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第五話 フィルター越しなら楽なのに

 ――あれはどういう意味だったの?


 その一言が言えなくて、表面上何も変わらないまま、春陽ちゃんとの付き合いを続けていた。

 彼女の方でも、あれ以降は好意らしい好意は表に出してこなかったから、いまいちタイミングが掴めなかった。

 そうこうしているうちに春陽ちゃんは高三になってしまい、余計に話しかけにくくなってしまう。


 悪循環だった。


 こういうのは間が開けば開くほど訊きにくくなる。だから、あのメッセージにそのまま問い返すのが正解だったのだ。


 でも、ダメだった。


 私はお姉さんぶってあの『ごめんなさい』を見なかったことにして、また遊ぼうねと玉虫色の言葉を送ることしかできなかった。


 もしかすると、春陽ちゃんにとってはそれが『ごめんなさい』の言葉だったのかもしれない。

 だから何もなかったように振る舞ってくれている。

 あんなにもためらって誘いをかけて、あんなにも震えていたのに。


「大好きです……か」


 念押しするようなごめんなさいのメッセージが、今でも目に焼き付いている。


 変わるための一歩を踏み出して。でも怖くて。だから謝りながら進んで。

 だけど、それを受け止めた私は、それを見ようともしないで。


「はぁ~」


 こうしてずっと、暇になるたびに思い出してはうじうじとしてしまう。


 スマートフォン上で適度に開いた動画サイトのオススメは、どれも見る気にはならない。

 動物動画やお笑い、当たり前のようにあげられたアニメ主題歌。

 横ではなく縦に流れるコメントに囲まれた美少女たち。


 最後のは、最近やけに増えてきたなと思う。


 知り合いのボイスコの間でもスカウトが来たとか来てないとか、少し波紋があったのが頭の隅にある。

 あんなのされたら商売上がったりだよーとか、文句言ってる子もいた。


 だけど、アバターをかぶっていても人間が話してるのに変わりはないわけで。どうにも色目で見てしまう。


 もちろん、需要があるのもわかる。


 私自身、現実のアイドルにアレルギー的なものがあるタイプだから、アバターを使ってアニメっぽくしてくれるだけで随分と入りやすくなる。

 だから、そういうものをどこか遠巻きに見てた人たちが、引き込まれていくのはわかってしまう。


(まあ、大変そうだよねーって)


 長時間生放送をやるのはしんどい。

 台本を用意していても全てがその通りというわけにはいかないし、もしないなら話のネタがつきそうだなって思っちゃう。

 私ならきっと余計なことも言いそうだし、それで燃えたりしたら面倒くさい。


 見られるなら、綺麗な私が良い。


 だから何度でもやり直せて、一番を出せる録音でだけ勝負してきた。


 でも、もうそういう時代じゃないんだろうか。

 ファンサができて、人ととなりが見える子じゃないと難しいんだろうか。


「どっちも思い通りだったら、最高だよね」


 最高の声質で、最高の性格なら、きっと最高の二乗だ。

 その子が生きてるだけで幸せだろう。話を聞けるだけで最高だろう。

 話しかけられるなら、もっと最高。


 私にとっての春陽ちゃんは、いぐさちゃんは……声質だけの子だったのかな。


「んなぁ~」


 いいや、違う。


 コラボのために打ち合わせをしてから知った彼女は性格だって最高で、ああやって過ごせた時間は最高だった。


 だから、余計な悩みでその最高が濁ってしまうのが嫌なんだ。


 なのにどうして私は悩み続けてるんだろう。

 言葉の意味を訊いて、嫌だったら遠ざけてしまえば良いだけなのに。

 そうしたところで、春陽ちゃんはきっと活動を続けてくれるだろうし、もしやめてしまっても、音源を聞けばいつでも会えるのに。


 ……ああ、もう違うんだ。

 彼女はもう画面の向こうの『誰か』じゃなくなってしまった。

 私を抱きしめて、謝りながらキスをした玉城春陽という女の子になってしまった。


 もう音源を聞けば満足していた頃には戻れない。


「でも、今更どうすればいいのよ~」


 結局そこに帰ってきてしまう。


 こうなるとダメだ。どうしようもない。

 進むにせよ、別の道を探すにせよ、誰かに手を貸してもらうしかない。


 幸いこういう時に呼び出せる友達が私にはいる。

 最近忙しそうだけど、昔貸した借りを返してもらおう。


 ――明日空いてる?


 送りつけたメッセージに良しの返事があったのを見て、私は準備を始めた。


   ◯


 春陽ちゃんの時のように気合を入れた服ではなく、こざっぱりしたブラウスにジーパンという気楽な格好で、地元の駅で待つ。


 思った通り、約束の時間から10分遅れで彼女は現れた。

 セミロングの髪を明るく仕上げて、グレーのカットソーに青いジャケットにスカートと、いかにもできそうな女という出で立ち。

 これで声は甘いんだから、人体ってよく分からない。


 彼女は小沢麻央(おざわまお)

 声サー時代からの友達で、気づけば十年選手だ。なんなら学生時代の友達より長い。

 好みの声質とは全然違うけど、声質が近いのもあってよくコラボしていた。性格的にも殴り合えて楽だったし。


「ったく急に呼び出しとか頭沸いてる」

「それに即レスして乗ったのはどこの誰よ」


 会って早々罵倒を飛ばした私たちは、いつもの慣れた居酒屋に入った。


 喫煙者のこの子のために、喫煙可の居酒屋を確保しておくのもだんだん辛くなってきている。

 居酒屋ですらそうなんだから、どれだけ世知辛いんだろうか。


 そう思って見つめていると睨み返された。


「あによ」

「……あれ、吸わないのかなって」


 いつもなら席に着くなり灰皿を目の前に置いてスパスパ始めるくせに、今日はどこか所在なさげに指先を転がしているだけだ。


「禁煙中?」

「……まあ」

「珍しい。またお願いされたわけ?」

「……まあ」

「どうせ無理なのに」


 麻央は彼女のパートナーにお願いされて、定期的に禁煙に挑んでいる。

 でも、この前の大幅値上げの時ですら辞められなかったんだから、たぶん一生無理だろう。


「……だって、キス嫌がられんだもん」

「不味いって?」

「そう」

「慣れてくれればいいのにね」

「それこそ無理でしょ。普段の匂いは我慢してくれるけど、吸った後は露骨に嫌がられるし」

「いっそ別れたら?」

「殺すよ?」

「あー怖いなー」


 まあ散々ヘラりながら今のパートナーとゴールしたのを知っているので、本気で別れろなんて言えないけど。


「あの子も折り合いつけてくれればいいのにね」

「こっちのケンコー気にして言ってくれるんだし、それ盾にされると弱いよ」

「まあねえ」


 太く短く生きられたら楽だろうけど、好きな人とはできるだけ長くいたいし迷惑はかけたくない。

 だから、体を大事にと言われたら、ノーとは言えない。

 こればかりは惚れた弱みというやつなんだろう。


「で、何のために呼び出したの?」

「ワビサビがないなあ」

「飯奢るから、なんてまで条件付け足してくんのよっぽどでしょ。何? 会社でも辞めるの? 本気で声で食ってく気になった? 回せる話しならいくつかあるよ?」

「いやあ、私には無理ですぅ。日曜ボイスコでいいです」


 私は麻央の声質はそこまで好きじゃないけれど、麻央の方は私を買ってくれている。

 また昔みたいにどう?とたびたび声をかけられるし、手伝いでいいからと仕事を振られることすらある。

 本気になれないのがわかっているから今の生活を変える気はないけど、そうして誘ってくれるのには感謝してる。


 表では言わないけど。


「じゃあ……恋愛とか?」

「……まあ」

「ふーん……」


 声の調子が半分上がった。食いつきが良すぎる。


「よほど複雑な相手と見た。よっぽど年上か不倫か未成年?」

「みせーねん」


 話が早すぎて楽なんだかしんどいんだか。

 口を軽くするために酒で唇を湿らせながら、麻央の質問に答えていく。


「何? コンビニバイトとかに惚れたりしたの」

「だったらまだ気楽なんだけどなあ。毎日会えるし」


 顔合わせじゃないからこそ話がこじれてる気がする。


「ああ、なるほどね。サイト絡みか。やめなよ、もういい歳でネット恋愛なんて」

「いや、まだそうだとは」

「そのリアクションほぼ答えでしょ。で、その子とどこまでやったの?」

「ヤったとかいわないで」


 このまま春陽ちゃんを受け入れるなら、そうなる日も来るのかもしれないけど。

 今はまだ乱れる姿なんか想像できないし、したくない。


「じゃあキスくらいか」


 無言で頷くと、豪快に笑われた。


「そこまでしたなら後はもう進むだけじゃん。何迷ってんの」

「勢いとか、なのかなぁって……」

「酒の席でされたの? したの?」

「相手未成年って言ったでしょ」

「ああ、あんたそこはガッツリ分けるもんね。シラフならなおさらじゃない?」


 改めて人から言われると、答えなんて一目瞭然だ。

 でも……。


「……ごめんなさいって、言われながらされた」

「無理矢理?」

「無理矢理だけど、別に、そういうのとは違う」

「ふーん……たしかにそれは悩むかもね」


 ころん、と氷がグラスにぶつかる音がする。


 ちびちび飲む私と違って、麻央はジュースみたいにお酒をあおる。

 タバコなんかよりこっちの方が体に悪いと思うんだけど、あの子の前では違うんだろう。


「なら、その子自身も悩んでるわけだ。未成年って、いくつ?」

「今年十八じゃないかなあ。会った時はまだ二年って言ってたから」

「わっか。よく話あったね」


 改めて考えるとたしかにそうだ。

 でも、不思議と春陽ちゃんとはそういう差を感じなかった。


「昔から私のファンらしいし……まあ、やめるとかやめないとか、相談乗れる話しかしなかったし」

「で、お姉さんぶっていい顔してたら欲情されて困っちゃってるわけか」

「麻央!」

「あーごめんごめん。でも間違ってないでしょ?」


 何も間違っていないのかもしれない。

 ただ、情緒のない言い方が気に食わなかっただけで。


「もしそうだとしても、ううん、だからこそっていうか、謝られたのがわかんなくて」

「そりゃ単に受け入れられないの前提だからじゃないの?」

「え?」


 それはどういう意味だろう。


「あんたはなんか対等?みたいに見てるけど、向こうから見たら十近くも上なわけで、その人に好きですって言っても通るわけないじゃん」

「そ、そう?」

「少なくとも私はそう思うけど。まあ純粋に無理矢理するから謝ったとかもあるよね」

「それは私も思ったけど。そんな何回も言いながら無理矢理する?」

「しないタイプだからわかんないわ。じゃあ、いろんな意味があるんでしょ」

「だから悩んでるんじゃん」


 少し酒の回ってきた頭でそう呟けば、呆れたようにため息をつかれた。


「悩む必要あんの? そのごめんなさいより、キスの方が大事でしょ」

「若者の流行りかもしれないじゃん」

「そんな流行りあったらニュースでバンバンでご老人はカンカンよ。いつの時代もキスなんて好意でしょ。……あ、今更だけど口と口でしょ?」

「……うん」


 目を閉じれば、今でもあの感触を思い出せる気がする。


「なら答えはひとつじゃん。あとはあんたの答え方次第よ」

「私が、好きかどうかって?」

「そ。あんた変なところでウジウジするから、どうせうまくはぐらかしたつもりで、こうやって愚痴ってんだろうけど」

「……人のこと言えないくせに」

「そうだよ。で、そんな私相手にあんたはどうしたっけ?」


 今されているように、細かく確認をして背中を蹴り飛ばした。


「……でも、いいのかな」

「なにが?」

「私なんかでってこと」

「そんなの、相手が考えることでしょ。あんたが自分をどう思ってたって、相手が好きならどうしようもないよ」

「うう……」


 春陽ちゃんは、私に自分の声を好きにってほしいと言った。

 それはたぶん、声だけの話じゃないんだろう。


「……そりゃ、好き、だよ。でもさ、そういう好きかは、わかんないじゃん」

「ならそう言えばいいじゃない。私はさ、抱きたくて……でも、あの子が受け入れてくれるかわかんなくて、怖くてぐずぐずしてたけどさ。あんたはもう受け入れられてるんでしょ?」

「そう、かなあ」

「そうでしょ。なら少しくらい宙ぶらりんも待ってくれるでしょ」

「そうかなぁ?」

「ま、若いからね。もしかしたら、すぐ他の人に行くかもしれないけど、そん時はそん時でしょ?」


 たしかに、それなら先に進まなくて済む。

 音源すら聴きたくないと、思い出に蓋をするようなことにはならないだろう。


「……かもね」

「じゃ、すぐにでも会う約束作りな。あんた家帰ったら絶対やらないから」

「ここで!?」

「嫌ならいいけど、ここまで付き合わせてやらないとか流石にキレるよ?」

「わ、わかった」


 約束って言ってもどうすれば?


 相手は受験生だ。オフ会とかは無理だ。

 メッセ? 声なしだけでこの話をするの? 無理でしょ。絶対タイピング止まるし誤変換したくない。


 なら、話すしかない。


『久しぶりにいぐさちゃんの声が聴きたくて、通話したいんだけど、暇な時間、ありますか?』

「おくった! これ変じゃないよね!?」


 送ってから見せるというのも我ながらどうなんだろう? 酒で頭がパーになってる。


「よし。まあ変じゃないよ。恋人に甘えてるみたいだけど」

「う……」

「ははは。しかし、そか、いぐさか……」


 麻央は急に何かを考えるような顔になった。


 いぐさちゃんに何かあるんだろうか。

 発注でもかけようと思ってたのかな。人気だし。


「ん? あ、いや、たぶん忙しいだろうけど、すぐ応じてくれるって」

「う、うん」


 よほど心配そうな顔をしていたのか、そう宥められてしまった。


 実際、返事はすぐにきて、私は麻央に頭が上がらなかった。

 財布はかなり軽くなったけど、呼び出してよかった。


『わかりました。明日の夜とか、大丈夫ですか?』

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