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口内に彼の甘い舌が侵入して来て私を弄ぶと、部屋に密な音が響き渡る。 どれくらいそうしていたんだろう? 離れた彼の唇には、キスの余韻が艶目かしく官能的に残っている。


「 こんな幸福がこの世に存在するとは思っていなかった 」


彼のその言葉に私の顔からはとびきりの幸福が溢れて、ふにゃりと緩んでしまう。 どちらからともなくクスクスと笑いが溢れて、おでこがピッタリとくっ付く。


「 愛してる、ラファエル 」

「 あぁ、随分前から知っている…… 私もお前を愛しているからな 」


私の黒髪に指を侵入させて最高の笑顔を見せてくれる彼の髪に、同じ様に手を添えてずっと二人でおでこをくっ付けて幸せな時間を噛み締めた。彼がさっきからずっと口の端を犬みたいにペロッと舐めているのは、永遠に内緒にしておこう。



ーー夜の帳に、鈍色が何よりも美しく輝きを与えてくれる。



ーーー



予定より随分遅くなった湯浴みの時間に、大きな湯船で何時もの様にピッタリと寄り添う。彼の胸に身体を預けて浸かる私はこの世界で今一番幸せだと自負出来る。


「 ねぇ、似合う? 」

「 あぁ、とてもよく似合ってる 」

「 んふふ 」


湯船の中に沈めていた手を上げると、親指に鈍色が嵌ってて、どうしても頬が緩んで幸せが口の端しから漏れてしまう。 後ろの彼に振り返ったそんな私を、酷く満足気に愛おしそうに笑って頬をなぞるラファエル。


「 貴方の指輪は私が贈るね 」


本当に私の事ばかり考えている最愛の彼は、自分の指輪なんて頭から抜け落ちていたらしい。 盲点だったとキョトンとしていた彼にお腹を抱えて笑ってしまった。


「 ねぇ、もしかして子供達が屋敷に来てたあの日、王都に行ってたのって…… 」


美味しいクッキーを焼いたあの日を思い出すと、心が疼く。 だって、彼は返事をすることなく、照れ臭そうに眉を下げて微笑んだから。


「 しかし予想外だったな…本当は渡す場所も日にちも決めていたんだが 」


苦笑いする彼をジッと見つめると、本当に照れ臭そうに笑みを返してくる。


「 ……何処で? 」


まさかそんなに計画を立ててくれていたなんて、全く気付かなかった。

彼は、言い淀むような表情をして目線を泳がした後、決意した様に口を開く。


「 ……夕暮れの海で、渡そうと 」


言った後プイと視線をそらしたラファエルの耳は真っ赤に染まって、私の心から愛がこみ上げて来て開いた口が塞がらさない。



ーーあの日、聞いていたんだ。



私が口に出していた、あの理想のプロポーズっていう言葉を。


「 ……っ、もう! なんて良い男なの⁉︎ 」

「 今は抱きつくな、今は辞めろ 」


裸体の私が恥ずかし気もなく、全力で身体を彼に向けてギュッと首元に腕を回して抱き着くと、淡々と引き剥がそうとしてくるラファエルの顔は真っ赤に染まって。 何時まで経っても湯浴みは照れくさいらしい、そんな堅物野郎が愛おしくて仕方ない。


「 愛してるわ、マイハニー! 」

「 マイハニーとは何だ? 」


似合わない言葉を真顔で復唱するラファエルに、声を上げて爆笑してしまう。


「 なぁ、前から聞こうと思ってたんだが 」

「 んー? 」

「 どうして最近鏡台の上にただの小石を飾っておるのだ? 」

「 ふふふ、変わった趣味だと思わない? 」



ーー湯船からはあの花の香りが二人の間に目一杯咲き誇っている。


ーーー



後日二人で足を伸ばした夕暮れの海で、ラファエルは律儀にもプロポーズをもう一度やり直してくれた。


私がふと思いついたあのプロポーズ像を、真面目な彼は一つとして零さず再現してくれた。 スザンナの心配は無駄骨になったらしく、靴や服が砂浜で汚れたって彼は何も気にしなくて、絵本の騎士様の様に私の前に跪いて、美しく仕草で左手を取り、永遠の愛を誓ってくれた。


「 私の妻になってくれますか? 」

「 ……はい、喜んで 」


涙の滲む視界の先には、雄大な海を染める美しい夕陽が沈みかけていて、それは、今まで見た夕陽の中で一番強烈に私の心残っているし、私と彼を優しい愛の色に染めた。



ーーー



小鳥遊 椿 は旧姓になった。


「 ヘルクヴィスト様⁉︎ 」


籍を入れたあの紙にはラファエルの名前の隣に私の名前が記されていて、ただの紙切れにしか思えないはずのそれが宝石よりも素晴らしい物に見えた。 城の皆も家族も王都の人々も劇団員も皆が祝福してくれた。


「 あの、ヘルクヴィスト様⁉︎ 」


後日届いた私の国民証には、既婚の文字とこの国の国民だと記す一文と、私の家族と最愛の彼と同じ名字になった私の名前が記されていて『 幸せになりなよ 』と綺麗な文字で書かれた紙が添えられていて、それが何時も背中を押してくれたあの人の執筆だと気付くのには時間は掛からなかった。


「 ヘルクヴィスト夫人‼︎‼︎‼︎ 」


病院で名前を呼ばれた時に結婚したんだと実感する。と、地球の女性達は言っていたけど、健康体の私には幸いにもそんな時は訪れていなくて、未だに実感が無かったりもする。


「 ……っ、ラファエル団長夫人‼︎‼︎ 」


ん、あれ? 彼の名前を呼んでる?

乗合馬車から降りて徒歩で、鎧の門番が警備している城門へ向かっていた私が後ろを振り返ると、さっき乗っていた乗合馬車に居合わせた女性がアタフタと焦って走りながら私に向かって駆け寄って来た。 ハァハァと息を切らした女性の後ろには、何故か一旦停止したままの馬車が見える。


「 ご夫人…っ、何度もお呼び致しましたのに 」


呆れ笑いをしながら、追い付いた事に安堵した様にホッとして笑っている。


「 ご夫人…… 」

「 異邦人様とお呼びするのも不躾ですし、だからと言って見ず知らずの私がお名前を叫ぶのも如何かと思いましてね、はぁ…っ、間に合って良かった! ご夫人がコレを落としていらっしゃったから 」


手に持っているのは確かに私のハンカチだった。そうか、ずっと私を呼んでくれていたんだ。


ーーご夫人って、何て心が弾む響きなんだろう!


「 ごめんなさい、まだ慣れてなくて……届けてくれて本当にありがとう 」

「 新婚の女性は皆そう言いますよ、私も暫くは慣れませんでしたから 」


和かに笑う女性に頭を下げると、懐っこい笑顔で手を振って馬車に戻っていく。 そんな女性に手を振りかえして笑顔で見送ると、馬車はまた軽やかに走り出した。


やだ、どうしよう……ご夫人だって! その言葉だけでワイン6本でも余裕で呑み干せてしまいそう!


「 あの、奥様……如何なさいました? 早くお城へどうぞ、スミー近衛騎士様が今か今かと奥様をお待ちでいらっしゃいますよ 」


ガチャガチャと音がして、トンと背中を叩かれたので後ろを向くと、門番の兵士が頬がめちゃくちゃ緩んでる私を不思議そうに見つめてから微笑んで城へといざなってくれる。


「 ……奥様? 」

「 え? えぇ、貴女様はラファエル騎士団長殿の奥様では御座いませんか。 何故いきなり改まって 」

「 ねぇ、私って人妻なんだよね⁉︎ 」


ガシッと鎧を掴む私を目をひん剥いて凝視している新兵の兵士。 以前から顔見知りのもう一人の兵士がクックと笑いを我慢して口に手を当てて震えて見ている。


「 えぇ、紛うことなく貴女様は人妻で、ラファエル騎士団長殿の奥様で御座いますが…… 」


人妻、めちゃくちゃエロい響きだ!

しかも奥様だって……あぁ、どうしよう。 私ったら何時の間にこんなに性格が豹変してしまったんだろう。


ーー幸せって、何て素晴らしいんだろうか。



ーーー


「 スミー! 久しぶりね! 」

「 椿ちゃん! …っ、最高に良い笑顔してんじゃねぇか‼︎‼︎ 俺の想像以上の百点満点だぜ! 」


興奮して肩を叩くスミーは何だかドラマで見た、親戚の酔っ払いみたい。 そんな彼に大きく頷いて、鈍色を誇らし気な顔で自慢する。


「 くー! 泣けるぜ全く…っ、あぁ!最高に似合ってるじゃねぇか‼︎‼︎ いやぁ、俺も肩の荷が下りたわ! 」


泣き真似をして豪快な反応をするスミーと、二人で満面に微笑み合う。


「 ありがとう、スミー 」

「 礼なんか要らねぇよ! その顔見れただけで此処に来た甲斐があるってもんだぜ⁉︎ っ、おめでとう椿ちゃん! 」

「 ありがとう! 」


バシバシ容赦なく肩を叩いてくるスミーは、これでも良いとこのお坊ちゃんなんだから世の中って不思議だ。


「 あぁ、今来たの? 」


廊下で馬鹿みたいに声を出して騒いでいた私達の前にアドルフが現れて、私は彼にも自慢気にドヤ顔で鈍色を披露する。 途端に呆れた様な顔をして、それでもふっと優しく微笑む。


「 君の国民証を発行したのは僕なんだから、自慢しなくても知ってるよ 」


冷静で素っ気ない口調とは裏腹に、アドルフは本当に優しい表情を浮かべてくれる。そんな彼が私の前に向き合う。


「 ありがとう、アドルフ 」


あの時も、そして今も……変わらず背中を押してくれてありがとう。そんな思いを込めた感謝の言葉をきっと彼は分かってくれる。


「 ねぇ椿、あの日の答えは見つかった? 」


アドルフに愛が分からないと言って泣いたあの日……何も分からなかったあの日の答えを、私はーー


「 見つけたわ。 そして、それは言葉では例えようもない程の素晴らしい物だった 」

「 へぇ、良かったね 」


素っ気ない癖に暖かい声で微笑むアドルフと、やはり全てを気付いていた様なスミーの穏やかな顔が見える。


愛って凄いんだね。ラファエルの為なら私は鬼にでも何にでもなれるし、世界中が敵にまわったって何とも思わない。 奥様、夫人、そんな風に呼ばれる幸せ、彼の名前の隣に私の名前がある幸せ……愛って。


伝えたい言葉が多過ぎて、先生に早く答えを言いたい子供みたいになった私が、焦って彼等に言い放った台詞は。


「 愛って、エロいんだね! 」

「「 ……は? 」」


ニュアンスを間違えて届いてしまったようだ。


「 まぁ、何でも良いんだけどさ 」


アドルフが心底呆れて苦笑いするなか、スミーは腹を抱えて床に這いつくばって爆笑している。アドルフがぽんっと私の頭に手を乗せる。


「 ……おめでとう 」



ーー色鮮やかな爽やかな風が廊下の中を優しく吹き抜ける。



「 ラファエルが君を待ってるよ。 どうせ二人で一緒に帰るんでしょう? 」

「 はぁ⁉︎ 二人とも帰さねぇぞ! 今日は朝まで祝賀会しようぜ! 」


歩き始めた二人の後ろ姿を見ていると、心に花が満開に咲き誇った。


「 おいおい、ラファちゃんに斬り殺されちまうぜ⁉︎ 」


二人の真ん中に駆け寄ってガシッと腕を組んだ私に、スミーが歯を見せて顔を綻ばず。 アドルフはされるがままで腕組みをしてくれている。


「 朝まで呑もうか! 4人で朝まで呑んだのなんて随分前だし、ね! アドルフ! 」

「 そうだねぇ、なら酒の用意でもしておこうか 」


賑やかな和気藹々とした男女の声が、城の厳格な廊下の中に響き渡る。



ーー結局その日は爽やかな朝の日差しが登る前まで、散々4人で延々とお酒を酌み交わした。










私は恋を知って、愛を知った。

友達が出来て、 仲間が出来た。

兄弟と両親が出来て、気付けばいろんな人の笑顔が私のすぐ側に咲き乱れていた。








ポチはちゃんと、愛を教えてもらう事が出来たよ。










移り変わるいろんな季節と、他愛ない幸せな日々を、最愛の人の隣でずっとずっと過ごして行こう。 だって、私の親指には永遠に外すことのない鈍色の首輪が嵌められている。





野良猫は愛を知って、あまりの居心地の良さと幸福に、その鈍色を輝かせて永遠に良い子にしていると、私は心の底からそう思える。





「 それにしても、ヘルクヴィスト・椿って随分と語呂が悪い名前になったねぇ 」

「 おだまり! 狐野郎! 」







『ヘルクヴィスト・ラファエル』

その名前の隣には、私の名前。


『 ヘルクヴィスト・椿 』

その名前の隣には最愛の人の名前。







結局、うだうだ何を言ったって仕方ない。 私がただ伝えたい事はただひとつ。












愛してるよ、ラファエル。












〜私の名前の隣〜

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