約束は破られるもの
「えっと、これ全部?」
目を白黒させて、侍女たちが選びやすいように広げるいくつかのドレスを眺めた。3人の侍女たちがそれぞれの好みで選んできたとわかりやすいドレスだ。
共通しているのはどれもこれも飾りが少なく、簡素なドレスだ。普段着ているドレスは王妃らしく、肌触りの良い高級な布をふんだんに使っている。美しいドレープやフリル、レースなどは宝飾品がなくともそれだけで華やかにする。それに比べてこれらのドレスはとても質素だ。
上は首までしっかりと布のある作りで、スカートもふわっとしているがボリュームを押えてある。色は単色だ。もちろん大きなリボンやフリル、そしてレースは使われていない。さりげなく使われているくるみボタンや差し色にした白の袖口があるため、それでもお洒落に見える。それぞれが同じ形でありながら、まったく異なって見えるのは布の種類や色合いによるものだ。
「妃殿下のふわふわした御髪に淡い緑色はよくお似合いになると思います」
「こちらのピンク色のドレスも年頃の娘らしくて素敵ですわ」
「折角のお忍びですもの。黄色の花びらのようないつもは着ない色を選ぶのも気分が変わります」
3人は笑顔で牽制しながらそれぞれのドレスを勧める。その圧力にやや怯みながら、こちらの要望も伝えてみた。
「もうちょっと普通の物はないの?」
お勧めしてくれる侍女たちには申し訳ないが、お忍びで街に降りるのだ。普段よりもかなり質素だとしても、これではお嬢さまのお忍びだとすぐにわかってしまう。
「普通とはどのような?」
上手く伝わらなかったのか、侍女が首を傾げた。アンジェリカはうんうんと唸りながら、言葉を補足する。
「できる限り、裕福な商家の娘のように見せたいのよ。色々と見て回りたいから。だから色味は紺とか茶色とか地味なものがいいわ」
「ああ、そういうことですか。ですが、護衛が沢山つくので商家の娘のように振舞うのは難しいかと。護衛がいるだけで、お忍びの貴族家の娘のように見えますわ」
「そうなの? 陛下がいるから?」
キョトンとした顔をしてアンジェリカは聞いた。侍女はくすくすと楽し気に笑う。
「陛下がいらっしゃるから、護衛は3人ほどですんでいるのですよ」
「……陛下がいなかったらもっと多いの?」
「恐らく。6人ほどになるかと」
その人数を聞いて、一人では出歩くまいと決める。折角の街歩きなのに、護衛がいたらまったく自由に見ることが叶わない。ルーカスと一緒に行動するのが一番ね、と苦笑しながらその中で一番落ち着いた色合いである淡い緑のドレスを選んだ。
制約があっても街歩きは楽しみだ。ルーカスが時間が取れるのは本当に久しぶりで、しかもこの国に嫁いでからお忍びでの街歩きは初めてだった。祖国は小さいこともあるが、アンジェリカが平民と近い位置で育ってきたため街をうろつくことに抵抗はない。ただ王妃という立場上、自分から行きたいとは言えずにいた。
「妃殿下、楽しそうですわ」
「ええ。この国の街を歩くのは初めてだからとても楽しみよ」
侍女たちから色々な情報を聞きながら、支度を進める。華美にならないように髪をまとめ、薄く化粧を施す。
「こちらが貨幣です。銀貨と銅貨を用意してあります」
袋に入った貨幣を見せてもらう。アンジェリカは目を丸くした。街を歩くのもほんのわずかな時間だ。お金を使うつもりはなかった。
「使うことはないと思うけど」
「持っていて邪魔にはなりませんから」
「でも」
「陛下も持っていると思いますが、お好きなものを選んで買う楽しさもありますよ」
そう言われてしまえば、頷くしかない。アンジェリカは用意されたポーチにお金を入れた。
すっかり出かける準備が出来上がった頃、扉が叩かれた。時計を見れば、約束の時間だった。侍女も慌てて最後の仕上げをする。
「妃殿下」
取次に出ていた侍女が困ったような顔で戻ってきた。
「どうしたの?」
「陛下の侍従がいらしています」
「通してちょうだい」
約束の時間になってルーカスではなく侍従が来る理由が思い当たらない。侍女に案内されて侍従が入ってきた。ルーカスの身の回りの世話をしている侍従の一人だった。
「陛下よりご伝言を預かってきました」
「陛下から伝言?」
意味が分からず眉を寄せる。侍従は申し訳なさそうに理由を述べた。
「急用ができまして、本日、妃殿下とのお約束を延期したいとのことです」
「急用……」
ますます眉をぎゅっと寄せた。今日はルーカスが調整して空けたのだ。よほどのことがない限り、予定は入れないと言っていた。
「陛下は今どちらに?」
「私室の方で外出の準備をしております」
「では挨拶だけでもしたいわ。折角お忍びの用意をしたのですもの。一人でも出かけてもいいか聞きたいわ」
「わかりました」
侍従は笑ってアンジェリカを案内した。
アンジェリカもルーカスの忙しさは理解していた。王妃としての公務に携われば、仕事の内容は多岐に渡っており、優秀な文官たちを使っていたとしても意思決定は国王であるルーカスが行うしかない。
大きな国の運営というのはそれだけ大変なので、予定が狂ったとしても怒りはわいてこない。
だけど支度する前なら取りやめも納得できるが、すでにいつでも出かけられる状況。
気持ちだってすでに外に向いてしまっていた。一人でも散策したい気持ちは押えられなかった。
ルーカスの私室へ続く廊下を進めば、誰かの会話が聞こえてくる。なんだか言い合っているような、そんな声だ。
「この声は……サリス殿と陛下でしょうか」
侍従の呟きに、アンジェリカは足を止めた。
「貴方はここまででいいわ。わたしが行くから」
「ですが」
「きっと陛下が仕事はいきたくないとか無理を言っているのよ。ほら、お忍びが延期になってしまったわけだし」
侍従は納得したように頷いた。
「わかりました。私は他の準備もありますから、ここで失礼させてもらいます」
侍従が去っていくのを見送ってから、自分の侍女にここで待つようにと指示をする。
扉に近づけば、次第に声ははっきりと聞こえてきた。何を話しているのかドキドキしながら、ノックするために手を上げた。
「いつまでも今の状態にいるわけにはいかないだろう!」
大きな声が聞こえて、びくりと体を揺らした。
「ですから、お断りしているのです。いい加減、理解してもらえませんか」
頑なな声音はキーランのものだ。アンジェリカは完全に固まった。入って行ける雰囲気ではない。ちらりと後ろの侍女を見れば、彼女もやや不安そうな顔をしている。彼女の位置では全部は聞き取れないだろうが、空気がピリピリしているのは伝わっているのだろう。
「どうしたら受け入れてもらえる?」
「受け入れはありえません。今のままではなぜいけないのです?」
「現状では何も与えることができないじゃないか。絶対に後悔させないから、受け入れてもらえないだろうか」
「……」
アンジェリカは気持ちを落ち着かせようと、大きく息を吸った。アンジェリカと約束を延期してまでやらなくてはいけないことは、キーランとのことだったようだ。二人の間に何かしらのすれ違いがあったのかもしれない。
なぜだろう、息が苦しい。
きりきりと痛む胸を押えてから、振り払うようにぐっと背筋を伸ばした。声が途切れたタイミグで、アンジェリカは乱暴にノックをして扉を開けた。
「失礼しますわ!」
扉を大きく開ければ、キーランにつかみかかっているルーカスと目が合った。ルーカスは突然入ってきたアンジェリカに驚いている。どことなくばつが悪そうにキーランから手を離した。
二人が睦み合っていなくてよかったと内心ほっとした。流石に二人のイチャイチャを見るのは忍びないというのか、心が痛いというのか……隠れ蓑とわかってはいるけど、なんだか嫌だった。
今までは二人でいるところを見ても微笑ましく見ていられると思っていたのに、意外と見ていられないものね、心の中で呟く。これからは二人でいるときにはなるべく間に入らないようにしよう。
「アンジェリカ。今日のことは伝言したはずだが」
「ええ。伺いましたわ」
なんだかアンジェリカに会いたくないような彼の雰囲気を感じて、努めて明るく話す。
「陛下とご一緒できないのは残念ですけど、一人で街へ行こうかと思っています。許可してもらえませんか?」
「一人で? 後日、ちゃんと時間を作ると伝えた筈だが」
ルーカスが苛立ちを含めた声音で咎めた。アンジェリカは困ったように首を傾げた。
「連絡を頂いた時にはすでに出かける準備は終わっていました。護衛をちゃんと連れていきますから、許可をくださいませ」
言外に突然取りやめたルーカスが悪いと含ませれば、彼は不機嫌に押し黙った。そして大きく息を吐いた。
「申し訳ないと思っている。また後日」
「わかっておりますわ。ところで何か問題でも起きましたか?」
「問題というわけでは……急いで視察に向かう必要ができただけで」
歯切れの悪い返事であったが、アンジェリカは特に追及しなかった。
「その視察はすぐに終わるのですか?」
「ああ。そのつもりだ」
「では、今日の街歩きは諦めます。一週間後、ちゃんと時間をとってくださいませ」
すぐに戻ってくるのなら、一週間の猶予があれば大丈夫だろうと提案する。ルーカスはほっとしたように表情を緩めた。
「本当に申し訳ない。次の約束は必ず」
「ええ。楽しみにしています」
アンジェリカは幾つかルーカスと後日の約束をした。
キーランは居心地が悪そうな顔をして部屋の隅に立っていたが、居心地が悪いのはアンジェリカも同じだ。二人の何とも言えない雰囲気から逃げるようにして部屋から立ち去った。
「待たせたわね。さあ戻りましょう」
「許可は出ませんでしたか?」
「ダメですって。延期になったわ」
侍女と簡単な会話をして、その場を後にした。
明らかに不機嫌な対応をされたからだろうか。初めての態度に、心の奥底にしびれたような嫌な感じがあった。触れ合う距離にいる二人を思い出し、痛む心を誤魔化すようにきゅっと唇を噛みしめた。
自分は隠れ蓑で、二人の仲を見守るべきなのだ。
そう強く言い聞かせても、胸の鈍い痛みはいつまでも収まらなかった。




