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 侍女に淹れてもらったお茶を一口飲む。香りのよいお茶は砂糖を入れていなくとも仄かに甘く、仕事の疲れを吹き飛ばしてくれる。ほっと気を抜くと、長椅子に背を預け、先日のことを考えた。


 ルーカスとキーランを覗き見た日から10日経っていた。


 事実を知ってショックを受けたというよりも、何だそういう事なのね、という納得の方が強かった。


 ルーカスは変わらず、毎日アンジェリカに愛を囁く。

 暇を見つけては花束を贈り、そして大切なものは他にはないというようにキスをする。二人の仲の良い姿を見れば、誰もがルーカスの寵愛がどこにあるのかわかるだろう。


 アンジェリカ自身、つい先日までそう思っていたのだから。夜も毎日のように求められていて、王妃としてゆるぎない立場になるほどの扱いを受けていた。


 あのやり取りを知った後、顔を合わせた時にはどうしたらいいのかと狼狽えてしまったけど、不思議なことにルーカスはアンジェリカの戸惑いには気がつかない。


 慎重に、冷静に距離を置いてみても、ルーカスの態度はいつもと同じ。前はただただ訳も分からず、恥ずかしくて離れようとしていたけど、今は本当の恋人の目の前でいちゃつくことの罪悪感で距離を作りたかった。二人のことを知る前と後ではルーカスに対する態度が異なると思うのだが、彼はアンジェリカの心の変化に気がついていない。


 アンジェリカは自分はその程度の存在なのかと落胆した。いつも見ているようで、見ていない。見ているふりをするのが上手なのだ。


 でも、よく考えてみれば、今の状態は不思議でも何でもない。ルーカスがアンジェリカを王妃に選んだ理由はこの国におけるしがらみのない出自にあった。


 第5王女という言うように、両親は子だくさんだ。側室はいないので、8人の子供すべて母である現王妃が産んでいる。3人の兄達は優秀で、とても仲がいい。姉たちは国のためになる縁を結び、嫁いでいった。

 アンジェリカは末の娘だったから、縁を結べるような相手もいないため教会に入ることになっていた。高齢な大叔母の後を継いで、国のために神に仕え支える。それが生まれた時に決められた役割だった。


 アンジェリカは幼いころから王女というよりも大叔母の後継者として教育された。

 王女として必要な教養はもちろん教えられているが、経済や政治よりも神の教えや平民に近い知識の方が多い。

 身を立てるための炊事、洗濯、裁縫は当然のこと、医術や商売については徹底的に叩き込まれた。不幸な子供たちがきちんと職につけるように手を差し伸べるのが、祖国での役割であった。事実、大叔母はいくつかの事業を展開し、職に困っている人たちを雇い入れている。その後を継ぐのだから、アンジェリカはいつも多忙だった。


 そんな王女らしい生活からかけ離れたアンジェリカがこの国の国王に求婚されたのは理由がある。


 ルーカスとアンジェリカの年の差は10歳。祖国よりもはるかに大きく豊かな国の国王――当時は王太子のルーカスには3歳年下の婚約者がいた。とても素晴らしい知性と美貌を持った令嬢だと聞いている。


 6年前、あと少しで結婚というときになって、その婚約者が事故で亡くなった。この事故が非情に怪しく、一時期は暗殺だとも言われたほどなのだ。ルーカスの婚約者は亡くなり、その席が空いた。


 その後に起きたのは、王太子妃、さらには未来の王妃の座をかけての熾烈な戦いだった。候補者たちがお互いを潰し合うような殺伐とした状態だったらしい。心ある親は巻き込まれないようにさっさと娘を嫁がせ、野心のある家はつぶし合う。大国ではよくあることらしいが、聞いた時にはぞっとした。


 当然、婚約者が決まるわけがなく、王太子妃の席は空いたまま。実に6年だ。その間に前国王の体調が思わしくなく、ルーカスに譲位する。流石にいつまでも独身でいさせるわけにもいかず、王妃選びが本格化した。

 国内の貴族の影響がなく、利害が絡まらない他国の王女がいいのでは、と迷惑な意見によって白羽の矢が立ったのがアンジェリカだった。


 大叔母の跡取りとして育てられたアンジェリカは急遽王族に戻り、本当に最小限の教育をされて送り出された。祖国の国力などこの国に比べたら赤子のようなもの。

 心配した兄たちがこの国の状況を調べて真っ青になったほどだ。できるなら断りたいが、大国からの申し入れを断れず、泣く泣く嫁いできた。


 どれほど恐ろしい場所かと思えば――。


 一身に寵愛を受ける王妃となっていた。

 ルーカスは会ったその日から、とても大切にしてくれた。しかも皆が見ている目の前で愛を囁き、褒めたたえる。その様子は驚くほど甘く、小国の王女に嫌味を言おうとしていた貴族たちも唖然としたほどだ。


 それが不思議で、信じられなくて。

 それでもそこにしか縋るものがなくて。


 ルーカスのことを信じられると、少しはこちらからも歩み寄ろうかと思っていた。彼の溢れるばかりの愛を信じてしまった。でも早いうちに二人の関係を知ることができた。


 よかった。

 ちゃんと隠された真実を見つけられて。


 ルーカスの婚約者が亡くなった後、彼の傷ついた心を慰めたのがキーランなのだろう。

 アンジェリカの役割は恐らく二人の関係を隠すこと。

 何も気がつかず、何も知らないルーカスに愛される王妃を演じてればいい。


 政略結婚でこの国に嫁いできたのだから、今のこの状態はとても恵まれている。

 幸いにして、アンジェリカはまだ愛をルーカスに向けていない。


 ルーカスに向ける気持ちは、そう、親愛。

 尊敬しているけれど、男女の愛ではない。


「……と思うわ」


 自信がなくなって、呟いた。しばらく考えていたけど、幼いころから大叔母に育てられていて、皆を等しく愛することを教えられていても、一人の男性を愛することを教えてもらっていない。


 陛下を大切に思う気持ち、これは確かにある。

 これほどよくしてもらっているのだ。人として当たり前だ。それでも祖国にいた時に親切にしてくださった人たちに抱いた気持と同じかと言われれば自信がない。

 不安に駆られて、侍女を呼ぶ。


「どうなさいました?」


 いつもと違う様子に侍女が驚いたように用件を聞く。


「少し前にお姉さまたちから届いた本があったわよね?」

「ええ。確かに大量に送られてきました」

「どこにあるのかしら?」


 嫁いだ姉たちから定期的に送られてくるのは、恋愛小説。恐ろしいほどの種類があり、買い占めたのではないかというほどの量を送ってくる。


 送られてきても全く興味が持てずに放置していたのだけど、それこそ今必要なものだ。侍女はコホンと咳払いした。


「申し訳ございません。妃殿下が不要だとおっしゃるので、今、回覧中でございます」

「まあ、そうだったわね。どのくらいで戻ってくるかしら?」

「もうすでに第5陣まで回覧しているので、そろそろ戻ってくると思います。お急ぎですか?」


 侍女の言葉に、首を傾げた。


「そうね、急ぎかしら?」


 よくわからず、疑問形で答えた。侍女は困ったようだが、すぐに気持ちを切り替えて質問してきた。


「急にどうして必要になったのでしょうか?」

「陛下が……いつも愛していると伝えてくださるのだけど、わたしには男女の愛がわからないの」

「わからない、ですか?」


 理解できなかったのか、侍女が言葉を繰り返した。心の中に持っているこのモヤモヤした気持ちを説明する。


「そうなのよ。ほら、わたしずっと教会長としての未来しか考えていなかったから。民を愛する心を知っていても、その、結婚した男女の思いは教わっていないの」

「ああ、わかりました。それを妃殿下のお姉さま方が心配して沢山の本を送ってくださったのですね」


 納得したのか、侍女はなるほどと呟いている。


「お姉さまたちが選んでくださった本だけど、あまり興味なくて。でも、もしかしたら本を読めば、男女の愛を知ることができるのではないかと思いついたのよ」

「おっしゃることがわかりました。まずは一冊回収してきます」


 言いたいことが伝わって、ほっとした。笑みを見せれば、侍女は少しだけ表情を崩した。納得してもらえたようだ。


「もしよろしければ、ランドン侯爵夫人にご相談したらいかがでしょう?」

「ランドン侯爵夫人……ビアンカに?」

「ええ。陛下とは幼いころから交流がございますし、何かしらのご意見がいただけるかと」


 ビアンカはアンジェリカの相談相手としてルーカスから紹介された女性だ。とても凛としていて、優しいけれど厳しさもあって、社交界の中心的存在。その存在に認められたことで、アンジェリカはルーカスの目の届かない女性社会でも守られていた。


 ルーカスからの信頼も厚く、そして何よりも幼いころからの知り合い。もしかしたらルーカスの秘められた恋を知っているかもしれない。


 誰にも相談出来ないと思っていたことを、相談できる相手を見つけられてパッと目の前が明るくなる。


「そうね、そうしましょう。ビアンカにこちらに登城できる日程を聞いてちょうだい」

「畏まりました」


 突然進むべき道ができたようで、迷子のような気持ちはすっかりなくなっていた。


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