嵐の前の静けさ
近衛騎士達の宿舎がある城の東塔は、今日も賑やかな声が聞こえる。
「 ねぇねぇ、もしかしてツーちゃんのその耳飾りってラファエルとお揃い? 」
「 あぁコレ? そうなの、あの堅物野郎と同じよ。 あ、エルさんは座っててよ。 私が白湯淹れるから 」
立ち上がって私を手伝おうとしたお兄様の奥様を笑顔で先制して、私は冠水瓶から温かい体に優しい白湯を淹れる。 湯気がカップから揺らめく。
「 ありがとうね 」
「 良いえ、どう致しまして 」
臨月を迎えた大きなお腹を愛おしそうに撫でながら、白湯を飲むエルさんは、フワフワの赤毛にそばかすが特徴の気さくで親しみやすい美人さんだ。
「 お腹の子は? 」
「 女の子だってお医者様が言ってたわ。 あの人ったらまだ産まれても無いのに嫁にやりたくないって 」
「 お兄様言いそうだねぇ…… 」
お腹に抱きついて駄々を捏ねてるお兄様が容易に思い浮かぶ。 奥様と我が子を溺愛してるお兄様は、臨月のエルさんを屋敷に招待するのも、道中何かあったら駄目だからと渋ってた程だ。 子供の誕生を待つ親って、こんな風に待ち望んでるんだな。
ーー私が捨てたあの両親は、やっぱりそうじゃなかったんだろうな。
まぁ、それは否定しようの無い事実だし過去を振り向かないと決めたんだから、考えるのは辞めよ。 思考を振り切り、楽しそうに話しているエルさんの声に耳を傾ける。
「 ツーちゃんとっても美人さんだから、その耳飾り凄く似合ってるわよ。 この子もツーちゃんみたいなベッピンさんに育ったら良いな〜 」
暴落した公爵家に産まれたエルさんは、酸いも甘いもそれなりに経験した逞しい女性でその人柄が太陽みたいな雰囲気で、あの自由奔放なお兄様が惚狂するのも頷ける。
「 私みたいって、良いの? 確かに私は稀に見る美貌だけどさ、取り返しつかないくらい捻くれ女になるわよ? 」
「 ああ、それは非常にヤダね。それだけは絶対に嫌だね、却下するわ 」
冗談気にゲラゲラ笑う私とエルさん。 彼女には私の生い立ちも話してるけど、腫れ物に触る様な態度を取らないから一緒に居てとても気楽だ。
「 エルさん、これ小腹が空いたら食べな? カロリーも低いし、タンパク質も豊富だからね 」
この国には無かった豆腐を和食と共に広めた結果、かなり好評を得たらしい。 目の前のエルさんにこうやって時々手作りの豆腐を持って来ることも多い。そして、私の持って来る物に何時も目を子供みたいにキラキラ輝かせる。
「 わぁ、ツーちゃんのお豆腐大好きなの! ありがとうね、だってコレって私の為にわざわざ作ってくれてるんでしょ? 」
「 気にしないで、私は結構ヒマだからさ。 そう言えば足の爪伸びてない? 伸びてんなら切るけど 」
何てこと無い風に、珈琲を飲みながら私が言うとエルさんが途端に優しく顔を緩めて頬杖をつく。
「 ツーちゃんはさぁ、本当に痒いところに手を差し出してくれるよね。 カミーリィヤ王女の事も色々気に掛けてるって聞いてるわ。 貴女は面倒見がとても良いよ 」
そんな褒め言葉がヤケにむず痒くて、照れ臭くなった私は誤魔化すように平然を保って椅子の背に凭れる。
「 別に、母体を気に掛けてるわけじゃないからね? お腹の子にスクスク大きくなって欲しいだけ 」
「 ふふふ、はいはい。 そう言うことにしといてあげるわよ 」
クスクス笑うエルさんを視界の端に映しながら、私は珈琲を手にとって冷ましながら口を付ける。 ふと、エルさんはそんな私を見ながら、優しくて穏やかな口調で語り掛けて来た。
「 ツーちゃんはね、きっと、とっても素敵なお母さんになれると思うわ……素敵な女性だもん。 やっぱりこの子にはツーちゃんみたいに育って欲しいなぁ 」
素敵なお母さん、か。
そもそも私は自分の子供を抱きかかえている自分自身なんて想像したこともないし、誰か一人の男の人にお嫁さんにして貰えるなんて事すら想像もした事が無かった。
『 お前なんか死ね! 』
まだ若い声のあの人の記憶しか残ってない……それが私の知る、私を産んだ女の、母親の印象だ。
「 私にはそんな大役向いてないわ」
「 どうして、そう思うの? 」
カミーリィヤもエルさんもきっと素敵なお母さんになれると確信してる。
「 私を産んだ母親は、私に我が子をどうやって愛するのかじゃなくて、暴力の怖さしか教えてくれなかったもの 」
悲し気もなく淡々と話せるのは、それが揺るぎない事実であって、私はそれを別に引きずったりしていないからだろう。
「 あら、貴女のお母様は私と同じでカロラナ様でしょう? 断言出来るわ、貴女は絶対に良い母親になれる 」
強い眼差しで笑うこの人もきっと色んな苦境を乗り越えて来たからこそ、そうやって朗らかに笑えるんだと思う。
「 そっか、ありがとうエルさん 」
歯を見せてイタズラに笑った私が、窓の硝子に映り込む。 その私の耳には、あの仏頂面とお揃いの耳飾りが笑う私に合わせてユラユラと揺れていた。
「 あら、どうして笑ってるの? 」
「 いいや、何でもないわよ」
私が想像した我が子が、ブスッと険しい顔をした三白眼の男の子だったなんて、あの人にはきっと言えない。
捻くれた私には、きっと。
ーーー
ー
「 へ、嫉妬? 」
「 えぇ、そう言うの感じた事あるの? 」
何杯目かの珈琲も冷めて来た頃、そろそろ帰ろうかと準備をし始めた私の後ろで、頬杖をついて穏やかにエルさんが話しかけて来た。
『 嫉妬 』か、その文字は台本で何度か目に入れた事があるし、役でもそんな事に悩む女性を演じた事もある。
「 嫉妬は確か、もがいても足掻いても、こびりついて心から消えないのよね? 叫びたくなるような感覚なんでしょう? 」
そんな私の台詞にキョトンと驚くエルさんが目に映る。
「 感情をそんな理論的に答えて来た人ってツーちゃんが初めてよ。 そっか、なら、ツーちゃんはこれからそれを知るのね 」
女として何枚も上手そうなエルさんが、お腹を撫でながらそんな風にクスクス喉を鳴らして答える。
「 そうねぇ、私はまだ感情って物をお勉強中だから。 まぁでも、今迄の男達にそれを感じた事ないのは確かね 」
女優帽みたいな帽子を被って、笑顔で席を立つ私をやっぱり立ち上がって見送ろうとしたエルさんを席に着かせる。
「 ツーちゃん、何処かにお出掛けするの? ラファエルと帰るんだとばっかり思ってたけど 」
「 うん、寄り道したい所があるのよ。 また遊びに来るからね 。 ミシェルとお父様に宜しく伝えてて 」
国王様の他国訪問に共に着いて行ったお兄様は今頃、本心は早くこの奥さんの元に帰りたくて仕方ないんだろうな。
二人の赤ちゃんは、どんな風にこんな私に笑いかけてくれるんだろう。
ーーー
ー
「 嫉妬? 」
「 うん、アドルフは感じた事あるの? 」
馬車の中で足を組むアドルフは、余所見をしながらこれまで遊んで来た女の子達を思い出しているんだろう。 城から歩いて帰ろうとしていた私を見つけたアドルフは、彼の馬車に私を招き入れてくれた。
「 さぁ、どうだろう? 『 浮気したでしょう⁉︎ 』って泣いて来る女の子は沢山居たけどねぇ。それって嫉妬? 」
逆に質問で返して来るこいつは、案の定と言うか、間違いなく私と同類の人種だ。
「 え、何? アンタ恋人が居ても他の子に手を出してたの? 」
「 んー、向こうがそう思ってたんじゃない? まぁ、来る物拒まず去る物追わずが僕の定義だからねぇ 」
かなり誇らし気に、誇らない方が良いことを断言してるこの狐に聞いたのが間違いだった。
「 あれ、君も似たようなモノだと思ってたけど 」
「 少し違うわ、私は如何に『 ポチ』を演じ切るかだったからね。 恋人って言う肩書きの男がいる間は他に手は出さなかったもの 」
狐と居ると、大体下世話な話にしかならない。 ああ、この男がいつか本気の恋をする所を見てみたい。
「 嫌だなぁ、僕って死んだら地獄に落とされるのかな 」
「 さぁね、アンタなら神様だって口説き落として掌で転がしそうだけど 」
「 あぁ、それも悪くないね 」
嫉妬の話は何時の間にやら何処かに消えて行って、いつも通りの屑同士の楽しい会話が繰り広げられる。
ーー
ー
「 ん、屋敷はまだ少し先だけど、王都に用事でもあったの? 」
「 ええ、ちょっと寄りたい所があるのよ。乗せてくれて有難うね、助かったわ 」
馬車を止めて貰って降りようとした私を先制して、優雅に降り立ったアドルフが私に手を差し出して降りるのを手伝ってくれる。
「 良かったら待っていようか? 」
「 ううん、明るい内に乗り合い馬車で帰るから大丈夫 」
こういうさり気ない優しさに女の子は多分骨抜きにされるんだろうな。
何だかんだ、親友の恋人である私に何かと気を掛けてくれるし。




