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私の名前の隣



「 どんな生活が待ってるんだろう…… 」


朝からの稽古に出かける前にわざわざ屋敷を早く出て、南区のあの石畳の外観をボーッと眺める。 いざ屋敷を出て行くとなると、心は曇った様に暗くなる。


「 とにかく、入居した日に隅々まで掃除しなきゃね 」


潔癖症の恋人のOKサインを貰わないと、あの人がまた石像みたいに動かなくなるのは目に見えてしまう。



ーー見上げた空は、絵の具の様に鮮やかな水色で私の視界に入り込んでくる。



ーーーー

ーー




「 え、そんなのあるの⁉︎ 」

「 当たり前だろ? 寧ろ椿さんが発行して貰ってなかった事の方が俺には驚きだわ 」


いつぞやの食堂を営む女店主のあのお店で、劇団仲間数人と遅めの昼食を囲む。 目の前には三番目に人気だという肉じゃが定食がホクホクと湯気を立てて少食の私ですら食欲を唆られていた………のに。


「 ギルシュさん、良かったら白米のお代わりする? 」

「 あぁ! ありがとうなオバちゃん 」

「 そういう時はお姉さんだろう⁉︎ 世渡り術ってのは男は学んでなきゃいけないよ! 」


空になった大きなお椀をギルシュの前から取って、唖然としてお箸を持ったまま固まる私のグラスにお茶を注いでくれる。


「 この国の国民は産まれたら直ぐに城に出生届を出して発行してもらうんだよ。 日常の色んな時に必要になるからねぇ……例えば、家の貸し借りなんて時もね 」


エプロンをつけてこちらを見る女店主さんの顔を凝視した私は、開いた口が塞がらない。


「 う、そ…… 」


私の驚きの吐息を聞いた仲間達が口々に喋り出す。


「 お偉いさんの事はよく分かんないけど、椿さんは異邦人様な訳だし、もしかしたら特別な何かを発行してるんじゃないの? 」

「 家の貸し借りは滅多にないだろうけどさ、例えば椿さん医師に掛かったりとか国外に出たことないの? そういう時は必要になるから気付くと思うんだけどね 」


医師にかかったこと……城で何度かある。でも、あのお医者様は城の専属のお抱え医師だったし、そもそも国外に出た事なんて勿論ない。


「 ……知らなかった。 と言うか、気にした事さえなかったわ 」

「 椿様はあのシャノワーヌ侯爵とお知り合いなんでしょう? そういうのって大臣様なら御存知だと思うわよ? 国の政の中枢にいらっしゃる尊い御方な訳だしさ 」


シャノワーヌ侯爵……あの狐男か。

いや、あの男を挟むと何かとややこしくなりそうな気がして仕方ない。


「 駄目、あの狐は私に慈悲なんて与えないわ…… 」

「 狐って、もしかしてシャノワーヌ侯爵様のこと言ってるの? 辞めてよ椿さん、私たちまで不敬罪で処罰されちゃうじゃない 」


目の前の仲間達は背筋が凍った様に、呆れながら笑って食事を進めている。


「 そうなんだよな、椿さんはこう見えて国賓扱いの御方なんだもんなぁ〜普通なら俺ら平民が食事を囲むなんて歴史が動く出来事だろうに 」

「 最初は見た目も神々し過ぎて、話すのも躊躇したのに……あの時の緊張返して欲しいわ 」


口々にそう言ってる仲間達の声が、驚きのあまり耳からただの音になって通り抜けて行ってしまう。



あぁ、なんてこった。



ーーー


そもそも、そんな地球みたいなシステムがあるなんて聞いてない。違う世界なのにどうしてそんな面倒なシステムは共通してるわけ?


「 ……はぁ、めんどくさい 」


アッサリ契約出来る物だと思っていたのに、まさかそんなものが行く手を阻むなんて予想だにしてなかった。稽古が終わった夕方に、城の中をトボトボ歩く私からは負のオーラしか出ていないだろう。


「 何、ヤケに落ち込んでない? 」


にゅっと私の顔の前を遮ったのは、眉を顰めたアドルフの顔だった……彼の身なりを見れば、この国の政の中枢にいらっしゃる大臣の尊い装束とマントに身を包んでる。 アドルフに聞けば早いってのは重々承知した、けど。


「 別に何でもないわよ 」

「 ふぅん、あっそ 」


気が向いたから聞いただけのアドルフは、私のその返事に本気で興味なさそうに言葉を返し、何故か私の手をチラッと何度か見てくる。


「 え、何よ? 」

「 別に何でもないけどね 」

「 ふぅん、あっそ 」


呆気なく視線を逸らしたアドルフは、装束の羽織を捲りそこから懐中時計を取り出して時間を確認する。そして何かを思案する様に顎をさすった後に悪い顔でニヤリと含み笑いしてこちらを見て来た。


「 椿が不貞腐れている時は大概楽しい事が起こるからねぇ……僕で良かったら話を聞いてあげようか? 」

「 いいえ、御遠慮しておきます 」


ブスッと不貞腐れて睨むと、珍しくふにゃりと顔を優しく崩して懐中時計を羽織の中のポケットに仕舞い込む。


「 冗談だよ。 ラファエルが勤務を終えるまで少し時間があるから良かったら僕の書斎で待っていたら? 僕ももう今日は終わったしね 」


結局優しいこの狐男はやっぱり女の扱いに慣れているし、美味しい所を持っていくこんな男だからこそ女性にモテてその方面には困らないんだろうな。


「 うん、待ってる…… 」


素直にコクンと頷いた私を見ながら穏やかな声で笑うアドルフについて行って、結局何にも相談せずにラファエルと共に屋敷に戻った。



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