」
埓木崎はそう言い、ニッと笑って前方へと歩きだすのであった。




