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だって、彼がいるから



そう言えば私とスザンナと同じ髪型をする人は当初のあの頃より少なくなった。 でも、今でも4割くらいの女性がボブの髪を嬉しそうに靡かせている。 ブームに陰りが見えるのは、どこの世界でも共通で、その分時間が流れたんだと思うとそれも良いもんだと思える。


私は多分ずっとこのボブを揺らしてると思えるけど。


「 エルさん、ディアナがお腹空いたんだって 」

「 あら、本当? 」

「 えぇ、そんな顔してるわ。ね? ディアナ」


腕に抱いているディアナは、可愛い声をあげて私の頬を触ろうとしている。 泣いている訳じゃないけど、何となくまだ話せないこの子の気持ちが直接心に聞こえて来る。 少し赤味がかった紺色の、母親に似たフワフワのまだ少ない髪を揺らして。


「 ツーちゃんは本当に凄いわね。 どうして泣いてないのに分かるの? 丁度、母乳をあげる時間だったのよ 」

「 どうしてって、私がこの子みたいに純粋な生き物だからよ 」

「 悪いけど今は冗談なんて求めてなかったわ 」


母乳をあげようと私の手からディアナを抱き抱えたエルさんとクスクス喉を鳴らして笑い合う。 可愛い小さな声が2人の間をより一層幸せな音で彩る。


「 舞台はどう? 来週からまたツーちゃんも出演するんでしょう? 」

「 うん、また悪役させてもらうのよ。 とっても嫌な女だから今からゾクゾクするわ 」

「 貴女にはとびっきりに相応しい大役ね 」


呆れた様に笑うエルさんは、すっかり母親の顔をしている。


「 ……ねぇ、ツーちゃん。 ひとつだけ聞いても良い? 」

「 ん、どしたの? 」


そばかすの頬を優しく揺らしてるエルさんは、私にとって何時の間にか姉の様な人になっていた。


「 自分が幸せだと思えるから貴女に聞いてる訳じゃないんだけどね? ……こういう、押し付けがましい事って好きじゃないんだけどさ 」

「 どうしたの、改まって 」

「 ねぇ、ツーちゃんはさ、ラファエルと結婚したいって思わないの? 」



そよ風がお兄様とこの人達の住む屋敷の中にそよそよと入り込んで来る。 私はそんな窓の外を少しだけ見つめる。


「 ……結婚、か 」


それは、互いにこの人だけと思える程に確信を得て互いに鎖を着け合うとてもとても神秘的な儀式。


「 エルさん、私には多分、まだ 」


死を分かち合うまでと思える程に凄まじい感情を携えて、手を取り合っていきて行くんでしょう?


「 まだ、自信がないんだよね 」


私には、そんな風に自分を想って貰えるなんて今でもまだ自信がなくてそう思えなくて。


「 ……でもさ、ラファエルは傍目から見ても分かる程に貴女の事が好きで好きで仕方ないじゃない。 それは自信が持てるでしょ? 」

「 うん、それを疑ったりはしてないよ……とても大切にしてくれてる 」


彼の気持ちは四六時中、痛い程に伝わって来ている。


「 で、ツーちゃんも同じ気持ちでしょ? 」

「 ふふふ、うん、そうだね 」

「 ツーちゃんはさ、誰が見ても恋をしてる可愛い女の子なのに、王都の娘みたいに『 結婚したい 』とか『お嫁さんになりたい』とか絶対言わないじゃない? 」


あぁ、そっか……コレってきっと皆が気に掛けていた事なのかも知れない。 だからあえて、エルさんが代表で言いにくい事を聞いてくれてるんだ。


「 ……言わないね、そういえば 」


お腹いっぱいになってスヤスヤ眠るディアナはそんな可愛い寝顔で、どんな夢を見てるんだろう。


「 それは生い立ちがやっぱり関係してるのかもしれないけど、ツーちゃんにはそれを乗り越えて欲しいな。 結婚なんてね、そんな気負わなくても良いのよ。 私、ツーちゃんが本当に妹になったら最高なのにって思ってるの 」


あぁ、お兄様ったら本当に女を見る目が養われている。 こんな良い女何処で見つけて来たんだろうな。


「 どう? 私の台詞、重たい女でしょ 」

「 ……うん、かなりね 」



このそよ風は、国中の可愛い赤ちゃん達に降り注いでるんだろうか。



ーーー



ラファエルが倒れたと聞いたのは、その日の昼過ぎの事だった。


「 …っ、ラファエル 」


馬車を全力で走らせてもらった私は、ヒールの無い靴で彼の城の部屋に全力で駆け登った。 部屋の扉を開けると、赤い頬で汗を掻いて呼吸の乱れたラファエルが横たわっていた。


倒れたって、熱を出したって事だったんだ。



「 ……っ、何故お前がここに来る 」

「 アドルフが手紙を飛ばしてくれたのよ 」

「 ……余計な、事を 」


呼吸の乱れた彼は熱に唸されてとても苦しそうに息を吐いている。


「 移ったりしないわよ。 そんな冷たい言い方しなくても良いのに 」


自分よりも私を第一に優先する彼に戯けて笑うと、彼は力の無い手で困った様に顔を覆う。


「 …あまり、近寄るな。 熱をお前に移したくはない 」


ここ最近ずっと、ゆっくり眠る事も出来ない程忙しかった彼の体調を工面してあげれなかった事に、後悔と悔しさが入り乱れる。


「 大丈夫よ? 私は免疫力かなり強い方だからね 」


おでこに置かれていた冷たい手ぬぐいを剥がして触ると、驚く程に熱くて。 眉を下げながら私はそばにあった氷水の器にその手拭いを浸して絞る。 ラファエルはそんな行動をボンヤリと苦しそうな瞳で見つめている。


「 ねぇ、お薬は飲んだの? 」


問い掛けた私の声が高熱の所為で聞こえていないのか、枕に少しだけ顔を埋めてボーッとしている。 寝台のそばの小机には水の入った細長い硝子グラスと2錠の薬が置かれてる。


「 ……自分で飲めない程、しんどかったのね 」


小さく呟いて彼を少しだけ揺すると、朦朧としながらも私を瞳に移す。 私は彼の背に手を添えて少しだけ腰掛けさせて、そのまま口に薬を無理やり放り込む。 何をするのかと驚いてる顔の彼を視界に入れながら、自分の口に水を含む。


「 ……っ、 」


口移しで薬を飲ませるなんて、何だか映画のヒロインみたいだ。

唇を離すと、ゴクっと動く喉仏が見えて私の心に安堵が広がった。 若干照れ臭いのを隠せない私は、凝視してくる彼を無理やり寝台にまた横にさせる。


「 薬がそのうち効いてくるよ。今はゆっくり寝てて 」


髪を撫でると彼は素直に目を瞑り、甘える様に私の手を握って頬に寄せて眠りについた。


ーーー



気付けば、辺りはすっかり暗闇に支配されていた。 今日は看病で帰らないと屋敷には手紙を飛ばした。


「 効いて来たのかな…… 」


数時間経った彼の寝顔からは苦しそうな表情はなくなって、スヤスヤと寝息を立てている。 何時起きても良い様に、彼の大好きな果物を剥いて置いている私は必要以外は彼の手を握り、もう何時間も側に寄り添っていた。


「 ……っ、 」


彼の寝顔を見てると、安堵から涙がホロホロと流れてきた。


「 …っ、怖かったんだから 」


倒れたと聞いて気を失いそうになって、気付けば闇雲に馬車に乗り込んで無我夢中だった。 もしかして、エドワードを護って、剣で刺されたんじゃないかとか練習中に大怪我したんじゃないかとか、そんな恐ろしい想像で頭が破裂しそうだった。


「 ……っ、あの狐男、 倒れただけじゃ分んないのよ 」


本当に、怖くて怖くて仕方なかった。 そして、いざ高熱で苦しんでる彼を見てまた心が張り裂けそうだった……こんな苦しそうなら、私が変わってあげたいと心から思った。



「 ……っ、こんなに怖いものなんだね 」



このまま具合が悪化して……そんな恐ろしい事が頭から離れなくて、本当に本当に怖かった。 ラファエルはあの頃、死を受け入れようとした私を真近で見て、この数十倍くらい張り裂けそうな恐怖で支配されたのかもしれない。


「 …っ、ごめんね 」


結婚なんて尊くて不思議なものを、私はまだ理解は出来ないし、それをこの腕に抱き抱えれる自信だってまるでない。


けど、彼を離したいなんて少しも思わない。


「 ……っ、元気になったら、また何時もみたいにずっと寄り添って笑っていようね。大好きよラファエル 」


気付けば、私は枕元の側で顔を埋めて泣きじゃくっていた。 すると、突然に温かな手が私の頬を捕まえて持ち上げた。


「 ……ちょっと、いつから起きてたのよ 」


顔に血の気が戻った彼が、枕に顔を預けながら色気ムンムンで私を余裕な微笑みを浮かべて見つめていた。


「 いつから? そうだな、お前が薬が効いたかどうか気にしていた所からだ 」

「 殆ど全部聞いてたんじゃない… 」


クスクスと喉を鳴らすラファエルが、寝台に両肘をついて顔を窓の方に向けて驚いている。


「 お前、ずっと側に居たのか? 」

「 ……今日は屋敷には帰らないからね? まだ具合悪いんだから、ちゃんと寝てなよ 」

「 いや、大丈夫だ。随分落ち着いて楽になった 」


その言葉に安心して涙を拭おうとしたら、片手を伸ばした彼が私のその瞳から涙を拭う。側にあった果物や、今だに氷の張った器……それにまだ泣き顔の残る私の顔を見て彼はニヤリと微笑む。


「 なあ、椿……お前は相当私に惚れているらしいな 」


何でそんなに嬉しそうに尻尾を振って喜んでるんだろう。


「 当たり前じゃないの……見て分かるでしょう? 」

「 良い眺めだ、私を思って泣いて心配するお前を見るのも悪くない。 体調が万全なら今すぐに襲えたんだがな 」

「 ……口を慎め、病人が 」


言葉とは裏腹に、甘えて首元に掴まる私をヨシヨシと撫でてくれる彼の笑い声は、耳元でとても幸せそうに音を奏でる。


野良猫は、すっかり愛想の悪い男に溺れてしまったらしい。


体を離して、彼の大好きな果物を差し出すと甘えた様な表情で頬杖をついて私を見上げて来る。


「 え、食べないの? 」

「 無理だ、かなり具合が悪い。動けん……だからお前が私に食べさせろ。 あぁ、もう口移しは駄目だぞ、まだ完璧に治った訳ではないからな 」

「 今の今まで元気そうだったけど 」

「 それはお前の気のせいだろう 」




ーー城のとある一角で響く男女の楽し気な笑い声を乗せて、こうやって少しつづ夜の帳が下りる。







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