その言葉の意味は
視察を終えた翌日、予定の入っていないアンジェリカは自分の部屋に籠って、ぐるぐるといつまでも考え込んでいた。ルーカスには昨日のうちに視察の報告をしていたが、デレクとの会話は伝えていなかった。
ふとした瞬間にデレクの顔が脳裏に浮かぶ。
人形のように整った顔立ち。
白い肌は滑らかで、とても孤児とは思えない。
振る舞いも洗練されていて、優雅。
それはデレクだけではなかった。遠くから見た孤児たちも躾が行き届いていた。孤児と知らなければ、貴族子女と判断してしまいそうだ。
――僕を買ってくださいませんか。
デレクのどこか縋りつくような、期待するような眼差しがまざまざと思い出される。その仕草は保護欲をそそられるほど可憐だった。
「わたしがハマってどうするの」
思わず声に出てしまうほど、アンジェリカは落ち込んだ。
デレクを可哀想だと思ってもらえることが彼の狙いだ。
アンジェリカも小国と言えども王女。
しかも教会と孤児院を運営する立場になるための教育が施されている。デレクは自分があの場所から抜け出したくて、あんなことを言ったのだ。その機会を作ったのは孤児院長だ。彼女の揺れる瞳を思い出した。彼女は後継者の問題を口にしたが、きっと問題はそれだけではない。
孤児院長で自身も高位貴族だった彼女の手に負えない問題が、今回アンジェリカが見つけるべき問題だ。
貴族の血を引く捨てられた庶子。
容姿が整い、躾の行き届いた子供たち。
貴族の寄付によって賄われている現在の運営。
止めが、デレクの「僕を買ってくださいませんか」「閨も頑張ります」という言葉。
孤児院長とデレクが伝えたかったことは一つしかない。アンジェリカは間違いがないか、何度も何度も孤児院での会話を思い出した。
繰り返し思い返すたびに、もうそれしかないと結論付けた。孤児院長はともかく、デレクも貴族としての駆け引きを使っている。
そして事前にこれを知っていたルーカスとキーラン。二人はアンジェリカを向かわすことで、後継者の問題を浮き彫りにして提言させたかったのだろう。アンジェリカの視察によって、国は手を出しやすくなる。
やりたいことはわかったが、突然試されたようで気分が悪かった。あまりの気分の悪さに項垂れた。
「妃殿下、お加減が悪いのですか? 顔色が悪いですが……」
侍女が不安そうに声を掛けてくる。顔が青くなったり赤くなったりは、アンジェリカ自身の気持ちの問題だ。大丈夫だと笑顔でこたえようと顔を上げたが、すぐに目の前がぐらついた。
「あ、ら?」
「妃殿下!?」
「大丈夫。ちょっと考えすぎて眩暈が」
「すぐに侍医を呼んでまいります!」
一人の侍女た慌てて部屋を出て行った。残った侍女に世話をされながら、長椅子に横になる。
「目を閉じていてください」
素直に目を閉じれば、あっという間に意識は落ちていった。
******
「何事も一人で考え込んではいけない」
それが大叔母である教会長の言葉だった。大叔母は祖父王の末の妹で、もうすでに60歳を超えていた。幼いころから神に仕えているため結婚はしていない。
この世界の神が結婚を禁止しているわけではないが、男女ともに教会長になる人はほとんどが結婚しない。そのため、アンジェリカは幼いころから後継者として大叔母の元で育てられていた。
その大叔母はとにかく面倒くさがりな人だった。何でもかんでも周囲を巻き込み、自分だけではできないのならできる人にやらせようと策略を巡らせる。それだけの策略を考えられるのだから、何でもできそうではある。不思議に思い、一度だけ、聞いたことがある。
「大叔母様はどうして力が足らなそうな人にも声を掛けるの?」
その時アンジェリカは10歳だった。大叔母の考えをたっぷりと注がれて育っていたが、これだけはどうしても納得ができなかった。不器用な人に頼むのだったら、自分でさっさとやった方がいい気がしていたのだ。
「アンジェはバカだね」
「バカじゃないわ。早く終わった方がいいと思うから」
「だからバカなのだ。一生それをお前がやり続けるのか? お前が死んだあとは?」
「……死ぬまではできるかもしれないけど、その後はわからないわ」
大叔母の質問にぶすっとして答える。大叔母はおかしそうにくすくすと笑っていた。
「確かにわからない人に任せてしまうと大変だ。でも適性が少しでもあれば、育てて任せてしまった方が後が楽になる」
「育てるのが大変だわ」
「だったら、育てる人を育てておけばいい。教えるのが好きな人もいる」
ああいえばこういう、状態にアンジェリカは不満顔になる。膨れた彼女の頬をつんつんと大叔母は突っついた。
「そんなに頬を膨らませても可愛いだけだ」
「大叔母様! ふざけないでください! わたしはとても真剣なんです!」
「わたしもアンジェと同じように思ったことはある」
アンジェリカを宥めるためだけの言葉に、大叔母を疑わしそうに見た。
「本当ですか?」
「本当だ。2か月ぐらいだったが」
「……」
大叔母は何かを思い出したかのように目を細めた。ぐっと手が握りしめられる。
「そうね。お前にこれを話すことで少しでも参考になるのならいいのかもしれない」
自分を説得するように呟いてから、大叔母は真面目な表情でアンジェリカを見つめた。
「実はお前と同じことを考えて、失敗をしてこてんぱにやっつけられたことがある。王族としての、自分自身の能力の自信が木っ端みじんになった」
「大叔母様が?」
「そうだ。わたしが一人で苦労してやり遂げたことを、あの男は人を集め、得意そうな人たちに任せ、自分はあれこれと簡単な指示をしただけ。それでわたしよりもはるかに大きな成果を収め、民からは称賛された」
アンジェリカは大叔母の話を聞きながら、その相手が男の人だということが気になった。教会長は結婚してはいけないわけではないが、大叔母はずっと独身だ。恋人すらも作っていない。孤児や民にはとても優しく、頼りがいのある人であるが……。これほど心に居座っている男性がいるなど、知らなかった。
「衝撃的だった。別に褒められたいわけではないけれど、わたしの苦労は何だったのだろうと。何年経っても、何十年経っても、いまだにあの屈辱は忘れられない」
そう語る大叔母様の不機嫌な横顔は忘れられない。
そして、アンジェリカに言い聞かせるのだ。
「何事も一人でなそうとするのではなく、力を持った優秀な人間を引きずり込みなさい。それが上に立つ者に一番必要な能力だ」
アンジェリカはうっすらと目を開けた。部屋の中はすでに真っ暗だ。小さなろうそくの灯がゆらゆらとしている。
先ほどまで見ていた懐かしい夢に、アンジェリカの気持ちはすっかり落ち着いていた。
「そうよ、巻き込むべきだわ」
衝撃的なこと過ぎて、悩み過ぎてしまった。どうして大叔母の教えを忘れていたのか。今までだってそうしてやってきたのに。一人で抱えたとしてもいいことは何もない。
「巻き込むとは誰を?」
「誰って……ビアンカかしら?」
「へえ、ビアンカね」
「だってわたしの知り合いで色々と伝手のあるのはビアンカぐらいですもの」
他にも色々頼れる夫人はいるが、ビアンカが頭一つ分抜きんでている。それに孤児院長は元は公爵夫人だったのだから、その点でもビアンカと感覚が近いはずだ。
「それは……妬けるな」
ヒヤリとした声音に、アンジェリカははっとした。自然と会話を続けたが、一体誰と話しているのか。ようやく理解して、恐る恐る顔を上げて隣を見る。
寝台に腰を掛けていたのはルーカスだった。目を細め、じっとアンジェリカを見つめている。その硬い表情をするルーカスに、頭の中が真っ白になる。言葉も出ずにただただ見返した。
「心配した。一日、目が覚めなくて」
大きくて優しい手が、彼女の頬を撫でた。そのまま頬を包み込まれ上向かされる。よくわからない警戒心と緊張で喉が渇く。
「それでビアンカに何を頼もうとしてるんだい?」
ルーカスの問いに、アンジェリカは自分の迂闊さを呪った。