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第四話 辛いなら叫ぼうよ

 半ば強引に春陽ちゃんをカラオケに連れてきた私は、部屋に通されるなり流れていた情報番組の音を消した。

 廊下からうっすらと店内bgmが聞こえる中、春陽ちゃんとテーブル越しに向き合う。


「えっと、その、歌うんじゃ?」


 気分転換目的で連れてきたと思っているんだろう。

 実際そう説明したから、私の行動に困惑してるのがわかる。


「それは、少しあとね。今はさっきの話の続きをしようと思って」


 だから二人きりになれる空間が欲しかった。

 カラオケなら、泣いたって叫んだって誰の迷惑にもならない。ここは大声を出すための場所なんだから。


「あの、その、さっきのはつい勢いというか! まだ会ったばっかりな紺堂さんに言うべきじゃなかったというか……」

「そうはいかないよ。話は聞いちゃったし。それに」

「それに?」

「私を大好きでいてくれるファンの子が、こんなにも苦しんでるんだからさ。何かしてあげたいじゃん?」


 私は彼女ほど多くの人に愛されているわけではないけど、それでも私を好いてくれる人たちはいて。

 そして、目の前にその一人がいる。

 苦しんで苦しんで、泣きそうな子がいるんだ。


「まあ、話せるのは私の勝手な意見だから、採用するかどうかは春陽ちゃん次第なんだけどさ」

「……聞かせてください。私は、どうすればいいんでしょう?」


 笑いながら言った私の言葉を、大切なものを受け止めるような顔をして、春陽ちゃんは訊ねてくる。


「答える前に、隣、座って?」

「それは……」

「恥ずかしい?」

「う……」

「じゃあ私の方から行こうかな?」


 押せ押せの私に観念したのか、春陽ちゃんが隣に移動してきた。


 宙ぶらりんなその手を私が握ると、ひくりと怯えたように体が震えた。

 なんて冷たい手なんだろう。体温高くて子どもみたいって言われる私とは正反対。少しでも、これで温まって欲しいな。


 そんなことを考えながら話し始める。


「さっきはさ、負けたような気がしてやだって言ってたけど、勝ち負けの話じゃないんだよ。というか、そもそも同じ土俵に立っちゃダメなの。だって、こっちは勝ちようがないんだから」

「そう、なんですか?」

「うん。だって向こうはこっちの心が折れるまで続ければいいんだもん。こっちが折れなくても向こうは負けるわけじゃないから」

「それは……たしかに」


 だから勝負にしてはいけないのだ。無視しろというのは、そういうこと。


 でもそれは、とても難しい。無視したくても、ひどいことを言われたら傷ついてしまう。

 九十九の褒め言葉よりも、一の罵詈雑言が脳に突き刺さる。そういうふうにできているから。


 傷つかないように見える人は、他の人より少し頑丈なだけ。叩かれ続けたら、いつかは壊れてしまう。

 そういう人を、たくさん見た。

 私よりもはるかにうまいのに、いいや、うまいからこそ、たくさんの言葉に飲み込まれて、消えていく人を見た。


「だからね、大事なのは、春陽ちゃんの心なの。苦しかったら愚痴っていいし、やめたくなったらやめてもいいんだよ」

「でも、やめたらあの人たちの思い通りじゃないですか」

「それがなにか問題なの?」


 私の言葉に、春陽ちゃんは意味がわからないという顔になった。


「あーごめんね。わかりにくいよね。……んーと、それはさ、今やめたからってだけでしょ? だけど、いつかはやめざるを得なかったりするじゃない?」


 就職したり進学したり結婚したり、生活が変わって辞める人は多いし、それに続けたくてもサイトが消えることもある。

 趣味である以上飽きることもあれば、離れたくなることもある。


「だから遅いか早いかの違いなんだよ。それに復帰ならいつでもできるしね~」

「それは、ずるい考え方じゃないですか?」

「ずるくていいんだよ。こういうときは詭弁でなんぼよ~。大事なのは健康! わかる?」

「まあ、わからなくはないですけど」

「でしょー? 病んでからだと大変だからね」


 だからね、と言いつつ春陽ちゃんの腕を引いた。

 倒れ込んできた彼女を抱きしめて、胸元に押し付けるようにする。

 体温と匂い。そして声で蕩してしまうように。毒婦が誘惑するような甘い声で囁きかける。


「だから、やめちゃってもいいの。ファンもアンチも画面の向こうの人なんだから、逃げたあなたを追いかけてきたりしない。逃げたことを責めたりなんかしない。少しだけ悲しんで、思い出にして、次の人のところに行くの」


 サイトから離れれば、まるで夢でも見てたみたいに好意も悪意も消えてなくなる。

 だから逃げても大丈夫なんだよ。


 そんな想いを込めた精一杯の誘惑は、あんまり効果がなかったみたいで、腕の中の春陽ちゃんが楽しそうな笑い声をこぼした。


「ふふ、なんかすごいえっちな演技を聞いてるみたい」

「んぇ~下手かなぁ?」

「ううん、すごく、すごく素敵です。私が弱い人だったら、このまま甘えてしまいたかったです」


 ああ、この子は強い子なのだ。

 私だったら嫌になってやめてしまうだろうけど、この子は人気者であること受け止められるだけの強さがある。


(いいなぁ)


 少しだけ、それが羨ましい。

 私はそれに耐えられなくて、時折投げ捨ててしまうから。


「というか、紺堂さんむっちゃおっぱい大きいですね。会った時から感じてましたけど」

「そういうこと言わないの。春陽ちゃんもスタイルいいくせに」

「まあ、それほどでも?」

「そこは謙遜すると釣り合うもんじゃないかな?」

『……ぷ、ははは』


 なんだかおかしくなって二人して笑ってしまう。


「変なの」

「ですね」


 全くなにをしているんだろう。


「あ、そうだ。一つ言い忘れてた」

「なんですか?」


 胸に言及されたあとだと柔らかさを堪能しているようにしか思えない姿勢のまま、春陽ちゃんが問い返してくる。

 まあ、そうさせたのは私だからいいんだけど。


「春陽ちゃんにはね、自分の声を嫌いにならないで欲しいの」

「嫌いに、ならない……」

「うん。ヤケになって文句を言いたくなるくらいに綺麗で素敵なんだって。少なくとも、そう思った人が一人はいることを覚えてて欲しいんだ」

「……はい」

「よろしい」


 頷いた春陽ちゃんをギュッと抱きしめる。


「私からも一ついいですか?」

「なあに?」

「紺堂さんにも、自分の声、好きになって欲しいです」


 その言葉に思わず体が震えた。


「……バレてた?」


 嫌いだとは言わなかった。たしかに、嫌いではなくなったから。


 でも、好きだとは言わなかった。

 もっと違う声だったらって、出勤して地声を出さないことを意識するたびに思っているから。


「好きなら、嫌いじゃないって言い方しないですよね」

「……上手くごまかせたと思ったんだけどな~」

「私、かなり気持ち悪いファンですよ? 細かい言い回しも聞いてます」

「そか……」

「難しいなら、今のままでもいいです。無理して好きになろうとして、また失踪されても嫌ですし」

「探すの大変?」

「大変ですよ。ぼいすみ~で定期的にロリ声タグ漁ってなかったらまた会えなかったですもん」


 そんなことをしていたのか。


「わかった。がんばる」


 他人に言った以上、私も頑張らなくてはいけないだろう。


「はい」

「じゃ、切り替えて、歌おっか?」

「はい!」


 それから私たちは喉が痛くなるまで声を張り上げて歌った。

 

   ◯

 

 カラオケを終えて、少しお洒落な洋食屋さんでコースをたいらげた時点でまだ八時。

 少し物足りないけれど未成年相手だし、遅くならないほうがいいだろうと、そこで解散ということになった。


「本当にご馳走になっちゃって良かったんですか?」

「若者が気にしない気にしない」


 春陽ちゃんは頑なにいくらか出そうとしていたが、どうにか押し留めた。

 高校生に払わせるのはあまりにも気が引ける。


「まーどうしても気になるなら今後ね、ちゃんと稼げるようになったらまたね。なんなら出世払いみたいな感じで、ちょーすごいとこ連れてってくれてもいいんだよ?」

「……はい」


 そんなに長いこと付き合いが続くかはわからないけど。


「私、頑張りますね!」


 なにやらやたらと気合を入れている。

 アルバイトに励むとかだろうか……?

 いや普通に考えて大学のレベルを上げるとかじゃない?


「ま、まあ、アルバイトとかはほどほどにね。これからほら受験とか、大学もあるだろうし」


 高三になるといよいよ現実の方に集中しなくてはならなくなる。

 ネット上の関係が途切れたのは、だいたいこの時期か社会人になる頃だった気がする。


「私、成績はいいのでその辺は大丈夫です」

「生意気だなあ。いいことだけど」


 きっと要領がいいのだろう。


「じゃあ、そっちは問題なしか」

「はい。なので、もう少し活動の方、頑張ってみます」

「休止するんじゃなかったの?」

「それは受験の時まで取っておきます」

「なるほど。いい報告が聞けたらいいな」

「その時は、また会ってくれます?」

「もちろん。お祝いしたげるよ?」

「やったあ!」


 そうたいしたことはできないけど、これだけ喜んでくれるなら楽しいかもしれない。


「辛くなったら連絡してきなね?」

「頼らせていただきます」

「うん」


 実際連絡してくるかどうかはともかく、そういう相手がいるというのは気持ちの上でかなり楽になる。


 とはいえ、今日だけでだいぶ前向きになったみたいだし、こういう子は放っておいても優しい人たちに恵まれるものだ。

 また次にしんどくなった時には、そうして集まった子たちがなんとかしてくれるだろう。


 だから私の出番はたぶんないだろうし、それでいいと思う。


「……それじゃ、またね」

「はい。またお願いします」


 お互い手を振り合って別れようとする。

 どっちかから打ち切って行かないといけないんだけど、なかなか立ち去るタイミングが難しい。


 なんて思っていると、「あの……」

 なにか、意を決した雰囲気で声をかけられた。


「うん? なにか忘れたことあった?」


 したいことでもあるんだろうか。

 疑問を浮かべる私に、春陽ちゃんは何度もためらうような素振りを見せた。


 そんなに言いにくいことなのかな?


「いいよいいよ、何でもいってごらん」

「……さ、最後に、ハグ、してもらえますか?」


 なんだそんなことかと思ったけど、一応初対面の相手に頼むにはしんどいかもしれない。

 ……まあさっきカラオケでしちゃったけど。


「ん、いいよ」


 背の低い私の方からするのは大変なので、腕を広げて春陽ちゃんが抱きついてくるのを待つ。

 やっぱり恥ずかしいのか、春陽ちゃんがなかなか来ない。


 正直待ってるのも恥ずかしいので、早めにしてほしい。

 そんなことを思っていると、意を決した顔で彼女が腕の中に入ってくる。


「ごめんなさい」


 ――え?


 囁くような謝罪に困惑していると、ハグの感覚の代わりに柔らかく温かな感触が口元を通り過ぎていく。


「そ、それじゃ!」


 パタパタと足音が遠のいていって。

 あとに残されたのはバカみたいに腕を広げて待つ女一人。


「え、えと……」


 今なにをされたんだろう……どうして逃げられたんだろう。


 腕を下ろして少し考える。


 指で触れれば、唇にはまだぬくもりが残っている気がして。

 すごく柔らかかったなとか。いつぶりだろうとか。

 やけに震えていたなとか。コースの最後に食べたデザートの匂いがしたなとか。


 少しずつ冷静になって、自分がキスされたことに納得する。


「そういう好き、ってことなのかな?」


 いや、テンションが上がりすぎて変になっただけなのかもしれない。

 もしかすると最近の若者の流行とかなんだろうか。


 そんなことを考えていると、ぶるり、スマホが震えた。


『ごめんなさい。大好きです』


 何がごめんなさいなのか。

 それはそういう意味でいいということなのか。


 ……そこからどうやって家に帰ったのか、よく覚えていない。

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