第二話 もしよかったら通話しませんか?
「は、はじめまして! いぐさです!」
「はじめまして、きゃんしぃどです」
お互いの第一声は自己紹介からだった。
二人ともバカみたいに緊張して声が震えていた。
これでもお互い一般人よりは滑舌を気にする趣味をしてるんだと考えると、少し笑えてくる。
……そして沈黙。
いやいやダメでしょ打ち合わせするんでしょ。
ここは先輩として私ががんばらねば。
「ええっと……いぐさちゃんはさ……って、この呼び方してもいい?」
「は、はい! 大丈夫です。好きに呼んでください! どんな呼び方も大歓迎です!」
「ははは……」
憧れの子にここまでファンムーブされると、思ったよりやりにくかった。
それにこっちも彼女のファンだから、もっと緊張すると思ってたけど、自分以上に緊張してる人がいるとリラックスできるものらしい。そういえば就活でもそうだったなあ、なんて懐かしい。
「じゃあ、いぐさちゃんで。そっちも好きな呼び方していいからね? まずは、情熱的なメッセージありがとう。前のとこからのファンはそれなりに見かけたけど、まさか自分より人気の子がそうだなんてねー」
「い、いえ、たまたまですよ! 私なんか、まだまだ」
「そこは謙遜しないでよー。悔しくなっちゃうから」
「は、はい……でも、きゃんしぃど様のこと、ほんとに好きですからね?」
「うん、ありがと。うれしぃ~ど……なんてね」
名前にかけたこれは、たまにやるお気に入り登録を媚びるときの締めの挨拶だ。
でも、対面でこれを使うのは正直かなり恥ずかしかった。調子に乗ったか、と思っていると、身悶えする声が聞こえてくる。
「う、おお……ま、待って……はぁ、はぁ……」
「だ、大丈夫? 落ち着いて?」
「は、はい。ちょっと、かわいすぎて、興奮しちゃって」
あのクリアボイスで不審者まるだしの息遣いをされると笑ってしまう。
私も限界オタクやってるときはこんな風なのかなあ。
「もう平気?」
しばらく時間を置いてから、ちょっと囁く感じで確認をとると、また悶絶の声が聞こえてきた。
「うぅっ!……すいません。話を進めましょう」
「あはは……」
……さすがに、ここまでではない、かな?
とりあえず、これは鳴き声みたいなものと考えて話を進めることにした。だって可愛いし、嬉しいしね。
「で、コラボの話なんだけど、どういう話にしよっか」
運営からのお題は年の差のドラマだ。
「そ、そうですね。規定は一分なのでそんなに難しいことはできなさそうですけど」
「一分、一分ねえ……絶妙だよね」
「ですね……多すぎず少なすぎずで、詰め込みすぎるとオーバーします」
公式企画の時間設定はみんな苦労しているようで、悲鳴じみた愚痴を呟いている人をよく見かける。
「うん。私たちの声質だと、どういうのが受けるんだろう? わかりやすくおねロリ攻めたほうがいいのかな」
いぐさちゃんの声質は大人っぽさもあるから、ロリロリとした私の声と絡ませるとなると、その路線が一番に浮かぶ。
安直すぎる気がするけど、ベタなものを上手くやるとウケがいいのだこれが。
それはいぐさちゃんもわかってるはずだけど……なんだか不満そうだった。
「ええと……できれば、その、私年下役やりたいんですが……」
「あー……一応、お姉さん声出せるよ?」
試しに出して聞かせてみる。
普段職場で出している声だ。
正直疲れるけど地声で電話をとると、取引先に間違い電話を疑われたりするので仕方がない。
「あ、いえ、その、その声も魅力的なんですけど! なんと言いますか。ロリ声だけど、ロリじゃないというか」
「ロリババアと子供の絡み、みたいな?」
「いえ、ババアというほど熟す必要はなくて……あくまで、きゃんしぃど様の自然体がいいというか」
この子は何を求めてるんだろう?
休止前のコラボだから、好きなことがしたいんだろうけど……。
「私の自然体っていうと、今話してる感じだよ? これでいいの?」
「はい。その、私って声質的にどうしても年上な役を回されるというか、お姉さん、みたいなリクエストが多いんですよね。私そんな歳じゃないのに、その奥さんっぽくとかリクエストきたりしますし、学校でも、おばさん声とか言われたりするし……」
いぐさちゃんの声にある大人っぽさは、ともすれば妙齢のご婦人感も出せるものだ。
独特の色気で羨ましいなあと思ってるんだけど、私生活だと嫌なこともあるらしい。耳の悪い子達だな。
「あーわかるよ。私も地声がこれだから。色々言われたなー」
「えっ、そうなんですか!? さっきのお姉様ボイスが地声かと……」
「あはは、あれは頑張って作ってる余所行きのやつ。どうしてもほら、この声だといじられるじゃない? 会社でも色々あるんだよね」
「あ、なるほど……そういうこと、あるんですね」
「まあよくある話だけどね~。でも、そっか、いぐさちゃん学生なのか」
「あ、はい。今、高二です」
「へー。私、二十七。ラーメンの脂がきつい歳おばさんなの~」
特に言う気はなかったのに、するりと自分の年齢を言っていた。
あんまりにも素直にいぐさちゃんが年齢を答えたからかな?
「おば……そ、そんな歳じゃないですよ!」
「あはは、ありがと。でね、いぐさちゃんを年下設定にするなら、声で歳はわからない~みたいなシチュエーションがいると思うんだ」
「つまり、今みたいな?」
「そうそう。通話シチュから始めるやつ」
「あー……オフ会的なところに繋げてってことですか?」
「うん。年離れててビックリ!みたいな」
ベタベタのベタだなとは思う。
「それは、ちょっと……」
「ダメかー」
「ごめんなさい。考えてもらったのに」
「いいよいいよ。ちょっとベタすぎたから」
「でも年齢のギミックは使いたいですよね」
「せっかくならねー……かといって、ロリという雰囲気というのも」
声質的にどう頑張ってもロリおねっぽくなるだろう。
……待てよ?
「ねえ、いぐさちゃんはさ、甘やかし音声とか、好き?」
昔、流行りに乗って何本か出したことがある。
コメントは少ないけどやたらPVがよかった。
そしていぐさちゃんの別垢だと思われる人がコメントしていた。
「………………まあ、はい」
めちゃめちゃ間を置いて返事をされた。
「あ、ごめん。かなり恥ずかしいこと聞いちゃったね」
性癖を無理矢理COさせたようなものだ。かなりデリカシーがなかった。
「あ、いえ、大丈夫です。副垢の名前教えたの私なので」
「でも、今後は気をつけるね」
誰だって、隠しておきたい性癖くらいあるんだから。
「ありがとうございます……」
「ええっとそれでね? そういう感じの、ロリに甘やかされてるお姉さん、みたいなドラマを前半作って」
「最後にネタバラシ、ってことですか?」
「そうそう! 良さそうじゃない?」
「うーん……素直に攻めてほしい!って言われそうではありますけど……」
問題はそこだ。
ウケを取るか、したいことを取るか。
「うん、たしかにそうだよね。でもさ……いぐさちゃんは甘やかされたくない? 本読み練習の時とか、好きなだけ好みに寄せていけるよ?」
我ながら意地悪だなーと思った。
「うっ……」
案の定、いぐさちゃんは黙り込んでしまった。
たっぷり一分近くは沈黙があったと思う。
「はい」
そういうわけで、私たちはしたいことを取ったのだった。
○
何度も何度もリテイクをして、投稿期限ギリギリまで編集をして。
そうして作った私たちのコラボ作は佳作だった。
結果のわりにサイトでのコメントは好意的で、こういう役もできたんですね!とか、普通に歳をとっているロリ声の女というのに何かを見出した人もいた。
ただそれは表向きの話。サイト外で感想をエゴサしていると私への文句が目についた。
『こいつと組まなければ受賞間違いなしだったのに』
「そうだね~」
私だってそう思うよ。だけど、弱みを握ってコラボを取り付けたとか、本を押し付けたとか、あることないこと想像されると困ってしまう。
反論したい気持ちはあったけど、私が乗り込んでいけば火に油を注ぐだけだから、ともかくスルーした。
そのあたりはいぐさちゃんもわかっていたのか、ほとんどのことはスルーしていたけれど、「コラボを誘ったのは私からです。私がファンだったからです」とだけ表明をしていた。
そこだけは譲れないところだったんだろう。
「しかし、佳作かあ~」
特に特典も何もない、ただがんばりましたねという枠だ。
それでも箸にも棒にも掛からないよりはいいとは思う。
いぐさちゃんの休止前の作品だから、できればもう少し上にいかせてあげたかったけど。
「思うようにはならないよなぁ~」
悔しさはある。若い頃なら怒りもしたと思う。
だけど、好き勝手やって佳作ならいい方でしょと、歳を取った私は思ってしまった。
はぁ、とため息をついてから会議通話アプリを立ち上げた。
チャットには私より早く結果を見たのだろういぐさちゃんから、鬼のような量の!マークがついた悔しいという書き込みがあった。
その数分後には頭を冷やしたのか、冷静な分析が並び始める。
……いや、一見冷静そうに見えるけど、その中身は自己批判ばかりだ。
私が、私が、私が……指摘しているのは自分のことばかりで、私への批判はない。
あまりにも自罰的で、弱々しくて、見ていて悲しくなってくる。
「いぐさちゃんは悪くないよ」
口にしながら、『今通話できる?』とメッセージを送る。
ちょうどパソコンの前にいたのか、すぐにOKの返事が来た。
「もしもし。聞こえてる?」
「はい。大丈夫です」
相変わらず惚れ惚れするクリアボイスだけど、今は力がない。
「惜しかったねぇ~。流石にあの本で受賞はキツかったか」
「好きなことだけだとこんなものなのかなって。でも、佳作になっただけいいのかなとも思います」
「そうだねえ。少し捻ったものにしては十分伸びたと思うよ」
「そう、ですね」
答えるいぐさちゃんの声は、少し震えていた。
出来る限り明るい言葉遣いを選んだつもりだったけど、しんどい部分を引っ掻いてしまったのかもしれない。
「いぐさちゃんはさ、頑張ったよ。メッセで送ってきてくれた分析だと自分を責めてばっかりだったけど、そんなことないよ」
あまりファンには求められていなかったのだろうけど、等身大の、可愛らしい女の子を演じていたと思う。
「だからきっと、足りなかったのは私の方なんだよ。ごめんね」
私と組まなければ、もしかしたらこの本でも受賞できていたかもしれない。
順当に、同格の人と組んでいれば……。
「違います!!」
ビリリ、耳に刺さる音割れが響く。
悲鳴にも似た否定の言葉に息を呑んだ。
「きゃんしぃど様は私の細かいリテイクにもあんなに応えてくれて。だから、だから悪いのは私なんです! そんな、そんな……何も知らない人と同じこと、言わないで……」
それから少し嗚咽が聞こえた。思わずため息を吐きたくなるくらいに綺麗な泣き声に、少しだけ興奮している自分に幻滅する。
こんな時くらい、ファン根性が鎮まってくれればいいのに。
「……そうだね、ネガティブすぎたかな」
「いえ……」
ずずっと鼻をすする音がして、チャットの方で少しだけミュートにするというメッセージがきた。
鼻をかんで落ち着かせているんだろう。
『大丈夫?』
送ったメッセージには、返信の代わりに声が返ってきた。
「ごめんなさい。少し、聞き苦しい音なので消してました」
「落ち着いたならよかった」
「はい……なんで、みんなあんなこと言うんでしょうね」
「ははは、外野ってそんなもんだよ」
「でも! あんなこと言ったらきゃんしぃど様が傷ついて……」
ああ、もしかして自罰的なのはそのせいだったんだろうか。
「大丈夫。へーきだよ。元々覚悟はしてたし、私も界隈長いからね」
「そんな……」
「だってさ、まず人気が違うもん。私は中堅……だと自分では思ってるけどさ、桁が一つも二つも違う相手とコラボしたら、裏を探られるよ。そりゃね。私がファンならそうする」
私自身がいぐさちゃんのファンだからこそ、彼らの気持ちがわかってしまう。
「あそこまでいうかはわかんないけど、似たようなことは考えるだろうし。いぐさちゃんだって、私がぽっとでの……だと同じじゃないか、底辺とかかな? あの辺で燻ってる男の子とコラボします~って急に告知したら何か考えるでしょ?」
少しだけ沈黙があった。
きっと想像しているんだろう。
「そうかも、しれないです」
とてつもなく嫌そうな声だった。
自分の中にも、批判した『誰か』と同じものがあると理解して嫌になったんだろう。
でも、そこで認められるのはすごい。私なら、そんなことないって答えちゃう。
とても強くて、素敵な子だ。
このコラボ中のやり取りで、いぐさちゃんのことがどんどん好きになっていく。
「でしょ? だからさ、誰かを推すってまともじゃいられないんだよ。だから気にしないで」
こんなことで悲しまないでほしい。
「……はい」
「よーし、偉いぞー! あ、そうだ、お疲れ様会しようよ。佳作にもなれたしね?」
「それでパーっと気分を切り替えてって?」
「そうそう。いい感想も嫌な感想もぐしゃぐしゃーってして心を切り替えよ?」
「はい。……ええと、それじゃあ一つだけわがまま、いいですか?」
「ん? なに? 聞ける範囲なら聞いてあげるよ。おねーさんにドーンと頼んでみなさい」
くすり、イヤホンから楽しそうな笑い声が聞こえた。
ついこぼれてしまっただろうそれは、とても嬉しそうで、こっちまで元気になる。
「お疲れ様会、できるならオフでやりませんか?」
それはちょっと困るなあというおねだりだった。
これまでのやり取りからして、何か妙なことにはならないだろう。
だから、やることそのものは構わないんだけど、いざとなると距離的な問題がある。
なので。
「えーっと、関東住み?」
「はい」
「東京だったりする?」
「はい!」
「そっか。じゃあ平気か」
「きゃんしぃど様の住んでるところが多少遠くても行きますよ!」
「いや! それはこっちが移動して合わせるから! 学校とかは平気?」
「もう夏休みです! それに帰宅部なので!」
「あーなるほどね。じゃあ、うん、しよっか」
「やった!!」
喜びの声はかなり食い気味だった。
しかし、こんなおばさんと会ってなにが楽しいのだろう。
まあ喜んでくれるならいいけど……。
そんなことを考えつつ、通話越しに喜ぶいぐさちゃんを見守る。
(しっかし、当日、化粧がんばんないとなあ……)
若い子の隣に立つのに覚悟のいる歳になったんだなあと、オフ会の中身を詰めながら考えていた。