それぞれの価値観と関係性について
サラサQとモーラAの試合が行われる2週間前の事――
メアリー学園長はメシア女学園郊外にあるアマリリス部隊・総本部を訪れていた。
応接室に入ると白い軍服に銀色の仮面を覆った女性が寛いでいた。
「お久しぶりです。ヘブンリー総督」
「そんな堅苦しい呼び方は止せ。昔のままヘブンリーで良い。私とお前は同級生にして戦友なのだからな。それよりも元気そうだな、メアリー」
口元を僅かに緩ませたヘブンリー提督の凛々しい声を聞いた瞬間、メアリー学園長は若かりし学生時代にトリップする感覚に触れる。
「不思議ですわね。学生時代は私の方が強かったのに、今ではあなたに敵う者は居ない」
「そうでもないさ。今だって、お前と試合をすればどんな結果になるか分からんよ。それにしても珍しいな。メアリーから私を呼び出すとは。何かあったのか?」
「多忙なところ悪いのだけれど、どうしても聞きたい事があるの」
「聞きたい事?」
「あなた“クラスQ”についてどれだけ知っているの?」
「…クラスQ」
その単語を聞いた瞬間、穏やかな表情だったヘブンリーAは少し悩むように首を傾げながら顎先に手を添えた。
「どれだけ知っている…とは?」
「恥ずかしい事なのだけれど、学園長を務めている私ですら“奴隷出身のメシア使いが集うクラス”としか教えられていないの。それが今朝、総本部からこんな命令が届いたの」
そう言いながら、不安そうな表情を浮べるメアリー学園長が一枚の書類を渡す。
「マギーQ捜索依頼… 管轄外の案件だが… なるほど、それでクラスQの事を…」
書類を一目見ただけでメアリー学園長が抱いている疑問と不安を瞬時に把握したヘブンリー総督は再び顎先に手を添えて適切な言葉を探すようにしばらく沈黙する。
「同級生の友人として忠告しておくが、Qに深入りすればお前自身に危険が及ぶ可能性が出てくるぞ。それでも聞く覚悟はあるか?」
まるで試すようなヘブンリー提督の物言いに、メアリー学園長の表情が一瞬だけ強張った。
「…だとしても、私は学園長です。知っておかなければならない義務があります」
「そうか。ならば、逆に問うがこの3ヶ月間のうちに学園内でクラスQを見掛けた事はあるか?」
少し間を空けて思い出すように頭を捻る。
「…無いわ」
「だろうな」
「どういう事?」
「クラスQは現在、アマリリス部隊・最北支部の最前線でTV殲滅作戦に参加している」
ヘブンリー提督の言葉にメアリー学園長は目を見開き驚く。
「あり得ないわ! 最北支部で発生しているTVは今までとは比べ物にならない程に大規模だと報告を受けました。そんな危険な区域にメシアも充分に扱えない未熟な学生たちを向かわせるなんて、みすみす貴重なメシア使いを死なせに行かせるようなものよ」
思わず憤った感情が自然と声を荒げていた。
「まぁ、普通はそう思うだろうさ」
メアリー学園長の主張に同意するヘブンリー提督は一度だけ浅く頷いた。
「だが、クラスQの実力が君の想像を遥かに超える程の超人的なものだったとしたら?」
またしても自分を試すようなヘブンリー提督の物言いにメアリー学園長の思考が怯える。
しかし、ヘブンリー提督の表情は銀仮面に覆われ窺えない。どうも冗談を言っている訳では無さそうだ。
「まさか…」
「その“まさか”だ。恐らく、今回のマギーQ捜索依頼は戦力補強と考えるのが無難だろう」
そう言いながら、不敵な笑みを浮かべたヘブンリー提督は手渡された書類をそのままメアリー学園長に返す。
未だに頭の整理が付かない様子のメアリー学園長を気遣うように、ヘブンリー提督が気遣う。
「確か、クリストファー教諭が亡くなり、まだ代わりの教諭が居なかったか…そうなると、この依頼は生徒たちに任せるつもりか?」
「そう考えていたけれど、あなたの話しを聞く限り、生徒たちに任せるのは危険な任務ね」
「そうでもないさ。あくまでマギーQの捜索依頼であって討伐する訳ではない。ただ、生徒たちだけで行わせるのであれば“クラスQ”の生徒を同行させる事を薦めるよ。上は18歳から下は9歳までの生徒が13名在籍している。恐らく最年少の歳の子でも、或いは私たちより強いかもしれない」
そんなヘブンリー提督の言葉が冗談なのか本気なのかは最後まで分からなかったが、確かにメシア女学園はただでさえ教諭不足だった。そこにクリストファー教諭の死亡により、一層の教諭不足に直面しているのが実情だ。
そうなると、生徒たちだけでマギーQの捜索を行って貰わなければならない。
――ならば、せめてヘブンリー提督の助言を聞いておいて損は無いだろう。
メアリー学園長はその足で、アマリリス部隊・総本家に掛け合い、現在、TVの討伐を行っているクラスQの中で最年長であるサラサQの応援を要請した――
――メシア女学園・代表室。
モーラAとサラサQの試合を終えた翌日、サラサQは再び代表室に呼び出されていた。
サラサQが代表室に入ると既にユーフェミアAとルーチェルAが待機していた。それ以外に、肩まで伸びた黒髪に凛々しい目元で常に誰かを威嚇しているようなピンク色の制服を着た生徒と、明らかに緊張した強張った表情を崩さない赤縁メガネを掛けた緑色の制服を着た生徒の姿もあった。
最後に到着したサラサQが何も言わずに部屋の中央にあるソファーに座った事を確認したメアリー学園長が話しを始める。
「昨日の試合を考慮した結果、本来であればメンバー変更は行わないつもりだったのですが、医療班からモーラAは全身打撲と数か所の骨折の為、全治3ヶ月の絶対安静と診断された。
そういう訳で、メンバーのバランスを考えた結果、モーラAの換わりにクラスAの中でも守備的なメシアを扱うミーアAを再編成させて貰いました」
その説明を聞いた代表室に居る皆は黙ったまま何の発言も無く沈黙が流れる――何の反論も無い事で、承諾を得たと捉えたメアリー学園長はこのまま話を進める。
「それでは早速ですが、明日にはメシア女学園を出発し、まずはアマリリス部隊・北中米支部に向かって貰います」
「北中米支部ですか?」
意外な行き先に少し驚くユーフェミアA。
「はい、実は先月上旬に北中米支部よりマギーQと思われる人物の情報が入ってきました。なので、本当はもっと早く行動したかったのですが…情報が古いので、もう遅いかもしれません。とりあえず、北中米支部に行き詳しい情報を貰って下さい。その辺の土地勘はミユキHが詳しいので、彼女に聞いてくださいね」
「よ、よろしくお願いします」
そう言いながら、メアリー学園長に紹介された強張った表情が崩れない緊張気味のミユキHが深々とお辞儀をする。
「ちなみにミユキHはメシア整備班なので、あなたたちのメシアのメンテナンスも兼任してもらうので、こまめにチェックして貰ってください」
満面の笑みで補足したメアリー学園長に対して、ユーフェミアAは冴えない表情を浮かべる。
「それよりも学園長、初歩的な質問を良いですか?」
今まで黙って話を聞いていたルーチェルAが挙手する。
「なんですか?」
「はい、私たちはクラスQに対して無知過ぎます。もう少し詳しく教えてほしいのですが?」
当然の質問だ。
しかし、先日にヘブンリー提督から言われた『Qに関する情報に深入りすれば、あなた自身に危険が及ぶ可能性があるぞ』という台詞が脳裏を過ぎると、生徒たちに素直に話すべきか迷ってしまう。
「あなたは先日のサラサQの戦闘を見て、どう感じました?」
質問を質問で返されたルーチェルAだったが、言われた通りに昨日の戦闘を思い返す。
「…そうですね。自分たちクラスAこそが学園内で最強だと信じていましたから、素直に驚きました。恐らく、昨日のサラサQはまだメシア本来の実力も充分に使用していない状態だったと思います。それなのに僕の眼でも残像を追うのがやっとの速度で強力な攻撃を加える…間違いなく、僕やユーフェミアAよりも遥かに優れたメシア使いである事は容易に想像が付きました」
「その通りです。私も先日までクラスQの実力を見誤っていました。それほどまでに我々の想像を遥かに超える実力者集団クラスQ。その中でリーダーを務めていたのがマギーQだと言えば、賢いルーチェルAなら何となく想像が付きませんか?」
あえて明確な言及は避けたメアリー学園長だったが、その言葉だけでルーチェルAは漠然とした察しは付いた様子で呆れた笑みを浮かべながら肩を竦めた。
「だから、お願いがあります。何があってもマギーQとの接触に成功しても、絶対に戦闘は避けてください。サラサQなら兎も角、クラスAが2人同時に掛かっても恐らく刃が立たないでしょう。今回はあくまでもマギーQの捜索依頼です。強制送還では無い事を忘れないように」
普段は優しいメアリー学園長が最後に語尾を強めた。それだけで今回の任務が如何に危ないのか、サラサQ以外の3人は十二分に理解したように深く頷いた。
部屋に戻ると早速ルーチェルAは旅の荷支度を始める。
ルームメイトのユーフェミアAは未だにメアリー学園長の決断に納得が出来なかった。
「やはり私もルーチェルAと共に同行しますわ。今からでもお母様に言って…」
「それ以上の主張は僕たちに対する冒涜と捉えるよ」
ユーフェミアAの不満を最後まで聞く事無くルーチェルAが否定する。
「そ、そんな…」
「僕たちの実力を見くびっているのかい? これでも僕は学園ナンバー2の副生徒会長だよ。
「それは分かっています。しかしクラスQの実力は…」
「それに」と、またしてもユーフェミアAの言葉を遮ったルーチェルAは、旅の準備をしている手を止め、今まで見せた事の無い真剣な眼差しでユーフェミアAの瞳を覗き込む。
「君は生徒会長でクラスAのリーダーだ。君は学園に残り、今以上に強くならなければならない。そしてクラスQよりもクラスAの方が優秀である事を証明し、学園の秩序を守らなければならないんだよ。それは言葉にするのは容易いがけど、実現するのは随分と困難な道のりだよ。でも君なら成し遂げる事が出来ると信じている。次に会う日を楽しみにしているよ」
そんな真剣な表情を浮かべるルーチェルAは初めて見た。
ユーフェミアAはこれ以上、言い返す言葉が無く、再び旅の準備を始めるルーチェルAの姿をただ見守る事しか出来なかった…
―――それが昨日の出来事。
学園を出発して2時間が経ったが、黒いセダンタイプの車内では久々の学園外に出た新鮮さよりも、これから出くわす危険な出来事に対する妄想で暗い空気が沈黙と共に支配していた。
「そう言えば、サラサQのメシアは見た事が無いので、上手くメンテナンスや調整が出来るのか不安なんですよね」
重苦しい車内の雰囲気を一掃しようと運転するメシア整備士であるミユキHが運転席側の後部座席に座るサラサQに話題を振る。
「メンテナンス? 今までしていなかったけど、普通に使えるから、大丈夫だろ」
「ウソでしょ!? どんなに優れた我らクラスAが扱うメシアでも3回使用すれば1度はプロの整備しにメンテナンスと調整をして貰わなければ、正常値の60%も能力を発揮できないのだぞ!」
サラサQの想定外な返答に隣に座っていたミーアAが驚く。
「どうでも良いけど、お前らクラスA様は自分たちの事を過大評価し過ぎじゃないか」
呆れた口調で窓に広がる荒野を眺めるサラサQは大きな欠伸をする。
――ピッピッピ…
何処からともなくタイマー音が鳴ると、それに合わせてルーチェルAとミーアAの2人は揃って制服の胸ポケットから青いカプセル錠の薬を取り出す。
「それにしても毎日3回、決められた時間に飲まないといけないのは不便ですね」
「慣れてしまえば、そうでもないよ」
同情する様に呟くミユキHに対し、肩を竦めて諦めの境地で答えるルーチェルA。そんな会話をしている後ろで、全く薬を取り出そうとしないサラサQをミーアAが凝視する。
「どうした、薬を忘れたのか?」
「…何の?」
「あなた…まさか薬を飲まずにメシアを扱っているの!?」
自分以外の皆が驚愕している事に対し、サラサQは困惑気味に顔を顰める。
「まさかとは思うのだけど、サラサQはゴッドシンドロームを抑える薬を知らないのかい?」
「ゴッドシンドローム…なんだ、それ?」
ルーチェルAの根本的な質問に、サラサQは初歩的な質問を返す。
「強大なメシアを使い続ける代償として、強烈な破壊衝動に駆られる症状の事だよ。本当に知らないのかい?」
「あぁ、初めて聞いた」
サラサQの壮絶な無知に呆れを通り越して多少の恐怖を抱く車内一同。
「兎に角、薬は飲んでおいた良い。これを…」
そう言ってミーアAが親切心でサラサQに薬を差し出そうとした時だった。
――キーーーーー!!
派手なブレーキ音を上げながらミユキHが運転する自動車が急停車すると、車内の4人は前のめりに倒れる。
「何があった!?」
「アレは?」
急いで状況を確認するルーチェルAの問いに、運転していたミユキH恐る恐る震える手で前方を差す。
「…んっ?」
ミユキHが指差す方角に視線を向けると、そこには大きな黒い牛が道を塞ぐように立っていた。
「なんだ… ただの牛だね。ちょっと退かせて来るよ」
そう言ってルーチェルAは内ポケットから銃型の赤い透明素材で出来たメシアを取り出しながら外に出る。
ルーチェルAの勇ましい態度に安堵するミユキHだったが、サラサQだけは険しい表情を浮かべたまま道端に立つ黒い牛を凝視する。
「…運転手。念の為にトランクを開けておいて」
「えっ? はい」
サラサQの唐突な指示にミユキHは疑問を抱きつつも言われた通り、ハンドルの下側にあるトランクの開閉レバーを引きトランクを開ける。
「ただの牛でしょ? 私たちが出るまでも無いわ」
「そうかな?」
不敵な笑みを浮かべ意味深な台詞を残すサラサQに対し、ミーアAが眉を顰め不審がる。
「はいはい、牛さん。悪いけど僕たちはこの道を通らなくてはならないんだ。だから、ちょっとそこを退いてくれないかい?」
もちろん、牛に人間の言葉は通用しない。それでも後ろめたさからルーチェルAは言葉を掛け、持っている銃型のメシアを構える。
「メシア・クイーンズリング」
そっと唱えると銃型のメシアが赤い輝きを放ち――パンッ――と、乾いた銃声を響かせ、牛の足元に向けて威嚇射撃をした。
「………モー」
しかし、牛は驚くどころか大きな欠伸をしながら座り込んでしまった。
「やれやれ、あまり動物を無意味に傷付けるのは趣味じゃないんだけどね」
ルーチェルAは顔を歪め、渋々ながらメシアの銃口を牛の前足に狙いを定める。
――パンッ!――
乾いた銃声音と共に放たれた銃弾は確実に牛の前足を捉えた。
しかし銃弾は呆気なく弾かれ、牛は全く反応を示さず眠り続けている。
ルーチェルAの思考が停止し掛ける。
(いやいや、こんなに皮膚が硬い牛は初めて… なんてレベルじゃない。この牛さんはただの牛さんじゃないぞ!?)
ルーチェルAの表情から余裕の微笑が消え去ると同時に緊張感が駆け抜け、懐に隠していたもう1丁の銃型メシアを取り出す。
「どうしたのでしょう? ルーチェルAが2丁目のメシアを取り出しましたよ?」
「どういう事だ?」
異変に気付いた運転席のミユキHの言葉に後部座席のミーアAも不安そうに身を前方に乗り出してルーチェルAの様子を伺う。
「運転手、私が合図を出したら車を牛から離せ。この距離だと危ない」
今まで静観していたサラサQだったが、これ以上の放置は流石に危険と判断し、ミユキHに具体的な指示を出すと重い腰を上げながら車のドアを開けて外に出る。
「いやー、まさか牛さん相手に僕が本気を出すとはね。でも…」
“トゥーハンド・バースト”の異名を持つルーチェルAは本来の正しい姿である両手に持った2丁の銃型メシアを胸の高さで重ねるように構える。そして神経を研ぎ澄ますようにそっと目を閉じる。
「クライベイビー!」
ルーチェルAが高らかに唱えると両手に持っていた銃型のメシアが赤き輝きを放つ。
「僕も仕事だから恨みっこなしだよ」
ルーチェルAは今まで以上に赤い輝きを増した2丁の銃口を牛の頭部を狙い撃つ。
――パンッ! グチャッ――
乾いた銃声の後に肉片を捉えた生々しい擬音が聞こえると、ルーチェルAは安堵と共に動物を傷付けた罪悪感が同時に沸き起こり複雑な心境に浸る。
「モーーーーー!」
「なんだって!?」
ルーチェルAの放った銃弾は確実に牛の頭を貫き、完全に即死状態…にも関わらず、今まで寝ていた牛は怒りに満ちた鳴き声と共に起き上がると、首を激しく左右に振る。
「おいおい… 冗談だろ」
自分の眼を疑うルーチェルAは風穴が空いた牛の頭部を確認すると、そこには赤い血の代わりに黒い靄のような物体が沸き上がっていた。
車外に出たサラサQは、唖然とした表情を浮かべるルーチェルAを遠目で見ながら解放されたトランクに向かう。
「こんな学園近くにまで発生していたのか…総本部は相変わらずメシア部隊全員を最北に向かわせているのか…不用心だな~」
面倒そうに溜め息を着いたサラサQは、トランクに収納している白い布に包んだ自分のメシアを取り出す。
フロントガラスを軽くノックすると先ほどの指示通り、ミユキHが牛から離れるように自動車を後退させる。
そんな車を確認したサラサQは未だに唖然とした表情を浮かべるルーチェルAの近くに向う。
「やっぱり…TVに感染している」
「えっ!?」
サラサQの呟きにルーチェルAは耳を疑った。
「TVって動物に感染するのかい?」
そんなルーチェルAの問いにサラサQは何も言わずに、持っている刀型のメシアを構える。
“TVが動物に感染する”なんて話は聞いた事も無ければ、授業で習いもしなかった。初めての知識にルーチェルAは戸惑いよりも疑いが勝るのだが――目の前で起きている光景…牛の頭から湧き出ている黒い靄をサラサQの言う“TV”と仮定すれば全て納得できる。
「お前の実力ではTVに感染した牛を倒せない。車に戻っていろ」
「それは笑えない冗談だね。こう見えても僕はクラスAの一員で、しかもメシア女学園内でナンバー2だよ。例えTVに感染しているとは言え、ただの牛さんに負ける訳がないじゃないか」
サラサQの避難命令という屈辱的な台詞に普段から冷静なルーチェルAに苛立ちが芽生えた。
「サラサQ。君こそ車に待機しておいた方が良い。私のメシア・クイーンズリングの流れ弾を食らって負傷されても困るからね」
サラサQの忠告を無視したルーチェルAは再び黒い牛に向けて銃口を構える…しかし、そこに居たはずの牛に姿が消えていた。
「えっ!?」
――ドガッ!――
「!??」
ルーチェルAは自分の身に何が起きたのか分からなかった。しかし、現に自分の身体が宙高く舞っている。同時に自分のみぞおち部分に激しい衝撃が走る。
状況が理解できないまま宙を舞っているルーチェルAが見下ろす先には黒い牛が自分を見上げていた。
(あの一瞬で私に突進してきたのか!?)
目にも留まらぬ速さ… それに人の身体を軽々と吹き飛ばす怪力… TVに感染されると能力も飛躍的に向上するということなのか――生まれ持った鋭い観察眼から導き出した冷静な判断を下した直後、ルーチェルAの意識が薄れる。
「やれやれ、言わんこっちゃない」
肩を竦めたサラサQは持っていた刀の刃先を地面に刺して自立させると、落下してくるルーチェルAを両手で軽々とキャッチした。
「確かに、お前は学園内でナンバー2なんだろうさ。だけど、ここは学園外だ。世間知らずのお嬢様には危険過ぎる世界なんだ」
サラサQにお姫様抱っこされていれるルーチェルAは言い返す言葉が無く自分の非力さを痛感させられた。同時にサラサQがモーラAと戦った試合を思い出す。
(あの時、サラサQの残像を辛うじて目で追えた程の速さ… あの牛さんの速過ぎる行動に対抗できるのは、サラサQみたいな“クラスQ”だけ…)
徐々に意識を取り戻したルーチェルAはサラサQの肩を軽く叩き地面に降ろして貰う。
「どうやら、僕たちはもっと外の世界を知らなければならないようだね… それよりも君なら、TVに感染した牛さんに勝てるのかい?」
「まぁ、この前までたくさんのTVを駆除していたから大丈夫でしょ」
「そうか…」
悔しい気持ちは消えないが、今はサラサQの全く臆した様子を見せないぶっきらぼうな態度が頼もしく映る。
(その感情は自分の内にある弱さ故の感情か…)
自虐的な微笑を浮べるルーチェルAはサラサQの肩にそっと手を添える。
「任せたよ」
そう言い残すと、未だに痛みが治まらないみぞおち部分を摩りながら車に戻って行った。
そんなルーチェルAが車に避難した事を確認したサラサQは地面に突き刺していた琥珀色の刀型メシアを抜き取ると、前足を地面に擦りながら今にも突進してきそうな黒い牛の前まで歩み寄り、まるで闘牛士のように微妙な距離感を計る。
(先ほどルーチェルAに見せた突進がコイツの最速なら問題ないんだけど…)
多少の警戒心を抱きながら刀型のメシアを構えるサラサQに対し、TVに感染した牛の眼が赤く光ると覚悟を決めたように突進する。
その速度は音速を超えて、既に光速の域に入っていた。そんな牛の速度に対してもサラサQは冷静に対処し、鋭い両角を翳しながら突進してくる牛の攻撃を最小限の動きで交わす。
「…全く見えないですね」
「これがクラスQの実力なのか…」
圧倒的な速さに車から戦況を見守るルーチェルAたちの肉眼では追えず、時より聞こえる衝撃音とそれに触発されるように立ち上がる土埃だけで判断するしかなかった。
「あれは!?」
戦闘が始まり10分が過ぎた辺りで、ようやくサラサQと牛の姿が肉眼で確認できた頃、牛の全身に無数の傷が付いていた。
「サラサQが優勢なのか?」
そんなミーアAの疑問に応えるよう、サラサQは琥珀色に輝く刀型メシアを上段に構える。
「また見えなくなりました… あっ!」
今度は一瞬だけサラサQは姿を消すが、次の瞬間には刀型メシアを振り下ろし、車へと引き返して来る姿が見えた。
「どうやら、終わったようだね」
ルーチェルAの言う通り、牛の全身から大量の血飛沫と黒い靄が入り混じるように噴射しながらゆっくりと倒れると戦闘の終焉を知らせた。
「さて、行こうか」
大量の返り血を浴びたサラサQが何食わぬ顔で車に乗り込むと車内は一気に血生臭くなる。
「野蛮な戦い方…」
初めて目にするリアルな戦闘にミーアAが思わず本音を漏らすと、仕事を終え爽快な笑みを浮かべるサラサQが鼻で笑う。
ミユキHが慌ててタオルを差し出すと、サラサQは全身に付いた返り血を拭きながら得意げに言い放つ。
「生死を賭けた戦いに、気品も野蛮もないだろ」
至極当然なサラサQの意見に何も言い返せないミーアAは同じメシア使いであるにも関わらず自分の実力の無さを認めざる得ない状況に悔しさよりも諦めの境地に到達していた。
皆が沈黙する中、車は再びメリダを目指して走り出す。
⇔
雲ひとつ無い青空。今朝のメデジンも昨日に続き晴天に恵まれていた。
窓から爽やかな朝日が射し込むホテル・メモリーの最上階。既に目を覚ましていたマギーQは顔を洗い、灰桜色の制服に着替え、街に出掛ける仕度を済ませた。
「姉さん、入りますよ」
ポートの落ち着いた声がドア越しに聞こえて来た。
「どうぞ」
マギーQの返事を聞きドアが開くとポートと共に、面識の無い白人男性が入って来た。とても図体が大きく筋肉質な男だ。
「誰かしら?」
「この街の自警団を束ねているリーダーです。今回の賞金稼ぎの件で協力してくれる事になりました」
「ガイルだ。よろしくな」
そう言うと男はマギーQに向かい手を差し伸べ、ニヤリと不自然な笑みを浮かべる。
「よろしく」
握手を交わしたマギーQをガイルは改めてまじまじと見る。
「いや~、しかし本当だったんだな」
「何が?」
「メシアを扱える強力なリーダーが居ると聞いた時は正直、疑っていたんだが、その制服は間違いなくメシア女学園の、しかも優等生しか着られない制服だ」
「随分と詳しいのね」
「いや、それくらいの知識は世間の常識だ。しかし、本物の制服は初めて見た」
ガイルは改めてまじまじとマギーQの着ている制服を興味深そうに眺める。
「それにしても、街の自警団なんて初めて聞いたわ。あなたが自主的に始めたの?」
「自主的と言って良いのかは分からないが。この辺の地域は昔から麻薬の売買が頻繁に行われているんだ。だから麻薬組織同士の抗争も珍しくなくてな。その度に、メデジンに住む一般人が巻き込まれるんだ。俺の妻も銃撃戦の流れ弾を足に食らい、その後遺症で今も自由に歩けない状態だ。アマリリスにも相談したのだが全く取り合って貰えなかった」
この辺の地域一帯はアマリリス・南米支部が管轄している。しかし南米支部にメシアを使える者は僅か3名しか配置されて居らず、膨大な面積を管轄するには深刻な人手不足に陥っている。そんな状態の中でひとつの街の小競り合いの為にメシア使いを向かわせるとは思えない。
「まぁ、そうでしょうね」
マギーQは同情するように合の手を入れる。
「そこで街の皆と話し合い、自分たちの街は自分たちで守ろうと決めたんだ」
「なるほどね。大体の経緯は分かったわ。それで今回の件も街の平和の為に協力してくれる訳?」
「そうだ。一度でも密売が失敗に終われば、その場所は危険だと判断し、しばらくは取引場所として使わないはずだ。しかも、今回の密売にはアマリリス部隊が絡んでいる」
「アマリリスが!?」
意外な展開にマギーQは素直に驚いた。
「そうだ。この辺で一番大きな麻薬組織・レッドテールと数か月前から何度か密売を行っている。俺の仲間がアマリリス部隊の制服を着た女を見かけたらしい」
「そうなると、アマリリス部隊の方も独りという訳じゃなさそうね」
「あぁ、前回の密売では少なくとも現場に2名のアマリリスが居合わせていたらしい。そして今夜も近くの港で麻薬の密売が行われる予定だ」
(それほど詳しい情報がここまで漏れても尚、余裕で取引を決行できるという事は、自分たちの実力に余程の自信があるのね。まぁ、最も警戒するべき組織が取引相手なのだから、鬼に金棒、虎に翼。やりたい放題ね)
マギーQは酒場でクンから見せられた今回の指名手配書を思い出す。
懸賞の本元はアマリリス部隊・総本部だった。だとすれば、やはり支部所属のアマリリスが絡んでいると考えるのが妥当だろう。この辺の地域だと、やはり南米支部が一番怪しい。
「アマリリス部隊… 随分と腐敗しているのね」
しかし、腐敗する動機は察しが付く。
総本部から地方支部への転属は所謂、左遷を意味する。
(南米支部の支部長の名前は確か、アウラ大佐だったか――)
マギーQとアウラに直接の面識は無かったが、アマリリス部隊内での仕事に関する貢献などで表彰された際に名前を何度か聞いた記憶が辛うじて残っていた。
悪い噂を聞いた事は無かったのだが、確か一度だけ、上層部の勘に触れてしまい左遷されたという噂話しを聞いた。あくまで噂なので実際の所はどうなのか分からないままなのだが。
そんな事を思い出しているとガイルは徐に、この地域一帯が描かれた地図をテーブルの上に広げる。
「見てくれ、ここが現在地のホテル・メモリーだ。そこから西に向かうと中央区に出る」
そう言いながらガイルは海岸の隅を指で差す。
「その奥から更に西へ向かうと、この辺で一番大きな港・ベイル港に繋がる。その海岸沿いに使われていない緑色の倉庫が3つ並んでいる。そこが今回の取引場所だ」
説明するガイルの指が滑らかに地図をなぞる。
「それで麻薬組織側は何人ほど居るのかしら?」
「今回、俺らが相手する麻薬組織の名前は“レッドテール”だ。はっきりとは分からないが、組織全体で言えば百は裕に越えるだろう。しかし、現場に居合わせるのは10名前後と考えて良い」
その情報を聞いた上で、マギーQは根本的な疑問を述べる。
「あなたの自警団はどこまで協力してくれるのかしら?」
「流石にアマリリスを相手にするのは無理だが、周囲の見張りと最低限の物資到達くらいは手助けできる」
「そう、ありがとう」
条件は把握した。
(さて、この条件下において最小限の被害で最大限の成果を得るには、どんな作戦を取るべきか?)
マギーQは目を閉じて様々な展開を想定する。
(もちろん、最悪の場合を想定しなければならない。その上で一番の懸念材料は、やはりアマリリス部隊が使うメシアの特性だろう)
マギーQは南米支部に左遷された者の名前や顔を思い出そうとするが、どうしてもアウラ以外のメシア使いが思い出せなかった。
(何にしても、アマリリス部隊を相手にするのは自分以外に居ない事は明白だ。そうなると、せめて皆がメシア同士の戦闘に巻き込まれない作戦を立てなければならないわね)
「私がアマリリスを相手するとして、残りのレッドテールはあなたたちで何とか出来るかしら?」
「相手の実力がどれ程か分からないけど、まぁ大丈夫だと思いますよ」
マギーQの素朴な問いに、ポートはメガネを掛け直しながら余裕の笑みを浮かべた。
今更ながら、マギーQはクンたちの実力を把握していなかった。出会った時は一瞬で気を失わせただけに、強さは全く感じられない。しかし、今まで賞金稼ぎを生業として来たのだから、修羅場を潜った経験も何度かあるだろう。まぁ、一般人よりはマシだと信じよう。
「そろそろ市街地のパトロールをする時間だ。段取りが決まったら詳しく教えてくれ」
ガイルが腕時計を確認しながら立ち上がる。
「ちなみに自警団は何人くらい貸してくれるのかしら?」
「俺を含めて10人だ。それ以上は難しい」
「分かったわ。作戦が決まったら改めて連絡させるわね」
ガイルは軽く手を上げて部屋を去る――自警団とは言え、所詮は一般市民に毛が生えた程度の実力だろう。過度な期待はしない方が良さそうだ。
それからすぐに顔色を悪くしたクンがマギーQの部屋を訪れる。
「どうしたの?」
「昨夜は飲み過ぎやした」
反省の弁を述べる様に覇気の無い口調で答えるクンは二日酔いのようだ。
「それよりも自警団のリーダーと話は着きましたかい?」
「大体ね。あとは細かい作戦を立てるから、まずは街を散策するわ。取引現場を下見しておきたいの」
「俺はここで待機してますんで、フルームを付けましょう。あとお前もお供しろ」
ポートに指示したクンは未だに痛みを訴えている頭を抱えながら、頼りない足取りで隣の部屋へと退散して行った。
部屋に残されたマギーQとポートが目を合わせる。
「昨夜はあなたも一緒に居たのよね?」
「はい。でも俺は酒が飲めないんで一通りの情報を貰ってからすぐに帰りましたよ」
「クンはその後が長かったのね」
二人は同時に呆れた表情を浮かべ首を横に振った。
マギーQとアマリリス部隊・南米支部の者たちは全くの面識が無い為、間が悪く街で出くわしたとしても気付かれるは無いだろう。しかし、マギーQが着ているメシア女学園の制服姿を目撃されたとなると状況は変わる。
「まずは服を売っている店を探すわ」
全身を覆う茶色いローブはやはり街で浮いた存在となっていた。しかしそれ以上に気になるのが、街を歩く人が殆ど見受けられなかった点だ。
昨夜のイースター祭で賑わっていた人混みが嘘みたいだ。
「こちらに女性物の服を飾っているショーウィンドウがありましたよ」
そんな昨夜に得たポートの情報を頼りにしばらく歩いていると、イースター祭で最も混雑していたメイン通りに出る。その道沿いにポートの言った通り、女性物の服が飾られた店があったのだが………
「ちょっと個性的なデザインばかりが揃った店みたいね」
マギーQは不思議そうに眺めるその服は、フリルやレースを必要以上にあしらった白を基調としたデザインだった。黒いヘッドドレスとブラウスをコーディネートされた表情の無いマネキンが腰に手を当て挑発するようなポーズで道行く人々を誘い続けていた。
確か、西暦時代にはロリータ・ファッションと呼ばれていた異文化の衣装だ――しかし、こんな奇抜な服を着る位ならば、今の茶色いローブの方がマシだと判断せざるを得ない。
「普通の服を売っている店は無かったの?」
「う~ん、昨日は夜も遅かったので、店の殆どが閉まっていて分かりませんが…これから探してみますか?」
ポートの提案に少し考えたマギーQだったが、現在の茶色いローブ格好で無駄に街を歩き回る事はなるべく避けたい。
「とりあえずこの店に入って、店員に聞いてみるわ。少し待っていてちょうだい」
ポートとフルームを店の前に残してマギーQは一人で入店した。
自動ドアを潜った瞬間、バラの強い香りが鼻を刺した。
思わず鼻を塞ぎながら店内を見渡すと、6畳ほどの小さな店舗には独特な衣装や小物で溢れ返っていた。
「いらっしゃーーい」
店の奥から陽気な女性の声が聞こえて来た。
「あらら、客が来るなんて珍しい」
赤縁のメガネを掛けた黒いエプロン姿の女性は目を丸くしながらマギーQを出迎える。
「この店に普通の服は置いてあるかしら?」
出会うなり早々に質問された店員は小首を傾げる。
「普通とは?」
「ここに並んでいる無駄にデザインの凝っていない服の事よ」
「ゴスロリ全否定!」
頭を抱えて絶望に満ちた表情を浮かべる店員を見て、マギーQは少し反省する。
「ごめんなさいね、否定はしないわ。でも私には無縁な世界なの。目立たず街に馴染める服を探しているの。無いなら、普通の服を置いてある店を教えて欲しいのだけれど?」
そう弁解するマギーQを余所に、既に気を取り直していた店員はメガネを掛け直し、マギーQの幼さが残る身体を隅々までじっくりと観察する。
「全身茶色いローブよりはゴスロリの方が随分と街に馴染めると思いますが?」
店員の正論にマギーQは返す言葉が見当たらない。
「そうですね。うちの店で比較的控えめなデザインはどうでしょうか?」
そう言いながら店員は棚に掛かっていた服を2着ほどチョイスしてマギーQの前に出す。
2着とも店員の言う通り、この店の中では比較的控えめなデザインをしていた。
1着は水色と白色のストライプ柄のワンピース。もう1着は白いワイシャツに赤色を基調したチェック柄のミニスカートのセット。
「ゴスロリ感は少し足りない気もしますが、その辺を歩いても浮かない程度のお洒落ですわ」
「…確かに」
店員のチョイスに間違いはなかった。マギーQは異議を唱える隙が見当たらず、2つの選択肢に悩む。
「とりあえず、試着してみましょう?」
店員は半ば強引にマギーQの背中を押して試着室まで足を進ませた。
「さぁさぁ、お客様。茶色いローブはここで預かりますわ」
満面の笑みで手を差し出す店員――悪意は無いのだろうが、茶色いローブの下にはメシア女学園の制服を着ている。店員が一般人とは言え、あまり見られるのは得策とは思えない。
「結構よ。中で着替えられるから」
そんな不審な行動を取るマギーQに店員が少し違和感を抱く。
「まさか、そのローブの下は……」
店員はメガネを何度も掛け直し、様々な憶測を巡らせる。そんな店員に対してマギーQは警戒心を高め、懐に隠している銃型のメシアにそっと手を掛ける。
「何も着てないのですか?」
想定外の回答にマギーQは思わず肩を落とし、思わず笑みを漏らす。
「だとしたら、どうする?」
「素敵な趣味だと思います」
いやらしく微笑む店員に敵意は感じ取れない。一瞬、焦ったマギーQだったが適当にあしらい試着室に入ると、完全に外から覗かれないようにしっかりとカーテンを閉め切った。
ワンピースから試着してみる――デザイン的に仕方が無い事だが、上下が繋がっている分やはり動き難い。今夜の仕事は恐らくこの服のまま戦闘になるだろう。デザインよりも機能性を重視するマギーQは全身を動かしながら服との感触を確認するように全身鏡を眺める。
次に白いワイシャツにチェック柄のミニスカートを試着する――先ほどのワンピースよりは随分と動き易かった。見た目もあまり目立たず、その辺を歩いていても馴染むだろう。しかし、1点だけ不満がある。
「このスカートの裾はもう少し長くならないのかしら?」
「オホホ、お客様。その長さが見えそうで見えない絶妙なサイズですの」
カーテン越しから注文を付けたマギーQに対し、店員は不自然なまでに甲高い笑い声を上げながらアドバイスを送った。
「いや、跳び上がっただけで完全に見えるわよ」
「まぁ、その辺は視聴者サービスという事でお願い致しますわ」
「誰が何を視聴しているのかしら?」
溜め息を漏らしたマギーQは、これ以上のやり取りは無駄だと観念し今着ている服を購入する事にした。
「毎度ありでーす」
「このまま着て帰るから、今まで着ていた服を仕舞う袋か何か欲しいのだけれど」
「はい、紙袋で良いですか?」
そう言いながら店員は手頃なサイズの紙袋をカーテン越しに差し出す。
「ありがとう」
アマリリスの制服が見えないように茶色いローブで包むように隠し、そっと紙袋に仕舞い込み試着室から出る。
「よくお似合いです! サイズもピッタリみたいですね」
店員は何度もメガネを掛け直し、私服のマギーQを手放しに称賛した。職業柄、社交辞令である事を重々承知しながらも、マギーQは久々に着た私服の感触に少し恥ずかしくなる。
会計を済ませる間に、マギーQは世間話程度にガイル率いる自警団について尋ねてみた。
「そう言えば、この街は随分と治安が良いようね。聞けば、自警団が街の為に働いているとか?」
そう話を振った途端、今まで笑顔を絶やさなかった店員の表情が一気に曇る。
「自警団ですか? そうですわね。昔はそうだったんですけど… 今は…」
溜め息交じりに話した店員は歯切れの悪い物言いに変わっていた。あからさまな態度の急変にマギーQは眉をひそめる。
「詳しく聞かせて貰えるかしら?」
マギーQの要求に対し、店員は始め躊躇し苦笑いを浮かべて話題を変えようとする。しかし、真剣な眼差しを向け続けるマギーQの赤い瞳に根負けした店員は周囲を確認し、店内に誰も無い事を確認すると覚悟を決めて話し始める。
「はい… 実は自警団が結成されてから、確かに治安は良くなったんですよ。でも、ある日から治安を維持する為にはそれなりの資金が必要だと言い出して、私たち一般市民の金を巻き上げるようになったんです。だから昔に比べて少しは治安も良くなったんですけど、それ以上に稼ぎの殆どを自警団に取られて生活は苦しくなっているのが現状です」
溜め息交じりに苦笑いを浮かべた店員の表情が虚しく映る。
「それじゃあ、仮に密売組織のレッドテールが居なくなっても、自警団はあなたたちから資金を集め続けるのかしら?」
「そうですね。密売組織はレッドテールだけじゃないですし、実際に自警団が資金を何に使っているのかも分からないですし…… それにレッドテールは既にこの街に居なくては困る存在になっていますよ」
(悪の存在であるはずのレッドテールがこの街に必要?)
マギーQは自分の耳を疑った。
「どういう事?」
「はい。レッドテールは密売で稼いだ大金を街の中で使ってくれています。特に酒場や武器屋、後は自分たちのアジトを建てる為の建築関係が随分と潤っていますわ。あとリーダーの奥様や娘さんたちは私の店で衣装を買ってくれているので随分と助かっています。それでこの街は何とか成り立っている状態なのですよ」
先ほど聞いたガイルの話しとは随分と違う印象を受ける。
(確かに、自分の事をあえて悪く言うような人間は滅多に居ない。だから都合の良い事を並べれば、何の状況も知らない第3者は、それが全てだと思い込む事もしばしばある話しだ。争いが起こるという事は、双方にそれなりの言い分が存在する)
だとすれば、双方の意見を聞かずに結論を出すのは愚かな行為だ。
そんな趣旨の持論をクリストファー教諭がよく会議で述べていた事を思い出す。
「またのお越しをお待ちしておりまーす」
複雑な心境でマギーQが店を出る頃、店員は既に明るい雰囲気に戻っていた。しかし、その裏には随分と苦労しているのだと知ってしまった以上、マギーQは素直に笑顔で去れなかった。
溜め息交じりに店を出るとフルームとポールが談笑しながらマギーQを待っていた。
「姉さん、随分と印象が変わりましたね! エライべっぴんさんになりました」
マギーQの私服を見たフルームが素直に称賛する。
「ありがとう」
礼を言いながらアマリリスの制服が入った紙袋をフルームに持たせるマギーQだったが、その表情は冴えなかった。そんな暗い表情を察したポールが心配そうに尋ねる。
「何かありましたか?」
「ちょっとね」
心配するポートを尻目にマギーQは溜め息を溢す。
「それよりもこの辺で食事できる店はあるかしら? 少しお腹が空いたわ」
「だったら、昨夜に俺と兄貴が行った酒場に行きますか。確か、昼はランチをしているとか言っていましたよ」
話題を変えられたポートは気不味い空気を感じ、それ以上の質問を止めて昨夜に寄った酒場に向かった。
徒歩5分程でコテージのような温もりのある造りをした店に到着する。
「いらっしゃいませ! 何名様ですか?」
「3人だけど、席は空いているかい?」
女性店員の対応にポートがニヒルな顔で尋ねるが、店内には客の姿は見当たらなかった。
「お好きな席にどうぞ」
3人は店の一番奥にある席に座ると適当に注文を済ませた。
「さて」
店員が去り、3人になった所を見計らったマギーQは先ほどの服を買った店で店員から聞いた街の情勢について2人に話し出す――
「なるほど。それは確かに複雑な心境になりますね」
「そうなると、レッドテールを捕まえればこの街は成り立たなくなっちまうかもしれないんですね」
同感するポートに不安材料を具体的に述べるフルーム。見かけによらず、この2人に限らず一緒に同行している男たちは皆、随分と優しい性格の持ち主だ。
「それじゃあ、今回の仕事は中止しますか?」
ポートの心配そうな表情にマギーQは首を横に振る。
「それは無いわ。この世界に完璧なハッピーエンドなんて存在しないのよ。自分が正義を名乗る行為は、同時に誰かの悪になるという事なの。だから私は、現在の置かれている状況の中で最善を尽くすだけ」
そう言い切るとマギーQは不敵な笑みを浮かべ、明確な計画方針を決めた。
昼食を済ませた3人はガイルから貰った地図を頼りに、密売が行われる予定のベイル港に向かった。
「あそこですね」
ポートが地図と実際の場所を見比べながら指を差した方角に、ガイルが言っていた通り緑色の倉庫が3つ並んでいる事を確認する。
もう少し近づいて倉庫の構造や詳細を知りたい所ではあったのだが、近づき過ぎてレッドテールに悟られる恐れもある。
「見つかったら元も子もないわ。この辺で引き返しましょう」
マギーQたちはこれ以上の倉庫に接近する事を諦め、倉庫周囲の建物や雑木林などの位置を確認し、あまり人目に付かないルートを確保した。
(現時点で得られる情報はそんなものかしら)
一通りの確認を終えたマギーQたちはそのままホテル・メモリーまで引き返す。
出来れば、相手のメシアがどんな特殊能力なのかが分かれば完璧なのだが、一抹の不安材料が残るのは仕方が無い。それでも強引に成し遂げなければならない場面が人生には何度かある。恐らく今回が、その何度かの1回なのだろう――
ホテルに戻ったマギーQは男たちを集めて1人ずつに役割を与える。
「ポートは外で自警団のメンバーと新手が現れないか確認」
「了解」
相変わらずのニヒルな顔で応える。頼もしい限りだ。
「フルームとサンタナは倉庫内の高い位置からレッドテールのメンバーを狙い撃つ役なのだけれど、予め相手にバレず倉庫内に侵入する事は可能かしら?」
「お安い御用で」
「侵入操作は得意分野でっせ」
フルームもサンタナも腕をまくり上げてやる気を示す。
「そして私がアマリリス2名を同時に相手するわ」
その作戦を聞いたポートが黙って挙手する。
「何かしら?」
「仕掛けるタイミングはどうします?」
「良い質問ね。とても重要なポイントよ」
そう言いながらマギーQは満面の笑みでクンの右肩を強めに叩く。
「クン、あなたが囮よ。不用意に相手に近づくの。なるべく皆の視線を集めてちょうだい。隙が出来たら私が飛び出るから」
その言葉を聞いたクンの表情が今朝の二日酔いよりも更に青ざめる。
「そんな~。一番危険な役割じゃないですか~~」
クンが情けない声で嘆く。
「あなた、リーダーでしょ。子分たちに良い所を見せなさい。それに心配しなくて良いわ。私が付いているもの。それ以上に安全な保障があるかしら?」
自信たっぷりに話すマギーQの言葉をクンは信用していないのか、渋い表情を浮かべるものの最終的には納得した。
「もちろん、不測の事態が起こる可能性は十二分にあるわ。だから、危ないと判断したら一目散に逃げなさい。何があっても死んだらダメよ」
「へい!」
決して準備万全とは言えないが、今やれる事は何も無い。
(あとは夜を待つだけね)