政治家と政治利用の狭間で
日本政府がアメリカ・EU同盟と手を結ぶ事を発表した翌日から国会の前では反対デモが連日のように行われていた。
始めは二百人程度と小規模な活動に留まっていたが、加熱するメディアの影響もあり今では週末になると数千人規模にまで膨れ上がっていた。
参加者の中には大谷ミナミの写真を拡大にしたプラカードや“美しき中立国へ”と書かれた弾幕を掲げては『戦争反対』と声を揃え、連呼しながら国会を周るように行進していた。
その影響で週末の永田町周辺の交通は完全に麻痺状態となり、機動隊や警察が出動する騒ぎにまで発展する事も珍しくなかった。
そんな国会前でのデモ活動を報じているニュース番組を東京研究所の休憩室にある小さなテレビで観ていた大谷ミナミは、自分の発言の強さを実感すると同時にこう思うようになっていた。
――今の私だから出来る、現実的な範囲で最も平和な世界に導く選択肢とは何かしら?
今、自分が何をするべきなのかを模索し始めていた。
自分から望んでメシアを手に入れた訳ではないのに、メシアの存在は文字通り人類にとっての救世主なのだ。
それだけ人を魅了するだけの能力を兼ね備えている。ならば、それを扱う私は人々を導く義務があるのだろうか?
――国民の前で自分の理想を語ってしまった。『自分の言葉には責任を持たなければ大人じゃない」と昔、誰かに言われた事を思い出した。
誰だったかまでは思い出せないが、誰かさんの言った通りだ。私も私の言葉に責任を持たなければならない。
自分の理想を支持し、願ってデモ活動をしている人がこんなにも居るのなら、尚更だ。
しかし具体的に何をすればいいのか分からない。
未だにデモ活動に関する報道を流している騒々しいテレビを消した。
その瞬間、誰も居ない休憩室に静寂が訪れる。
耳を澄ませば、部屋の隅に設置されている自動販売機のモーター音が聞こえてきた……
そんな虚しい音を聞き続けている徐々に気分が落ちて行くのが実感できる。
外出でもして気分を変えたい所だったが、東京研究所の正門前では、連日のように多くの報道陣が大谷ミナミの動向を観察するように詰めかけていた。
そんな状態で外に出ようものなら、漏れなく大谷ミナミの後ろを報道陣がズラズラと追い掛けて来るだろう。
実際の大名行列よりも長い行列が出来てしまうかもしれない。そんな状態で気分を変える事が出来るだろうか? それ以前に大谷ミナミが気軽に寄れる様な場所があるだろうか?
そうなれば外出は諦めて、気を紛らわす為に仕事に没頭したい。
ところが、大谷ミナミは研究業務の多忙から解放されてしまっていた。
それはメシア自体に目新しい成果は得られなかった事が改めて証明されたからだ。
やはり、メシア・スノードラゴンが発動するような電源も、核に成り得るような構造も見当たらなかった。
分析をすればするほど、見た目通り日本刀の形をしたオブジェとしか形容できない品物だった。
研究依頼をしていた文部科学省や防衛省の官僚たちは全く納得していない様子だったが、彼らは専門家では無い。だから専門家である研究員の結論に納得をする他に選択は無かった。
東京研究所・所長である田中博士はメシア研究から解放されると早々に、群馬にある分析センターに向かい、暗黒壁の成分を解析する研究に取り掛かった。
主を失くした研究所では現在、特に大きな研究は行われておらず研究員の殆どは帰宅している。だから、警備員や清掃員を除いては大谷ミナミだけが取り残されている状態となっていた。
そんな状況だから、大谷ミナミが気を紛らわす為に移動できる範囲は誰も居ない研究所内に限られている。
だからという訳ではないが、行く宛ても無く今日みたいに天気の良い日は中庭に出る事が習慣となっていた。
恐らく、国会召集前に訪れた事が切欠になったのだろうが、中庭の隅にある桜を眺めていると気分が幾分か落ち着く体質になっていた。
あの頃に比べると随分と桜の紅葉も枯れ落ち、桜を周囲には、真夏の太陽を凍らせたような色をした落ち葉の絨毯が木漏れ日を浴びて輝いていた。
未だにスノードラゴンが放った氷の影響で研究所内は寒さに震える状態が続いている。
ちょっと前までは外に出れば温かいと感じていたのに、最近では中庭に出ても冬の訪れが確実に近づいている事を知らせる寒気に溢れていて、室内とあまり温度差を感じられなくなっていた。
中庭の中央にある木製のベンチに座ると目を閉じて思考を停止してみる。
いつの間にか、キンモクセイの香りも消え去り、その代わりにシベリアから運び込まれた乾いた冬の匂いに抱かれている。
――これは、これで悪くないわね。
深呼吸をして目を開いた所で、天井の隅に設置されているスピーカーから所内放送が流れる。
“大谷ミナミ研究員、来客者がお待ちです。至急、面会ルームまでお越しください”
――こんなタイミングで誰かしら? マスコミ関係の取材は全て断っているはずなのに…
そんな疑問を抱きつつ、大谷ミナミは正門近くにある来客用の面会ルームに向かう。
――誰っ?
面会ルームに入るなり、全く面識の無い女性が待っていて大谷ミナミは困惑の表情を浮かべる。
「初めまして、大谷さん。私、佐々木望と申します」
落ち着いた口調で端的な自己紹介を済ませたスーツ姿の佐々木は、きっちりと腰を90度に曲げた。
随分と綺麗な一礼に一層の戸惑いを抱きつつも、大谷ミナミも軽く会釈を返す。しかし、最後には堪え切れなくなり質問を投げ掛けた。
「失礼ですが、どちらの佐々木さんでしょうか?」
「紹介が端的過ぎましたね。私、こういう者です」
大谷ミナミの質問に対し、佐々木望は少し慌てながら自分のカバンから名刺を取り出すと両手を添えて大谷ミナミに差し出す。
相手に倣って、大谷ミナミも両手で名刺を受け取り、真っ先に相手の肩書を確認する。
“日本自由党・大熊ひさし 秘書・佐々木望”
やはり佐々木望に覚えは無いが『大熊ひさし』という名前には少し覚えがあった。
――確か、現在は第2野党だった。日本自由党の代表代行を務めていて、たまに討論番組にも出演する有名な政治家だ。確か、農林水産大臣の経歴を持っているはずだ。
今年で69歳を迎え、政治家人生32年の“永田町の重鎮”と。
この前、何かの番組でやっていたのを何となく観ていた大谷ミナミの記憶の片隅に何となく残っていた……ならば何故、このタイミングで重鎮の秘書が私に接触してきたのだろうか?
「まずは何のアポも無く訪問した事をお詫びします。詰らないものですが、お気持ちを」
佐々木望は随分と疲れ切った表情を浮かべながらテーブルの上に有名和菓子店の紙袋を差し出す。
――手土産…
大谷ミナミは政治家秘書の差し出す物と警戒しつつも、物欲に誘われるように紙袋の中身を確認する。
「…芋羊羹!」
「お気に召して頂ければ良いのですが…」
秘書の微笑に大谷ミナミの背中に悪寒が走った。
――どうして、私の好物を知っているの!? 学生時代にアニカとそんな話しをした記憶が僅かに残っている程度なのに…秘書のリサーチ能力、恐るべし!
そんな関心をした所で、大谷ミナミは改めて初歩的な疑問を思い出した。
「そんな秘書さんが政治と無縁な私に何の用でしょうか?」
眉を顰め警戒心を表情に出す大谷ミナミを見て、佐々木望が一度だけ深く頷く。
「それでは早速本題に入らせて頂きます。今回は、他ならぬ1ヶ月後に行われる衆院選挙に参加して頂きたく思い、こうして参らせて貰いました」
――出馬打診の話しか……でも……
大谷ミナミの頭に根本的な疑問が現れる。
「私はまだ23歳ですよ。確か、衆院選は25歳以上でないと立候補できないと思うのですが?」
あまり政治に興味の無い大谷ミナミだから、うろ覚えながらの知識で自信は無かった。
そんな大谷ミナミの疑問に対して佐々木望は笑みを浮かべる。
「よくご存じで。なので、今回は出馬の打診では無く、我が党、日本自由党の支持を表明して頂きたく思いこうして参った次第です」
佐々木望の言葉に大谷ミナミは首を傾げる。
「今や、大谷さんの影響力は国会前のデモ活動を見れば、疑う余地はありません。そしてデモ活動を行っている国民同様に我ら日本自由党も大谷ミナミさんが国会での参考人提言は深く感銘を受けました。そこで、今回の選挙で大谷さんの支持を得た我ら日本自由党が政権を取った暁には、大谷さんの提言通り、日本を中立国に導く政策変換を考えております」
話しを続けるにつれて熱量を増す佐々木望に少々圧倒される大谷ミナミだったが、
「そちらの事情は理解しました。しかし、この場ですぐに結論を出す事は出来ません。少し考えるお時間を頂けませんか?」
無難な返答に務める大谷ミナミだったが、内心でどうやって断るべきか探っていた。
「もちろんです! 大熊からも今回は話しだけという指示でした。しかし、これは自民党の裏切りにあった大谷さんにとっても良い機会だと思います。是非とも前向きにご検討ください」
満足そうな笑みを浮かべた佐々木望は最後にもう一度深く一礼をすると清々しい表情で帰って行った。しかし、その表情からは未だに疲労の色が消えていなかった。
――自民党の裏切り……そんな風に捉えた事はないのだけれど、立場の違いや解釈の仕方でそんな風に捉えられなくもないものなのね。
人間の思想に含まれる複雑な多角性に触れた気がする。
同時に人間という生物は自分が想像するよりも遥かに危険な生物なのだと認識させられた。
人間個人に植え付けられた先入観という名の思想を上手く利用できれば、或いは今後の世界を自分が思い描く世界に導く事が出来るヒントみたいなものを得られた気もした。
人間とは本来、理屈よりも大義で動く崇高で愚かな生物なのだ。大義を失い本能のままに生きる者を人間とは呼ばない。それは既に人間の容姿をした獣に過ぎない……
佐々木望との接触から3日後――
ロシアの首都モスクワがアメリカ・EU同盟軍によって制圧した事を各国主要メディアが全世界に向けて大々的に報道した。
この出来事を境に世界中の誰もが新たな戦争開戦を予感し絶望する。
しかし、それ以上に世界を驚愕させるニュースをアメリカメディアが独占で報道する。
その内容が『モスクワ奪還作戦で圧倒的な戦果を上げたのが、オリジナル・メシアを扱えるルーシー・ケイトである』というニュースだった。
その時に上空から撮影されたと思われる戦闘シーンが世界中に公開された。
そこには確かに、星条旗を肩に羽織った黒装束がたった一人でメシアと思われる赤い槍を振りまわしながら戦場を飛び回っていた。
縦横無尽に駆け回り、隊列を組んでいる戦車に向かうと次々と破壊し、遥か上空に跳ね上がる何とも現実離れした映画の1シーンみたいな映像がセンセーショナルに映し出していた。
その映像は世界中に大きな衝撃を与え、その中には日本国民にも衝撃と動揺が駆け抜けた。
中には“やはり第2のメシア使いが現れたか”と以前に専門家が指摘していた事態が起こってしまった事に恐怖する者も少なくなかった。
それに今後、第3、第4のメシア使いが現れる可能性も危惧される。
そんな報道を受け、日本の各民放局は挙って緊急世論調査を実施した。
すると、アメリカと協力を結ぶ事を決めた鈴村内閣の判断が正しかったという世論の意見が前回よりも遥かに高まり、全体の4割以上が現鈴村内閣を支持する結果となった。
それは世間が“少なくともアメリカと協力関係を結んでいる限り、大谷ミナミとルーシー・ケイトが戦う心配は無い”と判断した事を意味する。
そんな世論調査の結果は1ヶ月後に迫った衆院選挙で追い風となると判断した自民党は、今まで以上に盤石の態勢を取ろうと多くの現役議員を地方に送り込む。
特に激戦区とされる地域には惜しげも無く現役大臣や知名度の高い政治家を送り込み、街頭演説に熱を入れていた。
「ルーシー・ケイト…」
テレビに映る黒装束を食い入る様に見ていた大谷ミナミは無意識にルーシーの名前を発していた。
その名前に覚えは無い。始めはメシアに似せた新たな兵器の可能性も疑った。
しかし映像を見る限り、あの槍から放たれている独特な赤い輝きはメシアと断定して間違いないだろう。
しかも人間が単独で空を自由に飛んでいる。
とても厄介な特性を秘めたメシアだという事は素人目から見ても分かる。
だからこそ、そんな厄介なメシアを所持しているアメリカとの衝突は避け、今まで通り平和的に協力関係を指示する事は理解できる。
――戦争とは、不条理だろうが、卑劣だろうが、最終的に勝った方が正義になる。それは今までの歴史が証明している。
ならば私がアメリカ軍のルーシーと協力すれば、ロシア・中国・ドイツ連合軍など容易に殲滅できるだろう。
間違いなく、今回の世界大戦は早期終結するはず……しかし、本当にそれで良いのかしら?
大谷ミナミは目を閉じて自問自答を始める。
ロシア側が無条件で降伏してくれれば、無用な被害は出さずに終結できる。しかし、それは同時にアメリカ側にもロシアに対し過大な降伏条件を出させないようにしなければならない。
しかし、ロシア軍は以前に中国との戦争で多大な被害を出している。
そんな状況下に置いて、現在の指導者が冷静に状況判断を下せるだろうか?
利口に敗戦処理を行う程の力量を兼ね備えているだろうか?
それに同盟国である中国やドイツに対しても、アメリカ側から何かしらの厳しい降伏条件を突き付けはしないかしら?
当然ながら反発する国も出てくるだろう。
そうなれば、必然的にアメリカと衝突する事になる。
その際に払わなければならない甚大な被害は想像も付かない。
戦場において、無傷の勝利などあり得ない。そうなると当然ながら、アメリカ・EU同盟側にも多大な被害が及ぶだろう。
最悪の場合、世界そのものが破滅するかもしれない――
――この先、私の選択とルーシーの選択次第で今後の世界情勢が大きく変化する。それを理解した上で、今後の私はどう行動するべきなのかしらね?
モスクワを占拠したルーシー率いるアメリカ・EU同盟軍は、そのままロシア全土を占拠しようと東に向かい侵攻作戦を開始する。
そんな現状を打破しようとロシア軍は『これ以上の侵攻を止めなければ、アメリカと同盟を結んでいる日本に向けてミサイルを落とす用意がある』と勧告する。
しかし、そんな脅しに応じないアメリカ軍はロシア領土の侵攻を止めなかった。
新たな日米安全保障条約を結んだにも関わらず、アメリカ政府は日本領土の防衛をすると条約で定めていた米軍を配置せず、条約を完全に無視した形を取った。
そんなアメリカ政府の対応にはロシアだけでなく、日本国内からも多くの反感と不信感を買ってしまった。
ロシアの脅威に対策を迫られた日本政府は早急に自衛隊を日本海側に派遣し、対迎撃ミサイル装置を配備する。
そんなアメリカに対する不信感と、日本政府に対する不安を募らせた日本国民は終息に向かっていた国会前でのデモ活動が再び沸き起こる。
その中で大谷ミナミの防衛参加を希望する行進が真冬の空に響き渡った。
――ちょっと前までアメリカと同盟を組んだことに賛成したていたのに、情勢が変わればすぐに考えを変える。民衆は身勝手なものね。でも、そんな民衆に応える事が選ばれし者の宿命なのかも…
国会前でのデモ活動の映像を、研究所の休憩室に置かれたテレビで見るでもなく眺めていると、デジャブのように聞き覚えのある所内放送が響く。
“大谷ミナミ研究員、来客者がお待ちです。至急、面会ルームまでお越しください”
少し前に聞いた全く同じ文言の放送に自然と溜め息を漏らした大谷ミナミは、疲れ果てた表情を浮かべる佐々木望を思い浮かべた。
面会ルームに到着するが、大谷ミナミの予想は見事に外れた。しかし、完全に外れた訳では無い所が、何とも厄介な点だ。
「始めまして、私、現官房長官を務める和田努の秘書を行っている飯塚と申します」
大谷ミナミを待ち受けていたのは、先日の佐々木望ではなく、草臥れた紺色のスーツが似合う枯れた中年から初老に差し掛かった男だった。
とても腰を低くして、何度も会釈をしながら名刺を差し出す。
――現役の官房長官・秘書が出て来るという事は……先ほどのニュースから察するに、私も自衛隊と一緒に日本海側に配備させる気かしら?
随分と厄介な話しになりそうだ。そんな展開ならば、まだ前回の佐々木望の方がマシに思えて仕方が無い。
そんな事を思いながら、渋々ながら名刺を受け取った大谷ミナミを確認した飯塚は早速本題に入る。
「もう野党のどこからか話しは来ていると思うのですが、まだ今回の衆院選挙の件、決断は出されておりませんよね?」
枯れた飯塚がニヤリと笑うと顔に多くの皺が浮かび、年忌を感じさせる。
――選挙の件!?
日本国が脅威に晒されているというのに、政治家たちは目の前に控えた選挙の方が大事なようだ。幸か不幸か、大谷ミナミの予想はまたしても外れてしまった……
飯塚の言う通り、大谷ミナミは決断どころか選挙に関する事は何も考えてなかった。
「そうですけど…」
そんな大谷ミナミの乗り気でない言葉を聞いた瞬間、飯塚の皺が今より随分と深くなる。
「そうでしょう、そうでしょう。選挙立候補締め切りも残り半月を切りました。今の時点で何も行動なされていないという事は、準備期間まで考慮すると随分と遅すぎると思いまして」
飯塚は話しながら何度も会釈をする様に首を上下させ、奇妙な動きを続ける。
「そこで本日、私が参りましたのは他ではありません。どうか、今回の選挙に関しては大谷様の政治活動の参加を控えて頂きたいと願い参った次第です」
飯塚の言葉に大谷ミナミは首を傾げる。
「…と、言うと?」
「はい。もはや大谷様は国民の誰もが関心を持たれている影響力の強い方です。そんな大谷様が与党を支持されて、万が一に衆院で定員が半分を割る様な事態になれば、参院で過半数以上の席を持つ我らの党と“ねじれ”が生じてしまいます。
そうなりますと、今のような日本国が大変危険な情勢に置かれているにも関わらず、速やかに安全法案が通らなくなってしまい、守れるものも守れなくなってしまう可能性が出て来るのです。
現状の日本国を考えると、それだけは避けなくてはなりません。どうか、今回だけは静観の方向でよろしくお願いします」
深々と頭を下げた飯塚の白髪が虚しく揺れ、同時に、飯塚の体臭なのか、どこか懐かしい線香の匂いが微かに鼻を触れた。
そんな飯塚の言葉を最後まで聞き終えた大谷ミナミは選挙以前に気になる質問を投げかける。
「その前に尋ねたいのですが、アメリカ政府に安全保障条約を破棄された日本政府は今後、どのように自国を防衛するつもりですか? 今の日本国内のみでの防衛規模では到底、日本全体を守り切れませんよね?」
「そ、それは、まだ日本政府の立場として完全に破棄されたとは認識しておりません。今後、双方で繰り返し協議した上で、尤も良い防衛策を見つけ出す予定です」
大谷ミナミの鋭い質問は想定外だったらしく、今まで流暢に話していた飯塚の口が急に度盛り出す。
その様子から察するに、防衛に関する今後の具体的な政策は考えていないようだ。兎に角、今は目の前に迫る選挙の事で頭が一杯なのだろう。
――さて、どうしたものか…
顎先に手を添えて、真面目に考えるフリをする。そんな大谷ミナミだったが、内心では既に決まっていた結論を、あたかも今、決断するように演技を続ける。
「分かりました。今回の選挙、私は何処の党にも関与しません。それで良いですね?」
そんな大谷ミナミの言葉を聞いた飯塚の表情は満面の笑みを浮かべ、深い皺が更に深く刻まれる。
「ありがとうございます。これで心置きなく選挙活動に励む事が出来ます。あっ! 遅れましたが、詰らない物ですが、お納めください」
飯塚は思い出したようにずっと持っていた和菓子店の紙袋を大谷ミナミに手渡すと、最後まで会釈を絶やさず満足そうな表情で東京研究所を後にした。
――さて、今からだと時間が足りないらしいから急いだ方が良さそうね。
大谷ミナミは不敵な笑みを浮かべながら、早急にある人物を訪ねる為に研究所の移住エリアへと足を進める。
――当初の日程に狂いが無ければ、今日の昼には群馬の分析センターから帰って来るはずだ……
⇔
「これは想定外ですね」
ニヒルな男がテレビの前で首を横に振りながら呟く。
随分と参った表情を浮かべるニヒルな男は、もはやニヒルが完全に消滅し、ただの青年と化していた。
「それで、日本に対する言い訳は考えておるのだろうな?」
無愛想な表情でテレビを睨むビル国防長官がニヒルな男に尋ねる。
「はい。今回のロシア軍による日本攻撃に関しては、日本の特定場所を指定していない為、脅し以外の何物でもないと判断した、という筋書きで進めています」
「それで日本が納得するのか?」
「日本政府の方は問題ないでしょう。ただ、彼女の方を納得させられるか…が問題ですね」
いつの間にか、ニヒルを取り戻した男は、その彼女の写真が映っているテレビに再び目を向ける。
そんなテレビの中では大谷ミナミの写真と共に日本の政権交代を告げるニュースが流されていた。
特に『長期政権を築いた自民党から新たな政権第1党を奪ったのは、大谷ミナミが代表を務める新党・青い平和党だ』という内容だった。
しかし、大谷ミナミはまだ23歳で選挙には出馬できなかった。その為、代理人として東京研究所長を務める田中誠博士を公示日ギリギリで立候補させると、圧倒的な票数で見事当選に導いた。
更に、大谷ミナミの働きかけで与野党問わず多くの議員を新党・青い平和党に招き入れると、衆院の過半数を得る事に成功する。
その事を受けて、前与党だった自民党は新党・青い平和党との大連立を結ぶ事を決めると、参院でも青い平和党の影響力を反映させる事に成功し、実質的な“ねじれ国会”という問題も解決させた。
そんな大谷ミナミの強引な手法に、新たな独裁者の誕生を危惧するジャーナリストが出て来るが、大半の国民が新党・青い平和党を指示し、国民の支持率は89%と脅威の人気を誇った。
国会議員で無いにも関わらず、与党の党首となった大谷ミナミは新たな役職である国家顧問を名乗り、就任初日には早速、アメリカ政府に対しロシアへの侵攻を停止するよう要請を出す。
同時にロシア政府に対しても、日本への攻撃に関する全ての武装解除をするように求めた。
そんな大谷ミナミの要請内容が世界中に流されると、アメリカ、ロシア両国の政府首脳がどんな判断を下すのかを世界中が見守る状況になっていた。
苛立ちを隠さないビルは忌々しい大谷ミナミを映し続けるテレビをリモコンで消し、横に立つニヒルな男に尋ねる。
「大統領は何と?」
「今、彼女を怒らせるのは賢明では無い、と判断したそうですね。それは恐らくロシア側も同じ考えでしょう」
「う~む。止むを得ぬか…」
納得はしてないビルだったが、ニヒルな男の言う事に同意せざる得ない状況に、無愛想だった表情が更に曇る。
そんなビルを察したニヒルな男は軽い笑いを添えながらフォローする。
「まぁ、そう悲観する事も無いでしょう。我々にも大谷ミナミと同様にメシア使いを所持しているのです。今後は彼女をもっと上手く利用する事に専念しましょう」
そんなニヒルな男だったが、未だに曇った表情を絶やさないビル国務長官の様子を見て、肩を竦める事しかできなかった。
――それにしても大谷ミナミという女。ただの研究員からメシア使いになっただけの世間知らずだと侮っていましたね…後悔先に立たず。私もまだまだですね。
大谷ミナミ国家顧問の要請を受けた3日後にアメリカ、ロシアの両国はその要請を全面的に受け入れる事を表明すると、その後すぐにアメリカ、ロシア間で停戦合意が結ばれる。
そんな米露停戦合意に対し、世界中の誰よりも納得していない人物がモスクワに居た。
「はぁ!? 停戦だと!?」
モスクワのロシア連邦・上院議事堂として使用されていた建物の中でテレビを見ていたルーシーは叫びながら頭を抱える。
――これでは大谷ミナミと戦う以前に、メシア・ビッグアーサーを使用する機会が無くなるじゃないの!
どうせ、ニヒルな男の仕業だろうと、ルーシーは文句の一つでも言ってやろうと思い立った。
しかし、連絡先は最高機密らしくすぐに諦めるが、このモヤモヤとした感情が治まる気配は全く見せない。
――仕方ない。
寝巻から白いスポーツジャージに着替えたルーシーは、ビッグアーサーを片手に、暇つぶしと気晴らしを兼ねてモスクワの街を散策する事にした。
ここ数日、すっきりとしない灰色の雲が覆うモスクワではうっすらと雪化粧をして、これから来る本格的な冬を示唆しているようだった。
吐く息が白くなる程に冷え込んだ街中では、戦闘で倒壊した建物の前で焚火をする人々の群れが所々で見られた。
暖を取る人々は誰もが死んでいるような顔を並べて、この世の終わりを何の抵抗もせずに受け入れる日を待っていような表情だった。
戦争の勝利を記念して広場の中央にある柱に掲げられている星条旗だったが、風が吹かなければただの布切れにしか見えない。
――旗は風に靡いてこその旗なのよね。私もメシアを使ってこその私なの。
色を失ったモスクワを歩いていると気晴らしどころか、余計に不満が溜まっている気がする。
ルーシーは気晴らしを諦めて早々に部屋に帰ると、テレビが大谷ミナミ以外では久々に新たな世界的なニュースを報道していた。
それはベルリンにあるドイツ国立研究所が暗黒壁から採取した欠片の成分が地球上には存在しない全く未知の素材だと判明した事を発表しているニュースだった。
副所長を務めるアニカの会見を放送しているテレビを何となく見ていたルーシーの脳裏に、不意にある仮説が過った。
――そういえば、暗黒壁の中にはメシア使いがたくさん居るとか、居ないとか……そんな話を聞いた事があったわね…… あっ! 良い事を思い付いたわ!
まるで面白い悪戯を企てる子供のような無邪気な笑みを浮かべる……
ルーシーはまだ戦争の影響で国境付近が混乱しているベーリング海峡の隙間を縫って北米に向う事を決意する。




