驚きの再会
ビアンカは一人の侍女を連れてやってきた。時間通りに現れた彼女は、いつもと変わらない艶やかな笑みを浮かべる。
「今日は彼女を紹介しようと思って連れてきたの」
挨拶が終わって真っ先に言われたのがこの言葉だ。アンジェリカはビアンカの後ろに頭を下げて立っている彼女の方へ目を向けた。
「顔を上げてちょうだい」
「彼女、デイジー・スティールよ。これからもちょくちょく連れてくるから、よろしくね」
ビアンカが簡単に紹介すると、デイジーが一歩前に出た。ゆっくりと膝を曲げ、美しい所作で挨拶をした。
「初めまして。デイジー・スティールと申します」
「わたしはアンジェリカよ。デイジーと呼んでいいかしら?」
「はい」
デイジーは顔を上げて真っ直ぐにアンジェリカを見た。アンジェリカは口をあんぐりとあけて、デイジーを凝視する。
美しい銀髪を複雑な形に結い上げ、薄く化粧が施されている。上品な化粧は彼女の美しさを引き出していた。
デイジーは見つめられて、恥ずかしそうにはにかんだ。その仕草が可憐でとても可愛らしい。
「え? デイジー? デレクではなくて?」
「ふふ、驚いたかしら?」
「普通に驚くでしょう?! デレクに女装させるなんて! すぐに着替えを」
「慌てないでちゃんと話を聞いて」
ビアンカが思わず立ち上がったアンジェリカに落ち着くように声を掛けた。アンジェリカは険しい表情をしたまま、再度椅子に腰を下ろす。
「どんな事情があるというの?」
「彼女は初めから女性よ。男性のふりをしていたのは、身の危険から守るためよ」
身の危険から守る、と言われてアンジェリカは気持ちを落ち着けようと大きく息を吸い込んだ。もう一度デイジーを見る。柔らかそうな体つきは確かに女性のもので、確かに作っている感じはない。
「そうね、そういう事なのね。ああ、よかったわ。てっきりビアンカに無理やり……」
「流石に妃殿下に会わせるためにそこまでしないわよ。もし男性だったら、護衛の見習いにして引き合わせるわ」
「それもそうね」
ビアンカの説明がすとんとお腹に落ちた。アンジェリカはビアンカとデイジーに座るように促した。だがデイジーは座らずに、アンジェリカの前に両膝をついた。両手をクロスするようにして胸に当てる。その作法は教会で神に祈る時のものだった。
下からのぞき込むようにデイジーは座っているアンジェリカを見上げた。その眼差しには敬愛が込められていた。
「デイジー?」
「王妃殿下にはお礼が言いたかったのです。この感謝は言葉では言い表せません。ですから、この身を妃殿下に使っていただこうと」
「ちょっと待って! そんなにも重く受け取らなくてもいいのよ? わたしはたまたま貴女と話してルーカス様に報告しただけなのだから」
唖然としている間に、デイジーが何やら不穏な言葉を紡いだので慌てて言葉を遮る。デイジーはひどく真面目な顔をして首を左右に振った。
「いいえ。手を差し伸ばしてくれたのは王妃殿下だけだったのです。王妃殿下が助けてくださったから、あそこの孤児院にいた下の子供たちも何も気にすることなく暮らしていけます。だから助けてくださった王妃殿下のために何かしたいのです」
ほとほと困ってしまい、デイジーからビアンカへと視線を向けた。ビアンカはどこか面白そうな顔でこちらを眺めていた。
「この子はね、とても優秀よ。もう少し侍女として鍛え上げてから、貴女の側に置きたいと思っているの」
「申し訳ないけど、わたしの個人的な希望で人事を決めることはしていないの。ビアンカなら知っているでしょう?」
「一人ぐらい、いいじゃない」
「ダメよ。これはわたしが嫁いできたときに自分で決めたことなの。もちろん何かあればルーカス様には相談するわ。でもわたしが気に入ったからといった理由で側に置くことはしない」
多少のことなら融通しても問題ない。侍女や使用人、護衛などは人とのつながりで相性も多少あるものだ。
だけど、アンジェリカはこの国で何の後ろ盾もない王妃だ。一度、自分の希望を告げてしまえば、取り入ろうとする人たちが押しかけてくるだろう。
もちろん簡単に騙されないつもりでいる。だがそれも完全ではない。アンジェリカは自分がとても世間知らずで、狭い世界のことしか知らないことを十分理解していた。
「妃殿下は断るだろうと思ったから、陛下には事前に相談してあるわ」
「ビアンカ……」
だったら先にそれを教えてくれてもいいだろうと、恨みがましい目を向けた。ビアンカは恨みの籠った視線を受けても、艶やかににこりと笑う。
「貴女が問題なかったら、陛下が面談して決定すると言っていたわ」
「そう。そこまで言質が取れているのね」
「それだけ貴女の側にいたいという気持ちなのよ」
たった一度のことで将来を決めるのもどうかと思う。
アンジェリカは小さくため息をついてから、困ったようにデイジーを見下ろした。
「貴女の感謝の気持ちは受け取るわ。だけど、すでに信用している侍女たちが仕えている。これ以上、侍女はいらないのよ」
目に見えてしょぼんとした彼女に罪悪感が湧く。それだけ強い気持ちを持ってきたのだろうから、拒否されるのは辛いはずだ。このままではデイジーの気持ちの行き場がなくなってしまう。
アンジェリカは少し考えてから、ビアンカに尋ねた。
「ビアンカ、彼女は一体どういう立場にいるの?」
「実は彼女、子爵家の庶子なの。そこで取引して、彼女をわたしの実家の遠縁にあたる男爵家の養女にしたわ」
あの孤児院が貴族の血を引く庶子が集められていると聞いていたので、ビアンカはきちんと手続きをしていたようだ。子爵家との取引はデイジーを通じて利用させないようにするためだろう。
「では、貴族の令嬢として社交界に出ることは可能なの?」
「もちろんできるわ」
思っていた通りの回答が返ってきたので、デイジーににこりと笑った。
「それではデイジーには社交界に出てもらいましょう。そこで色々な話を拾ってきてほしいの」
「どういうことですか?」
デイジーは理解できなかったのか、首を傾げた。
「難しく考えなくてもいいのよ。茶会や夜会で話題になったことを手紙に書いて送ってちょうだい。今どんなことが話されているのかが知りたいわ。ほら、わたしやビアンカがいると不都合なことは隠されてしまうから」
「それは王妃殿下のお役に立ちますか?」
デイジーは孤児院の中しかしらない。孤児院長の方針でマナーや立ち振る舞い、知識などは下級貴族としては十分なものであったかもしれないが、実際に社交界に出ていないのだから何を求められているのかわからないのだろう。
「もちろんよ。社交界での立ち振る舞いはビアンカに教わればいいわ。わたしもずいぶん助けられたものよ」
「本当にね。妃殿下もこの国に来た時には大丈夫かと心配で仕方がなかったわ」
「今でも助けられているものね」
二人で顔を合わせて笑い合う。今はいい思い出だが、ビアンカにしてみれば茶会も夜会もひやひやして側にいたものだ。
「わかりました」
ようやく納得してデイジーが寂しそうに微笑んだ。
「ではこの話はおしまいね。さあ、デイジーも椅子に座ってちょうだい。少し相談があるのよ」
アンジェリカは侍女にお茶を用意するように指示をする。侍女は静かにお茶を入れ、菓子を用意した。そして侍女に合図をすれば、彼女は静かに頭を下げて控室へと下がった。
人払いを済ませてから、アンジェリカはため息をついた。
「人払いをするということは、陛下のことね?」
「そうなのよ。視察から戻ってきたのは良いのだけど、どうやらルーカス様、キーランに避けられているみたい」
ビアンカが遠慮なく尋ねれば、アンジェリカは沈んだ声で現状を説明した。デイジーは不思議そうな表情をしながらも、真剣に耳を傾けている。
「どうにかしたいのだけど、どうしたらいいのかしら? あまり根掘り葉掘り聞くこともできないし」
「キーランの方はどんな様子なの?」
「どんな、と言われても。キーランはルーカス様の護衛から外されているから、まだ会っていないの」
ビアンカはふうんと、何やら思案気だ。デイジーはアンジェリカとビアンカの二人をしばらく見ていたが、遠慮がちに口を開いた。二人の視線がデイジーに向かう。
「あの。キーラン様は妃殿下の護衛についていた彼のことですか?」
「そうよ。知っているの?」
「はい。路頭に迷っているわたしを保護してくれたお兄さんですから」
思わぬ繋がりに、二人は目を丸くした。
「意外なつながりがあるものね」
デイジーは当時を思い出したのか少しだけ頬を染めて笑みを浮かべた。
「とても優しいお兄さんでした。保護されたとき、丁度お母さんが亡くなって、屋敷を飛び出したんです」
「キーランとはその時に?」
「はい。異母兄に関係を迫られていて……戻るに戻れなくて、一晩買ってもらおうと声を掛けました」
するっと言葉が出てきて、アンジェリカが固まった。ビアンカは動揺せずにそう言うこともあるかもねと頷いている。
「貴女、その時幾つ?」
「確か……5歳?」
「まだ子供じゃない!」
「昔から顔が好まれていて、よくそういうお誘いがあって。母が生きている時はまだ露骨ではなかったですが、亡くなってからは本当にひどくて」
ビアンカとデイジーのやり取りに、アンジェリカは聞いていられなくなり項垂れた。
「ごめんなさい。そういう話には馴染みがなくて」
「気にしないでください」
デイジーは軽く受け答えたが、アンジェリカは衝撃からすぐに立ち直れなかった。ビアンカはそんなアンジェリカを気にしながらも会話を続ける。
「デイジーはどうしてキーランの話をしたの?」
「妃殿下を否定したいわけではないのですが、キーラン様は確かに女性がお好きなようでした。だから陛下とは妃殿下が心配しているような関係ではないと思うのです」
デイジーは真剣な眼差しでアンジェリカを見ていた。アンジェリカはのろのろと顔を上げる。
「でも、わたしはちゃんと聞いたのよ?」
「その会話、全部聞いていますか? この国では同性での恋愛は忌避されているので、秘めやかにするものです。孤児院に買いに来る貴族たちは皆そのような人間ばかりでしたから、同性を好む人は見ればわかります」
「前にも言ったと思うけど、妃殿下のお国では確かに同性での結婚が可能でもこの国は違うのよ。流石に何の根回しもなく同性の妃というのは難しいわ」
ビアンカもデイジーを後押しする。二人の説得力のある言葉にアンジェリカは黙ってしまった。
「……ビアンカもやっぱり違うと思うの?」
「ええ。他に何か隠していることがあるだろうとは思うけど、恋愛ではないと思うわ」
何か隠していること。
アンジェリカには伝えられていないことなど、沢山あるだろう。アンジェリカが公務として携わっている分野はとても狭い。情報も限られていることが多い。
「妃殿下は陛下に気持ちを伝えたこと、あるの?」
「え?」
アンジェリカはビアンカの思わぬ言葉に狼狽えた。ビアンカはにこりと笑った。
「その様子だと一度もないのね。それなら、陛下に愛を伝えてみたらいいわ。じっと下から見つめながら愛しています、と伝えた時の反応で何かわかるはずよ」
愛を伝える。
アンジェリカの全身が熱くなり、顔は真っ赤に染まった。自分から愛を伝えるだなんて、恥ずかしすぎる。
「……妃殿下、可愛らしいです。陛下を本当に愛しているのですね」
「本当にね。これで家族としての愛だなんてよく言えたものだわ」
デイジーの呟きに、ビアンカの呆れたような言葉。
アンジェリカは二人の生ぬるい眼差しにさらに悶えた。




