マギーQと奴隷クラスの真相
――プロローグ
A.C119年――メシア女学園敷地内にある教員専用宿舎。
まだ冬の気配が色濃く残る肌寒い夜明けの事だった。
「キャーーーー!」
何の前触れも無く、静寂を切り裂くように女性の悲鳴が宿舎中に響き渡る。
そんな悲鳴で目覚めたレーナ教諭は枕元に置いていた丸メガネを素早く掛けると、急いで声が聞こえた部屋まで駆け寄る。
――まさか!?
悲鳴が聞こえた場所に着くと、そこは同僚のクリストファー教諭の寝室だった。
嫌な予感を過らせながら部屋に入ると、悲鳴を上げたと思われる女性がその場で腰を抜かし、身体を小刻みに震わせながら怯えていた。
「何があったのですか?」
レーナ教諭は急いで女性の元に駆け寄り事情を尋ねるが、女性は目を見開いたまま言葉を失い、何度も首を横に振りながらクリストファー教諭が使用しているベッドを指す。
嫌な予感が抗えない運命のように現実味を帯びている。
しかし、ここで止まっても何も解決しない。
レーナ教授は警戒心を持ちベッドの様子を覗き込む。
すると、白いシーツに包まったまま今も熟睡しているクリストファー教諭の姿があった。
とても穏やかな寝顔を浮べている。特に何の問題も無いように思えるのだが…
――やはり、おかしい。
レーナ教諭はすぐに彼女の異変に気が付いた。
――クリストファーという女性は警戒心が強く、眠りの浅い人だ。故に、先ほどの悲鳴を至近距離で聞いて目を覚まさないのは絶対におかしい!
またしても嫌な予感がレーナ教諭の脳裏を過る。そんな時に限って、嫌な予感とは現実となる事が多いから困る。
長めの深呼吸をして覚悟を決めたレーナ教諭は今も寝ているクリストファー教諭を包み込んでいる白いスーツをそっと捲る。
「こ、これは…」
クリストファー教諭の白い寝巻が真っ赤な血で染まっていた。
レーナ教諭は戸惑いながらも念の為にとクリストファー教諭の手首を握り、脈を確認するが――
「救護班を呼んできます」
怯えていた女性が我に返ると、急いで部屋を飛び出す。
――もう遅い。
既に冷たくなったクリストファー教諭の腕をそっと元の位置に戻したレーナ教諭は頭を切り替えるようにクリストファー教諭の遺体の調べる。
――目立った外傷は見当たらない。それにも関わらず、大量の血が白いシーツを赤黒く染めている――一体、どこから出血している?
一般的に考えれば、心臓付近の胸元を鋭利な刃物で突いた跡が残っているものだ。或いは、後頭部に鈍器な様な物で殴り付けるか――
レーナ教諭は様々な可能性を調べるが、死体からは何の手掛かりも訴えて来なかった。綺麗な身体を保ち、安らかな寝顔を浮べている。
まるで他人の血に染まったベッドに寝転がっている様にさえ思え、レーナ教授の頭の中では謎が謎を呼んでいる。
死因を調べる事を一旦諦めたレーナ教諭は、次に誰か侵入した痕跡はないかと窓の状態を確認した。
閉ざされた青いカーテンを開けるが、窓はしっかりと施錠されていた。そもそも、メシア女学園のセキュリティは高く、部外者が易々と建物内に侵入する事は考え難い。
――争ったような形跡も見られない事を考慮すると、必然的に内部者の、しかも随分と親しい者による犯行である可能性が高くなる……
「救護班、入ります!」
緊迫した表情で2名の女性が担架を持って部屋に入って来ると、すぐにクリストファー教諭の脈を調べ、強制的に目を開けてペンライトを当てて瞳孔を調べるが、何の反応も無い事を確認すると2名の救護班は目を合わせ同時に首を横に振る。
クリストファー教諭の死亡を確認した2人は、手慣れた動作で担架に移し替えると白いシーツに覆われたままクリストファー教諭の遺体が運び出された。
――クリストファー教諭の性格は賢明で聡明な方だ。誰かに恨みを買うとは思えない。そうなると、すぐに犯人像が思い浮かばない不気味さが漂う。
それよりも、この事実をクリストファー教諭が担当している“クラスQ”に何と報告すれば良いのか……特にリーダーを務めているマギーQは随分とクリストファー教諭を慕っていた。
レーナ教諭は深い溜息と共に渋い表情で新しく出たばかりの朝日を睨む………
――栄光のクラスA。奴隷のクラスQ。
楕円型の大きな競技場を囲むように設置された観客席には学園指定の緑色を基調とした制服を着た多くの女子生徒たちが詰めかけていた。
そんな競技場の中心に設けられた競技エリアでは自分たちと同じデザインをした制服でありながら、灰桜色を基調した制服を着ている2名の女子生徒が立っていた。
「何としても、このリードしたポイントを私の“メシア・フォーエバーマーク”で最後まで死守し、私が念願の初優勝を頂きますわよ!」
自信に満ちた幼い容姿のモーラAは無い胸を張りながら、左手に持っている青い透明素材で出来た大きな盾で自身の小さな身体をスッポリと覆い隠すように構える。
「完全防御ですか…あなたにしてはよく考えられた作戦です。しかし、私の“メシア・マリアライト”をどれだけ耐え凌げるかしら?」
この状況を楽しんでいるように微笑を浮べたユーフェミアAは右手に持つ赤い透明素材で出来た自分の身長ほどの長剣を構える。
「キャーーーー! ユーフェミア様―― 素敵――――!」
生まれ持った妖艶な顔立ちに気品漂う口調、おまけに理想以上のプロポーションは羨ましいを通り越して少し笑ってしまう程の完璧女子。
如何にも良い所で育った事を容易に想像が付く程のお嬢様のユーフェミアAに憧れる学園の生徒たちが必死で黄色い声援を送る。
会場は完全にユーフェミアAのホームになっていた。
『さぁ、今年度の“春季メシア競技評価大会”も佳境を迎えました!
決勝戦は大方の予想通り、生徒会長で“クラスA”のリーダーを務めるご存じ、ユーフェミアA! 対するは、生徒会・書記にして同じく“クラスA”のモーラAだ!』
アナウンスの紹介と共に競技場に設置されている大きなメインモニターには2人の顔写真と名前、その下には今回の試合で得たポイントが表示されていた。
“ユーフェミアA・ポイント2 VS モーラA・ポイント5”
『残り時間は3分! 前半に稼いだポイントを未だに守り続けているモーラAがこのまま耐え忍んで初優勝を飾るか!? それとも大技を未だに秘めているユーフェミアAが逆転勝利を納め、3大会連続の優勝を果たすのか!?』
熱を帯びたアナウンスに比例するように会場の声援も更に大きくなっている。
「このメシア・フォーエバーマークの防御力は、メシア女学園内でも最高位を誇りますわ。例え、メシア・マリアライトの必殺技でも3分は耐えてみせますわ!」
「良いでしょう。あなたの覚悟と決意、しかと受け止めました。私も全身全霊を持って答えましょう!」
自信に満ちたモーラAの台詞に触発されたのか、ユーフェミアAは不敵な微笑を浮べながら目を閉じると、右手に持つ長剣を天高らかに掲げる。
「紅蓮の劫火!」
勇ましく唱えたユーフェミアAの言葉に反応した長剣から赤い閃光が生じる。
「おいでなさいましたわね」
モーラAの笑みに陰りが混ざる。
それはいつも実演授業で見ている赤い発光よりも今日の方が一層に輝いていたからだ。
次第に長剣の輝きは炎と化し、いつの間にかユーフェミアAの金髪が可憐な赤色に染まっていた。
「行きます!」
全身に炎を纏ったユーフェミアAは長剣を大きく振りかぶりながら、勢い良くモーラAに向かい走り出す。
「防ぎ切りますわ!」
ユーフェミアAの攻撃に対し、モーラAも一歩も動かず、これから繰り出されるユーフェミアAの攻撃を全て受け止めようと、大きな盾を持つ左手に強く力を込める。
『さぁ、お互いのメシアを最大限に活かした攻撃が真っ向からぶつかり合う! モーラAが耐えるのか!? それともユーフェミアAが貫くのか!?』
ユーフェミアAが振るう長剣とモーラAの盾が激しくぶつかり合う度に大きな衝撃音が響き渡る。
同時に熱風が会場中に吹き荒れると観客席に居る生徒たちの髪を激しく揺らす。
全く譲らない両者の攻防に、いつの間にか観客は声援を忘れ、固唾を飲んで見守っていた。
2人の攻防に何の進展も無いまま、気付けば試合終了まで残り10秒を知らせるカウントダウンがメインモニターに表示されていた。
9…拮抗状態が保たれる。
8… 7… 6… 繰り返されるユーフェミアAの攻撃を受け続けるモーラAの大きな盾に僅かな綻びが生じる。
――これくらいの綻びならば、残り5秒くらい耐えられますわ!
モーラAは勝利を確信した安堵の笑みを溢す。
5… 4… ユーフェミアAの全身を覆っていた全ての炎が長剣に乗り移ると、今までの炎とは比べ物にならない火力が長剣から沸き発つ。
3… 2… 僅かな綻びを見逃さなかったユーフェミアAはその隙を狙って一点集中する。
パキンッ! 限界に達したモーラAの盾から鈍い異音が鳴ると、それを合図に大きな盾は一瞬にして粉々に砕け散る。
「そ、そんな…」
1……… メインモニターのカウントが停止した。
会場の中央から端の壁まで派手に吹っ飛ぶモーラAを確認した審判員が「K.O!」と大きな声で判断すると、試合の終了を告げる鐘の音が会場中に響き渡る。
固唾を飲んで見守っていた生徒たちが我を取り戻したように、割れんばかりの歓声と拍手が沸き起こる。
『試合終了ーー! 今年の春季メシア競技評価大会の優勝者はユーフェミアAだーーーー!』
興奮を抑え切れないアナウンスと共に、会場からは勝者への祝福と敗者の健闘を称える大きな拍手が送られ、今年も無事に春季メシア競技評価大会は終了を迎えた―――
旧アメリカ合衆国・アレクサンドリア地区にあるアマリリス部隊附属・メシア養成機関。
通称、『メシア女学園』
名の通り、この学園は西アメスト共和国の指定を受け、アマリリス部隊が直属に設立した将来有望なメシア使いを育てる為の専用アカデミー。
しかし、このメシア女学園にはメシアを扱う者以外にも、医療や整備、研究開発など様々な分野を国家のトップレベルで学べる施設が設けられているとあって、将来有望な多くの女子生徒が通っている。
そんな学園内では、メシアを上手く扱える者だけが所属できる『クラスA』と呼ばれる組織が存在する。
そんなクラスAに所属する生徒たちは敬意を持って、皆から名前の後部にAの称号が付けられ呼ばれていた。
メシア女学園でトップの成績を常に収めながら、同時に生徒会長も務めているユーフェミアAもその一人――
※※※
「失礼します」
試合の時と同様に、気品溢れるユーフェミアAの美声がメシア女学園の代表室の前で静かに響く。
「どうぞ」
落ち着いた女性の声を聞いたユーフェミアAはそっと代表室の扉を開ける。
すると、そこにはユーフェミアAをそのまま大人にしたような高貴な雰囲気を醸し出す女性が椅子に座り、ユーフェミアAの到着を待ち構えていた。
「お呼びでしょうか、メアリー学園長」
「まずは優勝おめでとう。流石は私の自慢の娘です」
「ありがとうございます」
母親の笑みで褒めるメアリー学園長だったが、その表情にはどこか暗い影を潜ませていた。
そんな複雑な表情を浮かべる母親を、実の娘であるユーフェミアAはすぐに察した。
「何かありました?」
「はぁ… やはり、あなたには隠せないですね」
深い溜息と共にメアリー学園長は自虐的な笑みを浮かべる。
「早速で悪いのですが、先ほどアマリリス部隊・総本部より“マギーQの捜索依頼”が届きました」
「マギーQ…クリストファー教諭が亡くなったその日に失踪した彼女を……今更ですか?」
「えぇ…本来ならばアマリリス部隊の方で行うべき案件なのでしょうが、半年前から北米で大量発生しているTVの鎮圧が未だに治まらず、人手が足りないようなのです」
そう言いながら、メアリー学園長は冴えない表情を浮かべたままアマリリス部隊のロゴが入った書類を机の上にそっと置く。
書類を手に取ったユーフェミアAも内容を確認するが、メアリー学園長が言った以上の内容は書かれていなかった。
「事情は分かりましたが… どうなさるおつもりで?」
「本当はお断りしたいところですが…アマリリス部隊の、しかも総本部から直々の依頼となれば従う他ありません」
ユーフェミアAの質問に、冴えない表情を続けるメアリー学園長はそっと新たな書類を自分の机の上に出す。
「そこで、私の方でマギーQの捜索メンバーを選抜しました。本当はあなたにも参加して欲しいところなのですが、生徒会長が学園を長期留守にする事は得策ではないと判断しました」
メアリー学園長が提出した紙には、副会長のルーチェルA、書記のモーラA、一般生徒のミユキH、そして“クラスQ”からサラサQの名が書かれていた。
――クラスQ!?
クラスQの文字を確認した瞬間、ユーフェミアAの端整な顔が自然と歪む。
「ミユキHにはマギーQが潜んでいると思われる地域の案内をして貰います」
「それは良いのですが…何故、クラスQの生徒も同行させるのですか?」
クラスQは学園内でも特殊な存在で、他のクラスとは常に別行動を取っている。
生徒会長であるユーフェミアAでさえも、一度だけクラスQのリーダーであるマギーQとメシア女学園創立80周年の記念式典に見掛けた程度だった。
故に、クラスQの実力は愚か、そのメンバーの容姿さえも全く知らない。
「あなたはクラスQに関して、どれ程の情報を知っていますか?」
「確か…クラス全員が奴隷出身だとか…」
歯切れを悪くしながら答えるユーフェミアAに対し、メアリー学園長は軽く頷く。
「そうです。マギーQを含む彼女たちクラスQ13名は全員が奴隷出身のメシア使い。だからという訳では無いのですが、一般生徒たちとは別行動を取っています。だから、あなたも彼女たちの強力さを知らないのは当然ですね」
クラスAこそが学園内で最強のメシア使いだと誇っているユーフェミアAからすれば、少々聞き捨てならない言葉だった。
「私たちクラスAよりも強いと?」
「戦術やメシアの相性で戦局は随分と変化するでしょうから、一概には言えません。ただ、彼女たちの実力を常識で考えない事をお薦めします」
具体的な明言は避けたものの、ユーフェミアAの瞳にはメアリー学園長が何か大切な核心部分を隠しているように映った。
「それは…」
「兎に角、明朝7時にメンバーをここに集合させます。あなたも立ち会ってください」
ユーフェミアAの質問を掻き消すようにメアリー学園長は強引に会話を終わらせた。
そんな母親の姿を見たのは初めてだ――
――クラスQ…言われてみれば、一度として彼女たちの実力について考えた事すら無かったですわね。
学園内で圧倒的な戦闘力を誇り、クラスAの卒業生は全員がアマリリス部隊の中でもエリートの証である“総本部”に所属している。
そんなクラスA所属の私たちよりも強いだなんて…俄かには信じ難いですわね。
⇔
メシア女学園から遥か南に位置する旧メキシコ領土・メリダ地区。
高台からは壮大なメキシコ湾が一望でき、西暦時代には港町として栄えていた。
しかしTVが大量発生したシウダービクトリアから比較的近い地域だった為、このメリダ地区でも多数の住民がTVの犠牲となった。
その悲劇をいつまでも忘れないようにと街の中央部には大きな慰霊碑が建てられている。
しかし、住民の殆どは避難したまま戻って来ていないまま既に何十年も経っている。
閑散としたメリダの路上を、茶色いローブを纏った旅人がひとりで歩いている。
旅人は茶色いローブのフードを深く被り顔を完全に隠していた。身体は幾分か小さく、まだ成長過程の少年か、或いは女性にも映る。
そんな旅人は迷う事無く古びた木製建ての酒場に入る。入口の看板には“Astra Bar”と書かれた看板が斜めに歪んだ状態で辛うじてぶら下がっている。
“カランコロン”とドアに付けられている呼び鈴が軽やかに揺れる。
「いらっしゃい」
白髪混じりで哀愁を漂わす中年マスターの声が店にそっと響く。
旅人は未だにフードを深く被ったままで迷う事無くカウンターの1番隅の赤い椅子に座る。
マスターの背後にはウィスキーやウォッカ、テキーラなど様々な種類の瓶が並べられていた。しかし、そのどれにも白い埃が被っていて、もはや年代物というよりも骨董品と化していた。
TVの襲撃で著しく人口が激減したアメリカ大陸では科学工場や繊維工場など様々な製造工場が稼働を停止している。
故に現在のアメリカ大陸全土に渡って深刻な物資不足が蔓延していた。
TVは主に人類や家畜など生物を襲う習性があり、建物や機械には全く興味を示さなかった。だから、工場内にある設備等は今も正常な状態で保たれている。
しかし、その設備を扱える作業者が存在しない。仮に居たとしても、次に問題となるのが電力だ。現状として西暦時代から使用している旧アメリカ原発1基と旧メキシコ原発1基だけでアメリカ大陸全土の電力を賄っている。
しかも、その受容の殆どが一般家庭内の電力しか想定しておらず、大きな工場を稼働するには更に他の原発も稼働しなければならなくなる。しかし、当然ながら西暦時代に製造された核燃料には限界があり、新たな核燃料の製造をする技術を西アメスト共和国は持ち合わせていなかった。
圧倒的な人口不足と技術不足。
そんな状態にも関わらず呑気に酒造する工場などあるはずが無く、このA.C時代の殆どの酒は小さな酒蔵を所有していた個人経営の手作りだ。
この店の裏側にも大きな倉庫があった。恐らく、その中でお手製の酒を造っているのだろう。
そんな状態だからA.C時代に入り、酒は貴重品となり随分と値段は高騰している。だから、こんな酒場で堂々と酒を飲めるのは金を持て余す貴族か、羽振りの良い賞金稼ぎ位な者だ。
店内には年代物のピアノトリオが、この街が繁栄していた西暦時代を惜しむように流れていた。西暦時代を全く知らない者でさえ、不思議とノスタルジアへと誘われる。
「…マスター。いつもの」
未だにフードを深く被ったままの旅人は、まだ幼さの残る女の声質で注文する。
マスターは予め分かっていた様子で微笑を浮べると、旅人が注文した“いつもの”酒を小さめのコップに注ぐ。
女はカウンターの角に置いてあるテレビを確認するが、画面には何も映っていない。
西アメスト共和国を統治したアマリリス部隊は、すぐに情報統制の徹底を図った。その為、アメリカ大陸全土にあった電波塔は破壊またはアマリリス部隊の配下に置かれ、普段は何の放送もされていない状態が通例となっている。
つまり、アマリリス部隊から重要な情報が流される場合に限り、テレビを通して西アメスト共和国全土に放送される。ちなみに前回、テレビが放送されたのは9年前。アマリリス部隊の頂点に長年君臨していたヘレン・エリザベート元帥が死去された時だった。
「はい、いつものシェリー酒」
マスターはそっと女の前に薄黄色の酒が入った小さなコップを差し出した。
シェリー酒の入ったコップを手にした女は躊躇なく一気に飲み干す。
その時、勢い良くドアが開き“カランカランガラ”と今にも割れてしまいそうな呼び鈴が店内を騒がせた。どうやら、新たな客が入店してきたようだ。
厚底ブーツの踵を引き摺りながら入って来る足音。女が思わず注目してしまう程に時代遅れのウエスタンな格好で揃えた男たち4人が我が物顔で入って来た。
そんな男たちは店の中央にある丸テーブルに腰を掛けると随分と髭を蓄えた男がガサついた声で「マスター、ビールを4杯くれ!」と大きく手を振りながら注文する。
2杯目のシェリー酒を女の前に置いたマスターは、すぐに大きなジョッキを4つ同時に器用な手付きで取り出すと手慣れた様子でビールを注ぎ始める。
「それよりも兄貴。次の仕事はどうするよ?」
注文した髭面の男がぼやくように仕事の話しを切り出す。
「そろそろデカイの行きてーな」
同調するようにスキンヘッドでサングラスを掛けた男も続く。
「デカイ物件か…」
男たちから兄貴と呼ばれる男は無精髭を擦りながら意味あり気に宙を眺める。
「何だ兄貴、何か宛てでもあるのか?」
「あるにはあるんだが… ちょっと怪しい物件なんだよ」
「怪しいって?」
歯切れの悪い物言いに子分たちの表情も曇る。
「そうなんだよ。内容自体は“麻薬密売業者の確保”と平凡なんだが… その割に賞金額が随分と高額なんだ。確か、50万ドルだ」
「50万ドルだって!? なんだよ、そんな高額なら良いじゃねぇか」
具体的な金額を聞いたスキンヘッドの男が思わずサングラスを外して驚く。
「だからサンタナは馬鹿なんだよ。冷静に考えてみろ?」
そこで初めて唯一の白人で細身の男が、淵の無いメガネを掛け直しながら口を開いた。
「そうね。それはちょっと怪しいわね」
今まで男同士で会話していた中、不意に女性の声が自然と会話の中に混ざって来た。
「―――!?」
男たちは“誰の声だ?”と言わんばかりにお互いの顔を見合わせる。当然、皆は首を横に振りながら困惑の表情を浮かべる。
「もうちょっと詳しく聞かせてくれるかしら?」
再び女の声が聞こえてきた。
男たちが一斉に女の声がする方角に視線を向けると、そこにはフードを深く被った女が馴れ馴れしく男たちが座っているテーブルに割り込むように座っていた。
「いつの間に!? あんた何者だ?」
不可解な表情を浮べながら兄貴と呼ばれる男が皆を代表してフードを被った女に問い掛ける。
「あなたたちと同じ賞金稼ぎよ」
女の台詞を聞いた男たちは一斉に立ち上がると、素早い動作で腰に掲げていた拳銃を女に向ける。
「随分と舐められたもんだな。俺ら賞金稼ぎにとって情報は大事な商品だ。それをどこの誰だか分からん奴に無料でやるとでも思うか?」
スキンヘッドのサンタナが顔を真っ赤にして怒りを表情に出すと、同じような表情を浮かべる髭面の男はサンタナに賛同するように何度か頷く。白人の男に関しては怒りを通り越し、呆れた表情を浮かべ嘲笑う。
4人の男たちに囲まれ、一斉に銃口を向けられた女だったが、特に怯える様子も見せず、椅子に深く腰を掛けたまま全く動く気配をみせない。
「あんた一体何者だ?」
「だから、あんたたちと同じ賞金稼ぎなんだけど…」
声を荒げるサンタナの問いにも、女は少し呆れた口調で同じ答えを述べたと思えば、その瞬間に女の姿が消える。
「グハッ!」
「ナッ!」
「ガッ!」
今まで銃口を向けていた3人の男が同時にその場で倒れ込む。
「何だ!? 何が起きた?」
兄貴と呼ばれる男が慌てふためきながら周囲を見渡している隙に、女は既に自分の真正面に立っていた。
「確かに、情報を無料で貰おうなんて都合が良過ぎたわ。ゴメンなさいね」
そう言いながら、女は今まで深く被っていたフードをそっと外し始めて素顔を晒した。
「女の子!?」
想像していたよりも随分と幼さの残る顔立ちに男は驚愕する。
日焼けしたような褐色肌に、肩まで伸びた赤毛の髪が優雅に靡き、その大きくて真っ直ぐな赤い瞳が男の全てを見透かすように向けられていた。
今までどんな修羅場を潜り抜けて来たのか、怯えて手が震えている男とは対照的に女は優しい微笑みを浮かべている。
「それじゃあ、さっきの情報をあなたの命で買うっていうのはどうかしら?」
女は微笑みを絶やさぬまま残酷な提案をすると、自ら持っていた銃を男の眉間に突き付ける。
生々しい銃口の冷たさを感じた男は更なる恐怖心が煽られる。
「わ、分かった! 情報を教える。だからその銃を降ろしてくれ!」
慌てた様子で両手を上げる男を見た女は素直に銃を降ろす。そんな女の油断した一瞬を見逃さなかった男は素早く自分の銃を女に向けて構え直す……
「やっぱりガキか! 油断し…」
――ピュンッ!
男が威勢良く何かを言いかけた瞬間、通常の銃声にしては些か軽い擬音が男の手を襲う。
カタンッと乾いた音を鳴らしながら、男が持っていた銃が地面に落下する。
予測していたような女の素早い行動に男は脱帽し腰を抜かす。
女が銃を構えた反動で羽織っていたローブがヒラリと舞い、その中が僅かに垣間見られると、男は更なる驚愕に襲われる。
「その制服! それに…その銃!」
男は撃たれた手の痛みよりも、女がローブの下に着ている灰桜色を基調とした制服を見て声を震わせる。
ローブの下から垣間見られる程度だったにも関わらず、男が見間違いなどするはずがなかった。それほどまでに、この西アメスト共和国では有名な制服だ。
それに女が所持している黄色い透明素材で出来た銃にも覚えがある。
「透明素材のパーツ… まさか、その銃はメシア!?」
実際に男がメシアを目にするのは初めてだったが、噂通りの特徴に男は確信する――同時に、この西アメスト共和国内で尤も逆らってはならない者だと理解した。
「あんた、メシア女学園の生徒か! しかもメシア使いのエリート学生!!」
まるで幽霊に出くわしてしまったような絶望感を漂わす表情は、既に戦意を喪失し恐怖以外の感情が見当たらなかった。
それを確認した女は、自分の素性が分かった以上はこの男が抵抗する事は二度と無いだろうと確信し、茶色いローブの中に自分の銃を仕舞い込む。
「くそーこの女、何をしやがった!」
タイミングの悪い事に、今まで倒れていたサンタナが徐に起き上がり、未だにはっきりとしない意識の中で再び女に銃口を向ける。
「待て、サンタナ。この女には俺たちが束になっても叶わねぇー」
兄貴と呼ばれる男は慌てて、未だに状況を把握していない仲間たちに制止を促す。
「この女はメシア使いだ! 命が惜しけりゃあ逆らうな!」
兄貴の危機迫る台詞を聞いた瞬間、意識を取り戻した男たちの背筋に悪寒が走り、銃口を向けていたサンタナの額には大量の冷や汗が溢れ、全身の力が抜けると構えていた銃が地面に落ちる。
「ビール4杯、お待ち」
今までの騒動に全く動じないマスターは何事も無かったかのように、ビールの入った大ジョッキ4つをテーブルに置き、そのままカウンターまで下がる。
「それじゃあ、さっきの情報を詳しく聞かせて貰いましょうか?」
先ほど男たちが座っていた椅子に、我が物顔で改めて座った女は人差し指で隣の空いている席を指す。兄貴と呼ばれる男は戸惑いながらも、女が指す空いた席に恐る恐る座る。
「そんなに怯えなくても良いわよ。何も取って食おうなんて思っていないわ。但し、情報を詳しく話して頂戴ね」
女は満面の笑みを男たちに向けるが、その瞳の奥には悪魔が宿っていた。
「へい、それが麻薬密売業者3人の確保が仕事の内容なんですが……」
怯えた兄貴は自然と丁寧な口調で説明を進めると、他の男たちも怯えながら同席に座る。
「その内容自体だと、この地域では珍しくない仕事ね」
「そうなんですが、気になるのは賞金額が50万ドルなんすよ。べらぼーに高いでしょ?」
この辺の地域は西暦時代の名残から麻薬の密売が盛んに行われている地域だった。
西アメスト共和国の犯罪を取り締まる組織であるアマリリス部隊は人員を出して取り締まりを行っているが、人手が足りていないのが実情だった。
そこで近年になり、アマリリス部隊は密売業者に対し賞金を賭けて、事実上の取り締まり業務を賞金稼ぎたちに代行させていた。
「通常の賞金首だと5千から2万ドルが相場よね… 確かに、怪しい物件ね」
「それが怪しいのは賞金だけじゃないんですよ~」
「どういう事?」
「これです」
眉を顰めた女に対し、兄貴は皺苦茶になった賞金首の情報が書かれた紙を机に出す。
「この懸賞を賭けた本元がアマリリス部隊の総本部なんすよ」
兄貴が紙を指差した箇所には、確かに“本元:アマリリス部隊・総本部”と記されていた。
このメリダ地区はアマリリス部隊の中でも北中米支部が管轄している。
本来ならば懸賞の本元も北中米支部が行うはずだ。
それにアマリリス部隊の中でも中央に所在する総本部はメシア使いしか所属出来ないエリート集団。そんな総本部がわざわざ密売業者という小者を相手にする暇があるとは思えない。
「いやいや、懸賞が懸かっている場所はこのエリアからまだ遥か南です。だから、通常の管轄は南米支部でっせ」
「南米…… 高額の賞金と総本部。確かに、何か裏がありそうね」
女は難しい顔をして様々な憶測を巡らせる。
「そこでどうでしょうか、姉さん。俺たちと組みませんか?」
兄貴が胡散臭いニヤケ顔で話を持ち掛けて来た。しかも勝手に“姉さん”と呼んでいる。
「あなたたちと?」
兄貴の唐突な提案に女は少し驚いた後に、あからさまに不満そうな表情を浮かべる。
「そうです。俺たちは賞金稼ぎの腕もありますが、情報収集にも自信があります。それに姉さん、足はありますか? この賞金首はここからかなり離れた場所に居ますよ。何でしたら俺たちの車で現場まで運ばせて貰いまっせ。取り分は7対3で充分です。もちろん姉さんが7で」
「7対3?」
女の眼が獲物を狙う蛇のような鋭い眼光で兄貴を睨み付ける。
「それじゃあ、8対2でどうでしょうか?」
そんな一方的な交渉を続ける兄貴に対し、堪らずサンタナから不満の声が上がる。
「何、勝手に話しを進めてんだよ、兄貴!」
そんなサンタナと他の2人を連れて兄貴は女に何度も会釈しながら一旦、女の前から遠ざかるように隣のテーブルに移動し、女に聞かれないような小声で話す。
「だからお前はバカなんだよ! 目先の利益に眩むとその先に眠る大金を見失うんだよ。いいか? 姉さんはメシア使いなんだぜ! そんだけ強力な人に末永く付いて行けば、将来どうなる? ポートなら分かるだろ?」
そんな兄貴の思惑にしばらく黙って考え込むサンタナに対し、話しを振られた白人のポートは何も言わず微笑を浮べながら一度だけ頷く。
「そうか! 俺たち食いっぱぐれずに済むぜ! なぁ、フルーム!」
「だから、ここで姉さんから信頼を得るんだよ!」
「流石は俺たちの兄貴! 天才だ!」
サンタナだけでなく、髭面のフルームも同意すると、どうやら話しはまとまったらしく、皆は満面の笑みで女が座るテーブルに戻って来る。
さて、交渉の再開だ。
兄貴が改めて話を始めようとした時だった。
「結構よ。場所さえ教えて貰えればあとは自分で何とかするから!」
速効で兄貴の提案は却下された。
「そんな~、姉さん冷たいぜ~。俺たちと姉さんの仲じゃないっすか~」
「どんな仲よ!」
「もう9対1で良いっす! どうか、お供をさせてくださいよ~」
半ば自棄になった中年の兄貴が幼さの残る面持ちの女に対し、何の躊躇いもプライドも見せず泣いて縋る。なんとも滑稽な光景だ。
「鬱陶しい!」
店内に女の罵声が響き渡る………
結局、男たちのしつこい誘いを断り切れなかった女は、渋々ながら男たちと行動を共にする事となった。
兄貴が外に停めていた黒いマスタングを店の入り口まで着けると女を助手席に乗せ、残りの3人が後部座席に乗り込む。
「それじゃあ、行きまっせ!」
兄貴のご機嫌な掛け声とは裏腹に不機嫌なエンジン音を鳴らしながら出発する。
「紹介が遅れやした。俺はこのグループのリーダーをしているクンと申しやす」
(リーダーが運転するの?)
多少の疑問を抱きつつも女はクンの話しを聞き流す。
「そして後部座席の右から情報収集のポート。ガンマンのサンタナとフルームです。姉さんには敵いやせんが、その辺のガンマンには負けない腕をしてやす」
何故かリーダーのクンが誇らしげに紹介する。そして紹介された男たちも満更ではない顔をしている。そしてしばらくの沈黙。どうやら自己紹介は一通り終わったらしい。
「それで現場にはどれ位で着くのかしら?」
男たちの一切に興味を示さない女は端的な質問を投げ掛けた。
「え~と、目的地はメデジンだから、ここから直線距離でも2400kmくらいはありますね。ぶっ飛ばしても丸1日は掛かりまっせ」
覚悟はしていたが随分と時間が掛かるようだ。
「分かったわ。少し寝るから安全運転で頼むわね」
「へい!」
クンの威勢の良い返事から数分、再びフードを深く被った女は眠りに付き――悪夢を見た。
1年前に起きたあの朝の出来事だ―――
――メシア女学園敷地内にあるクラスQ専用学生寮。
その日の朝は誰かの悲鳴で目を覚ました。
起床するにはまだ幾分か早かったが、すっかりと目が覚めた女はベッドの上で身体を起こす。
その瞬間、女の胸元に置かれていた1枚の紙がハラリと床面に落ちる。
「んっ?」
身に覚えの無い紙に多少の戸惑いを抱きつつも二つ折りにされた紙を拾い上げる。
開いてみるとそこには手書きで、馴染みのある文字が書かれていた。
~~この手紙を読んでいる頃、残念ながら私は死んでいると思います。
でも、重要な事は私の死よりもアマリリス部隊を裏で操る組織が存在するという事です。
だから、私からのお願いです。あなたは一刻も早くメシア女学園を抜け出し、この組織を裏で操る者を焙り出し、正義の裁きを与えて欲しいのです。そうしなければ、この西アメスト共和国は本当の意味で滅びるでしょう。
相手は一国を操る大組織。まずは好機が訪れるその日までに、あなたも自分の組織を形成しなければなりません。
メリダ地区にあるAstra Barに向かいなさい。そこからあなたの新たな冒険が始まるでしょう。
検討と幸運を祈っています。
我が愛しのマギーQへ~~
この癖のある文字は紛れも無くクリストファー教諭の物だった。
ただの奴隷だった自分を見出した命の恩人であり、メシア使いとして導いてくれた師。
(この手紙の内容が正しければ、先ほどの悲鳴は誰かがクリストファー教諭の亡き柄を発見した時の悲鳴か…)
手紙を読み終えたマギーQの眼には溢れんばかりの涙が溜まっていた。しかし今、この涙を流す事は許されない。他の誰でも無いクリストファー教諭からの命令だ。
(一刻も早くこのメシア女学園を抜け出さなくては!)
強く決意したマギーQはベッドから抜け出すとクローゼットから灰桜色を基調としたメシア女学園の制服を取り出す。本来ならば漆黒色を基調としたクラスQ専用の制服を着る所なのだが、今は洗濯に出している。
逃走するのだから本当は私服に着替えるべき所なのだが、マギーQは私服を1着も持っていなかった。諦めにも似た心境でマギーQは寝巻よりはマシとばかりにメシア女学園の制服に着替え、その上から全身を覆い隠すように遠征用の茶色いローブを羽織った。
そしてテーブルの上に置いていた黄色い透明素材の銃型メシアを腰に仕舞い込む。
廊下から先ほどの悲鳴を聞き付けた者たちが騒々しく行き交う足音が聞こえる。
3階から眺める景色は既に太陽が登り始め、爽やかな日差しが射し込むと蒼い海が鮮やかに輝いていた。そんな海の遥か先には地平線の変わりに漆黒にそびえ立つ壁がうっすらと見える。
そんな穏やかな景色を映し出している窓を全開にすると爽やかな風がマギーQの全身を流れる。
そんな風に身を任せるようにマギーQは躊躇う事無く飛び降り学園を後にした。
クリストファー教諭曰く、マギーQの冒険が始まった。