愛の向く先
温室に入れば、外よりも少し暖かな空気が体を包み込む。北国出身のアンジェリカには少し熱いぐらいの空気だ。
祖国は雪に閉ざされる時期が長く、夏と言えども夜には冷え込む。この国は祖国よりもはるかに南にあるため、普段からとても暖かい。それでも温室があるのは気温を一定にしておきたいからだそう。
温室はかなり大きめに作られていた。小さめの離宮と同じぐらいの広さがあった。これだけの広さがあるのだから手入れも大変なはずだが、雑草一本生えていない。枯れた花もなく、瑞々しい花々が咲き誇っていた。
アンジェリカが初めて見る品種のものも多いが、毎日のように花束をルーカスから送られているため、いくつかは見知った花もある。
「こうして咲いていると、とても強い印象があるのね」
一輪では可憐で繊細な花も、こうして自然に咲いている姿は存在を強く主張していてとても誇らしげだ。贈られる花束はいつも可憐で、アンジェリカの儚さに合うように選んでいるのかと思っていた。
いくつか贈られた花たちを見つけ、ルーカスが決して自分のことを弱い女性だと思って選んでいるわけではないと気がついた。きっとルーカスは必死に王妃としてあろうとするアンジェリカを花たちの咲き誇る姿に重ねていたのだろう。
この国の王妃として嫁いできてから、目まぐるしい毎日だった。必死に自分の役割を果たし、ルーカスの優しさに寄りかかる。気がつけば、いつだって貰ってばかりなのだ。
「陛下は妃殿下がいつも頑張っていらっしゃるから、少しでも明るい気持ちでいてほしいとおっしゃっていました」
侍女がそっと秘密を教えてくれる。くすぐったい心遣いに、思わず頬が染まった。
「わたしがここで待っていたら驚いてくれるかしら?」
「もちろんですわ。折角ですから、こちらにお茶を用意をしましょうか?」
侍女が気を利かせて、そんな提案をする。この美しい花を見ながらお茶を飲むのも素敵だろうと思うのだが、予定も聞かずに勝手に用意するのも躊躇われた。
「心配しなくとも、わたしも護衛達もいます。よからぬところまでは発展しないかと」
違う心配をされて、アンジェリカは真っ赤になった。確かにこんな素敵な場所で二人きりになったら、危ない。キスだけで終わらない気がする。
「もう。あまり揶揄わないで」
「申し訳ありません。妃殿下が可愛らしい反応をするのでつい」
少し離れたところにいる護衛達もちょっと含み笑いをしていた。ますます恥ずかしくなって、頬はゆであがったように熱い。王妃としての威厳を、と思いつつも熱い頬はどうしようもない。
「……座らずに散策するぐらいが時間を気にしなくてもいいと思うのだけど」
「わかりました。わたしたちは見えるところにいますので、何かあればお声を掛けてください」
そう言って侍女と護衛達は見えるかどうかの位置に移動した。一人になったアンジェリカはため息をつく。
気を取り直して温室に咲く花をよく見ようと、ゆっくりと歩き始めた。
手入れの行き届いた花たちはとても瑞々しくて、美しい。誰かを喜ばせようとしているようだ。
知らないうちに微笑みを浮かべながら楽しんでいると、言い争うような声が聞こえた。
驚きに足を止めた。ここは王族専用の温室で、誰も入らないはずなのだ。
ゆっくりと声の聞こえる方へと近づいて、そっとのぞき込む。そこにいたのはルーカスと彼の護衛騎士だ。緊張がほぐれて力が抜けた。
どうやらルーカスはアンジェリカとは違う入り口から入ったようだ。
陛下、と声を掛けようとするがすぐにその言葉を飲み込んだ。二人の様子が変だと気がついたのだ。どうするべきか悩んでいるうちに、声が少し大きくなった。ルーカスが苛立ったように声を荒げている。
「キーラン、わかっているだろう?」
「いえ、わかりません」
何やら深刻そうだ。ますます出て行くことができなくなって、思わず木々の陰に隠れた。気にすることなく、声を掛けたらいいのだと思う。だけど、いつもとは違う切羽詰まったような、ピンと張りつめたような空気に出ていけなかった。
「何も心配することはない。今なら非難する人間もいないんだ」
「陛下の気持ちは有難いと思います。ですが、これはすでに決めたことです」
キーランの固い声はルーカスをすべて拒否しているかのようだ。それを受け入れられないルーカスが彼の肩を掴んだ。
「もう一度考え直してほしい。これが一番いい方法なんだ」
「無理です。お断りいたします」
話の内容がよく理解できないが、二人の間にはアンジェリカの知らない関係があるようだった。
人の会話を盗み聞きするようなことをしてはいけないと思いながら、二人に気がつかれないように気配を殺した。じっと息を凝らし、その会話を聞いていた。
「お願いだ。今更かもしれない。でも、妃になってほしいんだ。文句を言う人間はすでに排除した」
「陛下、そのお話はすでにお断りしたはずです」
どういうことなの?
妃に、って彼が?
二人の会話に頭が混乱した。
二人の姿を見ようと、そっと覗き見れば、ルーカスとキーランは真剣な表情で対峙していた。
キーランは中性的な涼やかな美貌の護衛騎士だ。ルーカスよりは小柄であるが、それでも鍛え上げられた体をしている。職務中は無表情で近寄りがたいのだが、時々見せる柔らかな笑みが侍女たちにとても人気がある。もちろんルーカスの信用も厚く、常に彼を側に置いている。この国に初めてついた時、筆頭護衛だと紹介された。
その彼が妃?
近衛騎士の彼は男で。
いくらルーカスが望もうと、この国では同性婚は認められていない。
アンジェリカの祖国ならば、同性婚は認められている。何代か前の王族が同性で愛し合った友人たちを結婚させたいがために作った法律だ。神の教えである聖典にも、同性による愛を否定した文章はどこにもない。あるのは愛する人との結婚のみだ。
強烈な情報を手に入れた頭はまともに動かず、ぐるぐるとなっていく。
「キーラン!」
「今更なのです。その件については、放っておいてくれませんか」
「待ってくれ!」
悲痛な声だった。乱暴な足音が聞こえた。こちらに向かってくるので、慌てて、体を奥の方へと寄せる。木の陰に隠れるアンジェリカに気がつくことなく、二人は目の前を通って温室を出て行った。
しばらくして、温室がしんと静まった。
のろのろと隠れていた木の後ろから出ると、休めるように置いてあるベンチに座り込む。
いつもアンジェリカに惜しみない愛を囁いていたルーカスには思い人がいた。先ほどの会話を考えると、アンジェリカのために反発する貴族たちを切り捨てたわけではなく、彼のために切り捨てたとも受け取れた。
その考えはとても無理がなかった。アンジェリカを隠れ蓑に、彼のために排除する。表向きは小国から来た王妃を守るために行っているのだから、多少の強引さがあっても納得できる。
二人の様子を思い浮かべた。普段は一歩下がった距離にキーランは立っていた。護衛騎士のため、でしゃばった態度を見たことはない。
今までその二人の様子から、心を通わせている素振りはなかった。それでも先ほどの二人の様子はただごとではなく、ルーカスがキーランに縋っているようにも見えた。
ルーカスは国王で、キーランは護衛騎士だ。二人とも感情を押し殺すことに長けている。気がつかなくても、仕方がないのかもしれない。
アンジェリカに愛を囁くルーカスをどんな気持ちで見ていたのだろう。
ルーカスはアンジェリカにどんな気持ちで愛を囁いていたのだろう。
二人の関係を知った今、これからどんな顔をして接したらいいのか。
どうしていいのかわからず、心配した侍女に声をかけられるまでその場で放心していた。
※注意※
ネタバレですが、注意事項です。
BLではありません。勝手にアンジェリカが勘違いしただけですが、この勘違いがコアになるため苦手な方はここでバック推奨です。
※注意※