第一話 私とコラボしてくれませんか?
いつものように仕事を終えて会社を出る。もう私は誰からも自由なんだぞ!と叫ぶように、大きなヘッドホンをして最寄駅へと歩き出した。
そのままスイスイと辿り着ければよかったんだけど、案の定途中の信号に捕まってしまう。
……ついてないなあ。
小さくため息をつきながらスマホを操作して、最近お気に入りの曲を選ぶ。その柔らかで軽やかな音を聞きながら、信号が青になるまでと別のアプリをタップする。
ぼいすみ~!
ポップなフォントで作られたロゴと共に可愛らしいヘッドホン姿の女の子が表示され、いくつものアイコンが並ぶ画面に切り替わる。
何年か前から流行りだしたボイス投稿サイトだ。スマートフォン対応もバッチリで、こうしてアプリも配信してくれている。
だけど、アプリを立ち上げたのは、別に他人の声を聞くためじゃない。
会社では地味で目立たない事務員・紺堂玲奈を演じている私だが、ここではそこそこのファンがついている中堅ボイスコきゃんしぃどなのだ。
そんな私はつい昨日、寝る前にボイスを投稿したばかり。リアクションが気になってしかたなくて、隙間時間を見つけては、ついつい確認してしまっていた。
ほんの数タップで移動したユーザーページでは、マスコットの女の子が両手の旗を上げている。それは通知のある証拠。こういう小さな演出が可愛くて、このサイトを続けている。
お昼にも確認したのに、また通知が来てる事実が嬉しい。
一瞬、視線を上げるとまだ赤信号だったので、旗をタップした。
すると、何十回、何百回も聞かれましたとか、何々さんから感想が来ましたとか、たくさんの通知が並ぶページが開く。
感想をくれているのはほとんどが常連さんだ。新しい人は、二、三人ってところ。
もちろん新規さんでも常連さんでも、感想をもらえるのは嬉しい。
かと思えば、いつもならコメントをくれる常連さんがいないことに気づいて、ちょっとへこんだりもする。
好みがあって当たり前なんだから、私のあげたもの全部に感想をつけるわけないのにね。
そうわかっていても、やっぱり少し寂しい。
……いやいや、まだ初日だからと、自分に言い聞かせる。
単に私生活が忙しくてチェックしてないだけだろう。いや、別に好みに合わなかったからでも良いんだけど。
そんな、誰に言い訳しているのかわからないようなことを考えながらスクロールしていると、珍しい通知を見かけた。
「……メッセージが来ています?」
そういえば、女の子が上げていたのは両手だった。
単なる通知なら片方の旗だけを上げるはず……。
(なんかまずい要素入ってたかなあ)
たまにいるのだ。セクハラ気味のメッセージを送ってきたり、気持ち悪いから取り下げろとクレームを送ってくるのが。
昨日投稿したのは、夜眠れなくなった妹が一緒に寝ようと誘ってくる音声で、わざわざ兄と姉の二パターン録ったもの。
台詞回しだってオーソドックスなもので、特にクレームやセクハラに繋がるようなものではないと思うんだけど……。
「んなぁ~」
悩みながら視線を上げると信号が青になっていた。私の後ろで待っていた人が、邪魔そうな顔で横を通り抜けていく。
(いやそりゃ気づかなかった私が悪いけど……)
そんな顔しなくても……と思いつつ、いそいそと横断歩道を離れて近くのビルに背を預けた。
このメッセージを持ち帰りたくない。何事もなければいいけど、もし嫌な気分になったら逃げ場がないのはいやだ。
「すぅ~はぁ~……よし!」
少し深呼吸してメッセージをタップした私は。
「え、ええええええええ!!」
外だというのに、つい声を変えるのも忘れて叫んでしまった。
周りの人がいったい何が発した声なのかと驚いてキョロキョロしている。というか何人かは私を見てる!
いやまさかその中に同僚はいないよね!?と思いながらその場から逃げ出した。
○
(え~! うそうそ、なんで!? なんで!?)
恥ずかしさと訳のわからなさでいっぱいになりながら、すぐ近くのカラオケに滑り込む。
気怠そうな店員を急かしながら受付を済ませると、ようやく誰にも気を使わなくていい空間に逃げ込めた。
「うそおおおおおおおお。まって、ま、なんでぇ~!?」
狭いカラオケルームに、私のキンキンうるさい声が響き渡る。
叫ばないと気分を落ち着けられそうになかった。
いや待て見間違いという説もある。あるか? わかんないけど。
もう一度スマホを取り出して画面を見る。
何度見ても、その中身は変わらない。
「い、いぐさちゃん……! ああごめんね、今日の音声チェックしてなかった。許して……」
メッセージの送り主は、ぼいすみ~!でトップクラスの人気を誇る女性ボイスコさんだった。
いや実際のところ女の人なのかはわかんないけど。この界隈には付いてるのに女の子の声を出せる人がいるから。
――ともかく!
いぐさちゃんは誰もが憧れるクリアボイスの持ち主で、芯の通った話し方から可愛らしい話し方まで何でもできる人なのだ。
真面目に演技を勉強したらプロだって目指せると本気で思うし、そういうことを話しているファンコミュニティで、熱くなって荒らしじみた書き込みをしてしまったのは一度や二度じゃない。
正直言って、私みたいな単なる萌え声のアラサー女なんかとは格が違う。こんな、バカみたいな声が喉から出てくるだけの、演技も滑舌も適当な女とは違うんだ。
「な、なりすまし……じゃないよね?」
ぼいすみ~!では既に使われているID名を使うことはできない。誤認させるように似たアイコンをつけることはできるけど、ID名が併記される場面では誤魔化せない。
それを知っていても何度も確認してしまう。だって、メッセージの件名は『ぼいすみ~!公式企画に一緒に応募しませんか?』だったから。
「だよね、本物だよね。でもなんで私なの!?」
何度も言うが、いぐさちゃんはトップクラスの人気者だ。彼女がコラボを持ちかけて断る相手はほとんどいないと思う。
数字的なメリットもそうだし、何よりいぐさちゃんに選ばれたと言う箔がつく。
もちろん、中には叩かれることを気にして断る人もいるだろうけど、それでもいぐさちゃんとお知り合いになれると言うのはとてつもなく大きい。
いや、そこまで考えてるの私だけか?
「う、うーん」
嬉しいのはたしかなんだけど、正直悩む。
いや、叩かれるのは別に構わない。私もこの趣味を始めて長いから、何をやっても叩かれる時は叩かれるんだと覚悟もできている。
だけど、私を選んだことについて、いぐさちゃんが叩かれたりするのを見るのは嫌だ。
私のせいで受賞を逃すのは、嫌なんだ。
私と彼女では、持ってる数字が違いすぎる。もっといい人を、選べるはずなんだから。
「ドリンクです」
「あ、ありがとうございます」
店員さんが持ってきてくれたお茶を前に、私は断りのメッセージを送ろうと決めた。
でも、その前に、彼女がどんなメッセージを書いてくれたのか確認しても怒られないだろう。
「なんで、私なんだろ」
その答えは、メッセージの文字数ギリギリまでみっちりと書き込まれていた。
○
拝啓(であってますか?)、きゃんしぃど様
突然のメッセージ失礼します。
相談したいのは、件名の件です。
ええと、こういうときどういうメッセージを送ればいいのかわからないのですが、まずどうして私があなたを選んだのかについて語らせてください。
もしかすると、気持ち悪いと感じるかもしれませんが……もしそう感じたら、遠慮なくブロックしてくれて構いません。
私があなたに声をかけたのは、私があなたのファンだからです。
あなたの甘い声質が、台詞回しが、読み方が、昔からずっと大好きでした。
以前、声サーというサイトで活動してましたよね? ハンドルネームは、今とは違いますけど(これは私もです。とれちゃんまんって名乗ってました。覚えてたり、します?)あの頃からずっとずっと大好きなんです。
あの頃はまだ私もお小遣いが少なくて、機材も揃えられなかったから聞く専だったんですけど、バイトもできるようになって、機材を揃えてみると本当に難しくて、あんなに簡単そうにやっていた裏にこんな苦労があったんだなって、思ったりもしました。
それでも楽しくて、ついつい頑張ってるうちになんだか今みたいに人気になっちゃって。
そんなある日です。きゃんしぃど様が戻ってきたのに気づいたのは。
あの頃と変わらない……いいえ、あの頃よりも磨きがかかった可愛い子がそこにはいました。思わず抱きしめたくなるくらいの可愛い女の子。
正直にいうと別垢で気持ち悪いリクエストをしたこともあります。ごめんなさい。ブロックされかけて、こういうのやめてくださいって説教ボイスをもらってからすごく反省してます。いや、喜びもしちゃったんですけど。あれめっちゃ可愛かったです。今でも心折れそうな時とか聴いてます。
ごめんなさい。なんか私気持ち悪いですね?
いやほんとごめんなさい。
それでもこの先を読んでくれると信じて書きます。
活動は楽しかったんです。でも、最近、なんか違うなって。
なんか、なんていうんでしょう……疲れた、んでしょうか? サイトを開くのが億劫になって、感想は嬉しいんだけど、嬉しくないっていうか……。
いや、アンチがしんどいとかそういうことではないんです。たぶん。燃え尽き的な?感じなんだと思うんです。
だから、この企画を最後に休止ってことにしたくて。
だから、昔から大好きだったきゃんしぃど様……おー!れん様とコラボしたいんです。
どうか、よろしくお願いします。
○
そんなに昔からのファンだったのか、という思いと、あの子も大変なんだなという思いと同時に
「とれちゃんまんあなただったの!?」という衝撃が頭を突き抜けていった。
名前が面白かったのもあるし、たまにとてつもなく気持ち悪いお題をリクエストしてきたので記憶に残っている。
あと途中にあったボイスの話で大体サブ垢の名前にも見当がついてしまった。
「そ、そんな子だったのか……」
とれちゃんまんもそいつも中身男だと思っていたので、衝撃がすごい。
すごい、けど……それに続いた言葉は彼女の苦しみの吐露で。
たぶんきっと、誰もが一度は味う苦しみなのだろうけど、それを笑い飛ばすことはできない。
だって、他でもない私自身、その感覚に飲み込まれておー!れんという名前を捨てたんだから。
「んなぁ~」
そんなことを書かれたら、断るわけにはいかないじゃない。
「天然なのかもだけど、ずるい子だなあ」
意図的ならずるい。天然ならもっとずるい。
この子には幸せになってほしいな、なんて気持ちの悪い後方親面になりながら、私は返信を考え始める。
たぶんこの子は文字よりも口頭のがいいんだろうなと思いつつ。