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「 見たか? 」
「 何がだよ、主語をつけろ主語を 」
騎士らしき人の声が聞こえて、思わず帽子を深く被り、念の為に柱に隠れる。
「 ダラスマの騎士殿だよ!ラファエル様が今頃この城を案内なさってる 」
「 ああ、ダラスマ国で一番美しい騎士殿だともっぱらの評判らしいな、先程も侍女や皆がその顔を見ようと張り切ってたよ 」
「 そんな事よりも、国一番の精鋭との噂じゃないか! 一度お手並みを拝見させて頂きたいものだ 」
「 ふん、我らの世代でヘルクヴィスト家の御三方に敵う者などおらんさ 」
冷静に答える連れの人があの騎士様を見つけて指を差すと、顔を輝かせて話を持ち出した騎士がそちらに振り向く。
指差す先には、じゃれて来るあの女騎士さんを何だかんだ相手にしているラファエルがいる。
「 ほぅ、女神の様な顔立ちと言うのも謙遜ないお方だな 」
「 それにしても随分ラファエル総司令官殿と仲が良さそうだ… 」
「 ダラスマとの協定を結んでから、女神殿が随分と懐いているらしいからな 」
へぇ、そんな事初耳なんだけど。
「 ポチ様が御覧になったら、さぞかし悲しまれるだろうに…… 」
「 何を言ってるんだ、 そんな訳ないだろう? あの顔に惑わされるな 」
「 はは、確かにそうだったな! 」
どういうこと? もしかして、私に負けないくらいあの女騎士様も性格が捻じ曲がった女なんだろうか。 それは駄目だ、余計に駄目だ。
ラファエルは、見る目がないから性格の悪い女に惚れるタチなのに!
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なんだか物凄く不快。
「 椿様、王都から戻られてからずっと険しい顔をしてらっしゃいますわよ? 」
隣に居た侍女が気遣わし気に声を掛けて来てくれる。 ああ、顔に出るなんて大人失格だな。
「 馬のフンを踏んじゃったのよ、その所為かも 」
驚いた顔の侍女にケラケラ笑う。
純粋無垢な子に下品な事を言うのは楽しい……反応がとびきり可愛いんだ。
そんな事をしてると、ビビの可愛い蹄の音が聞こえて来た。 真っしぐらにこちらに向かって来るその影は段々とハッキリしてくる。
「 お帰りなさいませラファエル様、ビビ様 」
「 あぁ、戻った 」
隣の侍女がスッとお辞儀して出迎えたのを、棒立ちでチラッと見る。 ラファエルはそんな事を気にせずに、颯爽とビビから降りて、私のそばにやって来る。
「 良い子にしていたか? 」
「 えぇ、……おかえり 」
「 ただいま 」
こんな時に限って優しい声で『ただいま』なんて言うんだこいつは。 仕方ないと若干微笑みながら彼に抱きつくと、知らない香りがした。
ーー石鹸みたいな柔らかい香りが。
「 ……どうした? 」
手を回す前に咄嗟に離れた私に、不思議そうに問い掛けて来るラファエルに心がモヤモヤする。 それでも、平然を装って和かに声をかけた。
「 なんか、石鹸みたいな香りがしたわ? 」
「 ああ、散々付き纏われたからな……まったく 」
首に手を置き、気怠そうに答える癖に顔は全然怒ってなくて、寧ろ何処か楽し気にさえ見える。
この堅物蛇男、ムカつく。
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椿の花の蜜の香りにさえ、何故かイライラしてしまう。 私が動くたびに湯船がユラっと小さな波を立てる。
「 子供達と遊んでいたのか? 」
「 ええ、昼過ぎからね 」
そう、子供達の前では笑顔でいれたのに、大人に囲まれた瞬間力が抜けてあの険しい顔になってしまった。 ラファエルは何時もこうやって、離れていた間私が何をして過ごしていのか率先して聞いて来てくれる。 そんな人今まで居なかったし、ドラマとかでもそう言う人は良い男だってよく言われてた。
あの女騎士もラファエルを良い男だって、思ってるのかな。
「 疲れているのか? ……元気が無い様に見えるが 」
湯船をボーッと見ていた私の後ろから、ラファエルが顔を覗き込ませる。 どこまでも真っ直ぐに私を見つめてくれるいつもの彼の瞳。
もしかして、もう、あの女騎士さんがジワジワ染みて来てるのだろうか。
気付けば、彼の頬に近い首筋に顔を近づけていた。
「 椿、そこはダメだ。 服で隠れぬだろう? ……私が風紀を乱してはならん 」
服で、か。
やっぱ隠したいよね、あの女騎士が見ちゃうしね……うん、そもそもこの人の立場を考えたらそれ以前に今のは良く無かった。 はぁ、何時もなら分かり切ってる事なのに。
「 ふふふ、冗談よ 」
頬にキスをして笑ってごまかしたのに、心が何故かズキズキと傷む。
「 逆上せる前に上がろうか、お前が体調を崩してもいかんからな 」
何でだろう、いつもと同じ様に優しいのにどうしてか私の心が何かを必死に繋ぎとめようとしてる。
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「 え、貴方が……ダラスマ王国に? 」
「 あぁ、三日間だけな。 隣国と言うこともあって王都から馬でも数時間で着くからな 」
事情があって、ラファエルが向こうに出向かなきゃいけなくなったらしい。 ただ、問題はそこじゃない。
「 ……使者の、人と? 」
「 あぁ、勿論だ。 私一人で向かったところで意味がないからな 」
呆然として、持っていたナイフが思わず落ちそうになった。 何でこの人はそんな風に平然としてるんだろう。
「 潔癖性の貴方が、他の知らない場所で安眠出来るの? 」
何とか出た声はちゃんと、おどけた声になっていた。 そんな声にラファエルも眉を下げて微笑む。
「 まず無理だな。 使者が自分の自室を貸してくれるそうだ、アレも私と同じくらい潔癖性だからな 」
この人は、何を、言ってるの?
女の人の部屋を借りる? ……しかも、そんなのってあの女騎士さんが好きな様に出入り出来るって事じゃない。 そもそも、潔癖性だなんて断言出来るほどに詳しくあの女の人の事を知ってるの?
ラファエル、今、貴方は誰を見てるの。
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翌朝、ラファエルは隣国へ向かってしまった。
『 お前と離れると思うと、三日と言えど寂しいものだな 』
そんな風に戯けて笑ってたあの人は、そんな事を言いながら別の女性を思い浮かべていたんじゃないだろうか。
ーー不安な気持ちで横になった一人の寝台は、氷みたいに冷たかった。
「 ……っ、はぁ、私も随分と弱虫になっちゃったな 」
シーツに止めどなく、涙が落ちて行く。 拭っても拭っても、それは止まることなく染みてシーツの色を変える。
「 好きで奥二重に生まれた訳じゃないし…っ、 」
あの人は、もしかしたら今頃あの綺麗な女の人と寄り添って笑いあってるのかもしれない、もしかしたら、私との様にシーツに絡まって甘い時間を過ごしているのかもしれない。 この女の方が私に相応しいなんて、気づいてしまったのかもしれない。
もしかしたら、今頃……
ーーそんな夜は、彼が居ない三日間ずっと続いてしまった。
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三日目の朝、エドワードから使者と共にラファエルが夕刻には帰って来ると手紙が届いた。
「 椿様、本当に大丈夫ですか? ここ何日かろくにお食事もなさってませんけど…… 」
そう言う侍女の隣で、カロラナ様も心配そうに私を見つめている。
「 そう? 大丈夫よ 」
大丈夫、だって、彼は帰って来ると信じてる……きっと、あの女の人じゃなくて、私のそばに戻って来てくれるって。
だって、あの日誓ってくれた。
なのに、どうしてか私の心は不安を拭いきれないでいて、何かに押しつぶされそうだった。




