国王陛下の恋
積まれた書類の確認を終えて、顔を上げた。大きくどっしりとした執務机に不似合いな淡い白と花びらの先だけオレンジ色の可憐な花が一輪、飾られている。
この花は同盟国から取り寄せた珍しい花だ。渋る相手に粘り強く交渉してようやく株分けしてもらった花だ。先日、花を咲かせたばかり。今日はこの花を使った花束を彼女に贈った。
華奢な体に豪奢な金髪、光になって溶けてしまいそうな透明感のある彼女によく似あうと思ったのだ。
「……一区切り終わったのなら、お茶でも誘ったらどうですか」
「いいのか?」
側近のカールソン・アンガス伯爵がため息をついた。濃い目の茶の髪を後ろに綺麗に撫でつけ、細い銀フレームの眼鏡をかけていた。文官たちを震え上がらせるほど、仕事には厳しい人物だ。もちろん部下に対してだけでなく、国王であるルーカスにも厳しめであった。
「妄想してニヤニヤしている顔は気持ちが悪いですから。男のニヤケ顔など、仕事中に見ていたくありません」
「失礼な奴だな。そんな表情していないぞ」
「無自覚ですか。今だって花を見て、妃殿下を思い出していたのではありませんか?」
図星を刺されて、思わずルーカスの言葉が詰まった。カールソンはルーカスの側に控えているキーランにも話を振る。
「茶会でも節度ある態度をとっていますよね?」
キーランは答えたくないのか、わずかに表情を動かした。普段は無表情で感情が出てこないのだが、この話題は思うところがあるらしい。カールソンは目を細めた。
「隠し事でもあるのですか?」
「いえ。特には」
キーランは表情を改めると、短く答えた。
「別に隠しているわけじゃない。茶会の時にキスをするだけで真っ赤になるのでな。ついつい悪戯が過ぎてしまうだけだ」
「……どこのガキたれですか」
やや怒り気味にカールソンが声を低くした。ルーカスは肩をすくめる。
「仕方がない。ようやく手に入れた花なのだから」
「ようやく? このご結婚は政略でしょう?」
ルーカスのうっかりした一言に、カールソンが眉をひそめた。王妃であるアンジェリカが選ばれたのはこの国の事情によるもので、輿入れにやってきた日が初対面だったはずだ。だが、ルーカスの言葉は以前から知っていたような感じを受ける。
ルーカスはややばつの悪そうな顔をした。
「お前には言っていなかったか? アンジェリカにあったのは5年前だ」
「5年前? お妃候補が激化したころですね」
「そうだ。療養のためとしてお前が少しの時間、外に出してくれたことがあっただろう?」
6年前に王太子であったルーカスの婚約者が亡くなって、適齢期の貴族令嬢が殺伐とした状態になった。ルーカスに見初められたい令嬢が王城に押し寄せ、一人になりたいと思っても引っ切り無しにアピールをする。
体を寄せ、誘惑の目を向けるのは日常茶飯事、下手をすれば怪しげな部屋に連れ込もうとする輩もいた。それだけではなく、お互いの足を引っ張り合い、あの当時は年頃の令嬢が傷の残る怪我をしたり、暴漢に襲われるといった事態にもなっていた。目に見えた形で刃傷沙汰に発展しつつあった。
そんな生活に疲れ果て日に日にやつれるルーカスを見かねたカールソンがルーカスが休める時間を作ったのだ。父である国王には少しゆっくりしろと肩を叩かれた。ルーカスが城にいないと騒動になるからと、カールソンが密かに手配した。
その行き先が、アンジェリカの祖国である北の国だった。小さな国で、一部の王族のみに身分を明かし、滞在を許可してもらった。片道の移動で15日、10日間の滞在だ。
表向きの訪問ではないので、護衛を連れていけばある程度の自由は出来た。小国にたどり着いた後の数日は強行した移動と今までの心労で動けずに借りた離宮で寝込んでしまった。
次第に体の調子が戻ってくれば街の中を散策した。婚約者が亡くなってから自由に散策するなどできずにいたので護衛付きの上に短い時間であっても十分に気持ちはほぐれた。慣れない旅も開放感があり、心の中の澱を徐々に溶かした。
ようやく気持ちが安定してきて、ぶらぶらと街中を散策ることも楽しめるようになった時に出会ったのがアンジェリカだ。
アンジェリカはとても小さくて可愛らしい女の子だった。ぼーっとよそ見して歩いていたルーカスが前を歩いていた彼女にぶつかってしまったのだ。ルーカスの大きな体に弾き飛ばされたアンジェリカは驚いて目を丸くしていたのを覚えている。
「あの時に出会ったときは、別に妃にしようと考えていたわけではないんだがな。少しの時間だったが一緒に過ごしてみて、こんなにも心根の優しい女の子もいるんだと思ったんだよ」
「……陛下、当時は22歳、妃殿下は……」
「13歳です」
キーランがこめかみを揉みだしたカールソンにそっと教えた。カールソンは揉んでいた手を止めてキーランを見る。
「もしかしてその時も一緒にいたのでしょうか?」
「はい。妃殿下は可愛らしい水色のドレスをお召しになっていました。突き飛ばされて転んでしまったため、お召し物が汚れてしまい陛下が新しいドレスを贈ったのです」
「ほう。陛下は香水臭い令嬢たちにやられすぎて、ついには幼女に目覚めたと」
「幼女ではないぞ。すでに13歳なのだから王族であれば婚約者がいてもいい年だ」
きりっとしてルーカスは言い切るが、カールソンは受け入れがたかった。今でも小さな体のため後ろ姿など子供のように見える時があるのだ。5年前であればもっと幼い感じであったに違いない。それこそ10歳になっていないように思えたのではないだろうか。
「幼女が好きという趣味趣向は個人の自由ですし、すでにアンジェリカ様は陛下の妃になっていますから不問にします」
「お前に責められる覚えはないんだが」
ぼやきながらルーカスは頬杖をついた。
「しかし、妃殿下はそのことを覚えていらっしゃるのですか?」
「多分知らない。彼女の両親は俺の身分を知っていたが、彼女は大叔母の後を継ぐために王族ではなかったからな。借りていた離宮に客人がいたことも知らないと思う」
カールソンはため息をついた。
何か考えがあって教えないのだろうが、ろくなことではない予感がしてきたのだ。
「あまり秘密主義過ぎると、あらぬ想像をされることもありますから」
「そうか? 秘密にしていることは何もないぞ。ありったけの気持ちを込めて愛を囁いているからな」
「それが過剰過ぎるのです。今まで全く知らなかった相手に突然愛を語られても普通はドン引きます」
何を思い出しているのか、突然にやにやとして気持ち悪い笑顔を見せていたルーカスが固まった。カールソンは呆れたようにそんな主を見つめる。
「大体陛下も経験があるでしょう? 見ず知らずの令嬢がさも一緒に素晴らしい時間を過ごしたかのように愛を告げて来るのを」
「……なるほど。わかりやすいな」
目に見えて落ち込んだルーカスを面倒くさそうに眺めた。想像すればすぐにわかるものだが、愛しい女を手に入れて頭の中がおめでたくなっていたらしい。
「何はともあれ、陛下の気持ちが見せかけでないことは理解しました。これからも変わらず仲良くしていってください」
「今、ドン引くと言ったじゃないか」
「そこで態度を改めると余計に表面的ではないかと思われます。もっと過剰なほど愛を注いでください」
過剰なほど、と告げたらパッと復活した。ルーカスは立ち上がると、扉の方へと向かう。
「妃殿下の所ですか?」
「ああ。行ってくる」
「今日はランドン侯爵夫人が訪問されています」
ランドン侯爵夫人、と聞いてルーカスの足が止まる。
「さっき言っていなかったじゃないか」
「忘れていました。なんでもたまにはおしゃべりがしたいと、呼び出したようです」
しれっと言われて、ルーカスは苦い顔をした。ルーカスはビアンカが昔から苦手なのだ。
ランドン侯爵夫妻、カールソン、そしてキーランはルーカスの幼少の時からの付き合いだった。ビアンカは幼い頃は婚約者候補として目されていた。ただあまりにもルーカスとビアンカの相性が悪く、婚約者になったのは今は亡き令嬢だった。
「……先に仕事を片付けて、早めに会いに行く」
「そうですか。では残りを持ってきます」
澄ました顔でカールソンは書類を取りに部屋を出た。