プロローグ「ザ・ワールド・イズ・ユアーズ」
夢を見る。いつもの夢だ。夢にまで見た大舞台、甲子園まであと一勝。炎天下のマウンド上。9回裏2アウト。1点リード、ランナー二三塁。打たれれば一打逆転サヨナラという場面。
しかし緊張はない。プレッシャーなどありえない。むしろ燃える。これこそ待ち望んでいた瞬間。人生の意味が繋がる時。なんのために産まれてきたのか、生きてきたのかがわかる瞬間。
たまらねえ。たまんねえ。自分の人生を自分の手で完璧にコントロールできる感触しかない。完璧なコースに完璧な球を投げられる確信しかない。打たれることなどありえない。未来がはっきり見える。バットにかすりもしない。振ることだって叶わないかもしれない。どのような形であれ文句なしの三振。ゲームセット。
すべてが見える。すべてがわかる。ただその未来に向かって進むだけ。セットポジションに入り、足を上げ、投げる。
けれども、見えていたような未来にはならない。ボールはキャッチャーミットに収まらない。それどころか明後日の方に飛んでいく。
肘の激痛。すっぽ抜けるボール。痛みでそのままマウンドの上に崩れ落ちる。
そして同時にその痛みで目が覚めるのであった。
いつもの夢。肘を壊したあの日から何度となく見てきた夢。甲子園、それ以前に高校野球――否、そもそも野球もピッチャーもできなくなったという事実を幾度となく突きつけてくる夢。そして痛み。ある種の幻肢痛。実際の物理的な痛みというより、思い出としての、記憶の中の痛みのようなもの。
八総宗也はベッドの上で肘を抑える。動く。痛みはある気がするが、とりあえずは問題なく動く。実際日常生活にはほとんど支障はない。ただ野球は、というよりピッチャーは二度できないというだけで。
八総宗也、16歳。高校1年、入学式の朝。野球を、ピッチャーを奪われ高校三年間――いや、この先の人生何して生きてけばいいんだと頭を抱えため息をつくしかなかった。
*
4月上旬、春。その日は八総がこれから三年間通う予定の高校の入学式だった。学校までの道中同じ制服を着た同世代の姿ばかり目につく。そんな中で身長は190近くおまけに短い金髪の八総は異様に目立っていた。
そうして歩いていると、途中から恐ろしく長い外壁、フェンスに辿り着く。そこがある意味学園内と街を分かつ境界。とはいえそのような境界などこの「学園都市」新洋には関係のないことであった。
学園都市新洋。そこは超巨大学校法人「学校法人日新学園」が支配し、それによって回っているような街であった。
学校法人日新学園。幼稚園から初等部、中等部、高等部に大学、ついでに言えば各種研究機関まであらゆる教育機関を持つ日本一の学校法人。「日本の新時代」を担う人材の排出を目的とし、それがゆえに「日新」を名乗る学校。その中でも高等部、「日新学園高等学校」は約1万もの生徒数を誇り、おまけに各種プロフェッショナルを育成するため様々な専門的な科を持つ学校であった。例えばスポーツ科、特進科、政治科、経営科、芸能科、技術科、等々……
そんな中にも「多様性を保つため」という面目で一応普通科も存在していた。しかしその実態は「超エリート日新学園のお荷物科」であり、落ちこぼれたちの集まるところ。特に秀でた部分もなく、ただ「日新のブランドが欲しい」といった者たちが集まるような場所。
その普通科が、これから八総が通う場所であった。
日新学園高等学校はその広大な敷地内にすべての科が集まっている。とはいえその殆どが異なる校舎を使い、ほとんど各個別々の学校という側面が強い。共有しているのは日新という名と制服の大部分だけ。それも科によって多少デザインが異なり、なによりわかりやすくエンブレムの色やデザインが異なる。ついでに言えば当然値段も違う。とはいえ普通科であっても曲がりなりにも天下の日新の制服。その制服目当てに普通科を目指す者も多いくらいであった。
その普通科の校舎を前に、八総は一度立ち止まる。そうして見上げ、ため息をつく。
こんなはずじゃなかった。こんなところに、通うはずじゃなかった。ここからは見えぬ、けれども一応は敷地を共有する天下の日新学園スポーツ科。その校舎に、野球部のグラウンド。そここそ自分が本来いるはずの場所だった。通うはずの校舎だった。そこで日本中から集まった化け物たちと競争し、エースナンバーを勝ち取り、甲子園で投げ、優勝する。そこからはプロか、そのままMLBか。とにかく、そのはずだった。こんな落ちこぼれの、平凡な、普通科なんかに来るはずじゃなかった。
ここは俺の居場所ではない。
そんなことを思っても、事実は変わらない。肘を壊し野球が、ピッチャーができなくなりスポーツ科への進学は取り消されたが、それでも普通科に入れてもらえただけでもありがたい。野球ができなければただのバカ。高校進学すら怪しいものだ。その温情に感謝するべきなのだ。それでもやはり、ここは自分の居場所ではないという思いは拭えなかった。
ここで、この場所で自分はこの先三年間、何をして過ごせばいいのか。夢も目的もない。とはいえそれは高校三年間に限った話ではない。野球を失ったこの先の人生。
八総の心中には桜など咲いていない。春など来ていない。永遠の冬。それでも外の世界は回り、季節は巡る。
八総は大きなため息とともにこれからを過ごす学び舎へ足を踏み入れるのであった。
*
入学式。日新は生徒数が多すぎる、敷地が広すぎるということもあったが、何よりも実力主義とそれに伴う差別化のためすべての科が合同で入学式を行うことはなかった。中でも普通科は落ちこぼれ。下の下。上流たる政治科、経営科、特進科、スポーツ科、芸能科などと場所や時間を共有することはほとんどありえない。普通科のための普通の体育館で、普通科だけが集まり入学式が行われる。
入学式の会場でも頭一つ飛び抜けた高身長とガタイ、ついでに染めた金髪の八総は異様に目立っていた。比較的校則が自由なこの日新学園普通科においても、入学式早々明るい金髪というのは見当たらない。明らかに不良。なんでこんなのが日新に。そう思われ警戒されるのも当然のことであった。
普通科らしい、豪華でもなく熱もない退屈な入学式が淡々と進んでいく。いつもの夢のせいでアラーム前に叩き起こされた八総は寝不足で自然とあくびが出る。それを噛み殺しつつ、ただ時間が流れるのを待っていた。
そうして入学式は、入学生代表挨拶の番になった。
「入学生代表挨拶 埓木崎世界」
「はい!」
異様に品がある力強い声がしんと静まり返った体育館に響いた。たった一言で、空気を一変させる声。何かしらの強烈な力を内包した、そういう声。八総は思わず顔を上げた。
その視線の先、壇上に上がったのは、声から想像される通りの恐ろしく品のある、高貴さを漂わせる女子生徒であった。棒を入れているかのような異様にまっすぐでシャンとした姿勢。細部まで意識が張り巡らされた歩き方。そしてお嬢様然として、凛々しく自信に満ちた顔。一目で「只者ではない」と思わせるだけの何かがあった。
八総はピッチャーだ。小学生からずっとピッチャーをやってきた。名門クラブでエースになり、小学校中学校と全国大会にも出場してきた。つまり野球の世界での「上」をずっと経験し、その目で見てきた人物。
だからこそわかる。ピッチャーはマウンドの上から何人もの打者と対峙するからこそ、よくわかる。体型、構えは当然であったが、その顔に表れる何か。全国屈指の強打者は、打席の中での顔を見るだけでもわかる違いがある。限られた上位者は、打席の外でも顔を見ただけでわかる何かがある。
だからこそ八総にはわかった。その女子が只者ではないと。自分がこれまで対峙してきた、全国屈指の強打者達と同レベル、それ以上かもしれない「何者か」であると。少なくとも、こんな「落ちこぼれ」の普通科にいるような人間じゃない。
なんなんだ、こいつは。
「みなさんおはようございます。初めまして。ご紹介がありましたが、改めて自己紹介させていただきます。入学生代表挨拶を務めさせていただきます、埓木崎世界と申します」
壇上に上がり、生徒たちの方を向き、どこか不適で、それでいて気高い笑みを湛えながら話し出す埓木崎世界。それは始まりからして「普通」の代表挨拶とはことなっていた。
「埓木崎という名字ですでに勘づいている方もいるでしょうが、みなさんいずれ知ることになると思うのでお話します。私はここにいる多くの方がご存知であろうグローバル企業『RACHIグループ』現会長の孫娘にあたります」
RACHIS。花軸、葉軸、中肋、羽軸などを意味する言葉。創始者一族である「埓木崎」の名前から取られたその名は、世界に轟いている。企業グループとしては世界最大規模。あらゆる分野に進出し、あらゆる国で活躍する世界で知らぬものなどいないような超有名巨大企業グループ。
さすがの八総も知っていた。野球しかやってこなかった八総でも、RACHISの名くらいはこれまでの人生で幾度となく目にしてきた。たとえば家電。家にある多くの家電に印されたその名。ブランドのロゴやエンブレム。持ってるスマホだってRACHIS産。実家の車もRACHIS産。ついでにいえば野球道具の分野にすら進出していたため、なんなら自分が使ってきたグラブやスパイク、ユニホームだってRACHISのもの。
その、世界一の企業グループの、現会長の、孫娘。「埓木崎」の名を継承する少女。言ってみれば上流も上流の、超貴族。
そんな人間が、なんでここに。それはその場にいるすべての人間の疑問であった。
「とはいえ私の名字や親族のことはこの場には関係ありません。そんなことを話すために私はこの場に立っているわけではありません。もちろんそのためにこの普通科に入ったわけではありません。私は、この普通科をこの日新学園で一番の科にするために入学しました」
その言葉の意味を、最初誰もが理解できなかった。
一体何を言っているんだこの人間は? いきなりこんなところに現れて、普通科を日新学園で一番にする? そもそも一番って、一体なんだ?
「みなさんもご存知でしょうが、この日新学園では毎年学内の科の間で対抗戦が行われています。様々な内容でポイントを稼ぎ、一年間のポイントで順位を争う。その他にも年間を通し様々な種目で代表対抗戦が行われています。それはこの日新の『競争こそがお互いを高めあい日本の新時代を作るための礎』という理念からきているわけですが、その対抗戦においてこの普通科は文字通り『万年最下位』に甘んじているというのが現状です」
しんと静まり返る中、埓木崎世界は話を続ける。
「結果、この普通科は日新学園の落ちこぼれ、お荷物などと揶揄されてきました。ただ外部から言われるだけではなく、通う生徒達すらその言葉が真実であると思い込み、自己暗示のように自らに刷り込むようになっていってしまいました。けれども私は、はっきり断言します。
あなたたちは、普通科は、断じて落ちこぼれなどではありません」
埓木崎は、あの気品と不敵が混ざった笑みを湛えたまま、真実の言葉としてそうはっきりと断言した。
「いいえ、誰もが落ちこぼれなどではありません。お荷物などではありません。どれだけ他人に言われようと、そう刷り込まれようと、自分の人生は、自分で決めることが出来ます。あなたの人生は、あなたが決めることができます。
夢、目標、理想。みなさんにも色々あるでしょう。ない方もいるかもしれません。けれどもそれは関係ありません。重要なのは、あなたは何者にでもなれるということです。あなたは夢を叶えることができるし、勝つことができるということです。
万年最下位の普通科に何ができる、落ちこぼれは勝つことなどできない。何者にもなれない。人はそう言うかもしれません。あなたにそう言い聞かせ、あなた自身も自分にそう刷り込むかもしれません。これまでも、自分自身にそう刷り込んできたかもしれません。けれどもそれは嘘です。私は断言します。
あなたは、勝てます。あなたは夢を叶えられます。あなたは自分の人生を、自分の手でコントロールすることができます。あなたは何者にでもなれます。私はこの普通科を、そういう場所にします。あらゆる分野でこの日新学園でも一番の、すべての夢が叶う場所。あなたを応援し、人生に勝利できる場所。対抗戦においても勝利を収め、一番になり、落ちこぼれでもなんでもないのだ。あなたは、私達はみなできるのだと。それを証明し、勝利と自信を得られる場所。この普通科を、そういう場所にすることをここに宣言します」
その言葉の意味が、その場にいる多くの者にはよくわからなかった。自分たちが、普通科が、対抗戦で他の科に勝つ? 夢を叶える?
何を言ってるんだこいつは。自分たちは、普通科は、文字通り普通で平々凡々で、プロフェッショナルたる他の科に勝つなどありえない。どうやっても不可能だ。各種競技のトップアスリートたるスポーツ科。生まれから違う上流階級たる政治科、経営科。頭脳明晰天才たちが集まる特進科。別世界の住人たる芸能科。他の科も、各分野に突出した才能を誇るプロフェッショナルばかり。頭脳も肉体も技術も才能も持たない自分たち普通科など、天地が逆さになっても敵わない相手。それはもう、知っている。わかっている。歴史が証明しているし、何より各々のこれまでの短い人生がそれを証明している。どこまでも自分たちは「普通」なのだと。天才たちに敵うことなど、何一つないのだと。
しかしそんな思いなどお構いなしに埓木崎はあの笑みのまま続ける。
「私はそれを信じています。やればできると、夢は叶うと。努力の先に勝利はあると、そう信じています。だからみなさんも、私と一緒に信じてください。私は私の力でこの普通科をより良い場所にします。あなたが自分の人生を自分の手でコントロールできるのだと、その確信と実感を得られるための場所にします。望む戦いで勝利を収められる場所にします。そのためのあらゆる教育、トレーニングを受けられる場所にします。望むものが誰でも、その訓練を受けられる環境にします。
だからみなさん、一緒に戦いましょう。この普通科を、この日新で一番の場所にしましょう。勝利を収めましょう。
戦いましょう、毎日を。日々を、戦い、自分の人生を自分の手に取り戻しましょう。それができると、信じてください。信じられる場所を、共に作っていきましょう。自分を信じてください。自分自身を。自分を信じられる場所を、環境を、その日々を。共にこの普通科に、作り上げていきましょう。私はそのためにここに来ました。私はみなさんを信じています。
この世界は、あなたのものです」
埓木崎世界はそう言い、己の胸をトントンと叩いた。それはある種、「自信」のジェスチャー。己を鼓舞し、己の心臓を動かす拳。
そうして、前代未聞の入学式新入生代表挨拶が終わった。
『ライブ・オブ・アイドル リメイク』(https://ncode.syosetu.com/n3891ie/)もよろしくお願いします。