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夕食を終えて湯浴みをする前の、月夜の美しいそんな時間帯に私は一人でミシェルが土産で買って来てくれた白ワインを嗜む。
「 あー、どうしようかしら 」
月をボンヤリと眺めながら独り言を呟く私の手には、何度も読み返したあの物件の詳細が記されている少しクシャクシャになった紙が握られている。
「 あ、ラファエルに言えばいっか 」
そうだ、そもそもそんな考え込まなくても彼に言えば早い話じゃないか。 頬杖をつきながら目線の先の書斎への扉をボケーっと眺める。 案の定、彼はこんな時間までまた書斎に篭って仕事をしているらしい。その癖、湯浴みは二人ですると煩い彼のために私は今だにマテを喰らっている。
「 ……どこに連れてってくれるんだろうな。 お前が喜ぶ場所ってどんなところなんだろう 」
にやける顔を抑えながら、私はあと数日に控えてるデートに思いを馳せる。甘い溜息がついつい漏れてしまうのも仕方ないだろう。 何時もならどこに行くか教えてくれるのに、今回は何故か教えてくれなくて、お前が喜ぶ場所だと思うとそんなヒントしかくれなかった。
ずっと一緒に過ごして来たラファエルの自室をグルリと一周見渡す。 煉瓦の暖炉……そしてその前に置かれた豪華なテーブルセットもロッキングチェアも、寝室へと繋がる扉も、書斎へと繋がる扉も、開けっ放しにしている大きなテラスへと繋がる大窓も……どんな場所にだって大切な思い出がある。
寂しい、寂しい、寂しい。
そんな思いだけがどうしてもこの心から離れてくれない。
「 どんな部屋にしようかな…… 」
彼に用意する書斎は完璧に掃除しよう……そう言う楽しい事を今は考えておかなきゃ。 家族と離れるってのはこんなにも心が張り裂けそうな物なんだな。 私は余りにも誰かと暮らすことに慣れてしまったのかもしれない。 帰ったら既に灯りがついていて、椅子の取り合いをして、食事を囲みながら一日の報告をし合って……そんな暖かな時間を、この何年か当たり前に受け止め過ぎていた。
「 ま、頑張るか 」
決意を新たにして私は残りのワインに手を付ける。 夜の湿った風が部屋の中に入って来たその時、やっと書斎から彼が騎士装束のままの姿で出て来たから、私は何時もの様に心が安らぐ紅茶をカップに注いでテーブルに用意する。
「 すまないな 」
何時もの様に穏やかな声でそう言った彼は、やっと一息つけると溜息を吐いて紅茶に口を付ける。 それを見た私はそんな彼から視線を逸らして、月が綺麗に見える窓の外を見つめる。 風が優しく吹いて、秋色と黄金の絹糸で彩られたカーテンがそよそよと揺れている……そんな時だった。
「 おい…… 」
本当に突然、穏やかだった二人の間の空気が張り詰めて、彼の困惑した様な低い声が私に声をかけてくる。
「 ん、なぁに? 」
ゆっくりクルッと振り返ったその視線の先には、唖然と固まって何故か顔色が良くないラファエルが居て、その手には先程の紙が握られていた。 なんだ、気付いたなら説明する必要もないか。
「 あぁ、それね? 知らなかったんだけど、家を借りるのってこの王国の国民であるフォルシウス王国民証明書ってのが必要らしいわね……私って、それ発行してもらえないのかな? 」
立ち竦んでる彼を頬杖をつきながら見上げると、何故かサッと血の気が引いた彼が戸惑った様にアタフタとして、こめかみに手を当て動揺している。
「 ……え? 待て、何だ?……状況が全く掴めん。 何だ?何がどうなってる⁉︎ 」
「 え、何をそんな焦ってるの? 」
珍しいくらい動揺を隠せない彼が心配になって、届く距離にいた彼の手首を摩ると眉を下げて唇を強く結んだ彼が慌てて私の足元に回って来てしゃがみ込む。
「 私はお前に何か嫌な思いをさせていたんだろうか……? 私はまた何か選択を間違えたか? お前を傷付けてしまったんだろうか 」
何でこんな縋り付く様な暗い顔をしているんだろう?
「 へ? そんな訳ないじゃない。 貴方は何時だって私を大切にしてくれているし、この上なく幸せよ? 」
「 なぁ、椿……では、何故お前は家なんぞ探しているんだ? そもそも、何時から探していたんだ? 」
「 何時からって、もう随分経つけど……え、どうしてそんなに困惑してるの? 」
「 ……っ! もしやお前が度々王都に出向いていたのはコレの為か⁉︎ 」
信じられない位焦った顔で私を見上げているラファエルは、私の手をギュッと握っていて、そんな彼を見ながら質問にコクンと頷くと完全に彼の顔から輝きが消えてしまった。
あれ、何かこの状況が掴めない。
「 なぜ私は気づかなかったんだ。 何故、気付けなかった…… 」
後悔が滲み出ているラファエルの声に今度は私が困惑してしまった。落ち着かせようと両頬に手を添えると、その手に右手を添えた彼がギュッと私の手を掴む……その手が酷く震えていた。
「 私は、お前を大切に出来ていなかったんだろうか…… 」
「 してくれてるわよ! ねぇ、どうしたのよ… 」
「 お前は、私が、好きか? 」
「 何言ってるのよ⁉︎ ……大好きに決まってるじゃない! 」
「 ……なら、何故ーー 」
どうして彼はこんなに絶望した様に瞳の色を喪ってしまってるの?
「 何故、お前はこの屋敷から出て行こうとしていたんだ… 」
ラファエルは何かを勘違いしているの? ……別の男と住むと勘違いしているんだろうか。 あぁ、だからこんなに絶望してるんだ。 違うのに、私には貴方しか見えていないのに。
「 何故って、一人で暮らして行くために決まってるじゃない 」
帰る実家なんてなくて、敷居を跨ぐ事も許されなくて小学生で一人で放り出されたあの頃と違って、今は帰ることの許される大好きなこの『実家』がある。 だから、幸せな気持ちで一人で暮らす家を探して、遊びにやって来るラファエルのために出来たての手料理と、彼専用の書斎を作ろうと思っていたのに……何故、何かが腑に落ちないんだろう?




