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目一杯に深呼吸して


朝の爽やかな香りが、病の消えたこの健康な身体いっぱいに広がる。 日本にいた頃はこんな朝早くに外に出て新鮮な空気を目一杯深呼吸して感じるなんてしたことは無かった。


そして、隣には穏やかに寄り添う優しい目つきの悪い人。



「 まだ城に向かわなくて良いの? 」

「 あぁ、昼過ぎに着けば良いからな 」


読んでいた本をそっと閉じて彼を振り向くと、ずっとそんな私を見つめてたのか視線がすぐに重なって、甘い手付きで私の髪を梳かす。 何となく心が疼いて、そんな彼の肩に顔を寄せるとどうしてか頬が緩んでしまう。



屋敷のあの場所も今となっては嫌いではないけれど、同じ様に私とあの子の名前の花が咲き乱れるこの小高い丘は、ラファエルが私にあの花と心を贈ってくれた思い出の場所。


ーー時々こうやって、人目を忍ぶ様に二人でゆっくりと甘い時間を過ごす。


昼から仕事のラファエルと、昼過ぎから稽古のある私だけど二人で過ごす時間を疎かにした事はそういえば一度たりともない気がする。


「 なぁ、椿 」

「 ん? なぁに 」


顔を上げると潤んだ色っぽい瞳が私を射抜いて、大好きな彼の手が私の顎をそっと支える。


「 …んっ 」


朝から濃厚な口付けなんて如何かと思うけど、角度を変えて何度も私を貪りつく彼は何時だって最高に甘い男だ。 唇の端から漏れる私の甘い吐息に心底満足気な瞳をしている。


「 稽古が終わったら真っ直ぐ帰って来い……良いな? 」

「 はい 」


素直に返事をするのは、きっとラファエルにだけ。 野良猫を唯一手懐けた蛇男はその返事と私の染まった頬に余裕そうに笑いを溢す。 仕方ない……本当は南区に寄って、この国の素晴らしい景観に似合うあの建物を見に行こうと思っていたけど、早めに帰って、最近手芸に嵌ってるカロラナ様のお手並みでも拝見しながらこの人の帰りを良い子にして待っていよう。だって、良い子だと褒めてキスをして欲しいから。


私も何時の間にか馬鹿げた女に落ちてしまったもんだ。 でも、悪くない。



「 なぁ、椿……楽しみだな 」

「 えぇ、もう少しね 」



二人だけで遠くへ足を伸ばす久しぶりのデート。 気付けば今月も終わりに近づいて、楽しみにしていたその日はもう時期訪れる。 南区のあの建物はまだ空きが残っているらしいし、デートから帰って来たら本格的に動かなきゃ……ラファエルはどんな反応をするだろう?


家族と離れるのは本音はとても寂しいから、無意識にあの人達との時間を第一に優先してしまっている。 でも、あの人達はきっと遊びに来てくれるだろうし、泣き言なんて言ってちゃ駄目だ。


「 ……あ 」


風が吹いて花びらが舞う。

手を差し出すと掌の中に花弁がヒラヒラと落ちてきた。あの子と私と……そしてあの子の可愛い愛娘と同じ名前の花の花弁。


「 ロビィリャはピンクかしらね 」


あの子が白で私が赤なら、きっと天使のような可愛い赤ちゃんは優しいピンクのあの花が相応しい……あの子はどんな眼差しで愛娘を見つめているんだろう。 そこにはやっぱり『愛』が宿っているんだろうか?


産みの母親は何故、私を愛してくれなかったんだろう……何が、いけなかったんだろう。



ーー私は想像すらつかない我が子を愛せるのだろうか?



あの人の様に憎しみを抱き、暴力で支配してしまわないだろうか……私は、怖い。 自分があの人の様な母親になってしまうんじゃないかと思うと背筋が凍る。 あれ、でも何でまた私は我が子なんて未知なものを想像してしまったんだろう。


「 椿 」

「 ん? 」


耳元で聞こえて来た彼の声に視線を向けると、目の前に赤い花が映り込む。 それを手に持つ彼の顔はやっぱり穏やかで。


「 私はお前が好きだ 」


いつかのあの頃の様な強い眼差しと心の篭ったその言葉に、鼓動が信じられないほど飛び上がる。




ーーあぁ、私はこの人の温もりがそばにあるからあんな事を考えてしまったのかもしれない。




「 私も貴方が大好きです 」

「 あぁ、知ってる 」


擽ったくて肌触りの良い彼の頬が、ピッタリと私の頬にくっ付くのが幸せで堪らない……互いの耳に揺れるお揃いの宝石の装飾が嬉しそうに音を立てる。


「 今日やっぱりラファエルと一緒に出ようかな。 稽古場に早乗りする 」

「 そうか、なら稽古場まで送ろう 」

「 ありがとう……その方が貴方と長く一緒に居れるものね 」


私の言葉を耳元で聞いたラファエルが、本当に嬉しそうに私の頬とおでこ……そして唇に甘い口付けを落とす。



今日はおとなしく良い子に過ごすとしよう。



ーーー




甘い蜜な情事の後の恋人達も、今の私の様にこんな幸せを噛み締めているものなんだろうか?


「 眠いのか? 」

「 ううん、心地良くて幸せなだけよ 」


微笑みながら私の頬をなぞるラファエルの腕の中に甘えながら擦り寄る。 彼はそんな私を目一杯に宝物みたいに抱き寄せてくれる。


日本に居た頃、私の恋人と言う肩書きを持った男達は、情事の後『 可愛かった 』『 好きだよ 』なんて嘘臭い顔で私を見つめていたけど、そんな顔をしながらも他の女から届く筈の連絡を鼻の下を伸ばしながらチラチラと携帯を気にして待っていた。 私はそれを悲しいとも虚しいとも思わなかった。


「 手芸ね、してみたんだけと意外と面白かったわ 」

「 そうか、お前は手先が器用だからああ言うものも向いてるのかもしれんな。 そういえば、稽古はどうだったんだ? 」


ラファエルは情事の後、私に『 可愛かった』『好きだ』なんて本当に数えられる程にしか言ったことはない。 でも、私はそれでも抱え切れないほどの幸せを胸に受け止める。 多分、それは彼が言葉なんかにしなくても分かるほど瞳や手付きで言ってくれているから。 火傷の跡も含めて私の全てを丸ごと全部、本当に宝物の様に触れてくれるから……椿と名前を呼んでくれるから。 私がどんな一日を過ごして、どんな風に思ったのか、彼は毎日の様に優しく聞いてくれるから。


「 クタクタよ。 稽古場は閉め切ってる事が多いから気付いたら汗だく……でも、やっぱり芝居って素晴らしいものね 」


私の指で遊びながら時々手を絡めて来たりするラファエルに、何時も私はドキドキして翻弄されている。


「 なぁ、椿 」

「 んー? 」


甘ったるい声で返事をする私と同じ目線で、枕に横たえた顔を優しく私に向けながら彼は甘い眼差しで私を見つめている。


「 私は頭が可笑しいのかもしれんな 」


自分に呆れた様にフッと笑うその彼の顔は、何だか照れ臭そうな男の子みたいで。


「 何年経とうともお前の事が好きで仕方ない……いや、寧ろ日を重ねるごとにお前が好きで可愛くてどうしようもない気持ちに拍車が掛かる 」


腕枕をしてくれている彼の耳は、そんな言葉を言ったことに照れたのか珍しく赤く染まっていて。


「 私も同じ気持ちだよ。 ラファエルがこの世で一番格好良いと思うし、誰よりも好きよ……好き過ぎて時々頭がおかしくなりそう 」


その言葉を最後まで伝えた途端、彼が私に覆いかぶさって来て、私の両手を寝台に押し付けて、妖艶に絡め取る。


「 …ん 」


彼の舌に弄ばれる口内から甘い声が漏れて仕方ない。 濃厚で甘いその時間がまた訪れる前兆に私は酔いしれる……甘い幸せの絶頂にまた彼の手解きで導かれる。 彼の手が火傷の跡を可愛いと伝えながら褒めてくれるのだって、私の全てを可愛いと言ってくれるのだって、言葉がなくたって全身で感じれる。




目一杯に深呼吸して、私は彼の大好きな香りを全身に受け止める。





ーー身体中に咲いた赤い花の跡は、きっと彼の私への想いの跡だと知っているから、それを見つめて私は頬がとろけそうなほど崩れるんだ。










~目一杯に深呼吸して~


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