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Angles-アングルスー  作者: 朝紀革命
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大谷ミナミと破滅の世界

母は、私が3歳を迎える前に行方を眩ませた。

だから、母親に関する情報はイギリス人で研究者だったという事だけで、実際に私の記憶の中には何も残っていない。

そんな母親が残した唯一の遺品が古びたアンティーク調で出来た鍵だった。何の鍵なのか、当然ながら分からないが、私の物心が付く前から、肌身離さず常に首にぶら下がっている。

一体、何の鍵なのか――

何かを考え込む時や、落ち込んだ時、様々な場面で、私はこの鍵を握りしめる癖が付いていて、既に私の身体の一部と化していた。

「お母さん」

なんとも現実味の無い単語だ。


西暦2194年――

『一つの視点に囚われてはいけないよ』

優しくも老いた声が徐々に遠ざかる……祖父が生前によく言っていた言葉だ。

そしてまだ幼い頃の私を優しく抱き上げる女性の姿……自分と同じブロンドヘアに透き通る白い肌、しかしその表情は陰に隠れて見えない。ただ、優しく微笑む口元だけは確認できる。とても温かみを感じる優しい笑みだ。

一貫性の無い内容…夢とは常にそういうものだ。

――ピピッ… ピピッ… ピピッ… ピピッ… ガチャ。

手探りで見つけた目覚まし時計を止めた。しかし、大谷ミナミはいつもと違う目覚まし時計の配置に戸惑う。先ほど見ていた夢などすぐに忘れ、大きな欠伸と共にまだはっきりとしない意識の中で周囲を見渡す。

薄暗い部屋には、見覚えの無い壁に、見覚えの無い天井やカーテン…ここは何処だっけ?

目を擦りながら、大谷ミナミは昨日までの記憶を徐々に思い出す。

先月初め、オリジナル・メシアを基に設計され、新たに開発された兵器“ゼロス”が実証試験に合格した。

その結果を受けて、幾つかの制限は付くものの日本政府・厚生労働省から正式に実用化に向けた最終試験の許可が得られた。

それに伴い、チーム・ブラック・バーンは南側の暗黒壁に面している街、アルゼンチンのサンタ・フェまで来ていた。

――そうか… ここはアルゼンチンの仮設の寝室だったわね。

一通りの経緯を思い出した大谷ミナミはベッドから背中を伸ばしながら起き上がる。

「グーテンモーニン! ミナミ」

ネイティブな発音と共に寝室の扉が勢い良く開く。

「おはよう。アニカ」

癖毛のある赤髪に大きめなレンズのメガネ、私服の上から白衣を羽織り、満面の笑みを浮かべる女性はドイツ人でチーム・ブラック・バーンのリーダーを務めるアニカだ。

大谷ミナミとは同じ歳で大学時代からの友人関係という事もあり、仕事以外のプライベートな話しも良くする間柄だった。

だから、寝起き直後にデリカシーの欠片も無くアニカが寝室に入って来た所で、大谷ミナミは特に気にする素振りも見せなかった。ただ、寝起き直後に大きな挨拶は脳に良く響く。

あからさまに不愉快な表情を浮かべるミナミは徐に寝巻を脱ぎ捨てると上下黒色の下着を恥ずかしげも無くアニカに晒すと、壁に掛けていたスーツに着替え始める。

「相変わらずミナミは朝が苦手ね」

スーツの上から白衣を羽織った大谷ミナミは「何か用?」とアニカを一度も見る事無く尋ねる。

「いよいよ、今日ね」

純粋に楽しそうな笑みを絶やさないアニカがカーテンを開けると、薄暗かった部屋に光りが一斉に射し込み、ベッドと小さなテーブルしか無いシンプルな白い部屋を映し出す。

何の色も無いはずなのに、美しく思えるのは、それだけ太陽が偉大な存在なのだろう。

眩さに目を細める大谷ミナミは思わず手を翳すが、太陽の温かさを感じた身体の細胞が徐々に目覚め始めている事を実感する。

「私はいつでも良いわよ。それよりもアニカの方こそ、準備は出来ているの?」

「えぇ… 徹夜作業だったけど、何とか間に合ったわ」

肩を竦めながら、安堵の表情を自虐的に浮べるアニカに対しても、大谷ミナミは然程の興味も示さずテーブルに置いてあった小さなポーチからメイク道具を取り出す。

「あなたの方こそ準備は良い?」

「今しているでしょ?」

そう言いながら、得意げな表情を浮かべる大谷ミナミはベッドに座ると、手鏡で自分の顔を映すと手慣れた様子でメイクを始める。

――外見じゃなくて…心の方よ。

声に出して言おうべきか。一瞬だけ迷ったアニカだった。

その理由は、今から2週間前に大谷ミナミの唯一の肉親で日本人の父親が病気で亡くなった事を知っているからだ。

随分と長い間、大病を患っていたようで、生前の殆どを病室で過していた為、大谷ミナミ本人は「看病する時間が無くなって清々したわ」と強がっていた。

しかし葬式の際では、やはり悲しそうな暗い表情を浮べていた光景をアニカは今も心の片隅に引っ掛かっていた。

――この子はいつも他人の事ばかり気を使って、自分の事なんて後回しにするのよね。

そんな大谷ミナミの性格が気掛かりでならなったが、いつも通りの表情でメイクをしている様子を見て、アニカは幾分かの安堵を抱く。

「それじゃあ、外で待っているわね」

安心したアニカは不要な言葉は添えず、そっと部屋を出て行く。

今回、アルゼンチンに来た目的は他でも無くゼロスの完全実用化に向けた最終試験である。

しかし、それ以外にもうひとつ重要な目的を掲げていた。それが暗黒壁を破壊する事だ。寧ろ、暗黒壁を破壊する為にゼロスを開発したと言っても過言ではない。

その経緯は、このプロジェクトが開始され今年で56年目を迎えるが、今日の今まで世界各国で開発された様々な兵器を用いて暗黒壁の破壊を試みたが、傷の一つも付けられない状況が続いていた。

そんな絶望的な状況下に置いて、プロジェクト・リーダーであるアニカは「暗黒壁に対等できる素材の鍵はメシアにある」という持論を証明する為にゼロスの開発が始まった。

そんな経緯を経て今日この日を迎えたのだから。アニカの逸る気持ちは大谷ミナミも充分に理解していた。

しかしゼロスには一つ問題を抱えていた。

開発当初は誰でも容易に扱える武器を設計していたのだが、研究を進めるうちに、使用者の適性によって随分と性能値に差が出る事が明らかになったのだ。

ゼロス開発には日独共同で研究しているという事から、両国から多額の資金が投資されていた。もちろん、それは実用化された際のキャッシュバックが大いに期待された事からだ。

そんな背景から、ゼロス開発を断念する事はどうしても避けなければならなかった。

尤もアニカ自身はそんな政治的背景に興味は無く、ただ単純に暗黒壁が破壊できるのであれば、ゼロスが万人に使用できなくても良かった。

逆に言えば、一人でもゼロスの能力を充分に発揮できる人物が居るのであれば、それで良い。その後は不正プログラムでも作成して、誰でも使えるように装えばいい。幾らでも誤魔化しようはあるのだ。

そうなると、公にゼロス適性者を探す事が出来ないアニカは、身内であるチーム・ブラック・バーン内で個別に適正値を測る事にした。

その結果、最も高い適正値を出した大谷ミナミが今回の暗黒壁を破壊するミッションで、ゼロスを使用する重要な役割を託された。

――緊張が全く無いと言えば嘘になる。しかし、それ以上に期待している部分の方が上回っている。

大谷ミナミもアニカの近くで一緒に暗黒壁の厚さに打ちひしがれた仲間だ。アニカの悲願は自分の悲願でもある。その悲願を自分の手で達成できるチャンスが舞い込んだのだ。期待しない訳がない。

ゼロスを大谷ミナミ自身が実際に使用するのは今回が初めてだが、東京にある研究所で行ったシミュレーションでは暗黒壁に傷を付けるだけの能力値を計測した。

仮に暗黒壁の破壊が無理だったとしても、せめて傷のひとつでも付ければ、暗黒壁の材質が持ち帰る事が出来る。その暗黒壁の材質を専門の施設で分析すれば何か解るかもしれない。

そんな期待を胸に秘めた大谷ミナミは、肩まで伸びたブロンドヘアを後ろで一つに結び上げると颯爽と部屋を後にする。


暗黒壁の前に白く枯れ果てた砂漠がある。その中に今回のプロジェクトで使用する白い簡易テントが建てられていた。

以前には、この地域にも多くの民家や綺麗な森がある長閑な街だったと聞くが、暗黒壁が出来てから急速に森の緑が失われ、最後には枯れた木の1本の残らず消え去った。

更には近くを流れていた川の水も無くなり、植物が育つ環境は失われ、街に住んでいた住民たちは次第に別の街へと移住して行った。

専門家の大半は暗黒壁から悪性の物質が発せられているという見解で一致しているが、実際には明確な原因は何も判明していない。それが余計に人々の不安を煽る要因となっていた。

そんな不安を一掃する為にも、暗黒壁の素材を分析する事は人類の悲願となっている。

簡易テント内では、白衣を着た無精髭の白人男性が冴えない表情を浮べながら、テーブルに黒い3枚の紙を並べながらボヤいていた。

「やっぱり今回も駄目みたいですね。衛星カメラは全てノイズだらけで何も映っていませんよ」

写真と言われなければ解らない程、見事なまでに黒く染まった衛星写真だった。

「まぁ、期待はしていなかったけれどね」

コーヒーを啜りながらテーブルに歩み寄ったアニカは1枚の写真を手に取り、改めて眺める。

「少しでも良いから、暗黒壁の向こう側の世界が知りたいわね」

「暗黒壁が出現して半世紀以上経ったにも関わらず、向こう側の世界に関する情報は全くのノーヒントですからね。人類は未だに生存しているんですかね?」

「あら意外。ミュラー君はTV侵略説派なの?」

そう言いながら、アニカは手に取った写真を様々な角度で覗いてみるが、やはり黒以外に何も見えずに、最後には諦めてそっとテーブルに戻す。

「そりゃあ、普通に考えればアマリリス部隊がアメリカ大陸を占領しているんでしょうけど、そうだとすれば、外部と何かしらの接触を図ろうとしませんか?」

ミュラーが言う通り、この半世紀以上もの間、暗黒壁の向こう側から政治団体だけでなく、民間企業や個人規模、何の接点も持てない状況が続く。

「いやいや、それは違うわよ、ミュラー君。普通に考えれば、向こう側の人たちも暗黒壁が障害になっていて、こちら側の世界と接触を図りたくても、図れない状態に陥っていると考えるべきよ。現に今の我々がそういう状況なのだから」

現状を突き付けられたミュラーは少し顔を曇らせ、反論の弁を探すがすぐに諦める。

「そういうアニカ・リーダーはどう考えているんですか?」

「何も考えてないわよ。仮説に何ら意味は無いの。大事なのは真実のみ。だからその真実に辿り着く為に私たちは今、ここに居るのよ」

そう言い切り笑顔を浮べるアニカの前に、いつも通りあまり表情を出さない大谷ミナミが簡易テントに入って来た。

「おはようございます、ミナミ先輩」

「おはよう、ミュラー。あなたも徹夜組? 目の下にクマが出来ているわよ」

「まぁ、そんなところです」

先ほどアニカと話していた時とは明らかに態度が急変し、ミュラーは少し緊張した様子で大谷ミナミの会話に嬉しさを隠すように頭を掻きながら軽く会釈する。

――分かり易い子。

そう思ったアニカだったが、ミュラーのどうでもいい感情には触れず、早速本題に入る。

「ミナミ準備は良い?」

アニカがそっと歩み寄り大谷ミナミの両手を握る。

「大丈夫よ。あえて不安要素を上げるとすれば…」

そう言いながら、大谷ミナミは徐に窓越しに外を眺める。その先には黄色いバリケードに貼られた立入禁止区域ギリギリまで押し寄せている世界各国のマスコミ陣の群れが視界に入る。

「あぁ、アレね。あなたは極度の緊張しいだったわね。でも大丈夫よ、マスコミの対応は私が全部引き受けるから。あなたは今回のミッションだけに集中して頂戴」

アニカは優しく微笑むと大谷ミナミの肩を軽く叩く。

その言葉を聞いた途端、大谷ミナミの口元が少し緩む。

それを確認したアニカも笑顔で頷くと「それじゃあ、早速だけど防護服に着替えて」とアニカは部屋の片隅に吊るされていた宇宙服並みにゴワゴワとした、見るからに動き難そうな黄色い防護服を指す。

「そんなに防護しないと危険なの?」

大谷ミナミは、海に潜る際にダイバーが着用するウエットスーツ位だと勝手に想像していただけに、ここに来て多少の不安が生じた。

「そうね。ゼロスの実証試験に合格したとは言え、あなたの適正値は遥かに高かったから、慎重に慎重を重ねた結果が、あの防護服よ。それに暗黒壁の採取が成功したとして、その素材に有毒物質が含まれている可能性も否定できないでしょ?」

「今回のミッションは、人類初のゼロス使用も兼ねているので、万が一の事があっては今後のゼロス運用計画にも支障をきたす可能性があるので…」

アニカとミュラーが経緯を説明するが、簡単に言えば“安全第一”という事だろう。

「判ったわ。素直に装着するから、誰か手伝ってくれるかしら?」

他の研究員を呼び、白衣を脱ぐと私服の上から3人掛かりで防護服に着替える……

――やっぱり歩き難い。

どれだけ大股を開いても5㎝ほどしか開かない為、亀以下の速度で移動しなければならない。

「仕方ないわね。もう10人くらい研究員を呼んで! 皆で運ぶわよ」

アニカの命令で集まった研究員たちは防護服に着替えた大谷ミナミをまるで御神輿を担ぎ上げる要領で現場の暗黒壁付近まで運ぶ事にした。

――暗黒壁の前で着替えれば良かったんじゃないかしら?

内心で疑問に思いながらも既に起きてしまった事態に、大谷ミナミはただ自分の身体を皆に委ねる他無かった――この映像も、駆けつけているマスコミ陣によって世界配信されるのかしら?


やっとの思いで到着した現場には特別な足場が設置されていた。隣には高層ビルを建設する時に使われる大きな2台のクレーンが仲良く並んで大谷ミナミを待ち構えていた。そのクレーンに操縦する人間の姿は無く、遠隔操作で動かすそうだ。

「それじゃあ、スタンバイよろしくね」

そう言いながら、大谷ミナミを担ぎ運んで来たアニカ達は小走りで再び簡易テントまで帰って行く。

それを横目で確認した大谷ミナミは右手で親指を立てる。

それを合図に隣で待機していたクレーンが大谷ミナミの乗っている足場を徐々に吊り上げて行く。

相変わらず暗黒壁は高い。推定300mとも1000mとも言われているが、実際の所はやはり誰も知らない。

しかし分かっている部分もある。

それは地上から5mまでの高さはアルゼンチン政府がTV発生当時に防護対策の為に造ったコンクリート製の人工壁で出来ている事だ。

だから実質的に、それより上部が名前の通り暗黒に染まった壁となっている。

見た目はチョコレートで出来たミラーケーキのように光沢に輝き、自分の顔がはっきりと映って見える。

材質は不明の為、素手で触る事は危険で出来ないが、見た感じでは特別に熱い訳でも冷たい訳でも無さそうだ。

『ミナミ、状況確認をお願い』

防護服内に装備されているイヤホン越しからアニカの指示が聞こえる。

『暗黒壁に目立った変化は特に無し。予定通りミッションを遂行する』

大谷ミナミの報告を受けたアニカがイヤホン越しから他の研究員に指示を出している雑音が微かに聞こえる。

それから少し遅れて、もう1台のクレーンがゼロスを吊るして慎重に大谷ミナミの前まで吊るし上げる。

――私を吊るし上げていた時よりも随分と慎重に扱っているわね。

そんな多少の不満を抱きながらも、大谷ミナミは稼働域が少なくなった自らの腕で細かい位置へ指示し、自分の手に届く範囲にゼロスを誘導する。

少し時間は掛かったが、所定の位置にゼロスを足場にそっと置く事に成功すると、大谷ミナミがゼロスを吊るしていたワイヤーを外し軽く手を上げる。

その合図を確認したクレーンは再び動き出し、アームを徐々に縮めながら収納しながら元の位置に戻った。

縦2m、横50㎝ほどのサイズをした銀色のハードケースを開けると、中からチェーンソー型の金色に輝く武器が姿を現す。これが“ゼロス”だ。

手慣れた様子でハードケースからゼロスを取り出した大谷ミナミは取手部分の先端にある電源ボタンをONにして、様々な設定を慎重に行っていく。

『ゼロスの具合はどう?』

アニカの問いに対し、一通りの設定を終わらせた大谷ミナミは近くに設置されている小型カメラに向かい右手で親指を立てる。

『了解。それじゃあ、皆を避難させるから指示が有るまで、そのまま待機ね』

そんなアニカの言葉を合図に、簡易テント方面から大きなサイレンと注意喚起を促すアナウンスが鳴り響く。

”これよりミッションを開始します。危険ですので、マスコミ関係の皆様は指定された保安ゾーンまで移動してください”

――ここまでは打ち合わせ通りだ。これから5分後、いよいよミッションが始まる。

大谷ミナミは溢れ出る緊張を抑える様に、そっと目を閉じて神経を集中させる。

『準備完了。それじゃあ、後はミナミのタイミングでミッションを開始して頂戴。健闘を祈るわ』

アニカの通信が終わると大谷ミナミはそっと目を開き、両手に抱えたゼロスの起動ボタンを押す。

――ピーーーーン。

甲高い起動音と共にゼロスの刃部分が高速で回転を始める。

「行くわよ!」

ゼロスに言い聞かせるように呟いた大谷ミナミは慎重にゼロスの刃先を暗黒壁に近づける。

今までの武器ならば暗黒壁に触れた瞬間に刃が欠ける。それでも強引に刃を押し当て続けると呆気なく刃が折れる。そのパターンの繰り返しだった。

――さて、今回はどうかしら?

緊張感を抱き、震えそうな手を必死で押さえながら高速で回転するゼロスの刃をそっと暗黒壁に接触させる。

――ザーーザーーーザーーーー

暗黒壁と刃が擦れ合う異音が響き、その感覚がゼロスを通じて大谷ミナミの手にまではっきりと伝わる。どうやら、すぐに刃が欠ける状態は無さそうだ。明らかに今までと違う。

確かな手応えを感じながらも大谷ミナミは慎重にゼロスを暗黒壁に押し当てて行く。

徐々にゼロスの刃先が暗黒壁に斬り込んで行く。

――やった!

確実に暗黒壁へと斬り込んだゼロスを確認するうちに、自然と喜びと興奮が込みあげて来る。尚も慎重にゼロスの刃を押し進めて行くが…

――ピン…

何の前触れも無く、金属が折れる鈍い音と共にゼロスが急に軽くなる。

――急に力を加え過ぎたか?

残念な気持ちを溜め息に代えた大谷ミナミは速やかにゼロスの電源を切り、折れた刃先を確認する。

「あっ!!」

思わず目を見開き、驚きと興奮を抑える様に深呼吸で息を整えるとイヤホンの通信をオンにする。

『こちら現場の大谷。暗黒壁の破壊に失敗…しかし、壁に傷を入れる事に成功したわ! 恐らく、ゼロスの刃先に物質が付着していると思われる! 至急、ゼロスの回収をお願い!』

大谷ミナミの言う通り、折れたゼロスの刃先に謎の黒い粉末が付着していた。

抑え切れない興奮を滲ませた大谷ミナミの口調に、イヤホン越しから大勢の歓声が聞こえた。

『良くやったわ、ミナミ! ゼロスはそのまま慎重にハードケースへ収納して!』

興奮しているのはアニカも同じだ。歓喜に満ちた声で指示を出すが、隣に居る誰かと手を叩き合って喜んでいる雑音がイヤホンに反響していた。

『了解』

喜びを抑える様に、今も大切に抱えているゼロスを慎重にハードケースに再び収納する。なるべく、ゼロスを揺らさないように、刃に付着している黒い粉末を落とさないように…

『ミッション終了。これより帰還する』



死にたい。

誰にも見取られる事無く、自由気ままに心臓をえぐり出してみたい。

私は孤独が好き。この世の何よりも、私は孤独が好き――


そんな歌詞のメロディーがいつも夢の中で流れていた。

誰の曲なのか分からないが、自分の夢に出て来るという事は今までの人生で聞いた事があるはずなのだろうが、全く記憶にない。しかし、私はこの奇妙な歌詞が好きだった。

私も孤独が好きだ。何も考えなくて良い。私もいつか自由気ままに、誰に遠慮する事無く死にたい――

ルーシーは心の底から純粋にそう思えて仕方が無かった。


テレビでは日米安保理協定に基づき、アメリカ軍の占領低下に伴い来年の3月よりハワイ諸島を日本の自衛隊が治安に当たる事が正式に決定した事を報道していた。

画面には現在のアメリカ大統領であるジョージ・ジャクソンが日本の鈴村幸之助総理大臣と笑顔で握手を交わし、多くの報道陣に囲まれて大量のフラッシュを浴びているシーンが映し出されていた。

「これでハワイ諸島も実質上、日本の配下に置かれた」

テレビを憐みの表情で見つめる年季の入った軍服姿の老人がソファーに深く腰を掛けていた。

「これで我が祖国アメリカの領土はアラスカ州だけになりましたね」

老人の横に立っている清閑な顔立ちの青年が同調するように呟いた。

「そうだ。故に、アメリカ政府が内密に支援して、新たな組織を結成したのだろ?」

「しかし名前が“ニューアメリカ”とあからさま過ぎませんか? 我々が絡んでいる事がバレるのは時間の問題だと思いますよ。それにバレたら世界中からの非難が集中して、アメリカの復活どころか、完全に消滅してしまいませんか?」

若い男はニヒルな顔のままネクタイを直しながら指摘するが、老人は不敵な笑みを浮かべる。

「それで良い。同盟国のイギリスとは既に裏で話が付いている。それに日本も所詮はアメリカの犬だ。今回のミッションが成功すれば、無条件でこちら側に協力するだろう」

「ミッションが成功すれば…の話しですけどね。しかし、日本とドイツが共同開発したゼロスは今までの新兵器よりも遥かに高性能だという噂ですが、本当ですかね?」

若い男の不安要素にも老人は不敵な笑みを崩さなかった。それだけ自信のあるミッションなのだろう、と青年はそれ以上の言葉を発する事は無く、今も流れているテレビを眺める。


――ベルリン郊外・ドイツ国立研究所。

深夜2時を過ぎた大通りに人の気配は無く、ベルリン全体が暗闇と静寂に包まれていた。

そんな中、不穏な人影が5つ、1列になり足音を立てぬよう姿勢を低くして街を駆け抜ける。

皆は全身黒尽くめの服装で統一している。更に顔まで黒い覆面で覆っている為に性別までも判断できない。

「施設への侵入経路は頭に入っているな?」

「問題無い」

リーダーらしき男の問いに女性の声は何の感情も持たない端的な言葉で返す。

「施錠は先行部隊が解除している。お前は迷う事無く目的地まで向かい、お前の仕事をきっちりと果たして来い。それ以外の仕事は俺たちが片付けておく」

「了解」

お互いの行動を確認したところで指示を出された女だけが皆とは異なる方角に走り出す。

――さて、本当にロックは解除されているのかしら?

単独行動になった女は先行部隊を少し疑いながらも、3メートル程の有刺接線の引かれた塀を軽々と飛び越えると予定通り研究所の裏口に到着する。

すると、そこには鉄製で出来た銀色の厳重そうな分厚い扉が待ち構えていた。

一見すると解除されているようには見えないのだが…

女はしばらく厳重そうな扉とその周辺を注意深く観察し、あらゆるトラップの可能性を探す。

研究所とは言え重要な品が保管されている施設だ。

現にこうして自分がその重要な品を盗みに訪れたのだから、それなりに警戒し、何かしらの仕掛けを施しているだろう。

女は試しに円型のハンドルを回してみる。

――これで警報が鳴ったら先行部隊のせいにすれば良い。

―ガチャッ!

呆気なく扉が開いた。

どうやら先行部隊を侮っていたようだ。

周囲を警戒しながら研究所に侵入すると、通路は所々にある非常灯のみで周囲は全く見えなかった。

しかし、女からすれば、それだけの灯りで充分だった。そっと目を閉じてリーダーの指示通りに頭に叩き込んだ研究所の見取り図を思い出す。

――問題無い。

目を見開くと、一度も迷う事無く目的地まで一目散に駆け抜ける。

事前の情報通り、この時間帯は警備員の見周りをする周期では無かった。或いは既に先行部隊が始末したか。どちらにしろ、女は誰とも出くわす事無く目的地である保管庫まで難無く到着する。

「こっちだ、ルーシー」

小声で自分の名前を呼ぶ声が聞こえた。姿は見えないが、予定通り先行部隊が待機しているようだ。

暗闇で周囲が見え難い中、声だけを頼りにルーシーは警戒を解く事無く、慎重に保管庫に侵入する。

――カチャン。

ルーシーと呼ばれる女は不意に灯った照明の眩しさに目を細める。

「ノエル、照明を点けて良いの?」

「ここまで来れば大丈夫だ」

先行部隊の一人であるノエルは、既に開かれた状態のガラスケースの前で得意げな表情で立っていた。

そんなガラスケースの中に今回の目的である貴重品が展示されていた。

「後はお前がコイツを持ち出せば、忽ち警報センサーが研究所内中に鳴り響く仕組みになっている。残念ながら、警報センサーを解除方法は何処にも無いらしい」

肩を竦めて説明するノエルは今後の展開を既に覚悟している様だ。残り3人の先行部隊は既に銃を構えて逃走経路を確保していた。

「私はコイツを持って躊躇う事無く逃走経路を突き進む」

「そうだ。それで先ほどの部隊と再合流した後にドイツから速やかに出国。そして祖国であるアメリカに無事帰還して、今回のミッションはクリアだ」

「現在はニューアメリカよ」

「おっと、そうだった。今はテロリスト集団・ニューアメリカ暫定政府だったな」

自虐的に修正するルーシーに対し、同調するようにノエルも皮肉な笑みを浮かべる。

「今はテロリスト集団でも、俺たちには祖国の誇りと自負がある。強いアメリカを再び取り戻せば、必ず世界は平和になる。あの忌々しい暗黒壁が出現する前の世界にな!」

笑っているものの、ノエルの目には自分の正義を貫く強い意志を宿していた。

そんなノエルの心強い言葉に、ルーシーは何も言わずにただ一度だけ深く頷いた。そしてガラスケースの前まで歩み寄る。

ケースの中には赤く透明の材質で出来た槍が展示されていた。紛れも無くオリジナルのメシアだ。

2年前からこのドイツ国立研究所に持ち込まれたが、この度一通りの研究が終えた事から現在は期間限定で一般公開されている。

説明文にはこう記されている。

~名前は“ビッグアーサー” 現在、この世界に扱える者が居ない事から明確な能力は不明~

ゼロス開発の為に研究をしていたのだが、この世界でメシアを扱える者は何処にも居ない。

そうなってしまえば、あのTVを殲滅出来る程の強力なメシアとはいえ、然程の価値が見出せなかった。

その末路が一般公開される骨董品という訳だ。

――しかし…

既に開かれたガラスケースの前でルーシーはそっとメシア・ビッグアーサーを握る。

その瞬間、ビッグアーサーが赤い輝きを放ち、同時にルーシーの掌にメシアの温もりを感じ取る。

――やはりメシアは生き物なのね。

仮説として伝えられている情報が真実だと確信したルーシーは意を決する。

「持ち上げるわよ。ノエル、準備は良い?」

周囲に喚起を促したルーシーは皆が頷いた事を確認すると勢い良くメシア・ビッグアーサーを掲げ上げる。

――リッリッリッリッリッリッ!

ノエルの言った通り、警報センサーが感知すると大音量でサイレンが研究所中に鳴り響く。

「後は頼んだわよ」

「お前こそ頼むぞ。そのメシアは俺たちアメリカ人の希望だ。全てお前に託すぜ!」

ノエルの言葉と気持ちをしっかりと受け取ったルーシーは、ビッグアーサーを大事そうに抱えながら、仲間が確保している逃走経路に向かい疾走する。

そんなルーシーを確認したノエルたちが逃走経路を遮るように立ち、研究所の警備員が来た時の為に待機する。

再び暗くなった逃走経路だったが、見取り図は頭の中にしっかりと入っている。

ルーシーはスピードを緩める事無く研究所の出口へと向かう。

「こっちだ!」

リーダーの声が聞こえた。その声を頼りに必死で疾走を続けると予定通り出口に到着し、始めに同行していた部隊と再び合流した。

「メシアは?」

「ここに」

ルーシーが差し出したメシア・ビッグアーサーを確認したリーダーは深く頷く。

――パンッ! パンパンッ!

研究所内で乾いた銃声が飛び交う音が聞こえてきた。

想定よりも早く追って来ている警備員を確認したリーダーは急かすようにルーシーの背中を押す。

「予定通り、近くの国立公園にMV‐33Bが着陸した。急ぐぞ!」

リーダーの掛け声と共に皆が再び1列の隊列を組み、走り出そうとした時だった。

―パンッ!

乾いた銃声と共に最後尾に居た仲間が派手に崩れ落ちる。

「止まれ!」

敵の危機迫る声が響く。どうやら、バレてしまったようだ。

敵が持っていた大きなライトがルーシー達を照らすと、周囲には多くの敵に囲まれている事に気付く。

その規模はただのどう見積もっても民間の警備会社では無い。

今回の作戦情報が漏洩していたのだろうか…

ここから目的地の国立公園まで直線距離にして500mもない。

――あと少しなのに…

―パンッ! パンッ! パンッ! パンッ!

再び乾いた銃声が連続で4発ほど聞こえると、その直後にリーダーを含むルーシー以外の仲間が全て後頭部から派手に血を散らせながら倒れる。

遠方には相当の腕利きスナイパーが居るらしい。

せめて苦しまずに殺して貰った事に感謝しよう。そしてこの状況から察するに、先行部隊のノエル達の安否も絶望的な状況だろう。同時に、それはルーシー自身も同じ立場だった。

しかし、皆から託されたアメリカ再建という希望をここで絶やす訳にはいかない。

――神よ、我に純愛なる祝福を!

先ほど手にしたばかりの未知なる武器をいきなり使用するには不確かな点が多い。かなりの危険な行為だ。

しかし、時間は残されていない。ルーシーを囲むようにして多くの敵がライフル銃を構えて慎重に距離を詰めてくる。

暗くてよく見えないが気配から察するに50人は優に超えるか…

ここで自分が死ねば、皆の犠牲は無意味に終わる。それだけは死んでも許されない。

そう悟ったルーシーは覚悟を決めると、天高らかに槍型のメシアを翳し「ビッグアーサー!」と大声で唱える。

すると、ルーシーの言葉に応える様にメシア・ビッグアーサーから赤い輝きを放たれると同時に槍自体が急激に長く伸び出す。

――全身が燃え尽きる程に熱い! しかし痛みや苦しみなどは無い。寧ろ、滾る血が高揚を促すように湧き起る。

気が付くと、頭の中で曲が鳴っていた。ラヴェルの『ボレロ』だ。しかも、ハードロック調にアレンジされている。

まるで『目に見える全ての存在を破壊しろ!』と命令するように激しい演奏が脳に、心に激しく鳴り響く…これは“破滅のメロディー”だ!

「はっはっはっはっ…」

自然と高笑いが零れてしまう。ルーシーは笑みを絶やさずには居られなかった。

「気を付けろ! メシアが起動したぞ!」

「おいおい、メシアって本物のメシアか!?」

「馬鹿な! この世界でオリジナルのメシアを扱える者は居ないんじゃないのか?」

ルーシーを取り囲んでいる者たちがメシアの赤い輝きに怯え、驚きや戸惑いの声を上げながら距離を取る。

―パンッ!

そんな危険を察したスナイパーの一人が空かさず、ルーシーの頭に狙いを定め銃弾を放つ。

しかし、ルーシーの高笑いは止まなかった。

手に握っていただけのメシア・ビッグアーサーが自らの意思で動き出すように素早く移動すると、ルーシーの頭に目掛けて飛んで来た銃弾を難無く弾き返した。

つい先ほど初めて握ったばかりのメシアだ。

当然ながら、今まで一度も使った事が無いのに、その名前を呼んだ瞬間、或いは破滅のメロディーを聴いた瞬間に、ルーシーは感覚として、このメシアの能力を把握した。

だから笑いが止まらない。

そしてメシアを試したくて仕方が無い。

まるで新しいゲームを買い与えられた無邪気な子供の気分だ。

そんなメシア・ビッグアーサーを試しに軽く一振り降ろした途端、忽ち激しい嵐が吹き荒れて、周囲に居た敵が抵抗する間も無く軽々と吹き飛ばされて行く。

――あなた、思っていた以上に強力なのね。

しかし、これがメシアの能力だというのであれば納得できる。

大量に発生したTVをメシア使いが集う少数精鋭のアマリリス部隊が短期間で一掃した話は、公式に報告書として記録に残っているが、実際に現場を見ている者はアマリリス部隊の本人たち以外に存在しない。故に、誰も彼女たちの報告書を信じなかった。いや、信じられなかったのだ。

それはTVが当時のどんな兵器を使用しても全く駆逐できなかった事が原因に挙げられる。更に実際に公に対してメシアの能力を示さなかった事も原因に含まれるだろう。もはや伝説か、或いは裏で何か政治的な思惑があるのだとさえ噂されていた。

――しかし、どう?

今日この瞬間、メシア本来の能力をほんの片鱗程度を皆の前で示した。それだけで充分だろう。

――奢りでも、強がりでも無い。客観的に考えて、このメシアは世界で最強だ!

実際には何人居たのだろうか?

先ほどのメシア・ビックアーサーの一振りで全ての敵が消滅してしまった。おまけに自分を照らしてくれていた大きなライトまでも破壊してしまったらしく、辺りは完全に暗くなっていた。

そして先程までの騒ぎが嘘だったみたいに静寂のみがルーシーの周りを支配していた。

今まで逃げていた行為が馬鹿馬鹿しく思える。

ルーシーは元の長さに戻った槍型のビッグアーサーを右肩に担ぎ、目的地の国立公園に向かい歩き始める。

――扱い方次第で、このメシア・ビッグアーサーがあれば例え、核ミサイルや水素爆弾でも敵わないだろう。故に、世界を統一する事も容易だ。

そんな事を考えると、いつの間にかルーシーは再び自分が不敵な笑みを浮かべている事に気付く。

ルーシーは産まれた時から両親は無く、物心が付く前から孤児院で育ち、特殊な施設に引き取られ、思春期を厳しい訓練の繰り返しで殺してきた。

今の今まで生きている気がしなかった。常に誰かに生かされているのだと諦めながら生きてきた。

それがメシアと出会い、ビッグアーサーの能力を発動した瞬間から人生観が一変した。

そう、まるで自らの体内に死神を宿したようだ。

しかし、決して悪い気はしない。寧ろ、清々しい気持ちで満ち溢れていた。

歩く度にピチャピチャと靴底が濡れる。

――黒い革靴で良かったわ。白い靴だったら、今頃は真赤な新色に染まっていたでしょうから…

そんなどうでもいい事を思いながら、ゆっくりと国立公園まで向かった。

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