13 どっちの人生がいい?
午後の授業、体育の時間。体育は男女別々であった。二クラス合同ではあったが宮古とは違うクラスだったため、八総は必然的に一人になる。元々遠方から来ているので友人知人はいなかったが、金髪とその後の対抗戦「騒動」により、他クラス含めて多少引かれている部分もあった。おかしいやつ、やばいやつ。あまり関わらない方がいい。八総たちは一部の生徒からすればいわば「普通科の安寧」を壊すような存在でもあった。何が対抗戦だ、勝利だ。こっちはそんなことには興味はない。変に引っ掻き回すな、そっとしておけ、と。とはいえそんな「空気」など八総には関係なく、ほとんど知覚もできなかったのだが。
そんな中で八総は「人間観察」に集中していた。折よくも授業では「三年間での成長を明確化するため」という理由で入学早々運動能力が行われていた。短距離や長距離、ボール投げに幅跳びといったおなじみのものである。今日は中でも50メートル走も行われており、八総はこの機会にと「対抗戦の補欠を見つけてやる」と皆の走りを熱心に凝視していたわけであった。そうして幾人かに目星をつけ、早速男子生徒のグループに声をかけに向かった。
「ちょっといいか?」
「あ? ……なんだよ」
相手は八総の顔を見るなり表情を変える。
「まだ全員顔覚えてるわけじゃないし名前も全然だけどさ、多分同じクラスだよな?」
「……だな」
「一応名前聞いといてもいい?」
「……音金だけど、なんの用だよ八総」
「お、そっちは名前覚えてくれてんだ」
「そりゃな」
音金はそう言って苦笑いし、同意を得るように友人たちの顔を見る。
「でまあちょっと話なんだけどさ、音金代表対抗戦やんない?」
「は? ――それってあれだよな。あのリレー」
「そうそう。なんだ知ってんじゃん」
「知らないやついないだろ。あんだけアプリでやってて」
と音金はまた苦笑を浮かべつつ確認するように友人らを見る。
「へー、そっか。あれやっぱ効果あんだな。さっき見たけど音金足速いしさ、一緒にやらね? 今は補欠候補だけどもちろんお前のほうが速かったら代表だし」
「ハッ……お前それマジで言ってんの?」
「ああ」
「やるわけねえじゃんあんなバカみてえなこと」
音金はそう言って蔑むような薄ら笑いを浮かべ、また友人たちの顔を見る。
「バカみてえか?」
「バカだろ完全に。代表対抗戦だかなんだか知らねえけど、だいたいお前本気で勝てるなんて思ってるわけ?」
「いや、思ってるわけではねえかな」
「は?」
「勝てるかどうかってのにはまだ材料が足りねえしよ。練習も始めたばっかだし、他がどうなのかも知らないからな。でもまあ、そういうのは関係ないからな。勝つ可能性で言えば当然あるだろ。一発勝負だし、この世に勝てない勝負なんてないからな。やらねえことにはわからないんだから勝てる勝てないじゃなくて勝つためにやることやるだけだし」
「……そういうことじゃねえよ。というかそういうことだと思ってる時点でバカじゃねえか」
「そういう考えのほうが頭良くね?」
「マジのバカなんだなお前。普通科の中でもぶっちぎりすぎるだろ」
音金はそう言って薄ら笑いを浮かべる。
「現実みろよ現実。やってみたってできないってのが現実だろうが」
「あー、まあそういう現実もあんのかもしんないけどさ、それ単にお前の現実って話じゃねえの?」
「――あ?」
「世界の現実じゃなくてお前の現実ではそうだってだけの話だろ。お前の外側の、世界の現実じゃさ、やってみねえとわからないってのが絶対的な真実だろ」
「……マジでバカだな。やらなくたって決まってんのが現実だろうが。現実じゃ1+1は2なのが揺るがねえ現実なんだよ」
「3にも4にもなんのが現実じゃねえの? 数学じゃねえんだしよ」
「アホすぎて無理だな。話になんねえ。そういうのは全部妄想っつうんだよ。数学なんてそれこそ現実だろうが。やるまえからわかってるし決まってんのが現実なんだよ。とにかくそういう妄想は頭おかしい奴らだけでやってろよな。俺ら普通の人間を巻き込むんじゃねえよ」
音金はそれだけ言うと友人らとともに八総のもとを立ち去った。その背を見つつ、
(この調子で勧誘やってっと無理そうだな……まあ出だしで無理なのはわかってたけど、これで来ないようなやつはチームにはいらねえだろうし、頭数のために相手に合わせて偽ってたって目的からはかけ離れるしな)
などと考えていた。そうして「というか俺らマジであんなふうに思われてんだな。昼のパシリ女子もそうだったけど。これが普通科の多数派なのか? だとするとなかなか厳しい戦いになりそうだな、普通科の意識改革」と一つ息をつくのであった。
*
練習は毎日朝も放課後も行われる。基本となる走りの練習。フォームを固め、何度も走り、再現性を上げる。それを繰り返しタイムを縮めていく。正しいフォームで走るだけでも走りは劇的に改善される。それは今まで走りの指導など受けたことがなかった市萱が一番如実に表れていた。
経験者の宮古は、何度も繰り返し次第に感を取り戻していく。そうするとタイムも自己ベストに近づいていく。八総も野球で走り方の指導を受けておりその基本は同じであったが、とはいえ当然野球と陸上、リレートでは走り方が異なる。特にピッチャーの八総の場合はベースランニングが中心。100メートルという長い距離をまっすぐ走るわけではない。そのフォーム、練習を、ひたすらにする。元々運動能力は高いので繰り返すことで身についていき、タイムも日を追うごとに縮まっていった。
逆に大きな変化が見られないのは埓木崎であった。それは彼女が皆より前から練習をしていたため。大きく伸びるタイミングはすでに通り過ぎている。いわば伸び代はもうあまりないといったところ。これ以上はより長期的な肉体づくりなども必要となってくる。そのため彼女にとって重要だったのはやるかもしれないクラウチングスタート、コーナリングにバトンパスであった。
使える時は日新大学の陸上トラックを使った本格的な練習。そうして残り一週間に迫った頃、いよいよ走る順番が決まり、各自そのための練習が始まった。
第一走者は市萱。タイムが最も遅い埓木崎を最も走る距離が短くて済む第二走者に置くための策であった。クラウチングスタートはほぼ初心者であったが、これも「パシリ走法」のおかげかスタートダッシュ力には目を見張るものがあった。センスも悪くなく練習さえすれば最低限ものにできるだろうし、立ったまま、スタンディングスタートのほうが速い場合はどちらでも構わない、という布才地コーチの判断であった。そもそもがまともにクラウチングスタートをできる人間は一部の陸上経験者に限られているため、それをしてくるのはおそらくスポーツ科だけであろう、という考えもあった。加えてこれまた「パシリ走法」のおかげで市萱はコーナリングもうまかった。それが市萱が第一走者の理由。
第二走者は最も長く走れる順序であったが、それは同時に最も短く走ることもできるということ。そこに最もタイムが遅い埓木崎を置く、というのがコーチの判断。加えて第二走者は直線でもある。技術の差は出にくい。タイムが遅い埓木崎にはシンプルに直線を走ってもらったほうがタイムが出せるというのがコーチの作戦。もちろんそれらはすべて実際全員がコーナー、直線を走りそのタイムを見た上でのものであった。
第三走者は宮古。バトンパス、テイクオーバーゾーンを駆使して一番速い彼が一番長い距離、およそ130メートルを走る。コーナーも経験者のため難なく走れる。
そしてアンカーが八総。すべてはタイム、適材適所であったが、彼の「勝負強さ」を買われての采配でもあった。アンカーはエース、という考えでくる科も多いかもしれない。最後の直線の勝負で、追いかけ、追い抜き、もしくは逃げ切る。そういう競り合いは、ずっと勝負の世界にいた八総にうってつけでもあった。他の科が男子をアンカーに持ってくる可能性が高いというのも理由である。
ともかくとして、リレーで重要な総順が決まった。走る距離、場所、そして重要なバトンパスの方法と相手が決まった。あとはそれを、ひたすら練習するのみ。目標は明確。目的は明確。日々の課題が明確で、それはゴールまでの距離をも明確にする。
並行してこの代表対抗戦において重要な「周知活動」、もとい活動配信も毎日続いていた。いくら部費をもらっているとはいえ、鬼のような速度で動画を編集し、記事を作り、公開する見通並びに報道部の面々。「実際メディアで働いたらこんなもんじゃないっすからー」などと笑顔で答えるのだが、その活動が好きだからこそできることでもあっただろう。
とにかく毎日、彼らの練習の様子が、その努力が配信される。勝つこと、結果はもちろん重要だが、そこに至るまでの過程も重要。むしろ結果がどうなるかわからない以上、過程のほうが大事ですらあった。努力という過程を見せて、心を掴む。応援させる。共感させる。励ます。魂を揺り動かす。「意識改革」という目的のためには、それこそが必要不可欠な要素であった。結局、人の心とはメディアが動かすもの。物語が動かすもの。知られぬことには変革など始まらない。周知こそがすべての第一歩。自分たちが本気なのだと、見せるため。そしてあなたも同じなのだと、できるのだと、信じてもらうため。
そのためには当然練習風景だけではなく彼ら自身の「言葉」も必要となる。ドキュメンタリーはナレーションだけでは成り立たない。当人の言葉、インタビューがあってこそ真実味が増すもの。とはいえ市萱にとっては困難な苦行そのもの。最初は拒否していたが、埓木崎の「スピーチ」により説得されなんとか答える。苦戦はしたがなんとか言葉を紡ぐ姿を見て、「こいつもなんだかんだ短期間でここまで自分の思いをちゃんと口にできるようになったんだなあ。成長だなあ」などと偉そうに思う八総。
宮古もあまり乗り気ではなかったが、必要なことだという考えは共有しており、言葉少なではあるが簡素に受け答えをしていた。元々全国大会出場者であるためインタビューを受けた経験自体はある。そして何より「自分はここにいる」ということを、やつに、因縁の相手菅生に。そして世界に知らしめるためにも、彼はインタビューではっきり自分の思いを、言葉を語った。
八総もまた、そこで語る言葉は普段と何も変わらなかった。彼もインタビュー自体は経験がある。話すことは何も苦ではない。そして何より、「自信」がある。
いつもの言葉。本当の思い。包み隠さず、信じていることを。信じていることだけ。本当のことを。理想を。
勝てる。勝ちたい。そっちのほうが面白い。やってみなければ、わからない。
わからないからやる。勝つためにやる。やらなければ勝てず、やるから勝てる。
「八総さんは何故この代表対抗戦に参加されたんですか?」
「そうですね。まあ一言で言うなら『自分の人生を生きるため』ですね」
「自分の人生を生きるため、ですか?」
「はい。自分は野球でピッチャーやってたんですけど、肘ケガして投げられなくなって。それで野球辞めて、正直腐ってたんですよ。自分の人生もうやることがない。この先何をして生きてけばいいんだ。高校三年間もなにをすればいいんだって。まあ人生をなくしてて、生きる目的もなくて。
けどまあ、そんなんつまんないじゃないですか。自分の人生を取り戻したいって思ったんですよ。たとえ野球じゃなくても、自分の人生を自分の手で生きてるって、コントロールしてるって。そういうのを取り戻したかったんですよ。
埓木崎さんに誘われて、一緒に戦おうって。普通科を一番にするとか、めちゃくちゃ面白そうで。というか面白いに決まってるし。そういう新しい人生も面白えなって、そう思ったんですよね。おまけに『自分の人生を取り戻してみない?』とか発破かけられて。そりゃやるしかないでしょもう。
まあだから、面白いからってのが一番ですね。絶対そっちのほうが面白いから。そっちの人生の方がいいから。自分がどういう人生生きたいかって、そりゃ断然こっちの人生のほうがいいでしょって、それだけのシンプルな理由ですね」
その動画は、言葉は、アプリを通し学園中へと広がる。そうして見たものの何かを、動かす。
初めての代表対抗戦まで、あと一週間と迫っていた。




